2 アシュリー = オルブライトは、ついに目覚める(アシュリー視点)
「アシュリー、いま暇? 暇だよね? 見てほしい物があるんだ」
「暇じゃなーい。お前が俺に寄越した仕事が盛りだくさんでーす」
「なら、いったん休憩しようよ。君、働きすぎだしさ」
「いやだから。これ、お前が俺に寄越してる仕事なんですって。城下の整備やら国境付近の整備やら、どのタイミングでどれぐらいの作業員が必要か、担当者に書類出さないとなんだってば」
「うん、ごめんね? だからこれ見て?」
「聞きなさいよ、人の話を……」
俺の執務室へ友だちん家感覚で会いに来たのは、まごうこと無くこの国の国王陛下、アレクセイ = チューヒン。わが道を行きまくった会話にも慣れっこの俺としては、仕事しつつ目の前に置かれた物を手にした。
「何これ」
「お見合い用の肖像画、縮小版。この娘とかどう? 隣国の、名門貴族の娘さん」
「あー、いいねー、綺麗よねー」
「この娘もどうかな。海運業で、一代で財を成した海運王の娘さん」
「わー、すごいすごーい、超びじーん」
言いながら肖像画の上に持っていた資料を置こうとしたら、アレクの手で制された。
「国王権限を最大限活用して君のお見合い相手を探したっていうのに、それはあんまりじゃない?」
「権限の使い道、だいぶ間違えてね?」
「間違えてないし、普段使わないんだからいいの。あと、君だからこそ使いたいんだ」
改めて、しゅぱぱっ! と並べられた肖像画。
「そんなさぁ、カードを広げるみたいに並べられてもー」
「見やすいようにしてあげてるんだよ。分かったら順に見ていって」
「順番にねえ……」
仕方なしに肖像画を一枚、また手に取る。
「今回は五人もいるんだ。会ってもいいと思う娘、ひとりはいるんじゃないかな」
「確かにどの子も綺麗だし、可愛いけどさー。何度も言ってんでしょ? 俺、結婚とか興味なーい」
「何が気に入らないの」
「だってこの子たち、俺と対等に戦えないもん」
「この国に、君と対等に戦える男もいないよ」
「そんじゃこの話はこれでお終い」
「なら質問を変えよう。どういう娘なら、君は結婚を前提にお付き合いしたい?」
「裁縫だとかダンスが上手な子より、剣の腕が立つ強い子が好き」
「君の好みをとやかく言うつもりはないけど、そういう子は違う意味で探すのが――あ! だったら、女性限定の武闘大会を開くのはどう!? 競技場使っていいから、大々的に!」
「だーかーらっ。権力の無駄遣いはやめましょーよってば。あと、お金の無駄遣いもやめてー」
「税金使うつもりはないし、お客さんも入れて、入場料を貰えばいいんじゃないかな。競技場内外でも、屋台を出してさ。集客数も望めるし、優勝者は君の伴侶になれるとなれば、すごい騒ぎになるよ!」
「超名案とか思ってるんでしょうが、それ、国を挙げてのお祭りになってんじゃん。俺の人生、祭りの結果で決めるのは勘弁してー」
「じゃあどうすればいいのさ!」
「なんで逆ギレ!? 俺の人生だって言ってんでしょうよ!?」
「だって君は僕の大事な右腕であり頭脳であり、誰よりも信用してる騎士団長であり、幼馴染のお兄ちゃんなんだよ? 今すぐ引退されたら困るけど、幸せな結婚生活を送ってほしいんだ。ずっと、苦労をかけっぱなしだし……」
「そこで、年下の幼馴染っぽいところを出されてもー……」
「だって……」
不意に、アレクが神妙な面持ちになる。
「僕の望みに付き合わせたせいで、おじさん……君の父親も――」
「あ、そういうのはなしにして。親父も俺も、アレクの考えに賛同しての現状ってやつなんだし、そこはぶり返さないでちょーだいよ?」
「……とにかく。僕は君に、一般的な幸せもあげたいんだ。それには伴侶を見つけるのが一番でしょう?」
「そりゃどうもっつーか、そんならこっちも言わせてもらいますがっ。俺だって、お前の相手を見つけてからじゃなきゃ結婚出来ませんて! だいたい国王より先に結婚してる騎士団長とか、ありえませんて!」
