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恋人の基準値  作者: みゆ
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花火[第一話]

高瀬視点のお話です。

「苗字で呼ばれるの、嫌だな。」


 電話のから山口さんの声が聞こえる。


「みんな私の事“沙和”って呼んでるんだし、高瀬君も沙和でいいよ。」


「え…。」


「苗字って何か他人行儀でしょ。その…私達付き合ってるんだから、高瀬君にも名前で呼んでほしいな。」


「じゃあ…沙和…ちゃん?」


「“ちゃん”いらない。呼び捨てで。」


「そう言うけど…、じゃあ山口さんは俺の事“祥太”って呼べる?」


「“山口さん”じゃなくて“沙和”だってば!…いいよ。私も名前で呼ぶ。えっと…祥太君。」


「“君”はいらないよ。」


「無理!だって恥ずかしいもん。だから“祥太君”でいいでしょ?決まりね!私は“祥太君”。えっと…祥太君は“沙和”って呼ぶの。今日からだよ。」


 付き合い初めて数ヶ月。最近の彼女は少しだけ我が儘だ。でもそれは“連絡ないと寂しいから、もう少しだけメール増やして”といった様な、可愛い我が儘なのだけれど。

 でも今回は流石に困った。今まで苗字で呼んでた人をいきなり名前――しかも呼び捨てにするなんて、俺だって恥ずかしい。それでも言う事を聞いてしまうのは、やっぱり彼女を好きだからなのだろう。


「じゃあ、たか…じゃなくて、祥太君、花火大会の事忘れないでね。」


「分かった。」


「でも…試合に勝ったら来れないんだよね…。あ、勿論勝ってほしいよ!勝って甲子園に行ってほしい。うちの学校はすぐに負けちゃったみたいだけど、付属は凄く強いもんね。だから絶対甲子園行けるよ!」


 本当は一緒に行きたいと思っているだろうに、それを隠して俺の事を応援してくれる。そういう所、中学の頃から変わってない。


「…あ、そろそろ寝ないといけないよね。明日も朝から練習だもんね。」


「まあ…。」


「じゃあ…祥太君、また電話するね。おやすみ。」


「おやすみ。」


 恥ずかしがる様に名前を呼んだ彼女の声を耳に残しながら、俺は電話を切って携帯電話を閉じた。

 名前で呼ばれるのもいいかもしれない。何か特別な感じがして。家族以外の人から名前で呼ばれる事がほとんどない俺にしてみたら、それは尚更だ。何となくだけど、彼女の気持ちが分かった様な気がした。…次に連絡した時には、彼女を“沙和”と呼ばなきゃな。

 それにしても、花火大会か…。彼女は一緒に行きたそうにしていたけど、俺にしてみたら複雑だ。

 勿論行きたいという気持ちはある。最近は野球部の練習や試合やらで、彼女と会うどころか連絡すら少なくなっているし…。でもその日は甲子園大会の真っ只中。まだ一年だし、レギュラーにもなれていないけど、行けるならばどんなかたちでもいいから行きたい。その為に野球が強い付属に入ったんだ。好きな子と離れてまで…。


「あれ、高瀬?こんな所で何やってるんだ?」

 後ろから名前を呼ばれ、俺は声のした方に振り向いた。そこにいたのは野球部の一つ上の先輩。誰にも見られたくなかったから、こんな廊下の隅にいたのに。先輩こそここで何やってるんだ。

「あ、もしかして彼女と電話か?そうだよな、部屋じゃできねえもんな。」

「はあ…。」

「相部屋は大変だな。」

 先輩の言った通りだ。部屋じゃ電話できなかったから、俺は廊下に出て来たのだ。

 寮に入っている俺の部屋は、同じ学年の奴と一緒に使っている相部屋。そんな場所で電話をしたら、嫌でもそいつに会話を聞かれてしまう。そんなのどう考えても耐えられない。

「彼女…沙和ちゃんだっけ?可愛いもんな。そりゃあ心配で電話もする訳だわ。でも明日も朝から練習なんだから、早く寝ろよ。」

 先輩だって起きてるくせに…とは、絶対に言えなかった。入部してまだ数ヶ月の俺にしてみたら、先輩の存在は絶対だ。そんな人に口答えなんて出来る筈がない。

「はい。おやすみなさい。」

 そう言って頭を下げると、俺は駆け足で部屋に向かった。






 その夏の県大会準決勝。相手はうちの高校と同じで甲子園への出場経験がある、強豪の南ヶ丘高校。

 その日はやたらと暑かった。そして連日の試合と練習の所為でみんな疲れていた。でもそれは相手だって同じ筈だ。だから絶対に負ける訳がない。

 それに今日のスタメンピッチャーは、エースの平野先輩。今まで何人もの選手から三振を撃ち取った、凄い球の持ち主なのだから。

 試合は序盤、付属優勢で進んだ。平野先輩のピッチングは勿論の事、他の先輩の勢いも凄くて、俺達の高校はあっという間に二点を先制した。

 この調子なら絶対勝てる。そして次の決勝も勝って、きっと甲子園に行けるんだ…!誰もがそう信じていた。

 でも終盤、平野先輩に疲れが見えてきた。炎天下の中でずっと投げっぱなしだったから無理もないかもしれないけれど、連続してフォアボールを取られる様になった。

 監督は悩んだ末、控えの西村先輩をマウンドに上げた。でも西村先輩の調子はあまり良くなくて、最終回表、ランナー二、三塁という場面で、相手のバッターにホームランを打たれてしまった。その裏、付属は点を取る事が出来ず…。

 結局二対三という結果で、付属の決勝進出は成らなかった――。









 県大会が終わった野球部の夏休みの練習は、自由参加となった。最初の頃はほとんど全員練習に参加していたけれど、お盆が近づくにつれて実家に帰る人も増え、練習参加者も少なくなって来たので、俺もみんなに便乗して数日間練習を休み、実家に帰る事にした。


 今日は以前彼女が言っていた花火大会の当日。昨夜の電話で彼女は

「みんなと待ち合わせする前に、二人だけで遊ぼう。」

と、楽しそうに言っていた。

 でも俺は迷っていた。テレビの前で考え込んだ。

 彼女の言う事を聞いてあげたい、その気持ちは勿論ある。でも今日は、甲子園に行った南ヶ丘の試合の日だ。一体南ヶ丘がどんな試合をするのか、どうしてもリアルタイムで見たい。

 悩んだ末、俺は携帯電話を手にして通話ボタンを押した。電話の相手は勿論彼女だ。承諾してくれるかは分からないけれど、とりあえず頼むだけ頼んでみる事にした。



「あ、沙和?悪いんだけど…俺の家に来てもらってもいい?途中まで迎えに行くから…。」




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