8章:時計じかけのレモネード(第2話)
「あ、ゴブリン、この扉、修理したのか」
「オレが修理した訳じゃないぜ。病院が修理したんだ。オレは別にどっちでもよかったんだけれどね」
「スキル者に侵入を許したわけだからな…。そのままにしておく訳にはいかなかったんだろうな」
「ふむ。防衛省の名誉にかかわる、という事か」
「ゴ、ゴ、ゴ、ゴブリンさん…。お、お、おみ、お見舞いのお土産…」
「わ、悪いなあ、ザキモトさん。お! ゴダイヴァのチョコレートアイスじゃん。センスあるなあ…」
「ゴブリン、悪い…。また冷凍庫の事を忘れちゃったよ…」
「いいのいいの。オレのスキルが役立つ、数少ない場面なんだからさ」
「こんにちは。ゴブくん元気かしら? 調子はどう?」
「あ、リタさんにさっちゃん。嬉しいねえ、オレなんかのために、こうして集まってくれるなんて」
「ゴブリン…。申し訳ないけれど、今日はお見舞いは、ついでだからな…」
「わ…わかってるよ。いいじゃんか。そう思い込んだって」
「まあいいけどさ…」
「ゴブさん、安心してください。鳴海くん以外の全員は、ゴブさんを心からお見舞いしてますから」
「さ…桜に裏切られた…」
「とりあえず、これで全員か…」
「ふん。正直、気乗りはしない。今回ばかりは、単純ではない。つまり、陳腐なトロッコ問題ではない。複数経路の中から最適な線路にトロッコを誘導する必要がある。よりリアルに言えば、俺たち仲間同士による命の選別、命のやりとりをせねばならん。堀田と桜は除くとして、だ」
「もう、僕たちの目的は、敵から逃げることや、倒す事じゃない。生き残る事だ」
「…問題は、誰が生き残るか…という事なのね…」
「堀田よ。より正確には、誰を生き残すか、だ。よし…。では、始めよう。鳴海よ。まずは、対象者4人の正確な寿命を測定しろ」
「…待ってほしい。僕が4人の寿命を、正しく、正確に言う保証は、あるのか?」
「ほう。お前が自らそれを言うとはな。では尋ねよう。お前が俺たちに偽りの寿命を伝えたとして、何かメリットはあるのか?」
「いや…ない。治験を受けられる人数が限られている訳でもないし、嘘を言った所で、崩壊した時点でバレることになるからな」
「であれば、無駄な撹乱はよせ。判断が鈍るだけだ」
「あ…ああ。ごめん」
「鳴海くんのウソつき…」
「…え? 桜…なんでそう思った?」
「だって…。鳴海くんが、自分の寿命についてウソをついたら…。誰かを助けるために、自分を犠牲にしたら…」
「桜…僕がそんな事を…」
「さっちゃん、安心しなよ。ナルルンが、オレたちの為に、自分の命を捧げるような事をする訳がないだろ?」
「なるほどな。鳴海よ、もし、未だにお前が、不必要な責任を抱き続けているのだとしたら、考えが浅はかだと言わざるをえまい」
「…なんでだ?」
「今回の場合、最大人数の寿命を2ヶ月以上にする事が目的だ。自己犠牲をするにせよ、誰かに寿命を分け与える事が前提となる。無駄死にをするくらいなら、寿命をよこせ、という事だ」
「そ…そんなの、わかってるよ」
「そうか。ならよい。はじめよう」
「う…うん。まず、前提として、豊橋が言った通り2ヶ月間の寿命が必要だ。つまり、60日。いまから対象4人の残りの寿命を、日数で呼び上げるから、よく聞いていてくれ」
「や…やだ…。アタシ、心臓がドキドキしてきちゃった…」
「堀田さん…あたしも…。できれば、知りたくないな…。誰が死ぬことになっても、いやだもん」
「まず…豊橋が48日」
「ふむ。割と残っていると見るべきか」
「次に…本星崎が15日」
「じゅ、じゅ、じゅう、15日…。ふふ…。ス、ス、スキルを使いすぎたのね…」
「ゴブリンが64日ある。ゴブリンだけクリアだ」
「オレは、まだスキル発現して間もないからな…」
「そして、僕は…5日だ」
「え…そんな…。鳴海くん、そんなに短いの…? あたし…知らなかった」
「ごめん、桜。自分では知っていたんだけれど…。スキルを使いすぎた」
「鳴海よ。嘘はよせ」
「…は? どうしたんだよ、豊橋。僕が嘘をついても、何もメリットがないって言ったのは、豊橋じゃないか」
「前言撤回だ。浅はかなのは、俺の方だった。お前は、俺たちに嘘をつくために、嘘をつかない保証の話をし、メリットがない事を事前に共通認識にしようとした」
「豊橋くん、どういう事かしら?」
「もし鳴海が5日間しか残っていないとすれば、鳴海は最初から生き残るメンバーの選択肢には入らない。本星崎はもとより、俺が寿命を分け与えたとしても、60日を超えないからだ」
「豊橋、それは間違っている。僕だって、本星崎と豊橋の2人に崩壊フェイズをパスして貰えれば、生き残れる。それにゴブリンだって…」
