チャプター7~9
≪ 俺がお前をここでも護る。わかったな? ≫
≪ キミが誰かは知らないし、とくに知りたくもない。≫
≪ …がっかりだわ。ここではしょせん、こんなもの? ≫
7
ハッと視界が、広がって。体の重さも、戻ってきたけれど。
今ここに雪はなく、あるのは灰色の、岩の地面だ。
空にはもう、星はない。雪もふってない。空はひたすら灰色の、ぶあつい雲におおわれて。
その果てしない灰色の空の下。でっかい灰色の岩山が、ごろごろ、大地を埋めていた。
その岩の荒野の、まんなかで。でっかい岩壁の下。あたしはひとり、立っていて――
…いや。
ひとりじゃない。二人だった。
あたしのそばには、女の子。灰色の、毛織のコートをきれいに着込んだ、白い髪の女の子。顔立ちは、とてもきれい。銀の瞳が、ほんとにまぶしい。わりと小柄で、たぶん年は、あたしとそんなに違わない? でもその子も―― たぶんあたしと一緒で。いまここで起こったことの意味。それがまだ、ぜんぜん把握しきれずに。あちこち、見まわす。自分の手足を、なんだかムダに眺めたり。あちこち体を、さすったり。
『 女神に反逆する、愚かなる者たちよ… 』
ナニコレ?? 声?? 空から降ってきてる??
ふりあおいだ空は、どんよりと暗い灰色。でもそこに今。ひとつのカタチが浮かび上がった。
巨大な人かげ。ひとつの山より、さらに巨大で。黒と銀の、乱れ乱れた長い髪。そして――その目の発する、青の光。ギラギラ光って、地上のこっちをにらみつけ――
『 今すぐ逃げるのを止め、女神のもとへ、下りなさい。
今ならばまだ、与える罰も、最小限にとどめておきます… 』
「…ちょっと。ヤバいよ? もうここ、場所、バレたってこと?? むぐ??」
「しっ。余計な口をきくな。でっかい声、出すな」
そいつがあたしの口を、無理やりふさいだ。
「よく見ろ。ただの映像だ。こっちの場所を、正確に把握して言ってるわけじゃない」
「…そうなの??」
「ああ。きっとあれと同じものを、世界中、あちこちの空に、いまいくつも同時に浮かべているんだろ。たまたまここから見える位置に、ひとつ、見えているだけだ。イリュージョンだ。それ以上のものではない。まあだが、大きい声は出すな。万一、こっちを補足されるとまずい」
そいつが、あたしの耳にささやいた。もうひとりの女の子も、頭にかぶったフード、深くかぶりなおして。岩壁の陰に、身を低くして。そこから厳しい目で、空を見てる。
『 世界の諸族に布告します。星選者が、愚かにも、星の門から逃げ去りました。
探すのです。そして捕らえなさい。連れ戻すのです。今すぐに!
