8章:時計じかけのレモネード(第6話)
「レモネード?」
「4つあるよな…」
「うん…4つ…あるね…」
「僕たちの人数…今…何人だっけ…?」
「えっと…。やだ…。怖い…。数えたくない…」
「桜…。数えるんだ…。僕たち…何人だ…?」
「ええっと…ええっと…」
「桜…。顔を上げて…数えてくれ…」
「ふえぇ…ぐすっ…。え…ええっと…ぐすっ…。ええっと…」
「鳴海くん、3人よ。アタシと、鳴海くんと、桜ちゃん。何か、おかしい?」
「ふえぇぇええええぇぇぇえん…。怖いよぉぉ…ぐすっ…。怖いよ…」
「桜ちゃん…」
「堀田さん、僕たち、ここに何人で来ましたっけ? 本当に3人だけでした?」
「え…? ええ。3人だけじゃなかったかしら…」
「3人に対して、レモネードが4つ。これ、誰のですっけ? 桜が2杯頼んだんでしたっけ?」
「そ…そう言われると…」
「やばい…やばいぞ。僕たち、知らない間に、凄く大切な人たちの事を、まるではじめからそこにいなかったかのように、忘れてしまっているんじゃないのか!?」
「…鳴海くん…? アナタ、それ、本気で言ってるの?」
「堀田さん…。僕のスマホ…。左京山さんからのメッセージ…もう一度読んでください…。ここ…全員の名前が書かれています…。この中で、堀田さんが知らない人の名前を全部教えてください…」
「…えっと…。『ゴブリン』『本星崎』それに…『豊橋』」
「豊橋…。豊橋って誰だ? 豊橋って誰なんだ? クソ! 一体、どうなってるんだ…」
「鳴海くん…あたしたち…どうすれば…。あたし…あたし…気づかない間に、鳴海くんの事を忘れちゃったら…いやだな…。こんなに鳴海くんの事を思っているのに…忘れちゃったら…いやだな…」
「やだ…アタシ…鳥肌が…。アタシ…アタシも、怖くなってきちゃった…。アタシ…誰か、大切な人を忘れてしまったのかしら…。桜ちゃんが鳴海くんに対して抱いているような気持ちを、アタシも誰かに抱いていたのかしら…やだ…。涙が…」
「2人とも、よく聞いてくれ。これは僕の仮説だけど…。この謎のスキルで攻撃をされると、攻撃された人は、ただ死ぬだけじゃない。自分の家族、友人、恋人、その他、大切な人の記憶からも、一切消滅してしまうんだ…。記憶だけじゃない。過去のメッセージや写真とかも全部…まるで、もともと存在しなかったかのように…」
「ねえ鳴海くん、それって…どういうこと…?」
「例えば、僕がこのスキルで殺されたとする。桜は、そもそも僕がいたことすらわからなくなる。一緒に海に行ったり、花火を見に行った記憶からも、すっぽり僕の存在が抜け落ちる事になる。神宮前が12万年後に目を覚ましても…僕の存在は、なかった事になる…。既に…既に、このゴブリンと本星崎と豊橋の3人の存在は、なくなってしまっているんだ!」
「なんて…なんて残酷なスキルなの…。でも…でもどうして? どうして今更、アタシたちにそんな攻撃をする必要があるの…? どうして…」
「やばい…やばい! こうしている間にも、大切な人の存在が記憶ごと消されている可能性がある…。でも、それを確かめる手段がないんだ! 今、ここで、桜が消えても、僕には、消えたことすら、わからないんだ!」
「鳴海くん…」
「…ねえ、鳴海くん、桜ちゃん…。アタシ…アタシ、できるかわからないけれど…。もしかすると、アタシのスキルで、なんとかなるかもしれない」
「堀田さんの…スキルだって? だって、堀田さんは、スキル発現していない筈じゃ…」
「ええ。アタシだけではね。でも…正直に言うわ。アタシは、半分だけ、スキル発現をしている」
「半分だけ…? それって…」
「…隕石落下の津波のあと…皆で衛星を見に、浜辺に行った時の事を覚えている?」
「も…もちろん。だって、あの時に、全てが始まったわけだから…」
「アタシね…本当は、あの時点で既に、スキルを発現していたの」