「そこは年功序列で! 君、その可愛い見た目で忘れられがちだけど、もう28だよ!? 世間一般的には、子供が数人いたっておかしくない年齢だよ!?」
「童顔なのはそっちもでしょうが! ていうか俺の伴侶探しで国民の自分への興味をそらそうとか、せこいことしないでくれますー!? どー考えても、国王の伴侶探しのほうが俺より重要事項ですから!」
ビシッ! と鼻先に指を突きつければ、アレクが軽くのけぞった。
「お前もその顔使って、恋人のひとりやふたり、今すぐ作って来なさいよ! もしくは自分でいい娘を取り揃えたって言うなら、こん中から選んで結婚しなさいって! そんで、とっとと童貞卒業しなさいって!」
「どっ、童貞とかは関係ない! それ言うなら、アシュリーだって月光を集めたふわふわな金の髪に、子猫の青の瞳まで持って、小柄なのが母性本能もくすぐられるとか巷の女性たちを騒がせてるっていうのに、恋人すら作ったことないでしょう!?」
「これまでの人生で、そこまで願う女の子に出会えてなくてね!」
「僕にだって好みはあるし顔で選ばれても嫌だし、貴族の気位ばっかり高い女性は嫌だ!」
「はい来た本音! 話はこれで終了! 分かったら出かける準備する! 国王陛下直々の本日の見回りは、山側にするって言ってたじゃんっ。いい加減行かないとでしょー?」
脇に立てかけておいた剣を腰に下げれば、アレクも渋々と頷く。
「分かった。けどね? 僕としては本当に、君に伴侶を作ってほしいんだ。それは忘れないで」
「心に留めてはおきますよー」
いやまあね。アレクの言い分も理解は出来るのよ。
この国の、初婚の平均年齢から俺はずいぶんと経っちゃってるし。奥さんがいれば、何かと助かる身分なのもさ。
(でもねぇ……。伴侶に関しては、マジで俺より先にアレクでしょ)
アレクはもう、俺と初めて出会った頃とは違う。何も出来ずに悔しがっていた、小さな背中じゃない。
「あの小さかったアレクが立派になって」と感動するぐらい、美丈夫な青年に育ってくれた。
(アレクこそ伴侶を見つければ、国民が望む完璧な国王陛下なのにね)
グーベルク国国王陛下「アレクセイ = チューヒン」は、王家筋である「チューヒン家」のひとり息子だ。
とはいえ、一応、かろうじて王家の血筋が流れていますっていう程度で、王位継承権の序列順位で言えば、末席も末席。
普通なら国王になれるはずもなく、彼の両親も王位に興味のない、平民と同等の思考を持つ素朴で優しい夫婦だった。
(国王の親だっていうのに、今も田舎で質素に暮らしてるもんなぁ。そういうのも、アレクの人気が高くなる要素か)
前国王までのこの国がひどすぎた分、アレクへの期待が高いのは仕方ない。
(ま、破綻しかけてた国って意味では、よくある話の流れよねー)
俺たちが、まだ年端もいかない頃。前国王が病気になり、余命幾ばくもないとなった時。実権を握り我が物顔で国と民を使役していた貴族や大臣たちは、次代も自分たちの意のままに操れる国王をと画策。
そこで、まだ幼かったアレクに白羽の矢が立った。早いうちから城で生活させ、ある程度不自由なくさせておけばこれまでどおり問題ないと考えたわけだが、結局、これが貴族にとっての大誤算。
(隠してただけで、アレクって小さい頃から頭良かったんだよね。年下なのに、俺と同じレベルの問題解いちゃった時あったもん)
そんな俺は「オルブライト家」という、武術に秀でた一家のひとり息子。とくにじーさんが、剣を使った接近戦を得意とする人だった。
彼が有名になったきっかけは、祖国の王が森で敵襲を受けたところを、たったひとりで最後まで守ったからだ。その強さに国王も感心し感謝もし、近衛府の地位を与えられてからというもの。じーさんの強さを聞きつけ、弟子入りする者たちが後を絶たず。
