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恋人の基準値  作者: みゆ
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恋人の基準値[前編]

「沙和、今日バイト休みでしょ?体育館付き合って。」

 放課後、自分の席でぼーっと携帯電話を見ていた私に、廊下から入って来た明日香が声を掛けた。

「…また行くの?私お兄ちゃんから“恥ずかしいからあんまり来るな”って言われてるんだけど…。」

「そんなの関係ないって。だって沙和のお兄ちゃんを見に行く訳じゃないんだから。ね。だから付き合って。」

「…うん。」

「良かった!じゃあ早く行こっ。」

 まだ躊躇っている私の手を、明日香が強引に引っ張る。その力の強さに観念して、私は携帯電話を制服のポケットにしまって立ち上がり、されるがままに廊下へ出た。




 高校に入学して約一ヵ月。少しずつ学校にも慣れてきて、新しい友達も出来た。親友の明日香とはクラスは違ってしまったけど、中学の時と変わらず仲良くしている。高校に入って私がアルバイトを始めたから、一緒にいる時間は前より少なくなったけど、バイトのない日はこうして明日香に付き合い体育館に行くのが、日課の様になっていた。


 体育館に着くと、私達より先に来ていた女子が数人、バスケ部員を見てきゃあきゃあと騒いでいた。その人達を横目に見ながら体育館の隅に足を進め、壁に寄り掛かる。すると暫らくして練習をしていたお兄ちゃんと目が合い、慌てて私は引きつった笑顔を作り小さく手を振った。けれどお兄ちゃんは手を振り返す事もなく、嫌そうな顔を私に向けた後すぐに練習を再開した。

 あーあ…。家に帰ったら、また何か言われるんだろうな…。それを想像して、私は小さくため息を吐いた。


「やっぱり降矢先輩、超かっこいい…。」

 隣で明日香がうっとりとした声を出す。私はそんな明日香に目を移し、それから更に増えてきた女子をちらっと見た。

 東高のバスケ部は、以前全国大会にも出場したことがある、県内でも数本の指に入る強豪らしい。私はお兄ちゃんがバスケ部員なのに、その事を全く知らなかった。それを知ったのは、クラスの子や全く知らない先輩から“山口君の妹”として声を掛けられたから。強い部に入っているからなのか、お兄ちゃんは高校ではそれなりに有名で、そしてかなりモテている様なのだ。

 でもモテているのはお兄ちゃんだけじゃない。バスケ部員の中には、まだまだモテる人がいっぱいいる。例えば明日香が一目惚れした降矢先輩。私達より一つ上の二年生なのだけれど、彼はかなりのイケメンで背も高くて、バスケ部では一年生の頃からレギュラーとして活躍していたらしい。そんな彼を一目見ようと集まっている女子が、この中には何人もいるのだろう。


「ねえ沙和、お兄ちゃんに降矢先輩を紹介してくれる様にお願いして。」

「ええ?!」

 唐突な明日香の頼みに、私は思わず大きな声をあげた。そんな私の声に、みんなが私を注目する。それに気付いて顔を真っ赤にして、私は

「すいません…。」

と小さく頭を下げて、下を向いた。

「ねえ、駄目?」

 みんなの視線が私から離れると、明日香が再び私に尋ねた。

「降矢先輩もてるし、そうでもしないと先輩に近付けないんだもん。だから…ね。」

 顔の前で手を合わせて、明日香が私を見る。

「駄目じゃないけど…。でもお兄ちゃん、うんって言うか分からないよ?」

「それでもいいからお願い!沙和も瑞穂も彼氏いるのに、私だけいないなんて可哀想でしょ?」

「え……。」

 明日香の言葉を聞いて、私は言い淀んで俯いた。そんな私を見て、明日香が

「何?どうしたの?」

と顔を覗き込む。

「…もしかして、高瀬君と上手くいってないの?メールとか電話とか、ちゃんとしてる?」

「メールは…たまにしてる。でも、前より回数減ったかも…。私が送っても、余り返ってこなくて…。」

「電話は?」

 その質問に答える代わりに、私は黙って首を横に振った。

「ちゃんとメールも電話もしてって、高瀬君に言いなよ。」

「でも…、部活も始まったし…。高瀬君も色々と忙しいのかもしれないし…。」

「沙和はそれでいいの?寂しくないの?」

「寂しいけど…。」

「だったらそう高瀬君に言いなよ!付き合ってるんだから。」

「……付き合って…るのかなあ…。」



 ――高瀬祥太君。


 まだ恋を知らなかった中学生の私が、初めて好きになった人。ここからは離れた高校に行ってしまったけれど、今も変わらず好きな人。

 中学校を卒業したばかりの春休みに、私達は連絡を取り合う事と、再会の約束を交わした。また絶対に会おう――と。

 でも、それだけ。私達はそれだけの約束しかしていない。だから自分達がどんな関係なのか分からない。付き合っているって明日香に言われてもピンと来ない。


「…付き合おうとか、そういう話、全然してないし…。」

 俯いたまま、私は小さな声で明日香に話し始めた。

「メールや電話をしようとか、また会おうとか、そういう話はしたけど、でもそれだけだし。付き合おうなんて話はしてないし…。」

「でも、二人だけでデートしたじゃん。高瀬君ってなんとも思ってない女子と二人で遊びに行くってタイプじゃないでしょ。だからきっと沙和の事好きだし、彼女だって思ってるって。」

「そう…なのかな…。」

 クラスが違ったから余り多くは知らないけれど、確かに高瀬君は女の子と二人で気軽に遊びに行く様な、そんなタイプではなかった。それに二人だけで会ったあの日、高瀬君は私の手を優しく繋いでくれた。それは高瀬君にとって私が特別な人間だから…その時はそう思っていた。でも今はただ不安で、明日香が言ってくれた言葉も心からは信じられない。

