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恋人の基準値  作者: みゆ
3/7

恋人の基準値[後編]

 停留所一つ分の距離なら迷わないよねと、私達は付属の停留所からそのまま道に沿って、次の停留所を目指した。そして次の停留所に着く手前の交差点に“市営グラウンド”という看板を見つけ、その案内に従ってわき道へと進んだ。

 そこから少し歩いた場所に大きな駐車場を発見して、敷地内に入り辺りを見回すと、脇にある駐輪場に自転車が沢山停まっているのが目に入った。

 ここで…いいのかな?

 明日香と私は顔を見合わせて、そのまま土が固められた通路へと入った。

 外からも見えた高い塀で囲われた場所。あれがきっと野球グラウンドなんだろう。そこに近付くにつれて治まっていた緊張がぶり返してきて、そして不思議と歩く速度が速くなる。――あの場所に、高瀬君はいるのだろうか…。早く確認したい。

 暫く歩くと、前方にフェンスが張られた場所を発見した。あそこからなら、きっと中の様子が伺える。半ば小走りにフェンスに近付き中を覗こうとした時

「沙和、見て。」

と、明日香が私の腕を引っ張った。それに促されて明日香の見ている方向に目を向けると、私達が居る場所より少し離れた所から、野球のユニフォームを着た男子が数人出て来た。

 彼らは何やら楽しそうに笑いながら、近くにある水飲み場へと向かった。そしてその後を追いかける様に、続々とユニフォーム姿の男子が歩いて行く。短い髪がいかにも高校球児らしい。あの中に高瀬君はいるのだろうか…。

 私と明日香はフェンスの前から離れることなく、少し離れた場所にいるその団体をじっと見つめた。水道に群がる人の中に高瀬君らしき姿は見当たらない。あれって本当に付属の野球部なのかな…。

「もう少し近くに行ってみようか。」

 明日香の言葉に

「うん。」

と頷き、私達は並んでいる木の陰に隠れながら、少しずつ足を進めた。そして彼らから五メートル位離れた場所まで近づくと、私は心臓をどくんっと跳ね上がらせて、そこで足を止めた。

 水道に向かう男子の胸元に“付属”の文字。間違えてなかった。ここが高瀬君のメールに書いてあった市営グラウンドだったんだ。高瀬君はここにいるんだ…!

「良かったじゃん沙和!やっぱりここだったんだよ。」

 明日香も同じ様に“付属”の文字を見つけたらしく、私の隣で嬉しそうにはしゃいでいる。

「でも高瀬君いないね。」

「うん…。みんな出て来てるって事は、練習終わったのかな…?」

「違うんじゃない?だって手ぶらだし。終わったのなら荷物とか持ってる筈でしょ。」

「そっか…。そうだね。じゃあ休み時間かな…。」

 練習が終わった訳ではないのなら、高瀬君がここ来る確率は百パーセントではない。もしかしたら球場の中で休んでいる可能性もある。ここで待つかさっきいたフェンスの前に戻るか、一体どっちにすればいいのだろう…。

「沙和!」

 後ろを振り返っていた私の腕を、明日香が再びぎゅっと掴んだ。びっくりして前に向き直り

「何?どうしたの…」

と途中まで言い掛けた時、明日香が私の言葉を遮り

「ねえちょっと!あれ、高瀬君だよね?!」

と、私にぴったりとくっついて興奮ぎみに言った。

「え…?!」

 どこ…?!

 心臓をドキドキさせながら、明日香の視線を慌てて辿る。

 明日香が見ているのは水飲み場ではなく、球場の出入り口付近。さっきに比べて随分と人通りが少なくなった場所。

 そこには汚れたユニフォームを着た数人の男子の姿があった。その中の一人――あれは間違いなく高瀬君だ…!

 最後に会ってからまだ一ヶ月ちょっとしか経っていないのに、まるで物凄く久しぶりに会ったみたいに思えた。嬉しくて切なくて、心臓が掴まれた様にぎゅっとなって、声が出せなかった。あの時よりも少し背が伸びた?帽子かぶってて良くは見えないけど、髪の毛短くなったよね…?