そういう弟子の中からも腕前を買われ、各国で「御親兵長」「親衛隊長」「近衛師団長」に選ばれるようになり。
貴族や、果ては国王までもが「オルブライト家の免許皆伝を受けた者を雇えば、寿命が百年伸びる」と口々に言い出し、黄金を積み上げてでも自分の命を守ってもらおうと雇いたがるほどとなった。
その本家血筋である俺の親父は、アレクが王位継承権のトップに躍り出た際チューヒン家に雇われた。家族で移り住んでからは、俺がアレクの子守役を受けたのが馴れ初めってやつ。
(俺からしてみれば育てやすい、いい子だったんだよね)
ただアレクは、周りの評価と実際の人物像がだいぶ違った。
周りの評価は、「あんなに大人しい本ばかり読むような子では、チューヒン家も彼の代で途絶えるのでは」って感じ。
俺の評価は「アレクって頭いいなー。あと、何気に剣の腕前すごくね? 将来有望、面白そうだし一生ついてくー!」みたいな?
だからふたりでよく、この国の未来について夜も遅くまで話をした。こうすればよくなる、ああすればよくなる。あの頃のそれは、俺たちにはまだ夢物語だったけれど。
(お馬鹿な貴族のみなさんのおかげで、大逆転ってね)
こっちが密かに準備してるなんてまったく気づいておらず、ほぼ計画通りに革命は始まった。
成人と同時に王位を継承した瞬間、アレクは豹変。俺も「切断劫火の騎士」となり、この国を一気に制圧した、それが数年前の話。
(つかこの二つ名、革命中だけかと思ったら、いまだに呼ばれてるんですけどー。仰々しくて嫌なんですけどー?)
「切断」がついたのは、まあ分かる。なにせ敵とみなせば、躊躇いなく「その首もーらい!」とばかりに切り落としてたわけでさ。
ただ「劫火ってのはなんでよ?」と不思議がってたら、アレクが笑顔で教えてくれた。
「世界が壊滅する時、この世を焼き尽くしてしまう大火が劫火でしょう? 君自身が、まるで炎のような勢いで駆け抜ける様から名づいたって聞いたよ」と。
(納得いかねー。アレクのほうが、俺よりよっぽどおっかないのにさ)
なにせあいつの二つ名は、「静寂狂乱の王」。
ざっくり訳すと、「普段おとなしい奴ほど怒らせるとすっげー怖い」って感じなわけで。今も本気で憤怒すると俺ですらなだめるのに苦労するんだから、他の奴が抑えられるはずもない。
それでも国王となったアレクは、素晴らしい指導者だ。優しく、厳しく、この国を守ってる。
見回りだって騎士団員が毎日行っているのに、アレクは自分の目でも見たいと一ヶ月に数回、必ず城を出る。民の現状を直接目で見て、耳で聞こうと努めていた。
そんな彼のため、俺も騎士団長として存分手助けすると誓ったとはいえ。色々と苦労をかけたからって「僕が君の伴侶を見つけてあげる!」といった宣言は、大迷惑以外の何物でもない。
ま、こっちもほぼ同じ返しをしてるわけで、この牽制は今後も続きそうだな。
「ここからは馬では入れそうにないね」
「ぅんじゃ、歩いて奥まで行ってみますか」
たどり着いた山の中腹。見張り役の騎士団を数名その場に残し、残りの数名は一定の距離を保ってついてくるよう指示を出す。
そうして進みだした、整備されていない山道。アレクが邪魔な枝を剣で切り落としながら、心配の声をあげた。
「国境までのもともとあった山道は整備出来ても、さすがに全部の山は無理だね。でも、どんなに木が生い茂っていようとこうして人間は入れるわけだし……。山賊とか、今はどうなんだろう」
「国境付近の警護をしっかりさせてるし目撃情報も被害報告もないし、それに関しては心配ご無用──なんですが」
「ですが?」
「隣国さん、ここ数ヶ月、天候不順が続いてたらしいのよ。そのせいで向こうの山に住んでた猛獣……イノシシ、熊とかがこっちまで餌を取りに来てるのか、猟師からの目撃情報が急激に増えてる。十中八九、冬ごもり前にお腹を満たす必要があるからでしょうけどもー」
