チャプター19~21
≪ あんたがたぶん無知なだけ。
血の滴るその味を―― あんたは何も知らないからよ。≫
≪ おいササカ! 防げ! 心臓狙いだ!≫
≪ 明日の朝。誰かがわたしに意見するなら―― そいつはそこで、潰してやるよ。≫
≪どーでもいいから! 服着ろッ、服ッ!!≫
≪ その十二億の人類史的価値をォ! おまえは理解しているのかァ!≫
19
視界が開けて、地に足がつく。
ついた瞬間、すべってコケた。地面がすべる。なにこれ、氷?
「これは――」
ガチガチに凍てついた地面の上で。ユメが言葉を失った。
あたしとユメとレグナも、見た。
いま、そこに見えるもの。
崩れ落ちた、いくつもの塔。でっかい、白い石でできた(できてたはずの)城塞都市が、まるごと崩れて―― 巨大な氷のカタマリが、廃墟の上に積み重なって。その上を覆うのは、雲のおおう、暗い空。たぶんもう、一日が終わろうとしていて。でも、その一日の終わりに―― ここにあった街は、まるごともう、それより先に、終わっていた。
「まさか―― こんな――」
ユメが、ようやくそれだけ言った。その目は大きく見開かれて。見ているものを、信じたくない。信じられない。そういう感じで。肩がちょっぴり、震えてる。
「…女神のやつか。おれたちのウルザンドと同じく―― そしてどうやら、すでに防戦に失敗したパターンか。あるいは――」
レグナが言って、親指の爪を噛んだ。
「けど。ここ、静かだね」
「ん? 何?」
レグナがこっちをふりむいた。
「動きがないな~、って。なんか攻撃受けてから、だいぶ時間たった感じ? ここにいた人たちは、どこに行ったのかな。避難したのかな? それとも――」
「全滅、か。しかしこれだけの規模の都市だ。生存者がいないってことは、ないだろう?」
「おそらく、地下だと思います」
ユメが言った。最初のショックから、ようやくちょっと、立ち直った感じで。
「緊急の折には、地下に、地上の市民を誘導すると。そのような決まりになっています。おそらく退避令が、出されたのでしょう。ここから見て、地上に動きがないのは、おそらくそのせいかと思います」
「ふむ。じゃ、どうする? どこか、転移のあては?」
「…そうですね。地下の待避所のひとつに。転移してみましょう。相当な深度にありますので、地上が被害を受けていても、そこならば安全だろうとは、思うのですが。そこでしたら、街の者も、まだおそらくは――」
「よし。じゃ、そこに行くか。だが、警戒は必要だな。行った瞬間、そこが戦場ってことも、なくはない。危険な場合は、すぐ再転位してこの位置まで戻る。そのつもりで行くべきだな」
レグナが言い、なんだか偉そうに腕を組む。その視線は、まっすぐ鋭く、氷に埋もれた都市の廃墟を――
「ん? でも。見てみて! なにあれ?? あそこに遠くに見えてるの?」
あたしはそっちを指さした。遠くのでっかい山むこう。そこに、なんかある。緑の、でっかい塔みたいなの。空にむかって、突き出して。なにあれ? 高さが、雲より高いよ??
「ああ、あれですか?」
ユメがそっちに目をやった。なんかぜんぜん、驚かない感じで。「ああ、あそこにハトがいますね」って言うくらいの。その程度の声のトーンで。
「見えているのは、世界樹ユグドラシルです」
「セカイ…? 何?」
「ササカはご存じありませんか? 世界樹ユグドラシル。あそこに見えるエグゾードの峰々のむこう、アシュガル盆地をさらにこえて、ナギドの丘の中央にたっています。ここから見ると、その巨大さがわからないと思いますが―― じっさい、巨大です。幹の幅だけでも4エク近く。図書都市のすべてが、すっぽりおさまるサイズです。そして高さは―― いまだに、その頂上部分は、観測されていません。伝説によれば、あれは天界までをまっすぐ貫く、天への通い路だと。そのように書かれていますが――」
「む。話には聞いてたが。おれも実際見るのは初めてだ」
レグナもちょっぴり、興味を示した。目を細め、キツめの目線で、山向こうのそれを見る。
「魔法暴風圏、だったか? あれの周囲には、相当な魔法風が吹いているらしいな?」
「はい。丘付近では、その風速はすさまじいと聞いています。でも、ここまでは距離がありますので。その風もここまでは届かないですね。季節によっては、その余波が、わずかに届くこともありますが――」
言いながら、ユメも。銀の瞳で。その遠くに立つ、でっかいものを。まっすぐ見すえた。まあでも―― そのセカイジュだかは、ここでは見慣れたものなのか―― その視線には、特別な感情、なにも入ってないみたい。ユメにとっては、ふだんの普通の景色、なのかも。
「では、行きましょう。二人とも、わたしの腕を握ってください」
ユメが言って、目を閉じた。なにか魔法を、組みはじめる。銀色の魔力がユメの全身から、しみ出してくる。ユメの白い髪が、魔力を受けてさわさわと揺れた。
「あれ? レグナ? なぜ、触れないのですか? なにか問題、ありましたか?」
ユメが横目でレグナを見た。レグナはなぜか―― ユメからこっそり目をそらしてる。ちょっぴりなんだか、顔、赤い?
