5 絶賛、塩対応され中(アシュリー視点)
「――はい。午前のお仕事はこれで終了でーす、お疲れ様でーす」
書類の角をトントンと揃える目の前で、アレクが机に突っ伏しぐったりし出した。
「今日、朝からハードすぎない? サインし過ぎで腕が……あと、座りっぱなしでお尻痛い……」
「しょうがないでしょー? 国王はひとりきりなのに、そのアレクへ後から後から書類が届くんだもん。全部目を通してもらわないといけないし、その書類を理解するためには別の書類を確認してサインが必要だし、そのためにも他の資料も読まないとだし」
「嫌なループ……!」
「ぅんでも、だいぶ頑張ってくれたからね。目処もついたし、昼休みは少し多めに取って大丈夫よ。昼食の後、優雅にティータイムもありじゃね? 用意させようか」
「君の飴と鞭には、毎回感謝してるよ。……だから君も休んで? 体調崩さないか心配」
「休んでる休んでる。しかも最近は、すっごい元気の源が出来たものー」
「エマ? 相変わらず追いかけ回してるみたいだね」
「追いかけ回すんじゃなくて、俺を見てもらいたくて頑張ってるのっ」
「見てもらえた?」
「…………騎士団長としては、認識されてるよ」
「男としては見られてないんだ。冗談だとでも思ってるのかな」
「冗談とか本気とかでもなくてさ。俺が何か言っても、なるほどって納得してるだけで……」
今度は俺のほうがぐったりする番。
「なんつーのかなぁ。エマちゃんは自分が女であるって自覚してても、自分自身っていう人間にそれほど興味ないっぽい」
「それは良くないね。何事も、まず自分があってこそだよ」
「元からの性格プラス、新人にありがちな考えってやつよ。自分の命は誰かのためにってね。それじゃ駄目なのにさ」
「誰かを守りたいなら、まず自分が生きなくてはね。死んでも守るなんて考えは間違ってる。生きて、守らないと」
「まぁ、エマちゃんならそのうち理解はしてくれるはずだし。ここでの生活が自分を見直すきっかけになれば、彼女の人生はもっと開けるよ」
「そのきっかけになりたいんだ」
「まーね、そーね、当然ねー。てことで俺も少し時間出来たし、後で会いに行って来る。俺はここにいるよって、認識してもらわなきゃだ」
「もしかして、毎日の恒例行事?」
「俺、そこまで暇じゃなーい。少しでも時間作るために仕事頑張って、時間出来たら会いに行ってるの。だって会いたいもん」
「いいなあ、恋してるその感じ」
頑張っての声に見送られ。自分の執務室で少し雑務をこなし、直接指示を与えたい部下へ会いに行ったその足で、エマちゃんがいそうな場所を捜していると。
「そこだ!」
「いけいけ!」
(ん?)
訓練場が、やけに騒がしい。
入口付近は休憩中の団員だけでなく、メイドや庭師、料理人たちで人だかりが出来ていた。
なんだろ? と、一歩踏み出したら、人混みの中に覚えのある後頭部を発見。
(ぅおいっ!! あのお馬鹿さんは、なーにやってんのかしらね!?)
よもや、まさか、メイドたちに紛れて自国の王が一緒になって楽しそうに声をあげてるって!
