八月 ①
八月二十二日
連日猛暑が続き、夕方になっても気温が三十度を超えていた。
今夜も熱帯夜になるだろう。
扇駅前のコンビニのバックヤードから声がする。
「橘田さん、 橘田さん。まだいる?」
橘田栄子はバイトが終わりちょうど帰る矢先だった。
「はい、なんですか?店長」
「橘田さん、ごめんなさい。悪いけど これ真辺君に持っていってもらえる?深夜明けの朝、渡したはずなのに…まだ、あるのよね」と渡されたのは真辺の財布だった。
「え~、次来る時でいいじゃないですか?」
「でも、もう一週間以上お財布置いていってるのよ。だから、彼女に お願いしようと思って」
「スマホあれば大丈夫かと…あ、それじゃ、店長シフトについてお願いしたいことが」
「あら、何?どんな要件?」
「私、真辺君と別れようと思っているので、シフト被らないようにお願いできますか?」
「え、嘘?本当に?」
「はい、終わりにしようかと。…なので、バイトが被ると嫌なので、お願いします」
財布を受け取り帰りながら橘田は、言葉を追加した。
「店長、私 就職先が決まりそうですし、卒業ですから今さらバイト変えられないのでよろしくお願いいたします」と頭を下げバイト先を出ていった。
「…困ったわね」
橘田は、駅前から、県道を渡り、細い路地を通っていた。
「ここを通るのも、今日で最後ね」心の声が出ていた。
アパートが近づいて来ると橘田は変な違和感がした。
「え?なに、これ?…寒い」
アパートへ着くと より一層違和感が増した。
人の気配が無く、雑音までしないのだった。
部屋への鉄階段を一段ずつ ゆっくり上って行く。
二階の渡り通路に出たとき、一番奥に背を向け駐車場方向を見ている少女がいるのに気付いた。
橘田は子供とはいえ、人が居るのに少し安堵した。
真辺の部屋は、二階の二〇二号室だ。
橘田は部屋の前に着くと、深呼吸をしてからノックをした。
コンコン「輝雄君。私です」
再びノックしようとした時、ドアがと開いた。
ドアの隙間から見えた真辺は生気が無く淀んでいた。
「大丈夫?これ、店長が忘れて物持っていってくれって」と財布を見せた。
「真辺君、少し時間ある?話できるかなぁ?」
すると扉が閉まり少しして、宅配サービスの保温バックを背負った真辺が出てきた。
「…ごめん、仕事入った?」
真辺は、首を横に小さく振ると、アパートの階段を降りてアパート横の駐車場側から通りの方へと歩いて行った。それに、橘田も着いて行った。
橘田は、違和感あるアパートの方へ目をむけると、二階の渡り通路から こちらを見る少女と目が合ってしまった。
「ひっ」と怯え、慌てて目線をそらす橘田であった。
アパートから十分ほど歩くと河川敷にでる。二人は土手の上から橋梁方向へと歩いていた。
橘田は相変わらず違和感を全身で感じ取っていた。土手の上からだから余計に分かるのだろう。二人を中心に人の気配が無いように感じていた。離れた場所に人は見えるのだが、まるで別の空間にいるようで、音なども聞こえない。汗は出てるのに。暑さを感じないで、むしろ寒さを感じているのであった。
橋梁に来たとき、橘田は沈黙や この空間に堪えきれなくなり真辺に声をかけた。
「なんか、周り変じゃない。それとも、私が変なのかな?これから話すことで緊張してるのかな? ねぇ…真辺君気づいてたよね。何となく雰囲気出してたし、でもね。別れようと思ったの最近なんだよ。嫌いになったわけじゃないよ。…んとね。私、卒業したら実家の方で就職しよう思っているの、お盆休みに実家へ帰った時、兄から仕事を紹介してもらえそうなんだ。…だからね。卒業間際でサヨナラは嫌だから、今のうちがいいなかって、まだ、お互いバイトもあるでしょう?気まずいのは嫌だから、友達に戻ろうって」と歩きながら話していると、川の真上にさしかかった、そこに見覚えのある自転車が目に入ってきた。
それを横目に通り過ぎた後、「あれ?これって真辺君の自転車だよね」と自転車のあるほうに振り向いた。
すると、今 橋梁の上から川に身を投げる真辺の姿があった。
「きゃぁぁぁぁぁ」との悲鳴と共に、橘田の周辺に橋梁を渡る自動車が溢れ、人の気配、音、暑さが戻ってきたのであった。