時間はきわめて、限られています。即刻、星の門まで、その者を連れてくるのです。
だがもし仮に、しかるべき期限を過ぎて――
その者がなお、星の門まで戻らぬ場合。
そのときは世界の諸族に、大いなる災いが降りかかるでしょう。
その日に無事でいられる諸族の街が、数えるほどもあるかどうかは。
今日、いま、これからの諸族の働きにかかっていると、はっきり言っておきましょう。
さあ。すぐに。探せ。探し出せ。女神を冒涜する者たちを。探し出せ。連れ戻せ。
今すぐに。さあ、今すぐに! 』
怒りに満ちたその声に、空も地面も、びりびりふるえた。
女神は二回、同じ言葉をその声で降らせて。そのあと空に浮かんだ、その巨大な姿は――
消えた。いきなり。消えうせた。いっさい何の―― 光も、音も―― 何ひとつ残さずに。
8
「ま、とりあえず、自己紹介からだな」
そいつが魔法でつくった、紫色の焚火を囲んで。その火で、暖をとりながら。
あたしと、そいつと、その女の子。でっかい灰色の、岩壁の下に。それぞれ座って。最初の会話は自己紹介――
「おい、猫女。まずはおまえからだ」
そいつが言った。こっち見ないで、ブーツの紐、しばり直しながら。
「なにそれ、ムカつく。あたし別に、猫じゃないし」
「じゃあ、なんだ? なんて呼べばいい?」
「ササカよ。タフーウェル族のササカ。たしかにちょっと、先祖にグーファ猫の血は、入ってるかもしれないけど。猫とか言うの、それ、差別だから。うちの故郷でそれいったら、あんた、速攻かみ殺される」
「なんだよ。相当野蛮なやつらだな。その、タフーウェルは」
そいつが本気でメンドクサそうに、アタマをかいて。それから横目で、あたしをにらんだ。
「で、以上か? ほかになにか、言っとくことねーのか? 自己紹介?」
「えっと。そだね、特には別に、とりあえず―― 年は15。名前はササカで… いまやってるのは… というか、ここ来る前にやってたのは。狩り人の助手、だね。あと2年ぐらい、師匠について森で特訓うけて。そのあと、村の人たちみんなの前で、技術みとめられたら。それでようやく、一人前。今はまだ、そこまで、狩りの技術は高くない。あと、そうだ。いちばん好きなものは、ブブルの干し肝。水分抜けきってない、半干しのやつ。んでから、いちばん嫌いなのは、ガイールの兜煮かな。あたしあの、匂いが嫌。目がドロッと、溶けてくるのとか。うちの村のヒト、みんなあれ好きだけど。あたし子供の頃から、あれだけは嫌だった」
「おい。しらねーよ、そんなもん。自己紹介に、いきなりローカルフードの話題からめてくんなよ」
「あ、なによ! ブブルの肝のうまさ、バカにするとか? あんたそれ、人生半分、損してる」
「いいよ、肝とか。おれは一生食わねぇ。じゃ、おまえはもういい。もうひとり。そっちのあんた。名前は? 『女神に選ばれし者』さん。自己紹介しろよ」
そいつがもう、あたしは無視して。今度はそっちに視線をむけた。
魔法の焚火の反対側。灰色のコート着た、白い髪の女の子だ。その子は、膝をかかえる感じで座って。じっと火の方を見てたけど。そいつに言われて、顔あげた。ずっとかぶっていた、灰色のフードをはずすと―― 肩ぐらいの長さの、白い髪が。ふわっと横に広がった。
「…自己紹介ですね? …えっと。ん。わかりました――」
その子はいちど視線を落とし。それからまた、目をあげた。きれいな銀の瞳の真ん中に、焚火の色が、きらりときれいに反射した。
「名前はユメです。出身はセギウス国の西、どの国家にも属さない諸族が暮らす、ウィンシア地方です。わかりやすく言うと、世界樹ユグドラシルの立つ、ナギドの丘の少し手前です」
「セギウスの西。おい。マジか。世界樹の至近? 今もう、そんなとこまで、星の女神の影響下、入ってんのか?」
「ええ、入っていますね。屈服したのは、わたしの母の代です。それまでは、長く北星庁に抗って戦いを続けていました。でも、今より数十年前に終戦。その後は、北星庁の支配下に組み込まれました… とは言っても、わたしが生まれた頃は、それがもう当たり前でしたから。それ以前のことは、母から少し、話を聞いた程度です」
「ねえ、何? それってつまり―― 世界には、星の女神にしたがってない所もあるってこと?」
あたしは口をはさんだ。その情報は、初耳だ。世界はどこでも、星の女神が見張ってて、すべての民の上に立つ、絶対的な存在―― じゃ、なかったの?