「国民が怪我したとか、何かしらの被害は」
「今のところ、なーんにも。ぅんでも時間の問題じゃね? てことで、不用意に国境側の森や山奥へ入り込まない。商売としての狩猟目的や山菜取りも、なるべくひとりでは入らないようにって、注意喚起はしたよ」
「さすがアシュリー。早めの対応、ありがとう」
さらに奥深くへ進んで行くと、聞こえてきた水音。
(川が近いな。水を飲みに来た獣の足跡を確認して――……ぅん? この音なんだ?)
背後のアレクと、さらに後ろにいる団員たちへ、手で「止まって」と合図を送る。
ふたりで少しだけ来た道を戻って、それでも小声で状況説明。
「なんかね、川の流れと違う水音が聞こえるのよ」
「獣じゃなくて?」
「獣が水浴びしてるとか魚を狩ってるにしては、逆に水音が小さい気もすんのよね」
「人間の可能性は」
「秋も始まったこの時期に? ……ま、ないとは言い切れないか。ぅんじゃ、アレクは団員たちとここにいて。まずは俺が確かめて来る」
「気をつけて。僕もこのまま、抜刀はしておく」
「はいはーい」
枝を踏んで音を立てないよう、注意して進み。
茂みや木々の影を見て、向こう側から隠れる場所に身を潜め目にした光景に、度肝を抜かれる。
(マジかっ。山奥とはいえ女の子がひとりで水浴びとか、すんごい度胸だなぁ……)
川の中でしゃがんでるし、こっちに背を向けているから顔までは分からない。
裸ではないにしても、タンクトップと下半身も下着のみで体を洗うってのは、普通なら「馬鹿じゃね?」とかさ、呆れるんだけどね。
そうならないのは、ちゃんと理由があった。
(背中に剣を背負ったままだし、腕に覚えありってとこか。しかも、だいぶ用心深いとみたね)
焚き火の準備はしていても、先に火を点けていない。煙や匂いで、人がいると周囲へ知らせない配慮だと思われた。
(体つきも、いい具合に筋肉質で――……お?)
長い髪を洗っていた彼女が、ちゃんと立って気づく。
(おーっ、でかいなぁ。180センチ近くあんじゃね? 黒髪も綺麗だし、超いい体してるー……)
白いタンクトップが濡れて、肌に張りついてるから知れた。全体的に綺麗に引き締まっていて、あれは一日や二日で鍛えた体じゃない。
俄然興味が湧いて、他にも彼女の情報がほしいと目を凝らせば、焚き火近くに革製の袋が置かれていた。
(ああいう作りの袋って、もっと南が主流だったよな。てことはそっちから来たんだとして、何しにこっちへ入り込んだんでしょーか)
これが普通の道なら、旅をしていると予想する。
けれどこんな場所で女がひとり、腕に覚えもありとなれば怪しいと疑って当然だ。
(一か八かで声かける? それともしばらく泳がせて、行き先だけでも――)
全て洗い終わったのか彼女がこっちを向いて、それまでの考え事は吹っ飛んだ。
代わりに、頭の中が彼女という存在で埋め尽くされる。
綺麗な鼻筋。艷やかに輝く白い肌。何も塗っていないだろうに赤い唇。髪と同じで、夜空の星も映しそうな漆黒の瞳。
なんとも見事な大きな胸と、タンクトップ越しに透けて見える胸の頂き。それらもさることながら、身長に見合ったスラリと長い足は絶品だ。
(太ももの内側を滑る雫とか、最高にそそるっ。あれ、俺の舌で全部舐めた――)
なんて、今度は邪な考えが脳裏を占めだしていたら、背後から軽く襟首を引っ張られる。
「微動もしないから心配になって来てみれば……。女性の水浴びを盗み見る趣味があったとは、知らなかったよ」
「ごめん。すんごい抜群なのよ、色々と」
「そういう目で見るのが失礼だと言ってるんだ。彼女が何者かは気になるけど、着替えが終わるまで離れるべきだよ。このまま見続けるつもりなら、騎士団の名に恥じるとして、僕は君を団長の座から下ろす」
アレクの言い分も、最も。そーっとその場を去ろうとして、気づく別の気配。
(何かいる!)