「ちょっとあんた。今から転移なんでしょ? はやくそれ、握りなさいよ。なにしてんの?」
あたしはレグナの肩、ゆすった。
「お、おまえら! それより先に、なんとかしろ。転移とか、それよりも!」
レグナが耳まで赤くして、叫んだ。あたしの方も、見てない。ムリヤリ視線そらしてる。
「だーかーら!! 服だ!! 下に着ろ!! あるいは巻けッ! 何でもいいから!!」
「えっと?」「服…?」
「お、おまえらッ。その下ッ! なんも着てねぇだろーが!! 薄着とか、そういうレベルじゃねーし!! どうにかしろ!! それ!! 転移がどーこー言う前に!!」
20
「そこっ! 包帯! 追加もってきて!」
「こっちは重傷者よ! 軽傷者はあっちあっち!」
着いた場所は、ある意味、戦場だった。
けど。戦ってるのは、看護のヒトたち。
白っぽい長いローブを着た、看護役の女性たちが。てきぱき、指示出して走りまわってる。地下のその、聖堂っぽい、でっかい石造りのホールには。怪我した市民が、あふれかえってた。床に毛布しいて、寝かされて、うめいてるヒト。でっかい柱のかげに座りこんで、放心したみたいに、動かないヒト。端っこの壁がどこだか、見えないくらい広い、地下の広場に。そこらじゅうヒトが、ひしめいている。治療道具持ってかけまわる足音、運搬中の道具がガチャガチャいう音、何かが足りないって叫んでるヒト―― いろんな音が、同時にとびかってる。
「そこ! 通路をふさがない! 邪魔よ!」
声がして。あたしは誰かに突き飛ばされた。カゴに山盛りの包帯かついだそのヒトは―― たぶん看護のヒトなのだろう。
「あの! 何が起こったのでしょうか? 状況を教えてください!」
ユメが、そのヒトを呼び止めた。
「なに? 状況って言った、いま?」
「はい。さきほど遠方から、帰還しました。破壊された地上市街を見て、驚きました。どういった状況で、あの破壊が起きたのでしょう…?」
「なに、あなた? 旅行者?」
そのヒトが足とめて、ユメの方をふりかえる。顔には明らかに、「ったく、めんどくさいわね。この忙しいのに。」って。その表情が浮かんでる。
「いえ。地下北の古書館の、司書補をやっている者です」
「古書館? そこの司書補が、なんでまた――」
そのヒトが、じっとユメの顔を見て――
「あ~!!! あんたね! あんたがその、星選候補者! 星の門から、逃げたっていう――」
「…はい。ユメと申します。このたびは、いろいろご迷惑を――」
「迷惑どころじゃないわよ! あんた、自分が何やったか、わかってんの??」
そのヒトが、いきなり、ユメをつかんだ。襟をつかんで、ぐいぐいユメをしめあげる。
「あんたが無茶やったおかげで! こっちはもう、ほんとに午後から散々よ! でっかい氷のカタマリが、降るわ降るわ降るわ!」
「…えっと、それは―― 雹のような、ものでしょうか…?」
「雹だとか、そんな生易しいものじゃなかったわよ! あれやもう、氷の山がドカドカ上から降ってきたみたいなもので。西の塔も中央本館も、地上部はのきなみ、ぺしゃんこよ。あれだと城壁とかも、意味ない。ぜんぶ一瞬で崩れたわ。何人死んだかは、わかりっこない。市街まるごと、氷の下敷きでね。なんとか転移で退避できたヒトだけ、ここと、あと四か所に集まって。いま治療を受けてるけど――」
そのヒトが、いきなりユメをはなす。ユメはその場で、よろめいた。
「それよりあんた。イシュターク様には、もう報告したの?」
「…いえ。今ここに、着いたばかりですので」
「さっさと行って、報告してきなさい。あんたのやったこと、重大よ! 自分でちゃんと、報告の義務くらいは果たしてきなさい!」
「…えっと。でも、どちらに報告に行けば――」
「イシュターク様は、古書エリア南館の大司書室で、さっきから、幹部連中とうちあわせやってるわ。たぶんそこにまだ、いらっしゃるでしょう」
