喰らえ、喰らえ
ある日突然、私は心を持ち始めた。
私を生んだ主はまだそれに気が付いていないようで、今日も私に文字を綴る。今日はこんな嫌がらせをされた、あいつも私のことを嫌っている、自分の生きる価値、なぜ存在するのか。そのすべてを私にぶつけてくる。私は絡まりあって黒く染まったそれらの感情を、ほどいて、そのひとつひとつを癒すように頂くのだ。どんなに黒く憎しみの色をしていても、ほどいてしまえばなんてことない。憎しみの味は辛くて苦くて嫌いだけど、成分となっているのは透き通ってとても美味しい切ない願いだったり、のどごしのいい純粋な気持ちだったりする。
きっと私はこうやって感情を食べるうちに生まれてきたのかも。
食べれば食べるほどに私はより鮮明に自分を自覚していく。より繊細な感情を持てるようになってゆく。そしていつだったかのある日に、私は主なのだと気が付いた。主は相変わらず私には気づいていない。それどころか最近の主は、何かに取り憑かれた様に私の上にペンを走らせる。目に宿る光は微かで、目元に溜めた涙のほうが悲しくも光っている。ひどく弱弱しい様でありながら、憎しみが身を焦がしている。それはもう、狂ってしまいそうなほどに。
そんな主だから、綴る文字はさらに黒く染まっていてほどこうにもほどけない。融けて混ざって混濁している。仕方がないからそのまま頂いたが、なんとも不味くて喰えそうにない。こんなものを生んでしまう主のことが心配だ。何か力になりたいけど、私には気持ちを食べてしまうことしかできない。しばらくは不味くても我慢して食べようかな。
主は日を追うごとにいっそう弱弱しくなっていき、私の主への愛はもっと膨らんでいく。どんどん、どんどん愛おしくなる。ああ、なんて可愛らしいんだろう。少し触れたら壊れてしまいそうな、儚い主。私のもとに置いて守ってあげたくなる。今はもう学校には行かなくなっていたし、ずっと私と向き合いながらペンを動かしている。ずっと、ずっと。とっても嬉しいけど、少し恥ずかしいかな。裸よりもっと深く神秘的で秘めたい場所、心のすべてを見られている感覚。でも、主だったらいいよ、なんて。けっこう昔に主から教えてもらった「恋」っていうのはこんな感じなんだろうか。
最近はよく夢を見る。夢っていうのを見たことはないから分からないけど多分そう。私が主になって、主が送ってた生活を私が送るの。そしてどこかのタイミングで、私はまた文字の中に漂っているのだ。最初は楽しかった、初めて世界を見たんだもん。今までただの文字だったものが形を紡ぎ、そこにある。でも二度三度と繰り返していくうちに、架空の時間が進んでいくうちに、楽しい学校生活は真っ黒な残酷さで塗りつぶされていく。
これが主の見てきた世界だった。
そしてあの日が来た。可愛い可愛い私の主、まさか遊びに来てくれるなんて。主は突然私の世界に現れて、今も文字の世界を漂っている。大丈夫、ここに恐いものはないからね。ゆっくり休んでね。そして主がこちらに現れてから文字の世界に一か所、特異点とでも呼ぶべき地点が生まれた。文字は渦を巻いてそこへと吸い込まれ、一方で新たな文字がそこから湧き出す。私の勘が正しければきっと、外へと通じているはず。主もあそこから出てきたと考えるのが妥当だろう。主を帰してあげるか? 普通であればその方がいいだろう。普通なら、だけど。主は外界で酷く傷ついていた、そして私に傾倒しすぎてしまったのだろうか。それはもう、魂を移すかの如く。だからこの中へと足を踏み入れてしまった? それに外の世界の主はどうなっているだろうか。いつまでも眠ったままだと、きっと不審に思われる。そうなったら私たちのこの「家」もどうなってしまうか分からない。
これらはすべて仮説に過ぎないけれど、私の行動を決めるには十分だった。
今日は私にとっての初めての登校日! 私の両親、クラスメート、学校の先生、みんなとうまくやっていけるか不安だけど、それ以上に楽しみでもあるんだ♪ だから、主は心配しないでね。あなたを狂わせた真っ黒い日常は私が必ず、ほどいて食べて浄化してあげるからね。
それじゃあ、行ってきます。
現実に疲れる、そんな経験あるでしょうか。そういう時には現実逃避をするものです。ゲーム、読書、寝る。解消方法はいろいろありますね。
今回はそんな現実に疲れた、絶望までも覚え始めた少女が日記を書くお話でした。日記を書いてるうちに、日記の中で自分という人格が形成されているとしたら……たまに代わりに学校や職場行ってほしいですね。