「あの時点で…って…。あり得ない。だって、寿命が何十年も残っているもの。堀田さんにスキルが発現しているなんて…」
「鳴海くん、よく聞いて。アタシはスキル発現をしている。しているけれど、不完全なの。アタシの呼びかけに応じてくれる人が、アタシのスキルの存在を認識して、そして心から信じる必要があるの。アタシ…アタシ、今までに、何回も何回もその人に呼びかけているのに…気づいてもらえていないの。誰が消えてしまったのか、確実に、全部知っている人が、この場にいるのに、何回も呼びかけているのに、応じてくれないのよ!」
「…一体、何を言っているんだ…? 堀田さんのスキルは…どんなスキルなんだ…? 呼続ちゃんでも鑑定できなかった訳だよな…」
「アタシのスキルはね…。アタシのスキルは………『神に干渉するスキル』」
「………は?」
「ねえ! アナタ! アタシたちの事を、ずっと見ていたんでしょ? 本当は、アタシの声が聞こえているんでしょ!? アタシたちは、もうアナタに頼るしかないの。アタシたちの記憶からは、どんどん大切な人が消えていってしまう。それが誰だったかを知っているのは、唯一、アナタだけなのよ!」
「堀田さん、訳わかんないよ! 誰に向かって話をしているんですか?」
「『神』よ! アタシたちにとって『神』に相当する人よ!」
「だから、神なんて、どこにいるって言うんだ!?」
「いる! ずっと、いるの。最初っから。ずっと私たちと一緒にいる!」
「わからない…。わからないよ! 僕には、堀田さんの言う、神を知覚する事ができない」
「鳴海くん…落ち着いて聞いて。よく考えてみて。おかしいと思わない? 普通、物語小説は、登場人物の『セリフ』と、状況や心情を描写する『地の文』から構成される。なのに…アタシたちを記述している物語は、全部『セリフ』だけなの。『地の文』が一切ないの。なぜだと思う?」
「堀田さん…何を言ってるんだ…? なんで急に物語小説の話が…」
「いいから、聞いて! 考えて! 理解しようとして! …一般的に、小説は、その地の文の視点から『一人称』か『三人称』に分類される…。わかるわね…?」
「う…うん。わかります…」
「じゃあ、アタシたちは!? アタシたちには『地の文』がないの。これは、何人称なの? これは…誰の視点なの?」
「まさか…それが『神』だっていうのか…? 『神』の視点だって…」
「その通りよ」
「あまりにもバカげてる! 一切理解不可能だよ! その『神』というのは、実在する絶対的存在なのか? それとも、比喩的表現なのか? 神様がずっと僕たちの事をみていて、それは『地の文』がない物語小説だって言うのか? こんな時に、ヨースタイン・ゴルデルやミヒャエル・エンデのマネごとをしている場合じゃない!」(ヨースタイン・ゴルデル:『ソフィーの世界』の作者 ミヒャエル・エンデ:『果てしない物語』の作者)
「どっちもよ! どっちでもあるの! トポロジーの次元が違うのよ! 鳴海くん、アナタならわかるでしょ…? 4次元にいる人から3次元は知覚できるけれど、3次元にいる人は4次元を知覚できない」
「まさか…まさか…。ペーパードールトポロジー…」
「よくわかんない。でも、アタシのスキルは違う次元のトポロジーに対して呼びかける事ができるスキルなの。そして…アタシたちよりも高次元の多様体にいる存在…それが『神』よ」
「トポロジーの位相次元を転換するスキル…。2次元多様体の近傍しか見えない僕たちには、3次元多様体は知覚できない。もし、堀田さんのスキルが高次元多様体に対して干渉できるのだとしたら…その時、僕たちの世界のトポロジーの近傍は…文章で書かれた物語だって言うのか…? 高次元多様体の住民は、僕たちを、セリフのみの物語として知覚しているのか…。はは…。確かに『神』に干渉するスキル…。つまり…僕たちを…位相幾何の次元の違うトポロジーの世界から、見下ろしている存在がいる…ってことか。そして…僕たちが物語だとしたら…『神』とは…まさか…」
