チャプター27
【外なる視点】
溶けてゆく。すべてが融解し、崩壊に向かって落ちてゆく。
彼女が築いた秩序。彼女が造り、維持し、これまで築いてきたものが。
ただひとりの星選者を。そこに。その中央に配置すべき北星宮の大魔法陣は今―― 星選者なきまま、加速し、回転し、限りない過熱を続けている。止まらない。止められない。止めることは、もはや不可能。ただひとつ。ただひとり。その者を、そこに。そこに置きさえすれば。そえですべてが成就するのに。それなのに。
それなのに。
幾万の年月をかけ、かりそめの糸を通して築き上げた、魔力増幅の機構。その魔力転送の機構は。崩れた。一瞬で崩された。いまここで、あえなくそれは崩壊してゆく。加速度的に崩れてゆく。
壊れるのは一瞬だ。本当に、ただの一瞬で。すべてが一度に、崩壊にむかってひた走る。魔法陣の回転が止まらない。そこの過熱が止まらない。止まらない。その熱はすでに、壮大だった北星宮の天井を焼き尽くし―― 炎はすでに、その異世界の夜空を焦がすほどまで燃えあがり―― それでも加速は、止まるところを知らない。
少女はそして、その加速を――
この時点でもまだ、止めることができないでいる。
ああ、もう、止まらない――
その少女はいま、七歳弱の外観。まとった服も、その体にはあまりに大きくなりすぎた。服さえもが、ここで彼女を見放そうとしている。彼女はさらに若くなる。若くなる。
でも。止めなければ。止めなければ。
消えるわけには、いかないのだから。
ここまでひとりで、築いてきたものを。ここまでたったひとり、造り上げきたものを。
ここで失うわけにはいかない。なにか。なにか。手段はないの。ああ星選者よ、はやく。はやく、あの魔法陣の中へ。お願いだから、そこへ。今すぐそこへ。それで止まるの。それでこれが、止まるのよ。だから。はやく。はやく。さあ、はやく――
それなのに。
星選者は、さらに遠くに離れ行く。さらに遠くへ。さらに遠くへ。
その異世界に張り巡らせた、魔法の糸の末端から。届いた。聞いた。遠い異界の、その会話。
魔法―― 暴風圏へ…? まさか。そんな。ありえない。
なぜならそこは。唯一、その、はるかに遠い下層異世界の中で―― 彼女が決して、届くことのできない場所。
けれどそこに。やつらは。やつらは今。あの憎らしい塵ともは。星選の娘を。その魔法風の向こうに、かくまおうとしている。バカな。そんな。ありえない。それだけはだめ。それだけはだめだわ。それはだめ。止める。止めるわ。止めないと。ぜったいに止める。ぜったいに。ぜったいにぜったいにぜったいに――
魔力秩序は崩壊し、幼児化がもう止まらない。急速な体形変化が、彼女の体をきしませる。骨がきしむ。骨がゆがむ。耐え難い苦痛。もはや苦痛が、耐え難い――
しかし。
いままさに尽きようとする少女の魔力を。それでも、若化の抑制にふりむけながら。
苦痛の中で、のたうちながら。もはや自分の力で止めることすらできなくなった、唾液を、口から垂れ流し―― とめどない涙を、二つの目から垂れ流し――
少女は叫んだ。叫んだ。言葉にならぬ、その言葉。
わたしは。止める。止めるわ。行くな。行くな。行かせない。止める。止めるわ。絶対に。わたしの存在、すべてをかけて。わたしはまだ、続けることを、ここでけっして手放さない。それはわたしが生きること。それはわたしが存在する意味。それこそが、わたしの――
≪ だから何…? 弱っていたら、なんだというの?≫
≪邪悪だとか、善だとか! そんなの、どうだっていいんです!≫
≪ 純粋な演技か。それとも本気の消耗か――≫
≪ 星選! 星選! 星選! 星選のぉぉぉォッ!!≫
≪ まったく割に合わないな。消費魔力の三割負担…? ≫
27
テンイしたのは、広くなだらかな丘のふもと。
当然、そこにそびえるのは――
もちろんセカイジュだろうと思って。
わたしはかるく目を上げた。けど、ちがった。ぜんぜん違う。
そこにはセカイジュなんてない。そこにあるのは――
「む… これは――」
壁を見上げるイシュターク。次の言葉が出てこない。
「氷壁、ですか… こちらの意図が、すでに漏れていたのでしょうか」
少しあとから転移してきた、司書長のリーアが。厳しい声でつぶやいた。
壁だ。白い壁。おっそろしい高さ。壁の上は、灰色曇りの空まで達してる??
