6章:失われた夏への扉を求めて(第14話)
「へえ…おじさん、防衛省の中に、こんな研究施設があるんですね…」
「1111番よ。お前のような将来有望な子供を、科学は常に、その大いなる抱擁でもって歓迎するだろう。だが、全てがそうではない、という事も、そろそろ知っておいて悪くない年齢だ」
「それってつまり、この施設の事にあまり興味を持ちすぎるな、って事ですか?」
「いいぞ、1111番。こっちから禁止しなくとも、自ら戒めてくれる人材を俺たちは歓迎する。無駄なMOUを書く手間が省けるからな」(MOU:覚書、合意書)
「おじさん、ぼくは未成年ですから、どのみち法的拘束力はないんじゃないですか?」
「俺は拘束力を法律には求めない。法律とは、大人がケンカで殴り合う時に、拳の代わりに使う武器であって、お前のようなガキに対して行使するものじゃない。ガキを拘束するのは『お仕置き』ただ1つだ」
「そ、そうですか…。気をつけます」
「素直である事は、時として他人になめられるが、最も有用な人間力の1つだ」
「覚えておきます…」
「ようし、この部屋だ。入れ」
「お邪魔しま…す。急に殺風景な部屋ですね」
「殺風景であることは重要じゃない。この施設や研究内容の存在を、近隣国家に察知されない事の方が重要だ。まだ政府は、諸外国からの抗議に対する明確な回答をしていないからな」
「そうなんですね…。つまり、ぼくのスキルで創薬が実現するかどうか、を判断する事が、最優先事項という事ですか?」
「その通りだ1111番よ。この国において、現在最も政府から期待されているのは、お前のスキルだ。それを忘れるな」
「…わかりました。お役に立てるなら…」
「いいだろう。そこの椅子に座れ」
「はい…」
「よし、これを見ろ。これがなんだか分かるか?」
「トゲトゲが沢山ついた…基盤…ですか?」
「古典的コンピュータのCPUだ。かなり古いやつだ。製造プロセスが0.35μmもありやがる。233MHzとかくらいで動いていたやつだ。20世紀の遺産だな」
「つまり…こなれた技術のCPUってことですね」
「心理的な防衛機制の働きに則り極限までプラス思考して回答すれば、その通りだ」
「そのCPUで、なにをするつもりなんですか…?」
「シンプルに言う。こいつを量子コンピュータのCPUに変える」
「古典的コンピュータのCPUを…ですか?」
「お前のスキルなら、常温で量子ビットを実現できるんだろう? であれば、こなれた既存技術に応用した方が、開発時間を短くできるってもんだ」
「もしかして、汎用の量子コンピュータを作ろうとしているんですか? それは、まだ無理じゃないでしょうか…」
「そうじゃない。俺たちがやろうとしているのは創薬だ。巡回セールスマン問題さえ解ければ用は為す」(巡回セールスマン問題:組み合わせ問題のひとつ。複数の取引先に、複数の経路でセールスマンが巡回する場合、そのパターンは膨大な組み合わせとなり古典的コンピュータでは現実的な時間内で計算ができないと言われている)
「古典的コンピュータのパーツを使って、アニーリング用の量子コンピュータを作る、という訳ですね。確かに、製造プロセスの大きい古いCPUなら、トランジスタひとつひとつを量子ビットにしやすいかもしれません…トランジスタ数も充分ですし。でも、量子ビットを多くしても、誤り訂正の技術を向上させないと、あまり意味がないんじゃないでしょうか?」
「もちろんだ。誤り訂正の技術は別部隊が開発中だが…。俺がお前のスキルに期待しているのは、そこも含めてだ」
「それは…どういう事でしょうか?」
「仕様を言ってやる。まず、お前のスキルで10,000量子ビットの量子コンピュータを目指す。これは常温で動作する。そして、お前のスキルでもって誤り訂正まで補完できてしまう事が望ましい。これには、お前の『観測』の精度を極限まで向上させる必要がある。その精度次第では、恐ろしい量子超越性を発揮するだろう」(量子超越性:量子コンピュータにおいて、あらゆる古典的コンピュータで現実的な時間内に計算できない問題を、解決できるレベルにある事)
「つまり…ぼくのスキルの『観測』によって、最適解のパターンを一瞬にして算出できるようにする…という事ですか」
「俺は…いや、防衛省は…違うな…この世界だ。この世界は、お前に、それを期待している」
「それは…どうでしょう。訓練でなんとかなるものなんでしょうか…。ぼくよりも観測精度の高い、量子力学操作のスキル者の登場を待った方が、いいかもしれませんよ」
「なるほど、待ってもいいが、待つことと、お前を使って量子コンピューティングを進める事は、並行して問題ない」
「…確かに、そうですね。でも、ぼくがその精度を出せるようになるまでに、多くのスキル者を犠牲にする事になりませんか…?」
「1111番よ。お前が気にする事ではない…。これも陳腐なトロッコ問題だ。スキル者100人を費やしたとして、その結果100万人を救えるのであれば、後者の方が尊い」
「…わかりました」
「よし。オリエンはここまでだ。じゃあ、早速始めるぞ。まずは、お前が量子ビットを1つ作り、それを常温動作させるのに、どのくらい寿命を消費するか…だ。1162番には劣るが、防衛省にも数値化のスキル者はいるからな」
「ぼく…いつごろ、家に帰れますか?」
「おいおい、始めた途端にホームシックか? 先が思いやられるぞ」
「いえ…。呼続さんや鳴海さん、桜さんや、その他のみんなに、何も挨拶をせずに、ここに来てしまったので…」
「ははは。同情はしよう。だが、国家存亡の行方がお前の双肩にかかっている限り、外には出せん。お前が次に仲間と再会できるのは、量子コンピュータでの創薬可能性の結論が出た時だ」
「そうですか…。長くなりそうですね…。みんな、3ヶ月も寿命が残っていないのに…。またみんなに、会えるといいな…」