チャプター1~3
≪ ねえ。あんたは「はい」って言ったりできる? もしそこで――
誰かがあんたに、こうきいたなら。「おまえは死ねるか? 彼女のために?」≫
北の聖都ザッフォパウリ。またの名を、最果ての町。
寒いとは聞いてた。聞かされてた。そりゃま、聞いてたし。
もちろん、聞いてたけど――
「あちらが、その宿になります。路地をあと2つ曲がったところです。大丈夫。すぐですよ。ああ、でもご心配なく。宿代は無料です。北星庁がすべて、たてかえますので」
案内人の男が言った。名前は、えっと。長くて、なんか覚えられない。背はすごく高くて。痩せてて、ぶあつい黒コート着てて。フードの下に見える顔は、けっこうなにげにハンサムな、えっと。身なりのいいハイラント族の―― まあ、なんだろ。わりと若くて、短い髪で――
「どうされましたか? 足が止まっていますが?」
「ってか、寒いし」
「ええ。それは、そうですね」
「これ、鼻の下。パリパリする」
「ああ。凍ってますね。鼻水… でしょうか」
「鼻の中、いたい。これ、凍ってない? 鼻の中まで?」
「まあ、かもしれませんね」
「ありえないよっ!」
いらついて。寒すぎて。叫んだら、アタマにかぶってたフードがずれ落ちた。雪、なんかもう、直接アタマにふってくるし。髪の毛も―― あたしの大事な、ふっさふさのケモノ耳も―― なにもかも雪まみれ。雪づくし。もうこれ、本気でなんなのよ!
「たしかにここは、南の出身の方には、少しこたえるかもしれませんね」
「少し、じゃないし! 凍え死ぬわよ!」
「まあ、とは言え。ザッフォパウリは、一年中、このような気候ですからね。慣れていただくしかないでしょう」
案内人が冷静に言って、黒のコートをひるがえす。そいつはあたしに背を向けて、歩き出す。あたしも慌てて、遅れないよう、ついていく。
しっかし、変な街だ。まずもって空、暗いし。これまだ夕方のはずなのに。これじゃまるで、夜中じゃないか。もうすでに、どこの店もランプつけてる。んでから、寒いし。見えるものといえば、雪ばかりで。風もつよくて。けど、その雪風の中―― ムダに人通りだけは多い。たくさんの旅人。行商人。馬が引く荷車も走ってる。なんか売ってる店も多いし。食堂とかも。よくこの寒さの中、出歩く気になるよね。理解できない。なんだかほんと、わかんない街。
≪ 結局それは―― 犠牲を求める言い訳だから ≫
≪ 距離をとれ、今すぐに! 組織が死にはじめるぞ? ≫
≪ でも。あんたと話せてよかったよ。…なんてね。≫
1
「ってか、なんでよ! なんでオトコとよ!」
あたしはキレて、叫んだ。アタマのフードの雪が、床に散った。
部屋の入口。ランプのともる、薄暗い木の廊下。
その、「綺羅星亭」とかいう。ガッシリした木造りの、宿の三階。
「なんであえて、オトコと一緒なのよ! あたしこれでも、女だよ?」
「ササカさま。どうか落ち着いて」
案内人の男が、なだめた。
「それにです。『これでも女』を自称した場合、女性としての自分の容姿を貶める結果になりかねませんよ?」
「ってか、それ、言う? そんな冷静なツッコミ、欲しくない!」
「しかし困りましたね。本当にここしか、部屋がないのですか? 今からでも、ここ以外の部屋を用意して頂くなどは、ムリなのでしょうか…?」
案内人が、宿のおかみに真顔できいた。
「あんたねえ。星庁のお役人だからって、無茶言っちゃ困るよ」
太ったおかみは、こっちもキレた声で、案内人をにらんだ。
「あいにく今夜は満室だわよ。部屋があるだけ、ありがたいと思いなよ?」
「しかし。各部屋1名と。到着人数の、事前通達は行っているはずです。しかも毎年のイベントだ。何も今年初めての――」
「ちょっとちょっと。星庁の人。黙ってきいてりゃ、あんた、勝手なことばかり言ってくれるね。こっちとしちゃ、毎年毎年、素性も知れない小汚い旅人をどかどか送り込まれて迷惑してるんだ。しかもあれだよ、こっちの娘。こいつ見るからに獣人だろ? ケモノじゃないか! うちとしちゃ、本来、絶対泊めたくないんだよ? そこをこらえて、こっちはわざわざ――」
「ご主人。獣人は差別語です。この方はササカ様といって、南のタフーウェル族の出身者です。タフーウェル族は、北星庁傘下の5066氏族に名をつらねる、歴史と文化と伝統ある由緒正しき方々です。北星庁の招く客人に無礼な言葉は許容できません」
おお…? このひと、あたしの弁護、してくれてる? もっと言え、もっと言え!