「その選択肢があり得ない事は、お前が一番よく知っているはずだ。本星崎の少ない寿命を奪ってまで生き残るくらいであれば、自ら命を断つだろう。そして、ゴブリンは2ヶ月以上あるから、そもそも寿命移転の対象外だ。正直にお前の寿命を言え」
「…そうか。…わかった」
「鳴海くん…」
「……僕の残りの寿命は、13日だ。これ以上の偽りはない」
「ふん。なるほどな。俺の寿命を使えば、お前と本星崎のどちらかは生き残れるって訳だ」
「いや、それでも、僕は選択肢には入ってこない。豊橋の48日と僕の13日では、合計しても60日にギリギリだ。僕があと数回スキルを使えば、合計が60日に満たなくなる」
「だとしても、だ。お前が生き残る可能性を吐露した時点で、お前は不用意に自分の寿命を縮めるべきではない。もしそんな事をしようものなら、俺たちの命への冒涜だ」
「……わかった」
「…で、どうなるのかしら? 今の時点で、助かる見込みがないのは?」
「俺だ。俺だけは、どうあがいても寿命を与える側にしかならん。つまり、生き残れるのは、ゴブリンと、鳴海または本星崎だ」
「そんな…豊橋くん…。そんな…アタシ…アタシ…」
「堀田よ。言ったはずだ。死ぬ時は、常に孤独だとな」
「ちょ、ちょっと待ってくれよな、みんな」
「ゴブリン、どうしたんだ?」
「なんか、勝手にオレだけ生き残る前提になってるけどさ、オレ、こんな体なんだぜ? ゴブリンみたいな外見だしさ」
「ゴブリンよ、何が言いたい」
「だから、オレが生き残っても仕方がない、って事だよ。オレ、2ヶ月以上寿命があるんだろ? だったら、誰でも生き残らせる事ができるじゃん。ならさ、オレがナルルンの寿命を延ばして、ドヨバジがザキモトさんの寿命を伸ばせば、めでたしめでたしじゃん」
「ゴブリン、それはそうかもしれないけどさ。でも、どう考えても僕は、やむを得ない理由なしに、生き残れる可能性がある人から寿命を貰う事はできないよ。殺人とほとんど変わらない」
「いや、ナルルン、言いたい事はわかるけどね? でも、オレたち、今まで、さんざん死ぬような目にあってきたし、実際に何人も殺されてきただろ? 生き残るべき人が、生き残るべきだよ!」
「だから、何を以て生き残るべき人と定義するか、を、僕たちはやむを得ない理由なしに判断してはいけないんだよ!」
「こ、こ、こ、この、このままだと、み、みんな譲り合って、じ、自殺しちゃいそうね…」
「本星崎よ、安心しろ。目前にした死の恐怖は、見栄や正義感に勝る。それは、俺も含めて同様だ」
「そ、そ、そう、そういうものなのかな…」
「ね…ねえ、ちょっと待って…。アタシ、まだよく理解できていないんだけれど…その計算、正しいかしら…?」
「堀田よ。何が気になっている」
「ねえ、よく考えてみて? 鳴海くんが数値化できる寿命って、今の寿命でしょ? 本星崎さんが崩壊する15日後には、豊橋くんの寿命も、ゴブくんの寿命も、等しく15日ずつ減っているのよ…。そして、寿命を移転できるのは、崩壊フェイズに入っている時だけ…」
「…しまった…」
「ふむ…。俺たちとしたことが、完全に迂闊だったな」
「ねえ、鳴海くん…堀田さんの考えを入れて計算をしなおすと、どうなるの…?」
「桜…。これは、計算するまでもないんだ」
「どういうこと?」
「計算するまでもなく、今の時点で60日以上寿命のある人間以外は、全員生き残れない。つまり、ゴブリン以外は、生き残る手段がないんだ」
「ふん。正確には、ゴブリンまたは、ゴブリンが寿命を移転した誰か1人、だろう。どうあがいても、生き残れるのは4人中1人という訳だ」
「ま…マジかよ…。そんな…オレ…オレ…」
「悪いが、俺は降りる。誰かを犠牲にしてまで、生き続ける事は苦痛だ」
「僕も降りるよ…。さっき豊橋が言った通りだ。責任放棄だととられても構わない」
「…ねえ、鳴海くん…。あたしに何も相談しないで、勝手に決めないで欲しいな…」
「桜…。だって、桜と僕は…」
「豊橋くん、アタシだって桜ちゃんと同じ気持ちよ。ゴブくんには悪いけれど、この件は、それぞれが勝手に判断していい事じゃない。自分ひとりだけで生きているなんて考えないでくれる?」
「…堀田よ、俺たちに、クジ引きでもしろというのか」
「功利主義者の豊橋くんが、珍しいじゃない。でも、クジ引きもありかもね。ゴブくんや桜ちゃんや本星崎さんには悪いけれど、アタシも納得の行く方法で決めたいの」
「わ、わ、わた、わた、私は…別に…」
「オレだって…オレの人生にそこまで…」
「ふん。鳴海の崩壊まで、あと13日ある。それまで、じっくりと考えることだな。まあ、この手合の判断は、今決めようと、直前に決めようと、大した違いはないものだがな」