「…わたしは、その――」
「なによ? ぐずぐずしてないで、さっさと行ってきなさいよ?」
「…その―― 南館の。入館認証を、持っていないものですから――」
「ったく。この非常事態に。認証だとか、どうだっていいのよ」
そのヒトは、顔に落ちかかった前髪、めんどくさそうにかきあげる。それを無理やりな感じで、白っぽい看護帽の下にねじこんだ。
「はい。これ。」
そのヒトが、首にかけた銀の鎖のペンダントを外し。それをユメの胸に押し付けた。
「…これは?」
「全館共通認証。看護系の司書は、みんなこれ持ってるから。はいこれ。ほらほら、何してんの? さっさと受け取りなさいってば」
「しかし… これをわたしが受け取った場合。あなたの認証は、どうなりますか?」
「まどろっこしぃわね~ もう。さっさと報告して、さっさと返しに来てくれりゃいいじゃない。いいからグダグダ言わずに、行く行く。あたしもいい加減、忙しいのよ? どんだけ足止めさせれば気が済むつもり??」
そう言ってそのヒトは、バシッと豪快に、ユメの背中をたたいた。そのあと大股に、ずかずかと、もうこっちは振り返らずに。地下の雑踏の中に、消えてしまった。
21
看護のヒトと避難民とが入り乱れた、その大広間を出て。天井の高い、石の床の通路を、ずっとずっと歩いて。階段を、そこからひとつ、また降りて。階段おりると、ザワついてたさっきの広間と、ぜんぜん違う。音がぜんぜん、聞こえない。静かだ、ここ。足元の地面には、古いじゅうたんが、ずっとずっと敷いてある。足音しないわけだ。三人ならんで、歩いても。
けど、それにしても。
すごいよ、ここ。何かほんとに、本だらけ。でっかい天井にむけて、ぶっとい柱が、にょきにょきのびてて―― その柱が並んだ、なっがいメインの廊下の両側に。いくつの伸びてる枝道の通路の壁は、ひたすら本棚だ。本だらけ。本の迷宮?
「すっごいねぇ。これでも、何が書いてるの? こんだけいっぱい、本ばっかり集めて――」
左右を見ながら、とりあえず、感心するしかない。
あたしは本とか、読まないし。とくに読みたいとも、思わないけど。
けど世の中には、本好きのヒトもいて。こういうとこが、好きなヒトもいるんだろうな。
「ここは古書南館につづく別館エリアです。ここの蔵書は―― そうですね、主に汎用の魔法書ですが。比較的重要度の低い、一般的な古書が中心です。この先の南館の本館には、もう少し、さらに重要度の高い、専門的な貴重書が集められています」
「ふーん。まあ、重要とか貴重とかで言えば、全部これ、重要そうに見えるけどな~?」
「ばかめ。ここの通路くらいで驚いてるのか。この程度の本の数であれば、うちの街の図書館にも集めてあるぞ?」
レグナが、バカにした感じで舌を打つ。
「なによ。そもそもが、初めてなのよ、あたしは。こういう図書だとか、そういうの集めてる建物は。素直にちょっぴり、感心してるだけでしょ―― って、あれ? けど。なんでなの?」
「なんでって、なんだそりゃ?」
「だって。けっこうここまで、歩いてる。ほらこれ、いいかげん、長く歩いてない?」
「だーかーら。それが何だ。それの何がおかしい?」
レグナがこっちを、じろっとにらんだ。
「え、だからだから。なんでぱっぱとテンイしないのかなって。それがちょっと、不思議だったから」
「ここより先、地下南館は転移無効化空間です」
ユメが言った。ちょっぴり足とめて、あたしをふりむいて。
「なに? ムコーカクーカ?」
「つまり、転移ができないのです。ここでは」
「え? なんで? テンイできない場所とかあるの?」
「はい。安全上、防犯上の理由からですね。ここだけでなく、この都市の地下の古書館の多くは、転移で外から入れない作りになっています。防御結界といいましょうか。目に見えない魔法の防壁をつくって、転移を防ぐ仕組みです」