「高瀬君!」

 隣にいた明日香が、いきなり大きな声で高瀬君の名前を呼んだ。

「え…?!ちょっと、明日香!」

 突然の明日香の行動に慌てふためき、明日香の腕をぎゅっと掴み返す。

 自分の名前を聞いた高瀬君が、ゆっくりとこちらに視線を向けた。最初訝しげにしていたその目が、私達の姿を見つけた途端、大きく見開かれる。

「あ……。」

 私達に、気付いたんだ…。それは分かったけれど、私は何も言えなかった。色々な思いが頭の中を廻って、何を言っていいか分からない。

 高瀬君は一緒にいた男子にぺこりと頭を下げると、私達の近くに駆け寄って来た。そして私達の前で止まり私を見ると

「連絡、してくれればよかったのに…。」

と言った。

「う…うん。ごめんね。突然来て。」

 暑くもないのに、汗が滲んだ。緊張している所為だろうか…。


 高瀬君に最後にメールを送ったあの日、本当は彼に今日ここに来る事を伝えたかった。でもどうしても出来なかった。

 だって怖かったから。拒否されたらどうしようって思ったから。それと同時に、びっくりさせたいっていう気持ちもあった。私達が突然来たら、もしかして高瀬君、喜んでくれるんじゃないかって。

 今の彼の表情からは、その気持ちを知る事は出来ない。

 …ねえ、今、何を考えてるの?迷惑だって思ってる?それとも…。


「おい、高瀬ー!」

 遠くから、高瀬君を呼ぶ声が聞こえた。ううん、実際はそんなに遠い距離ではないんだけど、私には遠くからの声に聞こえた。

 高瀬君がその声に反応して後ろを振り返る。それと同時に、私も高瀬君を呼んだ男子に視線を向けた。

 未だに出入り口付近にいるその数人の男子は、私達の方をちらちら見てこそこそと話していた。そのうちの一人が笑いながらこちらに顔を向け、そして

「高瀬の彼女ー?」

と、大きな声で訊いた。

 そんな事、どうしてそんな大きな声で訊くの?!周りにいる人にも聞こえちゃうよ!…でも、高瀬君は何て答えるんだろう。その答えが知りたい…。

 その後の高瀬君の言葉を聞いて、私の体は動かなくなった。そして一瞬、何にも考えられなくなった。

 高瀬君は恥ずかしそうに、でもはっきりとした声で彼に向かって言った。

「やめてください!そんなんじゃ…ないっす。」



「沙和…。」

 私を心配する様な、明日香の小さな声が聞こえた。でも私は、その声に反応する事が出来なかった。

 …そんなんじゃ…ない。

 やっぱりそうだったんだ。高瀬君は私の事、何とも思ってなかったんだ…。

 悲しかった。そして勝手に期待していた自分が恥ずかしくて、悔しかった。それと同時に、怒りに似た気持ちが込み上げて来た。

 私は確かに高瀬君に自分の気持ちを伝えていない。それは本当の事だ。でも彼の前では自分の気持ちに素直になって行動していた筈だ。だから“連絡していい?”って聞いたし、“会いに行く”って言った。明日香にも瑞穂にもそして同じクラスにいた女子にも、私の気持ちはバレバレだった。なのに何で、高瀬君は気付いてくれないの…?

 我が儘なのかもしれない。自分の気持ちを伝えていないのに気付いて欲しいなんて、そんなの身勝手かもしれない。でもアルバイトしてお金を貯めてここまで会いに来た私に、“そんなんじゃない”は酷いよ…!



「…私じゃ駄目なの…?」

 自分の意志とは関係無く、そんな言葉が口から出た。

「え…?」

 それに反応して、高瀬君と明日香が私を見る。

 自分でも何を言っているんだろうと思った。でもどうしても止められなかった。今まで蓄積されてきた想いが、次々と溢れ出す。

 私は俯けていた顔を上げた。そして睨む様に真っ直ぐ高瀬君を見て、言った。

「私じゃ駄目なの?私じゃ高瀬君の彼女になれないの?」






「ちょっと来て。」

 暫く呆然と私を見ていた高瀬君が、そう言って歩き出した。その後を、私が黙って着いていく。

 歩いている間に頭が少し冷静になった。そしたら、さっき自分が言った事が急に恥ずかしくなってきた。

 私、何であんな事言ったの?!いくら勢いとはいえ…。でも言ってしまったなら、もう後には引けない。もう一度自分の気持ちを高瀬君に言って、そして高瀬君の気持ちを聞こう。