「当然だ。ってか、当然だろ。おれの出身国にしたって、いちおう帰順はしているが、あくまで形式上だ。争うエネルギーが無駄だから、とりあえず服従したふりをしている。けど、心の中まで従ってる者など、ひとりもいないぞ?」
「えっと。ん… ちょっとそれは… 新情報すぎて、アタマ、ついていかないけど……」
「おまえにとって新情報とか、そんなのはいい。いまは、そっちのユメって子の自己紹介タイムだ。いちいち口、はさむなよ」
「あ、ごめん。ついね。邪魔して悪かったわ」
あたしは口をとじて。それからカバンから、ギワリの脂身の賽切り、出してきた。それ、ちっちゃくカットしてあって、ひとくちサイズで。甘くて。とろっとして。めちゃくちゃおいしい。日持ちもするし。あたしの大好きなおやつ。
「…では、続けますね。出身地は、いま言った通りです。それから年は、14です。今年の冬に15になります。えっと、あとは――」
ユメをなのった女の子は、首をちょっぴりかたむけて。次の言葉を探してる。空からはまた、いちど止んだ雪が、さらさら静かに落ちてきた。時刻たぶん、昼よりだいぶ前のはず。でも、空は暗くて、光は弱い。見えるのは、濃い灰色の雪雲と。さらに雪雲と、雪雲と。
「仕事は司書をしています。おふたりがご存じかは、わかりませんが… セギウスの西に、『大図書都市』と呼ばれる独立都市があり、その地下に、魔法図書館という施設があるのですね。かつての滅びた帝国の地下宮廷を、まるごと書庫に造り変え、厳格な管理のもとに、維持されている場所です。そこの一角の古書館で、わたしは司書補をやっていました」
「おい。マジか。大図書都市の地底図書館。それ、聞いたことあるぞ?」
「ご存じでしたか?」
「ああ。まあだが、古代魔法に興味あるヤツなら、たいてい知ってるだろ。なんでもそこは、古代の禁呪から神聖時代の大魔法まで、ぜんぶ文献、あるって話だな? あれ、なんだ、『西の賢者イシュターク』だったか? そこの今の館長? 当世屈指の魔導士って、噂には聞いてる」
「ええ、イシュターク様ですね? はい。たしかにとても知恵と魔力のある方です。わたしも二度しか、直接お会いしたことはありません。一度は、司書補の就任式のとき。あといちどは―― …えっと、ごめんなさい。余計な話だったかしれないですね。わたしがイシュターク様と会ったとか、どうとか――」
「…いや。そんなことはない。少しはおれも、興味はある。にしても―― その年でもう、そんなヤバい魔法図書館で、司書関連の仕事やってるのか。相当だな。かなりの魔法知識ないと、ムリだろう。普通はできないだろう?」
「…ええと。そこの部分は、案外そうでもありません。わたしも特別に知識があるとか、そういうこともありませんし。ただし魔法書は、好きですね。小さい頃から、たくさん読んできました。たくさん、たくさん―― ですから今の仕事も、その延長です。ただ読むのが好きで。でも、それだけです。今の役職に推薦してもらえたのも、半分は、母親のコネでしたし――」
「ふん。謙遜するやつだな。まあ、だが、それにしても――」
そいつがちらっと、あたしの方を見た。なんかちょっと、意地悪な目で。
「こっちは名だたる魔法図書館の司書補さん。んでからこっちは、干し肝が好きな、狩りとかやってる、なんとかか。すごい落差だな。なんだその、ほぼ同じ年齢で、そこにある知力レベルというのか。魔力のレベルも、限りなくゼロ以下――」