「ふ、ふん。あんたみたいに若い兄ちゃんが役人風をふかせたって、こっちはぜんぜんビビりもしないんだからね? だいたいさ、そもそもなんで獣人なんかが、星選の――」
「ご主人。それ以上、公式の客人のことを悪く言うことは、北星庁のわたくしが許可しません」
きっぱりと、案内人が言った。声のトーンは、さらに一段、冷たくなってる。
「代金は、前払いで通常料金の倍額を払っているはずです。口をつぐみなさい。さあ、そしてもう、これ以上の案内はけっこう。部屋の位置はわかりました。鍵も受け取りました。あとは結構です。ご主人はもう、お引き取りを」
男の冷たい迫力に気おされて。おかみは、まだぶつぶつ文句言いながら。それでも、廊下のむこうに去ってく。尻につけた部屋の鍵の束、ジャラジャラ、ムダに鳴らしながら。
「では、ササカさま、」
「な、なによ?」
「こちら、今晩のみ、相部屋となります。手違いによりまして、ここよりほか、今夜は部屋がないようです。こちらが部屋の鍵になります」
「ってか、相部屋はいいけど。けど、なんで男?? まだしも、女の子と相部屋だったら――」
「申し訳ありません」
きっぱりと深く、アタマさげたその男。けど、そのきっぱり口調は、ぜんぜん、申し訳なくない。それたぶん、命令だ。「それ以上は聞かない」「議論の余地なし」の意味。
「ではこれで。明日の『星選式』の時刻に遅れませぬよう。くれぐれも――」
「あ、ちょっとちょっと!」
あたしは呼び止める。案内人がこっちを振りむいた。
「ねえ。明日は、どこに行けばいいのよ? 明日も、あんたが迎えにきてくれるの?」
「いえ。明日は、おひとりで移動を願います」
「え。けど。道とか、わかんないし!」
「『星の護り』が、道を示します。ですからおのずと、わかりますよ」
「『星の護り』? って、これ? もしかして?」
わたしは手で、触れる。首から下げたペンダント。氷の感触。
銀の鎖のついた、透き通る青の宝石。すっごくアンティークなやつ。
ここに来るまでの旅の途中、その案内人にもらった。というか。強制的に与えられた。首にかけろと言われた。「星選候補者」をあらわす大切なアイテムだからと。説明うけたけど――
「はい。それです。ですから決して、首からはずさぬように」
「けど、お風呂とか、どうするのよ? そのときは外すよ?」
「かけたまま、お入りください。一時たりとも、外すことは、禁じられています。あとそれから、ササカさま、」
冷たい青の目で、男が、わたしの目の奥を。じっと見つめた。刺すような目。
「万が一にも、『逃げよう』などとは―― 星選式に出席せずに、故郷に戻ろうなどとは―― 決してお思いにならないよう。くれぐれもお願いしますよ?」
「に、逃げないわよ。言われなくたって、」
「それなら良いのです。しかし毎年数名、いらっしゃいます。掟にそむいて、星選式を待たず、帰郷を希望される方々が」
「…いるの? 逃げる人…?」
「はい。まことに残念ながら。そして、そういった方々の故郷の町や村が、その後、どのような裁きを受けたかについては―― あえて詳しくは申し上げません」
「な、なによ。それ、脅し… なの…?」
「いえ。忠告。ないしは、勧告ですね。北星庁からの、公式通達です。では。話が長くなってしまいました。わたくしはこれで。この後も別地にて業務がありますので」