彼女の右手側、深い茂みの向こう。暗い中に獣の目であろう、ふたつの小さな光が見えた。
(イノシシか……!)
しかも結構な大きさ。猛進で体当たりされたら、まず命はない。
(……ん? あのイノシシ、どこ見てるんだ?)
どうも彼女ではないと視線を追えば、さっきの革袋。
(非常食でも入ってて、その匂いに惹きつけられたとか? 空腹の獣が増えてるって、言ったそばからこれかよ……!)
気配に気づいていない彼女は川から出て、袋へ向かう。
その動きで餌を奪われると勘違いしたのか、イノシシが威嚇しながら姿を現した。
(まずい!)
イノシシはすぐに彼女へ突っ込みはせず、その場で地面を掻いては、ゴフッ、ゴフッと荒い鼻息を辺りに響かせた。
さすがに彼女も気づくものの、体はまだずぶ濡れだし武器は剣のみ。人間とは違う獣の速度に、彼女が対応出来る腕かは今の俺に判断しようもない。
彼女の前に、イノシシよりも先に出られればと茂みを飛び出したけれど遅かった。
「くそっ!」
いくら身体能力が高い俺でも、獣の足の速さにはどうしたって遅れを取ってしまう。
こうなったら――。
「君、伏せて!!」
「――!?」
彼女が、振り返らなくてもハッとしたのが分かる。それでもすぐに伏せてくれたおかげで、俺は走る速度もそのままに落ちていた石を拾い上げ、思いっきりイノシシに向けて投げられた。
「グアッ!?」
「よっし、急所!」
眉間に石が当たったイノシシは、完全に怯んだ。
このまま一気に畳み掛ける!
剣を抜こうとしたのに、まさか彼女のほうが前へ駆け出すとは。
「ちょっ、マジか! やめなって……!」
焦る俺の声なんて、完全に無視。というより、遅れを取った自分の失態を取り戻そうとするかのような早業だった。
痛みでまだ怯んでいるイノシシの鼻っ柱へ、彼女は綺麗な中段回し蹴りを叩きつけた。
「ギャアアアアア……!」
攻撃手は緩まず、すぐさま背中の剣も抜き、よろけるイノシシへ突き刺す。
(なんつー無駄のない、流れる動き。すげー……)
「素晴らしく見事な腕前だね」
俺の横にはいつの間にかアレクが立っていて、彼女へと賞賛の拍手を送り出した。
倒れたイノシシが絶命しているかを確認していた彼女も、こちらを向いて綺麗に一礼してみせる。
「袋の中に、非常食として干し肉を入れていました。その匂いを嗅ぎつけたのではないかと。……石を投げてくださり、ありがとうございます。おかげで命拾いいたしました」
「どういたしまして。でも石を投げたのは僕じゃなくて、この――」
「――好き! 抱いて!!」
ドカッ! と、目の前の彼女へ正面から抱きつく。
「強い人って素敵! それに筋肉の付き方、顔もスタイルも、とにかく全部が超理想的……!」
身長差的にいい位置にある胸に遠慮なく顔も埋めて、スリスリと甘える。
「この爆乳なおっぱいも超好み! ね、俺の伴侶になろ? 絶対幸せにするって約束します! そんでこのおっぱいに、いつでも顔を埋めさせて! あと、ぜひとも俺に足技かけて! この足で、ぎゅーって締め付けて……! いや、むしろ踏んで!」
「…………」
「…………」
しばらくの静けさの後。
俺にしがみつかれたまま、彼女が淡々と言葉を紡ぎ出した。
「これの保護者は貴方ですか」
「人間に対してこれってものすごい物言いだし他人のフリしたいけど、立場的にはそうなるね……」