本来ならば、ここから丘の上のセカイジュまでは、歩いて1エクくらい、らしい。
けど。その手前に。なぜだか壁ができてる!
氷の壁は、壁の高さもあれだけど―― 幅も、すごいことになっていて。ナギドの丘を、ぐるりと全部、とりまくように。つまり一歩もここから、誰もセカイジュに近づけない、と。完全にこれ―― あたしたちの進路、ふさぎにきてるよ?
「女神の干渉、か。ったく。くだらん時間稼ぎだな」
レグナがうなって、舌をうつ。
「またあれ? ゴーレム? 氷がぜんぶ、襲ってくるとか?」
あたしはちょっぴり、身構えた。サイズがこれは、とんでもないし。こんな巨大な氷の壁が。ぜんぶゴーレム、なったりしたら。とてもじゃないけど、歯がたたないよ?
「…いや。これは違う。ただの氷、だね。術式操作の気配は見えない」
イシュタークが、ぼそっと隣でつぶやいた。
「ふん。あれだな。女神の側も、相当、せっぱつまってやがるってところか?」
レグナがちょっぴり、不敵に笑う。
「見た目はでかいし、大量ではある。が。単なる氷。このレベルの氷結魔法しか、今ここで打てないってことならば。相手は相当、弱体化―― してるのかもしれないな。それに間抜けだ。こっちの進路を、そうとう露骨に塞ぎにきてる。ということは――」
「この先、魔力暴風圏には、星選のユメを近づけたくないと。そういうこと。だよね?」
イシュタークが、陰気な感じでつぶやいた。
「ああ。おそらく、そうだな。わかりやすいな」
レグナがちょっぴり、笑ってる。
余裕の微笑? なにそれ? なんであんた、ここで笑顔なの??
「…これが女神の、いまの全力であるならば。勝機はかなり、あるかもしれない。相手も生身の、存在かもと。希望はもてるね。これならば」
イシュタークは言った。こっちもけっこう、余裕な感じ…? たいした感慨なさそうに。この目の前にあらわれた。途方もない氷の壁を、ここから、ちょっぴり見上げてる。そこにはなんの、気持ちも気負いも、特にない感じで。
「おい! そっち! ぜんぜん溶けてないだろ! 出力足りてないぞ!」
「これでも、めいっぱいやってるんです!」
「おーい! こっち人数、もう少しください!」
「ねえこれ―― 今日中にこれ、終わります? ちょっぴり膨大すぎません…?」
図書都市の司書たちが。あっちこっち、口々になんか叫びあってる。
その数、全部で300あまり。
壊れた街の復旧作業は、ひとまずいまは中断し。イシュータクとリーアが。図書都市の中でも、魔力高い人たち。テンイで、ありったけ呼び寄せて。その全員で。氷の壁の破壊作業だ。
いろんな色の、司書ガウン着た司書たちにまじって。それ以外の、志願して来たっていう兵士のひととか。あとは、普通の街のひとも。全部が壁にとりついて。両手を広げて。あるいは両手を、そろえて前に押し出して。それぞれの魔力を、氷の壁に、そのままぶつけて。
魔力を受けた壁のあちこちが、白く明るく白熱。蒸気がじゅうじゅう、空へとのぼる。さっきから、もうすでにけっこうな時間、それやってるけれど。氷の量は、減ってない。
あたしの見てる目の前では―― ユメとレグナも、司書にまじって。二人それぞれ全力で、壁にむかって魔力を放出。レグナの腕から、真っ赤な熱が放たれる。それは氷壁にぶつかって、はげしく蒸気がたちのぼる。レグナのひたいには、さすがにちょっぴり、汗がうかんで。汗がときどき、顔を伝って落ちていく。ユメはユメで、つらそうに―― 口でハアハア、息をして。それでも魔力を、止めてない。銀に輝くの魔法の炎を、まっすぐ壁にぶつけてる。ユメの、大きなその瞳。いつものほわっとした、優しい感じは消え失せて。敵と戦う、戦士の視線だ。ユメなりに、氷と本気で戦っている…?