そう言い残して。男は暗い廊下のむこうに、去っていく。男の重いブーツの底が、古い階段を踏み、降りていく。でもやがて―― その足音も遠ざかり、消えた。あとにはわたしが、ひとりで残った。残された。
2
窓の外は、ひたすら雪だ。あとからあとから、落ちてくる。
時間はけっこう、もう夜に近いと思うけど。空はずっと、昼間から夜みたいに暗かったから。夜がきても、夜のままだ。って、あたりまえか。ふりやまない雪。大粒の雪。やれやれ。ひどい街に、来てしまったなぁ。
ああけど、これ、ぬくい。ストーブ。でっかい鉄製の、パン釜に似たやつ。
うー、ぶるぶるぶる。ぬくいけど、寒い。部屋の中でも、ぜったいコート、脱ぎたくない。 ストーブのそば、はなれたくない。もうぜったい、ずっと一生ここにいる。
天井の低い部屋には、木のベッドが二つ。あと、木の椅子も二つ。それと、ちっちゃな四角いテーブルひとつ。奥にはひとつドアがあって、そっちはお風呂。あと、トイレもか。
でもその、奥側のベッド。そっちに誰か、もうひとりいる。
肌の浅黒い―― わりと小柄な男の子。
そいつはベッドの上に座って、本、読んでる。なんか分厚い、黒表紙の本。あたしが部屋に入ったときから、ずっとそれ、読んでる。「よろしくね!」って、あたしが言っても。無視。返事しない。返事どころか、視線もこっちに向けないし。
……でも、ま、いいか。男と相部屋で、なんかメンドクサイと思ったけど。でも、そこまでこっちを無視だから。かえって助かる。メンドクサくない。かえって気楽、かもしれない。ああでも、ぶるぶる! 寒ッ! ぜんぜんカラダ、芯まであったまらないし。あたしは椅子を、よりいっそうストーブに近づけた。
「おい、おまえ」
声が飛んできた。あっちから。
その―― 奥のベッドの方から。
「…ん?」
あたしは顔あげて、そっちを見た。たぶん今、そいつが言ったんだと思うけど――
そいつはこっちを、ぜんぜん見てない。視線は、手もとの本を見たままで。
「近いぞ、それ」
「え?」
「火に近い」
そいつが指でページをめくった。あいかわらず、こっちは見ない。まるで本に話すみたいに。
「え? 火? ああ。ストーブね。え、だって。寒いもん。凍えるよ。これくらい近づいて、やっとちょっと、大丈夫かなって。これならなんとか、あったまる」
「ばかめ。内部熱傷を知らないのか?」
「は? なに? ナイブネッショ…?」
「おまえ、さっきから40ウィール以上、ずっとその至近距離だろ?」
「んっと。そうかな? 時間はかってないけど。まあでもたぶん、それくらい?」
「ヴェルディア産の石炭は、遠熱線を多く発する鉱石だ。ヤバいぞ、その距離、その時間は。じきに内部組織が死に始める」
「え? セキタンっていうの? この石? なんかさっきから、おもしろいなって。石なのに、燃えてて。やっぱ北の都会は、なんかすごい魔法の技術とか、あるなあって。感心して見てた」
「…おまえ、石炭も知らないのか?」
「えっと。この、燃えてる魔法石のこと、だよね?」
「…もういい。とりあえず、距離とれ。そっちのベッドまでだ。そこなら長時間でも安全だ」
その子が、本をバタンと閉じた。んでからはじめて、こっち見た。目つきの鋭い、黒の瞳で。
「えっと、」
ん、なんかよくわからないし、腹立つ言い方だけど―― けどなんか、あんまり火に近いと良くないことは、わかった。あたしはストーブからはなれて、ベッドの上に移動した。うー、ぶるぶる。いきなりすでに火が恋しい。ストーブのそば、はなれたくなかったよ~