「閉じ込めろとまでは申しませんが、大問題が起きる前に対策は取るべきかと」
「まったくもってその通りです。うちの部下が、本当にすみませんでした。……ただ彼の名誉のためフォローすると、彼は冗談だろうと今みたいな台詞を女性に向けて一度も言ってはいないし、抱きつくなんてありえなくて……君に本気みたいだね」
「うんっ、本気! 君の強さに一目惚れ! てことで、ぜひ俺と添い遂げて……!」
「お断りいたします。そもそもわたくしは、結婚相手を探しにここへ来たわけではありません」
「あ、それそれ。君って何しに来たの?」
埋めていたおっぱいから顔を上げれば、ひんやりとクールな表情で見下ろされる。
怒っているというよりこれが彼女の普通と思えたのは、触れてる肌から感情の変化を感じられなかったからだ。
「その前に、石を投げてくださったのは貴方でしょうか」
「ですよー」
「ならば、助けてくださりありがとうございました」
「律儀な人も好き……!」
もう一度胸に顔を埋めると、アレクが「さすがにやめなさい!」と一喝してくる。
「君も心が広いね!? なんでその体勢のまま平気で話が出来るっていうか、感謝出来てるのっ」
「これほどの勢いです。剥がしても抱きついて来ると判断したからであり、害も殺意も感じないのでこのままでもよいかと」
「ものすごく冷静な判断してるけど、忘れてない? 君、ほとんど裸に近い格好で抱きつかれてるんだよ? 彼も言えば離れるはずで……」
「では、そろそろ離れていただけますか?」
「やだ! 俺、まだこのおっぱいとくっついてたい!」
「だそうです。飼い主的には、どういった考えをお持ちでしょうか」
「躾がなっておらず、大変申し訳ございません……」
保護者どころか飼い主扱いされたアレクが、がっくりと項垂れながら俺を軽く睨みつけた。
「僕の中で、君への評価がダダ下がりだよ……」
「だって、本気で離れたくないんだもーん」
正直、ここまでされれば嫌悪感が芽生えてもおかしくないっていうのに、彼女の瞳の奥になんの陰りもないし色もない。
感情が読めないなんて不思議な子だし、漆黒の瞳はやっぱり俺には魅力的だ。
「ですが、本当に離れていただけますか。このままでは体が冷えてしまいます」
「俺が隅々まで温めてあげる――って言いたいところだけど、確かに風邪ひいちゃうね。ごめん。後ろ向いてるから着替えて?」
彼女が着替える間も、俺は会話を続けた。
「つか、足とか大丈夫? どこも怪我してない?」
「はい。水浴び前に人の気配がないかは確認したのですが、獣が近づいているまでは気づけず……。そのせいで、ご迷惑をおかけいたしました。これは、わたくしの落ち度です」
「自分を責めなくてもよくね? 君は、あの場で出来る最高の動きをしてたもん。だいたいねー、獣の気配は狩人でもすぐに察するのは難しいのよ? とくに君は、水浴びしてたわけだしさ」
「僕も同意見。あの場面で、あそこまでの動きが出来るのは尊敬に値するよ。足技といい剣さばきといい、どこかで習ってた?」
「幼い頃に、ある程度の基礎を。成長してからは独学で剣術、体術を磨いております」
「独学でとは、たいしたものだね」
着替え終わったの合図に俺たちが振り返れば、彼女は白シャツにズボンという出で立ち。髪も束ね直して、凛々しさが増していた。
