5章:ある少女に花束を(第9話)
「なんで皆、種を買いに行ったのに、苗を買って帰ってるんだよ」
「だって、仕方がないじゃないスか。沈丁花の種は売ってなかったんですもん」
「あたくしのクチナシも、種から育てるのは大変だから、って店員の方がおっしゃるものですから…」
「アタシも、気に入ったバラを種から育てるのはとても難しいから、って気付いたら苗をオススメされてたわ…」
「ふふ…。け、け、結局、た、た、種があったのは、わ、わ、私のワスレナグサと、なる、なる、鳴海くんのカモミールだけだった、ってことね」
「まあいいのか…。もし誰かが崩壊して死んだら、その場所に生き残った人が苗を植えればいいのか…。まさか、苗を持って普段から生活するわけにはいかないからな」
「鳴海先輩、ボクが爆発した時には、沈丁花よろしくお願いします」
「順番で言ったら一番早いのは僕か伊奈だし、むしろ神宮前が一番最後なんじゃないのか…」
「ふふふ。ほんと、アタシたちのこんな日常が、ずっと続いたらいいのにね」
「そうですね…。続かせなきゃいけないんだ…。だから、奴らと次に接触する時に、どうやってスキルを消滅させるかの情報を取得する方法を考えておかないとな…」
「な、鳴海さん、なんだか、ちょっと怖いお話ですね…。爆発とか…? そういえば…国府さんが…」
「おっと…。ああ、まあ、僕たちの話なんだけれど、そのうち上小田井くんにも教えてあげるよ」
「そ、そうですか…。わかりました」
「ねえみなさま、せっかくですもの、このままどこかお茶でもしにいきません?」
「あ、伊奈先輩、ボク賛成っス」
「お茶はいいけれど、僕たちは集団行動している限り、いつ命を狙われるかわからない事だけは意識しておこう。毒を入れられるとかね。悪意の第三者による無差別殺人事件を装えたら、奴らには好都合だろうしね」
「ど、毒…。じゃ、じゃあ、鳴海先輩が全員分を毒見してくれればいいじゃないスか」
「無茶言うなよ…。まあ待ってなよ。今、みんなの寿命を確認するからさ…。うん。大丈夫。カフェに行ってOKだ」
「では、いきましょう。あたくしも、あと残り何回カフェに行けるか、わかりませんものね…」
「スイカだって? スイカのフラペチーノ? それって美味しいんだろうか…」
「でも、期間限定の新作って書いてありますよ。ボク、これに挑戦してみようかな…」
「神宮前、これ2種類あるけど、どっちにするんだ?」
「鳴海先輩はどっちにするんスか?」
「いや、僕は別に、スイカのフラペチーノを選ぶつもりはない」
「うっぷす。残念だなぁ。鳴海先輩とボクとで2種類を別々に頼んで、途中で交換しようと思ったのに」
「いや、しかし、スイカ…」
「鳴海先輩、スイカ好きっスよね?」
「僕は別にスイカは…」
「好きですよね?」
「…好きだったかもしれない…です」
「やったね!」
「神宮前…お前、強引になったな…」
「あら、伊奈さん。アナタ、随分と真剣に悩んでいるのね」
「え? え、ええ…。なんと言いますか…。残り21日と言われると、急に意識してしまいますの…。失敗はしたくありませんもの」
「そっか…。そうね。うん。じっくり悩むといいわね」
「ええ。でも、あたくし、もう決めました」
「もしかして、伊奈さんもスイカのフラペチーノ?」
「うふふ。もう少しあたくしに時間が残されていれば、それでもよかったかもしれませんわね。でも、飲み慣れた物にしようと思いますの」
「…そう。そうやって、段々と死がリアルになっていくのかしら…」
「死ぬまでの日数が正確にわかるのって、難しいですわね。わかった方がよかったのか、わからなかった方がよかったのか、今のあたくしには、まだわかりませんもの…」
「本星崎さんは、どれにするんですか?」
「わ、わ、私は、こ、こ、このソーダフラペチーノに、ラ、ラム、ラムネをトッピングしようかと…」
「わあ、本星崎さんは、酸っぱいのがお好きなんですね」
「そ、そ、そうね…。そうかも。か、か、上小田井くんは、なに、なに、何にするの? ご、ご、ごち、ご馳走してあげる…」
「え? そ、そんな、申し訳ないですよ」
「ふふ…。そ、そ、そうやって、え、えん、えん、遠慮できるところが、上小田井くんのいいところね。で、で、でも、か、か、上小田井くんを誘ったのは私だから、ご、ご、ご馳走させて」
「あ、ありがとうございます…。じゃあ、このバニラフラペチーノの上にソフトクリームが乗っているやつにします」
「い、い、いいわよ…。こ、このカフェじゃ、さ、さ、さすがに、別皿にはできないわね…」
「あれ? このスイカのフラペチーノ、意外と美味しいぞ」
「でしょ? やっぱり夏といったら、スイカっスよね」
「そうか…。皮の周辺が青臭いとか、種を間違えて噛んだ時のあの名状しがたい気持ち悪さの記憶とかが、スイカを美味しくないものだと印象付けていただけで、本当は美味しかったのか…」
「本星崎さん、見て下さい。フラペチーノのカップに店員さんがマジックで絵を描いてくれましたよ。Tank youとも書いてあります。あれ? Thankですよね。綴りが間違ってますねこれ。でも、なんかうれしいな」
「ほ、ほ、本当ね。く、く、く、くまの絵かしら?」