「うっさいわよ! 狩り人バカにすんな!」「いでっ!」
あたしが全力投球した石が、そいつのアタマにヒットした。
「次はあんたよ! さっさと自己紹介しなさいよ! んでから、あんたの知力がどれくらいとか、言ってみたらいい。ぜったい全然、たいしたことないし! 笑ってバカにしてやる準備、今からするから! だいたい魔力とか、どーでもいいわ!」
「やれやれ。気の短いやつだ」
そいつは、石があたってたんこぶなってるとこ、手でさすりながら。それからメンドクサそうに、自己紹介した。
「おれの名は、レグナだ。出身は、北部自由都市群の一角。まあ、あえて街の名前を出すなら、ウルザンド。そこそこデカめの都市国家だな。以上だ。特にそれ上、何かアピールするほどの何かはない。ああ、あと、そうだな―― 年は14だ。ユメと同じだな」
「なに? あんたあたしより、年下だったわけ??」
「うるせぇ。1歳とかの違いはどうでもいいだろ」
「で、あんたは何? 仕事は何やってたの?」
あたしは脂身ふたつ、口にほおりこみ。ゆっくり奥歯で、かみくだく。
「…仕事とかは、どうだっていいだろ」
「よくない。何? 何か人に言えないようなこと? わかった。あれだね、なんか、悪いことやってたんでしょ? 盗賊団とか?」
「バカ。逆だ。取り締まる側だ、おれは」
「何よ? 取り締まる?」
「…ちっ。まあ、あまり詳しく言うつもりはねーし、その必要もないわけだが。とりあえず、あれだ。ウルザンドの守備隊の関係者だと。それだけ言っておく。街の治安とかを担当してる。まあ、そんな感じ。それ以上は、ここでは特に、言うつもりもない」
9
「しっかし、めんどくせーことになったな。どうすんだ、俺ら、これから?」
なにかの木の実を口に放りこみ、そいつが言った。それをバリバリ、噛み砕きながら。
「まったくの想定外だ。おれとしては、その、何とか式で、とびきり運の悪い気の毒なそいつが選ばれて、どこかに連れて行かれちまって。はい、終了。そのあとゆっくり、地元に戻って何事もなくハッピーエンドのはずだったんだがな。なんだって、こんな面倒なことに巻き込まれてるんだ、おれは?」
「知らないわよ。あんたが自分で、飛び込んできたんじゃない。誰もあんたに助けてとか、手伝ってとか。言った覚え、ひとつもないし」
「んだよ? じゃ、あのままスルーで、放置で良かったのか? 人に助けてもらっといて、その言い草はねぇだろ?」
「ん、まあ、そこのところはね。」
んぐ!と。あたしは、噛み切れなかった干肉、まるごとそのまま飲み込んで。
「…ごめん。だね。あそこは助かった。お礼を言うよ。あんたがいないと、アウトだったと思う、あたしたち。…ありがと。ほんとマジメに、助かった。ありがとね、レグナ」
「…な、なんだよ。極端だな… いきなり礼とか、言わなくていいし…」
「けど。あれ、どうやったの? テンイとかって、どういう魔法?」
「おまえそれ、転移魔法知らねーとか、どんだけ世間知らずだよ…?」
「うっさいわね。地元じゃ魔法とか、どうでもいいのよ。そんなのなくても、立派に普通に、生きていけるし」
「でも。これだけ長い距離を飛んだのは、わたしもびっくりしました。普通はできない―― ですよね?」
ユメが、焚火のあっちから言った。ユメはさっきから、膝をかかえて、ひとりでぼんやり火を見てたけど。なんだか急に、会話に興味持ったみたい。魔法の話題だからかな?