あたしの動きを見届けると―― そいつはなんか、腕あげて大きくあくびをした。それからそいつ、椅子を引きずって。テーブルのとこ座った。んでから、何か、食べはじめた。袋から、木の実みたいなやつ、まとめて手づかみで。ちょっぴりなにか、メンドクサそうに。
「ねえ、あんた。ちょっとちょっと」
「…なんだ?」
そいつが、ほんのちらっとこっちを見た。
「あんたってさ、それ、寒くないの?」
「寒い? 何が?」
「え、だって。袖ないじゃん、その服。腕が出てるし。あんた寒さに、強い人?」
「ああ。これか」
そいつがちらっと、肩と腕に目を落とす。焦げたみたいな色した、細い、よわっちそうな腕。
「温度制御してる。特に厚着の必要はない。室内ならこれで充分だ」
「おんど……せいぎょ?」
「そういう魔法だ。体表に沿って、極薄の空気の層を作ってキープして―― って、……ちっ。くそ、おれは何を説明してるんだ。わざわざくだらないこと、説明させんな」
そいつが舌打ちして、そのあと黙った。乱暴な手つきで、袋の中の木の実、まとめてつかんで。乱暴な手つきで口に運ぶ。食べたくないけど、しかたなく、食べてる感じで。目つきはキツい。とても鋭くて。その黒い目の奥で、そいつがいったい何考えてるのか。ぜんぜんあたしは、わからない。まあでも―― なんだかわりと、やなやつかも?
けど――
そいつが食べてるの見てたら、あたしもお腹、へってきた。
あたしは自分の荷物から、ギュワギュラ鳥の干し肉の袋、ひっぱり出した。それ、燻製にして香りつけてあるやつで。買うとけっこう、高いやつ。旅の出発の朝、近所のソノノさんが分けてくれた。「あんたも元気でね!」とかいって。もう二度と、あたしに会えないみたいに。
大きいぶあつい一切れ取って、かじる。舌いっぱいに肉の味がしみる。ん、美味しい。あーこれ、あたしの好きな味。ちょっと元気でてきた。
「ねえ、あんたもちょっと、これ食べる?」
あたしは親切心から、そいつに声かけた。
そいつはふりむいて、「……何?」と言った。すっごく、メンドクサそうに。
「これこれ。ギュワギュラ鳥の燻製肉。なにげにすごく、おいしいよ?」
「ばか。いらねぇよ。肉とか。ちっ、肉食種族か。めんどくせーやつめ」
「あ、なにそれ! 肉食種族、バカにした?? そういうあんたは、それ、草食系?」
「…果実食だ。草くってるそのへんの山羊とかと一緒にすんなよ」
「あ。山羊、バカにした。一緒じゃん。フルーツ食ってるのも、草、食べてるのも。どっちにしても味とか、しないし。バッカみたい」
「うるせー。肉食者は、かってに死ぬまで血とか内蔵とか食らってろ。ったく、野蛮人め」
「む。それ、差別語だよ? アスヤヤのおばあ、言ってたもん。野蛮とか、言葉いうやつは、そいつこそが野蛮だからって」
「しらねーよ! どこの婆さんだよ?? ってか、そもそも食事中に話しかけんな。メシ、まずくなるだろ」
「なによ! せっかくお肉、分けてやろうと思ったのに」
「いらねー。おまえの食い物とか」
「いいわよ! もう二度とやらないから、燻製肉」
まあでも。お肉たべてお腹いっぱいなると。なんかもう、やることなくなった。
まだ寝るには早いし。けど、ほんと、ここだとやること何もないし。
ふぁ。暇だなぁ。って、あくびしながら。あたしは窓の外の雪、見てた。
そのときふと、目にとまった。
窓際の台の上。本だ。ぶあつい、黒表紙の。
ああこれ、さっきまで、あいつが読んでたやつ?