「ほぇ~。そんなのできるんだ」
「ったく、素人め」
レグナが舌をうった。
「あ、でも。待って。匂いする」
あたしは瞬時に、足とめた。
ふんふん、鼻の奥に空気入れる。
する。匂い。間違いない。これは――
「…古書の匂いってやつだな。まあ、どこの図書館も、古書コーナーってのは……」
「違う。黙って。声出しちゃだめ」
あたしは言って、レグナを黙らす。
ユメが無言であたしを見つめた。動かないで、と。視線でユメを制する。
あたしは姿勢を低くしで、視線を左右に走らせる。
二つの耳を上げて、空気の流れをとらえる。
…とらえた。動き。いた。あっちだ。あの本棚の、左隅。
あたしは一気にとんだ。じゅうたんを蹴って。
ふた呼吸で、その場所にとどく。
けど、そいつもこっちに気づいてた。機敏に瞬時に、移動して――
でも。その動きは、先読みしてた。
すぐに追う。六歩で追いつく。
そして――
とらえた! 牙が、そいつの首にくいこんで。
一気に仕留めるよ! あたしは牙に力をこめて――
「ん~ んんまい。やっぱ、リジールネズミの、このやわっこい生の皮の味っていったら、もうこれ、本気のレアなワフワフウサギの皮よりも―― ん? 何? どしたの…?」
あたしは皮の肉を噛みこなしながら。ユメと、レグナにきいてみる。
二人はなにか、遠巻きにこっち見て――
「ん… なに? レグナも欲しくなった?」
「い、いや。欲しくはないんだが―― おまえ腹、大丈夫か…? さすがにネズミの生は……」
「え? 腹? ああ、あれね。レグナたぶん、ブカルーネズミと、勘違いしてるよね? ブカル―は、たしかにレグナの言うとおり、火、通さないと消化に悪いけど。今のこれは、リジールネズミ。これ、生の方が、ぜんぜんいけるのよ? あたしの森だと常識よ? ってか、リジールは生の、この、皮つきの、ねばっこい血のやわっこさが、何よりいちばん―― って、あれ? ユメは、それ、どうかした? んん? 何々?」
あたしは、一息で飲めなかったネズミのしっぽ、口から垂らして。ユメのほう、ふりむいた。ユメはなんか、レグナのうしろ、かくれてる。なんか、間違ったもの、見るみたいな目つきで。えっと? なになに? どうしたの…?
「あの。着きます。あの扉がそうです」
ユメが言って、指さした。でもユメ、なんかまだちょっと、あたしから、距離とってる…? なにげにあたしを、避けてる感じ?
ん~ まいったなぁ。ネズミ食べない人たちは、ネズミ肉に、偏見持ってるって。話には聞いてたけど。まさかそこまで、偏見あるとは。ちょっぴりこれは、誤算だったかも。やっぱ異郷文化は、あれね。まだあたしにも、わかんないこと、いっぱいあるのね。
そのユメが、指さした先。天井の高い、柱の通路のつきあたり。
そこにでっかい金属の扉があった。扉の高さは、相当だ。氷の巨人ひとりでも、楽々通れるくらいの高さで。青みがかった、その扉の表面には、なにか不思議な文様が。ぐるぐるとうずまいて、下から上まで彫ってある。
ユメが、首からかけた認証のそれを。ペンダントを。扉にぴったり、押しつけた。
金の光が、ペンダントから扉の側に伝わって。光が一瞬、扉のぜんぶをかけぬけた。
そして。動く。動くよ、扉!
ずっしり重い音たてて、左右にそれが、開いてく。
「おおッ すごい! ほんとに開いたよ、これ!」
あたしは素直に、ちょっぴり感動してしまう。
そして開いた先には―― また別の、柱の通路があらわれた。
柱の通路の左右には、赤みをおびた紫の、魔法の炎の明かりの列。その光の中、うっすら浮かびあがるのは―― おっそろしく高さのある、本棚、また本棚。んでから、その奥。その向こうは―― 通路の終わりが、ぜんぜん見えない。まったく。どんだけ広いの、この場所は…?