けど。その、戦うみんなの後ろで。魔力ぜんぜん、ないあたしは。
手伝いたいけど、手伝えない。ずらりと氷壁に列を組み、作業してる―― 三百以上の司書たちの。ちょっぴり彼らの、後ろの方で。じっと見ているほかにない……
じれったい。自分の無力が恥ずかしい。なさけない。
けど。できないことは、できないわけで。あたたしはとにかく、心の中で。がんばれ!がんばれ!って、こっそり声を、出すしかないし。それが少しは、届けばいいと。思って、ずっと、こうして見守っている、わけだけど……
【 読者の二つの選択肢 】
① レグナとイシュタークのからみも見たい
☞ 画面をスクロールし、次のシーンへ
② 余計なシーンは見たくない
☞ 次のシーンは読まず、チャプター28へ
「おい。イシュターク。お前もちょっとは手をかせ。さっきから、ぜんぜん何もやってないだろ?」
魔法の出力、止めないで。レグナが視線をそっちに向けた。
そこに立ってるイシュターク。作業する人たちの、列のうしろで。腕くんで、ただ、ぼーっと。何もしないで立ってる感じ。彼女ぜんぜん、作業を手伝ってない…?
「…指揮する立場、だからね。わたしまで加わると、あとがいろいろ、大変になる」
「ああ?? 何?? あとってなんだ、あとって??」
「医療関係以外で、魔力の強い主だったものは、全部ここにかり集めてる。つまり。この作業のあとには、街で魔力を保てる者が、実質ゼロに近くなる。でも。今のこれは、残り二日の戦いの中の、ただのひとつの局地戦。それだけのもの、だ。ここですべてを消費してしまったら。あとが続かない。都市を少しも、護れなくなる。だから。そういうこと。都市のトップに立つ者は、今のこれより、もう少し先を。見ている必要、あるでしょう?」
イシュタークが、ぶつぶつ、そんなセリフをつぶやいた。声はいたって、無表情。その表情も、前髪の下に隠されて。感情まったく読めない感じ。
「バカめ。おまえなぁ、そんなんだからだぞ?」
「何? そんなんだから、何?」
「人心掌握が下手すぎる。さっきの、司書長の裏切りも。おまえのそーゆー、相手の反応まったく無視するクールさが、ばっちり裏目に出た結果だろ? その調子だと、ほかにも裏切者の二、三は、今後も軽く出てくるぜ?」
「なに。キミは何が言いたい? 言ってる意味、わからないけど?」
「ばかめ。おまえ、都市の長ってことは、王みたいなもんだろ? 王ってのはな、戦場の後ろでつったって指示してりゃいいもんじゃない。でっかい戦場のただなかで、先頭たって、勇気示して、他のやつら鼓舞する役目もあるわけだ。まあ、脳筋で押してるおれの親父なんかは―― むしろ前線行き過ぎて。まわりが止めなきゃダメって感じで。あれはあれで、大問題だが――」
視線は氷壁を、見たままで。レグナが言葉をつぶやいた。
「まあだが。少なくとも、あいつは、親父は―― たぶん、あんたより、人望に関しちゃ五倍は上だな。汗流すとこ、その場でみんなに見せてるからだ。それもひとつの、王の資質だ。その点あんたは―― いま完全に、王失格だな」
「何ッ…?」
「失格だ。おまえの今の、その姿。今のここが、しのげても。遠からず、必ず足元すくわれる。それを全然、わかってねーおまえは。まあ、言っといてやるぜ。王失格だ。ま、とは言え。おれもここの図書都市とかには、それほど義理もあるわけじゃない。これが終われば、さっさといなくなるわけで。余計なお世話って言えば、それまでだがな――」
「……」
イシュタークは、言葉をかえさない。足元を見て。目をあげて。そこで作業してる、レグナやユメや、司書長のリーア。んでから横に立ってる、あたしの方もチラ見して。そのほかたくさんの、司書のひとたち。街の人たちを。遠目でぐるりと、見まわした。それからまた、足元を見る。
「正論、だね…」
イシュタークが、言った。ぼそりと、その場でつぶやいた。
「よし。わかった。わたしも作業に参加する。レグナ。ちょっと左によってくれ。そこの間に、入ってやろう」
「おまえ、来るのはいいけど。手ぇ抜くなよ? 「ふり」だけなら、だれでもできる。けど、見てるやつは見てるからな。そこ、わかっとけよ?」
「…キミは助力が、欲しいのか? 欲しくないのか?」
「欲しいに決まってるだろ。さっさと入れ。ほら、場所あけたぜ?」
イシュタークが、レグナの隣にまっすぐ立って。両手を氷の壁にむけ、言葉を何かつぶやいた。光の魔力が、増長し。まっすぐ氷壁にぶちあたる。ひときわ激しく、蒸気が上がる。蒸気はさらに激しくなって、視界が一瞬、きかなくなった。そして作業は、ひたすら続く。一刻。二刻。そして三刻――