 …もし彼女だって思ってるなら、何でメールを返してくれないんだろう。忙しいから…それは確かにあるかもしれない。けれど、もし私が本当に高瀬君にとって“特別”だっだとしたら、もっとマメに連絡してくれるんじゃないだろうか…。それがないって事は、やっぱり…。


「高瀬君は沙和が高瀬君を好きだって知ってるんでしょ?それを知ってて連絡取り合おうって言ったんだから、絶対間違いないって。」

「…言ってない。」

「え?」

「私…、高瀬君に好きって、言ってないの。」

「何で?!」

 私の言葉を聞いた明日香が、大きな声を上げた。周りにいる人の視線が、再び私達に集中する。でも明日香はそんな事全く気にしないといった素振りで、私を睨む様に見つめた。

「何で言ってないの?!一番大事な事なんだから、言わなきゃ駄目じゃん!」

「そうなんだけど…、なんとなく言いそびれちゃって…。」

「言いそびれたって…。それじゃあ本当に、付き合ってるのかどうなのか分からないじゃん。」

 呆れた様に明日香がため息を吐いた。そして私から視線を逸らして何やら考え込んだ。その隣で、私は黙って俯いていた。

 明日香が言った事はもっともだと思った。どうして私は“好き”という自分の気持ちを、高瀬君に言わなかったのだろう…。拒絶されるのが怖いって、そんな考えもあった。だったら友達でもいいからまた会いたいって…。そんな私に高瀬君は『また会おう』と言ってくれた。その言葉に、私は勝手に浮かれていた。

 …メールの返事が来ないから落ち込むなんて、そんなの間違ってる。来なくても当たり前なんだ。だって高瀬君は私の気持ちを知らないんだから。それに、高瀬君にとって私は何なのか、それすらも私は分からないんだから…。

「確かめに行こう。」

 さっきまで視線を逸らしていた明日香が、私を見てそう言った。その突然の提案に、私は反射的に顔を上げた。

「確かめにって…?」

「高瀬君が沙和をどう思ってるのか。沙和もうすぐバイトの給料入るって言ってたでしょ?だからさ、今度の日曜日、高瀬君に会いに行こうよ。私も付き合うし、瑞穂にも連絡して。」

「で、でも…。そんな突然行ったら迷惑かも…。」

「何で迷惑なの?いつでも来ていいって高瀬君言ってたんでしょ?それに沙和がバイト始めたの、高瀬君に会いに行くお金を作る為じゃん。せっかく給料出るのに、行かないなんておかしいよ。」

「そうかもしれないけど…。」

「決まりね、次の日曜。瑞穂には私から連絡しとくから。その時は、ちゃんと高瀬君に自分の気持ち言うんだよ。」

 明日香はそう言うと、増えて来た女子を嫌がり、体育館の外に出た。そしてその後に付いて来た私に振り返って

「降矢先輩の話、ちゃんとお兄ちゃんに伝えてね。」

と言った。






「私も沙和達付き合ってるって思ってたから、明日香の話聞いてびっくりしたよ。」

 電話から聞こえて来る、久しぶりの瑞穂の声。

 どうしてもっと早く本当の事を言わなかったんだろう…。そんな罪悪感を抱き

「ごめんね…。」

と私が謝ると、瑞穂は

「まあ、いいけどさ…。」

と言って、呆れた様にため息を吐いた。

「それで?今度の日曜日、高瀬君に会いに行くの?」

「うん…。明日香に“絶対行くよ”って言われたし…。瑞穂は?その日都合どう?」

「ごめん、私は…。その日はちょっと…。」


 頭がいいのに加え、好きな人がいるからという理由で私達とは違う高校に行った瑞穂は、現在その人――中村先輩が所属している陸上部のマネージャーをしている。

 高校に入ってからすぐに付き合い始めた二人。私はまだその中村先輩に会った事はないけど、話を聞く分には、二人は凄く仲が良さそうだ。いつも一緒にいたいなんて、中学の時にはそんな面をあまり見る事はなかったけど、瑞穂もやっぱり女の子なんだな。


「あ、部活?それとも、デートだったりして。」

 からかう様に私が言うと

「部活もあるよ…!でも…うん…その日は前から約束してて…。」

と、慌てながらも申し訳なさそうに瑞穂が答えた。

「そっか。楽しんで来てね。」

「うん…。ごめんね、一緒に行けなくて。」

「そんなのいいよ。気にしないで。」

 その後私達は他愛もない事で盛り上がり、気が付けば通話時間は一時間を超えようとしていた。

「あ、そろそろ切らなくちゃ。お母さんに怒られちゃう。」

 以前長電話をしてお母さんに怒られた事を思い出して私がそう言うと、瑞穂も

「そうだね。」

と私の言葉に同意した。

「じゃあ、また電話するね。」

「うん。…あ、沙和。」

「何?」

「頑張ってね。沙和の素直な気持ち、ちゃんと高瀬君に伝えるんだよ。」

「うん…。ありがとう。」



 ――素直な気持ち…か。



 以前にも同じ様な事を言われた覚えがあった。『ちゃんと伝えなきゃ駄目だよ』って『伝えなきゃ分かってもらえないよ』って。

 同じ様な言葉を色んな人から貰ってるのに、私は何でそれを実行してないんだろう…。


 恐がってばかりじゃ駄目だ。今度こそ高瀬君に、自分の正直な気持ちを言わなくちゃ。そして、高瀬君が私をどう思っているのか、ちゃんと聞かなくちゃ――。




 日曜日まであと五日。


 暫く私はカレンダーをじっと見つめて、それから電気を消してベッドに入った。



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