なんか表紙には、おっきい銀の星のマーク、書いてある。タイトルの字は、外国文字っぽくて、ぜんぜん読めない。ぱらぱら、ページをひらいてみた。けど、中まで字がぎっしり。ぜんぶ外国文字。あと、よくわからない記号も。へんなマークとか。矢印とか。
「おい。人の本に、触れるな」
あっちのベッドから、そいつの声が飛んできた。
「なに。あんたもまだ起きてたの?」
「いいから、触れるな。ページを汚すな」
「なによ! ちょっぴり、見てみただけじゃない」
「見るな。いいからもう、閉じとけ。何度も言わすな」
そいつが言った。こっち見ないで。寝た姿勢のまま、天井にむかって。なにあれ。態度悪ッ!
「ねえでも、これ、何の本? 何が書いてるの?」
あたしはパタンと本とじて、それ、台の上に戻した。
「…おまえに言う義務は、あるのか?」
「ん。義務とかは、知らない。ちょっと、知りたかっただけ。好奇心?」
「…本当に知りたいのか?」
「んっと。ま、そこまですごく、でもない。ちょっぴりなにげに、きいただけ」
「…ちっ。」
そいつはベッドの上で寝返りをうって、あっち側に顔をむけた。
「…シャフルタール関数と、エンディル離合軌跡を利用した空間魔法の構築に関するやつだ。アンギュル仮説空間の安定性を、そいつで補強できるか、できないか。そこの基底解の揺らぎが―― 偶然ランダムだと長年おもわれていたのが、じつはそこに予測可能なジール基数が複数あるんじゃないか、とか。その手の仮説の検証だな。……って、おまえ話、きいてる?」
「えっと、ん、聞いては、いたけど……」
わけわかんないよ! いま、なにそれ? なんとかカンスウ? そもそも、何??
「ごめん。なんか難しくて、わかんないや。きいたわたしがバカだったね」
「まあしかし、バカを自覚できるのは良い傾向だぞ。無自覚よりは数段な」
「え、ってか、バカを自覚?? やっぱそれムカつく! すごいアタマいいヤツだって、ちょっぴり尊敬しかけたのに!」
「…ちっ、もういい。もうそれ、興味ないんだったら、話おわるぞ。いいかげん、眠いからな。おまえもそれ、早めに寝ろよ。明日の朝、けっこう早いらしいぞ?」
そいつが言って、毛布、もう1枚、よぶんにかぶった。
まあでも、あたしも言われてとりあえず――
自分のベッドにころがった。ころがって、まるまった。丸寝の姿勢で。
けど。あたしはそこで思い出す。こういう異郷だと、「まるまり寝」は、マナー違反の地域もあるって。なんか、聞いたことある。それをちょっぴり、思い出した。
あたしとりあえず、丸寝は解いて。ベッドの上で、体をのばす。ちょっと寝心地、わるくなったけど。「標準寝」の姿勢で。あたしは毛布をかぶった。
窓の外は、まだずっと雪。ぜんぜん降りやむ気配ない。あたしけっこう、耳がいいから。バタバタバタバタ、サラサラサラサラ…… 雪音が、けっこうなにげに耳につく。
「ねえ、あんたも、よね?」
あたしは毛布の中から、言った。低い天井の梁、ちょっぴり見ながら。
「なんだ? おれも、何?」
忘れたころに、返事があった。
「星選の、候補者。だよね?」
「…ったく。わかりきったことだろ。それ以外、今の時期、ここにくるやつはいない」
「ん。そういう気はしてた。」
「…おまえ、ジャーズード族か?」
「ん。近いけど、違う。タフーウェル族。知ってる?」
「ああ、そっちか。タフーウェルな」
あっちのベッドで、なんかそいつが、うなずいた。
「…知ってるの?」
「名前だけな。南の辺境のはずれで、魚とってるやつらだろ?」
「む。なんか、当たってるけど。でもちがう。魚とってる人もいるけど。でもそれ、ごく一部だから。大半は、あそこの森で狩りしてる。あとは、ガザガザ鳥、飼ってる人とか」
「ん。そうか。ハンターと、鳥飼い、か。ま、だいたいが、世界風土辞典とかに書いてることは、けっこうざっくりで適当だからな。そうか…… やっぱ狩りとか、今でもやってんのか」
「そういうあんたは? どこの、何族?」