 野球部員から離れた木の陰で、高瀬君が立ち止まった。そして私をその前に誘導する。

 されるがままに高瀬君の前に立ち、私は高瀬君を見上げた。

 …やっぱり少し背が高くなった。いや、そんな事はどうでもいいんだ。今は他に言わなければいけない言葉があるんだから。

「私、高瀬君が好き。中学の頃からずっと…。」

 高瀬君は真っ直ぐ私を見つめている。ちゃんと私の言葉を聞いてくれてるんだ…。

「高瀬君は、私の事どう思ってるの…?私じゃ、高瀬君の彼女になれないかな…。」

 私の問いかけを聞いた彼が、左手を耳の後ろに当てた。困った様な顔してする、中学の頃からの高瀬君の癖。それは今でも変わってないんだ。

「あのさ…。」

 暫く黙っていた高瀬君が、困った様な顔をしたまま口を開いた。

「あのさ…、俺達学校離れてるし、部活やってるからあんまり会えないけど…、それでもいいって思ってるの?」

「思ってるよ。そんなの関係ないもん。」

 高瀬君の言葉に、私は迷いもなく頷いた。確かに住む場所は離れてるし、あまり会えないかもしれない。でも心の距離は少しでも近くにあってほしい。

「それに俺、メールとか電話とか苦手だし、連絡とかあまりしないし…。」

「それは……。それでもいい。だって高瀬君が好きなんだもん。高瀬君の特別になりたいの。」

 私の言葉を聞くと、高瀬君は再び黙り込んだ。でも私を見る目はさっきまでと違う。ひたすら真っ直ぐで真剣な瞳――。

 ふと高瀬君が目を閉じた。そして

「俺も……。」

と何か言い掛けた。でもその後の言葉は中々出てこなくて、そして目を開いた高瀬君は私から目を逸らして、また困った様な表情をしながらふっと私の前から離れた。

 え…?何を言い掛けたの?そして何で私から離れて行っちゃうの…?高瀬君の返事は“YES”なのか“NO”なのか、それを聞かなきゃ帰れないよ…!

 高瀬君の後を私は慌てて追い掛けた。でも高瀬君はすたすたと凄い早さで歩いて行って、私はそれに追い付けなかった。

 彼が向かったのは、野球部員が集まる水飲み場。そこで高瀬君はさっき“高瀬の彼女?”と訊いた人に近寄ると

「先輩。」

と、その人に声を掛けた。

 水を飲んでいたその人が、顔を上げて高瀬君を見る。すると高瀬君は

「すいません。」

と頭を大きく下げて、それから彼を真っ直ぐに見て言った。

「俺、嘘吐きました。今一緒にいたの、俺の彼女です。」




 先輩と声を掛けられたその人が、呆然と高瀬君を見ている。そして私も。ただ呆然と二人の姿を見つめた。

 …今、高瀬君、何て言ったの……?“彼女です”って、それって誰の事…?


「沙和ー!」

 少し離れた場所で私達を見守っていた明日香が、私に駆け寄った。そして

「よかったね!!」

と、私に抱きついた。

「ねえ、明日香…。」

 私はまだ呆然としたままで、ゆっくりと明日香に尋ねた。

「今、高瀬君が言ったのって…誰の事?」

「誰って、沙和に決まってるじゃん!沙和、高瀬君の彼女だよ!」

 信じられなかった。まるで夢の様だった。

 直接じゃなかったけど、今高瀬君、私の事“彼女”って言ってくれたんだよね…?私、高瀬君の彼女になっていいんだよね…?

 それを確かめる様に、私は再び高瀬君に目を向けた。するとそこには

「お前、惚気に来たのかよ?!」

と言われながら、もみくちゃにされている高瀬君の姿があった。周りの人の高瀬君に向かう手が少し強い様な気がするけど、笑ってるって事は痛くないのかな?




 みんなに囲まれながら、高瀬君がふと私を見た。そしてはにかんだ表情を私に向けた。



        〜END〜


番外編『恋人の基準値』を読んで頂き、ありがとうございます。こちらではもう一話、高瀬君と沙和が無事恋人になった後のお話を掲載したいと思います。もう暫らくお付き合いくださいませ。

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