6章:失われた夏への扉を求めて(第9話)
「どこ、ど、どこ、どこに出現したの? お、お、おね、お姉ちゃんは、どこに…」
「本星崎さん、慌てなくても大丈夫です。えっと…部屋の中だといいんだけれど…」
「上小田井くん、あそこだ。玄関のスペース…。魔法使いのコスプレのまま、倒れているよ」
「鳴海さん、ありがとうございます。…イベント会場で、随分と苦しんでいたみたいでしたから、なんともなければいいんですけれど…」
「とりあえず今は意識を失っているみたいだから、ベッドに運ぼう。豊橋、手伝ってくれ」
「…いいだろう。俺は足の方を持つ」
「わかった。じゃあ僕は上半身を持って支える。よっと…」
「鳴海くん、豊橋くん、ベッドはこっちよ。ここにおろしてあげてくれる? あ、魔法使いの帽子はアタシが預かるわね」
「お、お、おね、お姉ちゃん…。お姉ちゃん…。ぐすっ…ぐすっ…うえぇええん…」
「…よし。これでいいだろう。目を覚ますまで、待つとしよう…」
「…鳴海よ。お前の事だ。今、起きている状況に察しがついているに違いあるまい」
「察しか…。さすがに、ヒントが少なすぎるよ…と言いたいところだけれど、正直、思い当たるところはある。言わないけれどね。ただ、僕は既に豊橋の寿命を確認した、という事は伝えておこうと思う」
「そうか。それで充分だろう」
「僕の仮説が事実だとしたら、残酷だ」
「残酷か…。ふん。俺は冷徹なだけだ。そして、俺は心身二元論者ではない。だが…功利主義者ではあるかもしれんな」
「冷徹な功利主義者…か。この女の人が目を覚ました時に、幸福になるのは、果たして誰だろうな」
「あ…お、お、おね、お姉ちゃん! よ、よ、よかった…よかったよお…。うわああああああん!」
「無事に目を覚ましたみたいね。アタシも安心しちゃったわ…」
「お、おね、お姉ちゃん! わ、わ、私だよ…。わ、わかる? わ、私だよ?」
「あ…本星崎お姉ちゃん…。それに、堀田お姉ちゃんも…。わたし…一体どうしちゃったんだろう…。ここは…? 上小田井くんは…?」
「な…! な、な、なに、何を言っているの…? お、おね、お姉ちゃん、私だよ? あ、あな、あなたの妹…」
「本星崎お姉ちゃん…わたし、本星崎お姉ちゃんのお姉さんじゃないよ…?」
「お…おね、お姉ちゃん…。う…うぅ…。ど、どう、どうしちゃったのよぉ…。せ、せ、せっかく、さい、さ、再会できたと思ったのに…。き、きお、記憶を失ってしまったの…?」
「本星崎お姉ちゃん…だから、わたし…あなたのお姉さんじゃないよぉおおおおぉぉぉ…」
「豊橋くん…。これって、どういう事なのかしら? 本星崎のお姉さんだと思っていたのは、勘違いだったの?」
「ふむ。堀田よ。本人に手鏡を貸してやれ」
「手鏡…? え、ええ…」
「おい。手鏡を受け取ったら、お前は自分の顔を確認するんだ。先に言っておくが、大きな声は出すな。俺たちはこれからも、あらゆる想定外の事態を受け入れて行かねばならんのだからな」
「じ、自分の顔を…? う、うん…。…え? ええ? ええっと…。なに…これ? これ…誰? やだ…。やだよ…。怖いよ…怖いよぉ…。どうなっちゃったの…わたし、夢を見ている…のかな?」
「なるほど、夢か。…夢なら良かったと、この場にいる誰もが、もう何回も思ってきている。残念だが、夢だった事は一度もない。それを理解したなら、お前は、お前が認識している自分の名前を、ここにいる全員の前で言え」
「わ…わたし…くすん、くすん…。わた、わたし…。わたし、呼続だよ…! 呼続だよ…うぅ…うえぇええぇええええん」
「…豊橋、やっぱり、そういう事だったのか…」