「…星侯外氏って、言ってもどーせ、わかんねーだろう」
「うん。わかんない」
「ちっ。まあ要するに、5066の星庁公認氏族の亜流の、正規カウントされてない辺境氏族のひとつだな。ガウゥードゥー・ハンって、おまえの言える発音だと、言うけどな。ほんとはもっと複雑な発音だ。だがたぶん、よそのやつらには、発音すらも無理だろう」
「えっと。ガウィー、何? それ自体、ムズイよ??」
「だから。覚える必要はない。はみだし者の、辺境種族。くらいに思っとけばいい。だいたい、外れてはいない。まあでも、北星庁には帰順してる。だから迷惑にも、星選式にだけは呼ばれる―― って感じか」
「ん~。なんかわかんないけど。けど、なんか、アタマよさげな種族だっていうの? それはちょっぴり、わかった気がするわ」
「……? いまの説明のどのへんに、知力要素入ってた?」
「でも。選ばれない、よね?」
「ん?」
「明日の、その、なんとか式よ。5066分の1だもん。当たらない、よね?」
「…まあ、確率的には、無視しうるレベルだ。まあだが、当たるヤツからすると、そいつは確実に当たるわけだからな。『当たりません』とは、誰にも言えないだろ?」
「ねえ、当たったら、どうするの?」
「誰が?」
「あんたよ」
「…俺が?」
「うん。もし、その何とかに、当たって。おまえはもう帰さないって、言われたら?」
沈黙。むこうのベッドで、そいつが、じっと黙ってる。
雪が―― 窓の外では、サラサラバラバラ、降り続いてて。
ストーブの中では、黒い石が、じゅうじゅう熱を発してて。
「――その時になれば、嫌でもわかる」
「…え? 何それ?」
「もちろんおれも、想定してる。万一、おれが選ばれた場合。とても小さい可能性だがな。だが。そのとき俺が何をするとか。ここでおまえに言うことはできない。今は秘密だ」
「ん。そっか。ま、そう言われちゃうとね……」
「で、おまえは?」
「あたし?」
「もし当たったら? 星選者の指名。ばっちりお前に来たら、どうするつもりだ?」
「…逃げる」
「…ほんとに? できるのか?」
「…逃げたい」
「お。トーンダウンしたな」
「うん。逃げたいよ。そもそも、来たくなかったよぉ、こんなとこ」
「ばかめ。それは誰でも一緒だ」
「うん。だね。ごめん。ちょっぴり弱音吐いてみた」
「まあでも…… おまえは、たぶん、選ばれない。帰れるだろう、無事に」
「…ほんと?? なんでそれ、言えるの?」
あたしは、ベッドの上にとび起きた。
「…ばかめ。『あなたは無事に帰れますよ』とか。普通は言うシーンだろ? 礼儀上。だからおれも、言ってみただけだ。根拠は特に何もない」
いかにもメンドくさそうに。毛布の下で、そいつがごろっと寝返りうった。
「そっか。うん―― でも。ありがと」
「…なぜ、礼を言う?」
「ん。なんとなくね。なんか、あんたと話せてよかったよ。ちょっとだけ」
「…そうか。じゃ、俺は寝る」
「おやすみ。また明日ね」
「……」
3
そもそもが、星選式。それが問題。大問題だよ。
毎年必ず、この時期にある。真冬の大熊月の終わり。新年をむかえる手前の、一年の最後のこの時期。『北の聖都』とも言われる、最果ての町ザッフォパウリ。ここに、世界5066の全種族から、毎年ひとりずつ。代表が、送られる。送らなければダメと、言われる。
そのルールを決めたのは、女神様。
星の女神とか、女神様とか、創造主さまとか。いろんな名前で呼ばれてる。
まあでも、とりあえずは、その女神様が。
毎年、要求する。布告を出す。秋のはじめに。世界の各地に。
北星庁から使者を送って。みんなに告げる。
――各部族1名の、星選候補者を送れ。候補者を差し出せ、と。
で、
その年の候補になる、その運の悪い、その誰かの名前は――
北星庁の役人が、そっちの都合で、勝手に決める。勝手に決めて。世界の隅まで、告げまわる。その秋に選ばれた、その気の毒な誰かの名前。××族の、今年の「星選候補者」は。その名は――
でも結局のところ。この「星選」のしきたりの、何が問題?