「わたしも、短い距離であれば、飛ぶことはできます。けれど―― わたしの推定では、今回さきほど、289エク以上、飛んだでしょう、ここまで? しかも三人で――」
「268だ、正確には。289は、少し言いすぎだな」
「…そうですか。でも、それにしても、すごい距離ですよ。とてもわたしには――」
「ちょっと。だいたい、今これ、どこなのよ? なんていう土地?」
あたしはきいた。さっきから、ずっと気になってたこと。この、どこだか知らない、ごつごつした岩ばかりのこの土地が―― いったいぜんたい、どこなのか。
「…ギルデラ高原だ。コフール王国と、ディンザニア神託領の間へんだな。今現在の帰属が、そのどっちになってるか、おれも正確には知らないが」
「でもさ、それ、実際どうやんの? 練習したら、あたしもできるもの?」
「何? 何ができる?」
「だからそれ。テンニ魔法? なんか便利そう。馬車とか乗らなくても、長距離移動できちゃうとか。たしかに自分で使えると、お得な感じは、したりもするな」
「…転移な。まあ、普通は、基礎的な魔法の制御を覚えたあとの、最初に取り組む応用魔法って感じか。原理的にそんなにムズくはない。だが、」
「だが、何?」
「言っとくが、おまえにはムリだぞ。変な希望もって、練習しようとか、すんなよ。おまえみたいのは、さっさと亜空間ぶっ飛んで、二度と戻れなくなる」
「む。ムリかどうかは、わかんないよ? 実際試したら、バシッとすぐに、できちゃうかも――」
「ばかめ。ないぜ、それは。ありえねぇ」
「なんでよ? なんでそんな、断言よ…?」
「なぜなら。魔力の有無は、そこにあるものだ。それは鍛えてどうこうなるものじゃない。生まれ持ってものだ。お前にはまず、ないものだ。おそらくお前の種族には、魔力自体がないんだろ。そういう、体質だな。優劣じゃなく、ある、ないの差だ。たとえて言えば―― おれがどれほどあがいて努力しようが、おれのアタマに、今のお前のようなケモノ耳が、あとから生えるはずもないだろう? ムリだ。できねー。それと同じだ。ま、あきらめろ――」
【 読者の二つの選択肢 】
① さらに魔法の知識を深めたい
☞ つづけて下まで読む
② 知識より、ストーリー展開を優先
☞ この下は読まずに、次のチャプターへ
「…なにそれ、そもそも? …マホオバって言った?」
「…魔法場な。魔力のないやつに、魔法場の感覚を説明するのは難しい。が、まあ、たとえていえば、意識の奥にある、だだっぴろい部屋みたいな感じか? あるいは画面、という方がいいのか?」
「画面…?」
「ああ。何もない、そこは、要するに―― 書き込みができるスペース、だな。どこまでも広がる無限の白い壁、みたいのをイメージすると、あながち遠くもないかもしれない。それにさらに奥行きを加えた―― まあ、何でも書ける、空白の部屋だ。そのイメージ、わかるか?」
「…ん、な、なんとなくね。イメージ、できなくはない」
「じゃ、その空白の部屋に、だな。まずは意識を持っていく。集中が必要だ。けっこうな精神集中を必要とする。ほかのことをやりながら、いろんなノイズがある場所では少し難しい。さっきの街の路地とかな。ああいうざわざわした場所では、あまり魔法を組むのは適してはいない。できたらもっと、静かな場所が理想だが――
「ま、で、とにかくそこの、魔法場に意識をもっていき。今度は言葉を、書き込んでいく。だが、そこに書いていいのは、普通の言葉じゃない。それは、俺たちの国の言葉では、エンファルディオマーダって呼ばれてる。お前のわかる言葉だと―― そうだな。「原初の言葉」とか。「はじまりのことば」とか。そんな感じだな」
「はじまりの?」
「ああ。世界が作られたとき、使われた言葉だ。世界はその言葉でできている。もうそれを語れる者の数は少なく、今の時代、それを極めた人間はおそらくいない。おれたちはその、断片を。言葉のかけらを、今でもわずかに知ってる程度だ」
「えっと。で、実際にはそれ、どうやるの? どうやって、何を書くの?」
「…たとえば、転移魔法の場合。最初に書くのは、「わたしは、ここに立つ」っていう。その宣言文だ。それを、その、原初の言葉で書く。具体的には―― エクトファル・ズ・マウズカ・ドゥマって書く。発音は、あれだ。本当はもうちょい複雑だが。おまえの耳に聞き取れる発音で言えば、だいたいそれに近い。で、その次に、