「へっ。俺も理解した。また厄介なスキルが出てきたもんだぜ…」
「豊橋くん、鳴海くん、アタシ、まだ状況がつかめてない。今、何が起こっているの?」
「ふん。堀田だけじゃない。本星崎も、まだ理解ができていない顔だな。いいだろう、説明してやる。だが、それにはまず、俺のスキルについて話さねばなるまい」
「豊橋くんのスキル…? 豊橋くんには、スキルがあるの? アタシ、知らなかった。いつの間に発現したの? なんで教えてくれなかったの?」
「あえて誰にも言わなかった。呼続が同人イベントの会場で、ウソをつく可能性を考慮してな」
「そうか…。豊橋、そういう理由だったのか。呼続が本当に、会場内のスキル者の鑑定をしたのであれば、豊橋にスキルが発現している事に気づいた筈なんだ」
「結局、呼続は鑑定をしていなかった、つまりウソをついていた訳だが、その話はもう終わったことだ。問題は、俺のスキルの内容だ」
「と、と、とよ、豊橋くんのスキルの内容…。そ、それ、それって、もしかして…」
「ほう。本星崎よ、気づいたか」
「し、しん、信じたくない…。で、でも、わ、私が考えている通りだとしたら…わ、わた、私のお姉ちゃんは…も、もう、死んでる…。うぅ…そ、そん、そんな…。な、なに、何もお話ができなかった…」
「理解したようだから言ってやる。そうだ。俺のスキルは『任意の2者間において、記憶を入れ替える事ができる』だ。つまり、俺は、本星崎の姉と、崩壊フェイズ真っ只中で目隠しのガキに蒸発させられた呼続とを、入れ替えた。そういう事だ」
「と、豊橋くん…。そ、それって、つまり…この本星崎さんのお姉さんは、体はお姉さんだけれど…中身は、呼続ちゃんって事?」
「堀田よ。その認識で正しい。もっとも、俺のスキルは記憶を入れ替えるだけだ。この中には人格なども含まれるだろうが、物理的には本星崎の姉として連続性を保っている。だから、目の前の女が本当に呼続かは断定できん。より正確な言い方をすると『自分が呼続だと勘違いしているだけの、本星崎の姉』かもしれん。ただ言えるのは、本人は、自分自身を呼続だと認識している、という事だ」
「豊橋さん…。ぼく、豊橋さんが言っていた意味がわかりました。外見でその人を判断するのか、中身で判断するのか…。呼続さんの場合は、常滑さんとは逆の状態なんですね…。でも、ぼく…わかんなくなっちゃいました。ぼく…呼続さんが生きていたみたいで嬉しいですけど…複雑な気分です」
「上小田井くん…わたし、呼続なんだよ…。信じて…。わたし、呼続なの…」
「うん。うん。そうだね、ぼく、呼続さんの姿が変わってしまっても、今まで通り、友達だよ」
「うん…ありがとう。ありがとうね、上小田井くん」
「わ、わた、私、わかんない。私、と、とよ、豊橋くんを恨んでいいのか、わかんない…。だ、だ、だって、よ、呼続ちゃんは助かったんだもの…。わ、わた、私にとって、お、おね、お姉ちゃんも、よ、よび、呼続ちゃんも大事なんだもん…。ど、どち、どち、どちらか1人だけを選ぶなんて…でき、でき、できない…」
「本星崎さん…。アタシ、あなたの気持ちがよく分かる気がする…。こっちへいらっしゃい。抱きしめてあげるわ…。桜ちゃんみたいな包容力はないけど…ね」
「ほ、ほり、堀田さん…。うぅ…。うぅぅうううぅぅぅぅぅあああああああ…」
「豊橋…。本星崎のお姉さん…いや、呼続ちゃんが、急に嘔吐をしてしまったのは、豊橋のスキルの影響なのか?」
「恐らくな。まあ、当然だろう。記憶の持ち主にとっては、急激に操作すべき身体が変化したのだからな。物理的な器が入れ替わる事による拒絶反応…というよりも、むしろ適用反応が原因だろう。体に慣れるまではある程度の時間を要する」