「ええ…。そうよ、鳴海くん。アナタが考えている通り…」
「…堀田さん、大丈夫ですか…? 誰に向かってお話ししてるんですか…? もしかして、あたしに向かって言ってます…? …鳴海くん…って、誰ですか?」
「誰って…! 誰って…。誰…。ええっと……誰かいたのかしら…。アタシ、興奮して…。桜ちゃんと話してた? でも、桜ちゃんは落ち着いているわね…。アタシ…一体…」
「ねえ、堀田さん。あたし、堀田さんのスキルの事、知ってます。ずっと前から、知ってましたよ」
「……桜ちゃん…?」
「あたし、堀田さんが、ずっと呼びかけていた事も知ってます。堀田さんは、あたしたちがこうなる事を、わかっていたんですか?」
「アナタ…一体、何を言っているの? さ…桜ちゃん…? も、もしかして、桜ちゃんが…桜ちゃんが、スキル攻撃の犯人なの…?」
「えへへ、そう思うんですか?」
「ま…まさか…。本当に?」
「堀田さん、その回答のありかは、あたしと、『神』だけが知っていますよ。だけど…『神』は、まだ、それに気づいていないみたい。だから、諦めずに、呼びかけてください。諦めずに…お願い……あたしも、消えてしまうから…」
「………あら…。アタシ…一体…。ひとりで…こんな所で、なにをしていたのかしら…。そうだ…左京山さんのメッセージの文面…。文面…? 文面なんて、どこにあったのかしら…。思い出せない…。どうして…思い出せないの…。うぅ…。アタシ…何が悲しいんだろう…。なんで、こんなに寂しいんだろう…。アタシ…ひとりだっけ…? ひとりぼっちだったっけ…? 死んでしまったお友達も沢山いるけど…生き残っているのは、アタシだけなんだっけ? ついさっきまで、みんなと何か話していなかったっけ…? じゃないとしたら、ここにあるレモネードは一体、なんなの…? うぅ…。ううぅぅぅぅぅうぅぅぅ…。ぐすっ…ぐすっ…。そうだ…呼びかけなきゃ…。アタシは、まだ、独りじゃない…。アナタがいるもの。アタシは、アタシのスキルで、『神』である、アナタに干渉する事ができる。ねえ…聞こえてるんでしょ? アタシの声が…。知っているんでしょ? アタシに何が起こっているのか…。このレモネードが、誰の物だったのか…。アタシが思い出せない左京山さんのメッセージの内容だって、アタシが思い出せない大切なお友達の事だって、全部、全部、アナタは見ていたんでしょ? なのに…どうして…? どうして…。うぅ…。どうして…どうして応えてくれないのよ! アタシ、こんなに呼びかけているのよ!? この物語の一番最初から…本当に、一番最初の最初から、干渉できる隙間を見つけて、アナタに話しかけてきたのよ!? どうして…どうして…。アナタ…ずっと、アタシたちを見守ってくれていたんじゃなかったの…? アナタは…アタシたちをただの物語の住民だと思って、傍観しているだけのつもりなのね…? この……くっ……この偽善者! 恨んでやる! アンタを生涯、恨んでやる! アンタなんか、役立たずの、物語の行と行の隙間からアタシたちを見て楽しんでいるだけの、隙間の偽善者じゃないのよ! ほら! どうなのよ! 悔しかったら言ってみなさいよ。言って! もう、アタシしか残っていないのよ!? アンタがアタシを、スマホから見ているのか、本から見ているのか知らない。でも、お願いよ! 言って! 心の中じゃだめ! 声に出して、ちゃんとアタシたちに聞こえるように言って! さあ! アタシの記憶から消えてしまった、アタシの大切な仲間だった人たちの名前を! アナタが言ってくれた名前の人だけが、きっと、元に戻るから! アナタには、その力があるんだから…!」