「目的地の記述。これが、少しやっかいだ。なぜなら、そこに来る地名や、そこに続ける座標は、とても厳密でなければならないからだ。少しでもあいまいな箇所があると、十中八九、転移は失敗する。そうなった場合、実際、術者がどこに立てるのか。それはもう、神のみぞ知る。飛んだが最後、二度とは戻れなくなるなんてことも、リスクとしてはあるわけだ。実際に事故の例もある。だから。ここの記述は、とことん厳密に書かなきゃならない。で、さらに、
「その、地名の部分だな。ここの地名も、今の、俺たちの言葉で書いてもまるで無駄だ。そこの部分も、原初の言葉で、書く必要がある。世界が作られたその時の、オリジナルの、その名前。今でもそれがわかってる土地は、それほど多いわけじゃない。だからある程度、飛べる行先は限られる。あとそれから。自分がちゃんとその名を知った上で、そこの中の座標も、正確になぞる。そこでの座標は、4つの数字の組み合わせになるんだが―― これもあれだ。数字の表記は原初数っていう、特殊な数列を使う。あと、それから――」
「なに…? まだ説明あるの??」
「ある。ひとつ重要な制限要素は、距離だ。転移で飛べる距離の上限は、シンプルに、使うそいつの魔力の総量を反映する。俺の場合は、シンプルに飛ぶだけなら、560エクを―― いちど、飛んだことはある。ま、だから。それがおれのリミットだ」
「560…? 信じられません」
ユメが、目を見開いて、悲鳴に近い声を上げた。
「でもまあ、その距離は1日1回が限度だな。560を飛んだとしたら、その日の魔力はそれで尽きる。だからその距離が、俺が1日に飛べる上限ってこと。そのあとは、寝たり、休んだりして、魔力回復が必要だ。そしてまた、その560っていう数字。それは本当に、何の制約もない場合の上限だからな。たとえば今回のように。いろいろ、条件をつける場合――」
「条件? それって何よ?」
「単純に言うなら、俺以外の、周囲で魔法できるやつらに、転移先の座標を特定させないっていう。そこの条件とかだな。実際の使用時には、だいたい魔力の半分は、その偽装部分で失うと思っていい―― それから――」
「わ、わかったわかった。もう、じゅうぶんよ。あたしにはとても、できそうにないってこと。すごくわかった。理解したわ。そこのところは」
あたしは言って、頭をふった。なんかもう、半分以上、頭の中がパニックだ。何度もふった頭の中で―― そいつの言葉が、ぐるぐるぐるぐる、回ってる。
「っち、なんだよ。せっかく人が、教えてやってるのに」
「あとは、でも―― そうそう。なんかほら。あんた飛ぶ前に、いちいち言ってるじゃん? 変な呪文みたいなの? あれは何? どういう言葉をいってるの、あれは?」
「ああ、あれな。あれはひとことで言うなら―― 生成魔法発行コード、ってとこか。わかりやすく言えばな」
「セイセイマホー… コード?? ってかそれ、ぜんぜんわかりやすくないし」
「まあ要するに。魔法場に書いた魔法式の―― そこに並べた、式部分のつじつま。数字の整合性。そういうのが全部、問題なくて。有効な魔法の発動条件満たしてれば。そこにひとつの、言葉が浮かぶ。魔法場の中に、言葉が生まれる。それが魔法のコード。つまり呪文だ」
「何? それが… 呪文? まだ意味、わかんないよ…?」
「まあ、意味自体は、おれにもわからん。コード自体は意味を持たないし、もし仮にもっているとしても―― 誰もまだそのロジックを解き明かしていない。誰にとっても謎だ。まあだが。とにかく。魔法場に組みあがった魔法式が有効な場合には。そこに新たな文字列が浮かぶ。魔法場の上に、くっきり光る、輝く文字の形をとってな。そしてそれを―― 術者のおれは読み上げる。リアルな音声として。それによって自分が組んだ魔法式を―― 魔法場の奥から、実際の世界に持って帰ってくるわけだ。それが最後の有声音読。魔法の呪文だ。声にて、音の波として、世界に広げる。そのプロセスをもって、はじめて魔法は発動する。原初の言葉は実際に力をもち、こちらの世界の事象を変えていく――」