「申し遅れました。わたくしは、エマ = ウィルバーフォースと申します。騎士になるべく、本日こちらの国境を越えたばかりです」
まさかの返答に、アレクと顔を見合わせてしまう。
「マジで?」
「騎士にって、この国のだよね?」
「はい。グーベルク騎士団のレベルが非常に高いのは、各国に知れ渡っております。性別による門の閉ざしもないと聞き、入団試験を受けに参りました」
「理由はそれだけかい?」
「グーベルクが平和を取り戻したのは現国王陛下、アレクセイ様であるのはもちろんのこと。騎士団長、アシュリー様の力もあってこそだと聞いております。わたくしは彼の元で騎士道精神を学び、陛下と民のため、自分の腕をさらに磨きたいのです」
「なるほどねー。うん、いんじゃね? 腕前も人柄もだいたい伝わったし、彼女に関しては試験免除で。アレクもそれでいいよね?」
「もちろん。イノシシへの一撃は見事であり、アシュリーへの塩対応っぷりも最高だったしね」
「アレク……アシュリー……?」
俺たちの顔をしげしげと見つめた後、あっ! と、彼女の瞳が初めて感情で色づいた。
「僕も自己紹介をしよう。アレクセイ = チューヒン。この国の国王だ。エマ = ウィルバーフォース、僕は君を歓迎しよう」
「俺は、アシュリー = オルブライト。グーベルク国全騎士団の団長であり、国王陛下の右腕ね」
「気づかなかったとは言え、大変なご無礼を……! 肖像画を拝見してはおりましたが、おふたりがこのような場所にいらっしゃるとは考えが及ばず、同一人物であるとまったく結びつきませんでした!」
俺たちの前ですぐさま片膝を着く彼女に、アレクが立つよう促す。
「正装してるわけじゃないんだ。気づかないのが普通だし、無礼なんて君は何ひとつしていない。むしろ、こっちが大変な無礼を働いた」
「ごめんねー? 俺、好きになったら止まらない系の男だったみたい」
「なにを他人事みたく……」
呆れとも苦笑とも取れない表情を見せた後、アレクは改めて彼女と向き合った。
「エマ、あとは君の返事次第だよ」
「断る理由などございません」
「なら君は、今から僕とアシュリーの可愛い部下だ。僕らが推薦したせいで注目を浴びたとしても、嫌な目にも合わないはずだよ。うちの子たち、腕っ節だけでなく性格もすごくいいからね」
「性格よくて腕っ節が強い奴と、俺はお近づきになりたくないけどねー。笑顔で丁寧に全力で殴られるとか、怖くね?」
「……アシュリーは、僕か騎士団に恨みでもある? なんで僕の言葉を下げるの」
「事実を言ったまでですよー。ま、その団長やってるのが俺ってあたりで察してねってことで――話を戻します! エマちゃん、俺の伴侶になって……! もうね、これって運命だと思うのよ!」
「なるほど、お断りさせていただきます」
「納得した上で断られた……! ちょっとも頑張っちゃいけない!?」
「どう迫られようとも、わたくしの返事は同じかと」
「あ、迫るのはいいんだ。じゃあ俺、頑張る!」
まったく興味のなかった結婚に俄然興味が湧いたというよりも、「結婚したい!」という相手が出来たなら、頑張らないでどうします!
「嘘なく俺を見せて行くから、よろしくね!」
「…………」
一応は、お辞儀で返事をしてくれるエマちゃん。
隣りにいるアレクは「アシュリーがこの手の心臓、そこまで強いとは知らなかった……」と、呆れとも感心とも取れるため息をついていた――。