「アレク! この馬鹿国王!」
「わっ!? びっくりした!」
腰のベルトを掴んで輪の中から引っ張り出せば、アレクがきょとんと俺を見る。
「拳振り上げて何やってんのよ!? 執務室で、部屋で休むみたいな流れにしたはずですが!? つか、遊ぶなら遊ぶで俺に一声かけなさいって何度言わせる気!?」
「ここ、騎士団の訓練所だよ? 城内で一、二を争う安全な場所じゃないかな。それより、アシュリーも見ないと損するよ。武器禁止の、一対一の勝ち抜き戦」
「あー……それでこの騒ぎか。久しぶりじゃね? 誰が勝ってんの?」
背伸びをしても、俺には人垣の向こうがよく見えない。
「こういう時、身長低いのは損だな」と今更なことを心でぼやきながら人垣を抜け先頭に出て、驚かされた。
「エマ! そこだ!」
「おい! 新人だろうと手加減なしで行け!」
今、勝ち抜いているのはどうやらエマちゃんで、それに驚いたわけじゃない。
(君は綺麗だね……)
単純に、改めて気づかされる。
動きやすさ重視の地味な制服も、その身長と抜群のスタイルで着こなして。相手の一挙一動を捉えるべく、瞬きひとつしない漆黒の瞳も。全部、全部、俺をぞくぞくさせてくれる。
「エマが先に動いたぞ!」
「次で決まるか!?」
リーチの長い足が対戦者の胸元を狙う、それはフェイント。すぐさま軸足を変えて、見事な後ろ回し蹴りが相手の腹に決まった。角度、勢い、全てが完璧。
対戦者は軽くとはいえ吹っ飛んで、尻餅をついていた。
「エマの蹴り、何度見てもすげえ!」
「素敵です、エマ様ぁ……!」
「お姉様、こっちを向いてください!」
応援に感謝なのか、エマちゃんが胸に手を当てて騎士らしいお辞儀をしてみせる。
と、また黄色い歓声が上がった。
「エマ様って本当に素敵! この間、転びかけたらサッと腰を支えてくださったのっ。お怪我はありませんか、お嬢様って……!」
「私のおばあちゃんが買い物帰りに腰が痛くて休んでいたら、背負って家まで送ってくださったのよ。その後、薬草も届けてくださって……。なんてお優しい方なのかしら!」
どうやらエマちゃんのファンは、老若男女と幅広い。
ライバルが増えるのは嫌でも、かっこいい姿を見せられたらこれも当然かぁ……。
「アシュリー。顔、顔」
「……顔?」
「うっとりしすぎ」
「だってさー……あれは来るでしょ。鷲掴みにされるでしょ。あと股間に来る。あの足たまんないっ」
「僕にはそういう性癖がないから分からないけど、足技が見事なのは認めるよ」
次の相手が挑んだところで、昼休みを終える鐘の音。
団員たちは、エマちゃんの足技を褒め称えながら一緒に移動して来る。
「エマ、今日も見事な足技だったね」
アレクが彼女だけ呼び止め、手招きする。
「お褒めいただき光栄です、陛下」
「基礎は習って、そこから独学だったよね。みんなの参考になりそうだし、どう鍛えてきたのか教えてもらえるかな」
「武道関係の書物を読み、人間の体の動きなども研究しております。あとは日々、基礎鍛錬を怠らないことでしょうか」
「地道な努力の結果の、今なのか。君は、騎士になるべくして生まれたのかもよ。……それに、そうだ。その足技を伝授してほしがる団員も多いだろうし、君の授業時間を作ろうか」
「わたくしが先生に?」
「うん。特筆すべき得意な何かがある子には、誰かに教える立場を与えてるんだ。そうすることによって、教える側の実力も上がる場合がほとんどだ。もちろん、嫌なら断ってくれていいんだよ」
「わたくしがみなさまの力になれるのであれば、喜んでお受け致します」
「ありがとう。その調子でこれからも頑張って。ただし、無理のない程度にね」
「ありがたきお言葉、痛み入ります」
「騎士団長様からも何か言ってあげたら?」
とんっと背中を押されて、エマちゃんの前に立たされる。
まったくそらされない視線は、相変わらずなんの感情もない。なのに汗ばんでいる肌とか、まだ整っていない呼吸とか、そういうのを近くで感じたら――。
「エマちゃん! 結婚を前提に、俺にも回し蹴り決めて!」
感極まった俺の宣言に、アレクは「意味が分からないよ……」と項垂れ。
エマちゃんは、
「午後の稽古がございます。新人としての準備もありわたくしは急いでおりますので、そのようなお誘いは他を当たってください」
と、相変わらずの対応でクールに立ち去ったもんだから、また身悶える。
「あぁんもう、かっこいい……! あの足で体を締め付けられてからの、愛ある営みとか超興奮する!」
「僕は色々と心配になってきた……」
頭が痛いとこめかみをもみほぐすアレクは完全無視で、俺はエマちゃんを追いかけた。
「エマちゃーん! いつなら時間取れる? その時間、俺に予約させてっ。そんでね? 互いを知るための、濃密な時を過ごしたいです!」
「そういう時間を作る予定は今後もありません」
ま、ご覧の通りの塩対応。
前途多難ではあっても、恋ってこういうことなんだ。一瞬で価値観変わるんだって教えてくれた君だから。大迷惑を承知で、それでもどうしても頑張りたいんだ。
本気で俺を拒絶していると、表情でも態度でも伝わって来るまでは――。