6章:失われた夏への扉を求めて(第16話)
「鳴海よ、お前が、メニューに天丼があるにもかかわらず、あえて、お好み焼きを注文するとはな。感傷的になるなとは言わんが、わかり易すぎる」
「いや、未練とかそういう訳じゃないんだ。どちらかというと、追悼だよ。故人の好きなものを食べるのはね。まあ、故人じゃないけど…。というか、そういう豊橋も、メニューに蕎麦があるにも関わらず、ミートソースパスタを注文しているじゃないか」
「ふん。今は蕎麦の気分じゃない」
「鳴海くん、向かいに座ってもいい?」
「桜、別に、わざわざ許可を求めなくても、自由に座ればいいよ」
「あら? 許可を求めた訳じゃないよ? 鳴海くんの、あたしへの興味を確かめたかっただけ」
「屁理屈を言うなよな…。で…桜もお好み焼きかよ…」
「えへへ~、いいでしょ。なんか、神宮ちゃんと一緒に、お外でお好み焼き食べたのを思い出しちゃうね」
「うん、そうだな…。なんだろう。人の好きだったものって、なんとなく…メランコリックというか…名状しがたい感情になるよな…」
「それ、あたしもわかる気がするな。なんでだろうね。その人の笑顔の記憶と結びつくからかな?」
「笑顔か…確かにな」
「桜よ、俺は、そうは思わん」
「豊橋さんは、ひねくれているからでしょ?」
「ほう。そう思うのか。だが違う。人が人を思う時、本当に感傷的になれるのは、笑顔ではない。むしろ、怒り、哀しみといった負の感情の記憶の方だ」
「へえ、豊橋。それはどういう理屈なんだ?」
「ふん。なら、お前たちに問う。カメラを向けられて、写真を撮る時、普段、なにかポーズをとったりするか」
「カメラに写る時のポーズだって? そんなの、ピースサインとかくらいしか思いつかないけど」
「うん。あたしも、ピースサインをするかな~」
「ピースサインか。愚の骨頂と言って差し支えなかろう」
「ピースが…愚の骨頂だって? 説明してもらおうじゃないか」
「説明が必要な時点で、すでに度し難いと言っているのだ。そもそも、お前たちは自分がピースサインをして写っている写真をみて、なんらかの感情がゆさぶられるのか?」
「いや、ピースサインの写真にそこまでの役割を求めちゃいないよ。ただの、仲間との旅の記録だろ?」
「そうだ。記録だ。記録は、ただの記録に過ぎん。記憶には残らん」
「へえ…。じゃあ、豊橋は、記憶に残るのは負の感情を捉えた写真だって言いたいのか?」
「その認識で誤りない。人は、人を無表情では記憶しない。喜怒哀楽が介入しているケースがほとんどだ」
「それはわかるけどさ、なんで、あえて、怒と哀なんだ?」
「ふん。まだわからんか。簡単だ。人は、怒っている人間や哀しんでいる人間には、カメラを向けないからだ」
「カメラを向けない…。そうか…確かに」
「鳴海くん、あたし、よくわかんない。どういうこと?」
「例えば、自分スマホの写真アプリを開いて、今までに撮影した写真を見てみると、わかり易いよ。人物を捉えた写真において、笑顔の写真は沢山あるだろうけれど、怒っている写真や哀しんでいる写真はほとんどない。でも、人が人の感情に共感したり、寄り添うのって、むしろ怒っているときや、哀しんでいる時だと思うんだよね」
「その通りだ。怒られた記憶、あるいは一緒に哀しんだ記憶、そういう負の感情とともに、人の印象は強固なものになっていく。だが、残念なことに、笑顔のみを残し、負の感情を残さない傾向は、幼い子供を捉えた写真ほど強い。人の怒や哀といった負の感情を最も容易に撮影でき、かつ将来的に感傷的になれるのは、幼児期の子供の写真だけにもかかわらず…だ」
「なるほどね、豊橋くん」
「堀田か」
「隣いい?」
「無論だ。…ふむ。お前まで、お好み焼きとはな」
「ふふ…。そういう豊橋くんだって、感傷的になってるでしょ? しかも、神宮前さんの笑顔のことで」
「何が言いたい」
「それ。ミートソースパスタ」
「……堀田よ。お前は、俺が神宮前に、お好み焼きではなく、たっぷりコーンマヨネーズピザを食わせた事を指摘しているのか」
「ふふ。そうだったわね。で、豊橋くんは、お蕎麦のかわりに、ミートソースパスタを食べさせられたのよね、神宮前さんに。国府ちゃんのデートに付き合った時にさ」
「あ、豊橋、そういう理由で蕎麦をやめたのか。なんだよ…自分だって感傷的になってるじゃんか」
「感傷的か? 違うな。追悼だ。いなくなった人間を偲ぶために、いちいち過去を振り返るのは、俺の流儀に反する」
「へえ。そうなのか。じゃあ、僕も、このお好み焼きは、追悼だな」
「あ、あたしもあたしも!」
「ふん。一応言っておくが、神宮前は死んではいない。だが…。そうだな。神宮前のやつ、コーンマヨネーズピザを、うまそうに食っていやがった…」