「犬じゃないスかねそれ? いいな~。ボクのには何も描いてないのに」
「あ…ごめんなさい、ぼく、先にちょっとトイレに行ってきますね」
「え、え、ええ。じゃ、じゃあ、こ、こ、ここに、バニラのフラペチーノを置いておくといいわ。み、み、見ていてあげるから。あ、あ、あれ…この上に乗ってるの、ソ、ソフ、ソフトクリームじゃなくて、ホ、ホ、ホイップクリームだったのね…」
「あ、本星崎先輩はフラペチーノにラムネをトッピングしたんスか? どうですか?」
「う、うん。わ、わ、わ、悪くないわよ。ソ、ソ、ソーダのフラペチーノとよく合ってる…」
「というか、カフェに来て、ほとんど全員がフラペチーノってどうなんだよ」
「だって鳴海先輩、ボク、コーヒーなんて苦くて飲めないっスよ」
「コーヒー飲めないって…変なところお子様なんだな…」
「だいたいですよ。ボクには意味不明ですよ。人の舌が苦いと感じたものは、毒なんじゃないんスか?」
「いや、良薬口苦しと言うだろ。毒は薬にもなるよ」
「でも、コーヒーなんてほとんど栄養ないじゃないスか。なんで、苦くて栄養もないような飲み物を、みんなあんなに飲みたがるんでしょうね」
「神宮前サン、それは、やっぱりコーヒーの香りがいいからじゃなくって?」
「香りですかあ…」
「神宮前の考え方も一理あるかもな。人間が美味しいと感じる物は、大抵が糖分か脂質かタンパク質を含んでいると思うんだよね。コーヒーはほぼカロリーがゼロだし、それらの栄養素は含んでいない。とすると、コーヒーが美味しい、とか、香りがいい、というのは、体がカフェインを接種したいと感じているからか、あるいは朝食のパンとかベーコンとか卵みたいな、糖分とか脂質とかタンパク質の記憶と結びついているからなのかもしれない」
「鳴海先輩…ボク、そんな難しい理由でコーヒーが苦手な訳でもないんですけど…」
「あ…か、か、かみ、上小田井くん、お、おか、おかえりなさい」
「えへ、ごめんなさい。ぼくの飲み物を見てもらっちゃって…あれ?」
「ん? どうしたんだ? 上小田井くん」
「あれ…おかしいな。ぼくのバニラフラペチーノがなくなってる…」
「え…? ほ、ほ、ほん、本当だ…。お、おか、おかしいな。つ、つい今まで、わ、わ、私の前にあった気がするのに…」
「鳴海先輩がコーヒーの話に夢中になっている間に、誰かに盗まれたんじゃないスか?」
「おい…僕のせいにするなよな…」
「本星崎サン、あたくし、この位置からこのテーブルの周辺を見渡せますけれど、あたくしたち以外の人影は見当たりませんでしたわ…」
「なんだか気味悪いわね…。テーブルにはアタシたち以外いないのに、物がなくなるなんて…。床にも…落ちてないわね」
「ど…どうしたんだろう…。ぼく、トイレに持っていってなかったと思うし…」
「か、か、上小田井くん、も、も、もう1杯買ってあげるから、き、き、き、気にしないで。ちゃ、ちゃん、ちゃんと見ていなかった、わ、わ、私に責任があるもの」
「本星崎さん…それはなんだか申し訳がないです」
「い、いいのよ。ま、ま、待っててね」
「ん…? あれ…?」
「ど、ど、どう、どうしたの? なる、なる、鳴海くん」
「本星崎が席を立って、視線を移動させる事ができたから気付いたんだけれど…あれ…」
「あれ? 鳴海先輩。どれっスか?」
「あれ…。あの、天井の梁の上…」
「梁の上って…え? ええ? うそっ! なんスか!?」
「あれって、バニラフラペチーノですの? あんな天井の近くの、高いところに? 何かの間違いではありませんの?」
「鳴海さん…ぼくも、同じタイミングで気が付きました…。でも、あそこには、身長が2mあっても届かないと思います…。近くに登れるようなものは何もないですし…誰かがハシゴを架けていたら、絶対に気づきますよね?」
「上小田井くんの言う通りだ。この短時間において、あそこにフラペチーノを置く手段は皆無だ。誰かがあそこに投げたとしたらわからないけれど、あの細い梁の上に正確に立たせるのは至難のわざだよ。次の問題は、あれが上小田井くんのフラペチーノなのか、そうでないのか、だ」
「鳴海くん、上小田井くんのフラペチーノだったら、店員さんが描いた、くまだか犬の絵があるんじゃないかしら? 見える?」
「こっちからだとわからないな…。反対側にまわってみるか…」
「あ…鳴海さん、間違いないと思います。あの絵、さっき店員さんが描いてくれた絵と同じです。それに、Tank youって書いてあります…」
「確かに…。上小田井くんのフラペチーノの可能性が高いな。ほとんど溶けていない事から考えても、以前からあそこにあったとは考えづらい…。謎だ。伊奈が何かを位置エネルギーに変換してあそこまで浮かせた、とかならわかるけど」
「あ、あたくし? するわけありませんわ。残り少ない寿命を、そんないたずらのために使うなんていたしません。それに、位置エネルギーの調整はとても難しいんですのよ。あの上に正確に乗せるのは困難ですわ」
「と、と、と、とにかく、て、てん、店員さんに状況だけお話してくるわね…。あ、あ、あと、も、も、もう1つ、同じバニラフラペチーノを注文してくる」