5066人の、星選候補者の名から。毎年最後に、ただひとり選ばれる、
選ばれし者。栄誉ある者。それは「星選者」と呼ばれる者で。
もしでも、仮に。あたしがそれに選ばれた場合に。
何がそんなに、嫌なのか? 何がそれほど問題なのか?
つまりそれは、結局のところ――
それは生贄の、儀式だと。「生贄」なのだと。
「星選者」っていう、よくわかんない言葉は。ただ単に、その、もうひとつの言葉を。
きれいな名前で、言いかえただけだと。
こっそりみんな、思ってる。みんながこっそり、知っている。
だからみんなが、おそれてる。
女神が選ぶ、そのひとり。その生贄に、今年もどうか、うちの子が――
選ばれたりは、しませんようにと――
みんなの心が、暗くなる。夏が終わり、秋が近づく頃になると。
誰もが不安。そのあと真冬にやってくる、その儀式のこと。誰もが心に、それを思って。
そう。それこそが、星選式。
世界のはじめから、ずっと今まで続いてる――
世界がこの先、ずっと続いていくための――
とても大事な行事なのだと。候補に選ばれる、ただそれだけでも名誉なのだと。
公式には、言われてる。何度も説明はされている。
星選式。星選式。北の聖都、ザッフォパウリにて。聖なる冬の祭典が――
聖なる、とか。伝統、とか。まあ、別になんだっていいんだけど。けど。
だけど。でも――
【 読者の二つの選択肢 】
① ササカ視点にしぼって読みたい
☞ この下は読まずに次のチャプターへ
② 女神の視点も見ておきたい
☞ つづけて下まで読む
『この者を、無期限の亜次元幽閉刑、ならびに。永続的無化刑に処する』
あの遠い日に、アリストレアの魔法法廷に響きわたったその冷徹な声は。いまでもわたしの脳裏に、止められぬ暗きこだまとして、幾万の過ぎし年を経てなお鳴りつづけているわ。
大魔女と呼ばれたわたし。そのわたしが、このどことも知れない小亜時空に飛ばされ、ここに落とされたその遠き日は―― いまより数万の年をさかのぼる。わたしはもう、その日の数を数えることさえ―― いつしかやめてしまった。
どこにも逃れられぬ、どこからも届くことのないこの小時空においても。あの日、司法機構がわたしの体にほどこした無化の呪い――とめどなく続く若化の呪いは、数万の年月を重ねたいまもなお。けして消えぬ暗き病として、いまでもわたしの体に、深く刻まれたままでいる。
際限のない、無限につづく肉体変化。その先にある消滅の恐怖と戦いながら―― わたしは最初の数千年を、ただそれに抗うことだけに費やした。ただ、死なぬためだけに。消えぬためだけに。自分の魔力を、そこにあてた。かつては無限と言われたわたしの魔力を。ただ消えぬためだけに。自らの存在を、ただここにとどめるためだけに。わたしはひたすら、費やしたのよ。
そしてその、終わることなき抗う作業と同時に。わたしは探した。探した。異界とのつながり。異界との接点。異なる次元との、つながりの糸。どこかにつなげて。どこかとつなげて。魔力を。わたしの命そのものである、魔力を。減りゆく魔力を、補うために。なんとかわたしが消えないために。道を。経路を。つながりを。どこかに。どこかへ。どこかと。つなげる―― つなげる。つなげたい。どこかへ――
見つけるのよ。見つけるのよ。見つけるのよ。ええ、見つけてみせるわ。消えないために。消えないために。消えない消えない消えない消えない、わたしがここで消えないために。消えないために――