4.1997年、3月
アメリカのミネアポリスで開催された世界ジュニアは、予選から始まり、ショートプログラム、フリースケーティングと三つの演技を実施することになっていた。エントリーした52名を二つのグループに分け予選を行う。その上位20人ずつがショートに進む。さらにショートプログラムの上位24人がフリースケーティングに進出する、という仕組みになっていた。
13歳から19歳までのジュニアカテゴリーだから、ほとんどノービスに近い私から、ほとんどシニアに近い19歳のアメリカ人選手など様々だった。
予選はA組の一位で通過した。周りは相当騒いだらしいけれど、私はそれをほとんど無視した。無駄に騒がれるのも嫉妬されるのも嫌だった。
「いつも通りに滑りなさい。特別なことは何もしなくていい」
名前がコールされる前、ワジム先生はいつも通りと繰り返して送り出した。
本当に、何も特別なことはしなかった。三つのジャンプ、二つのステップ、三つのスピンを練習どうりに滑った。この時にはもう、四回転を練習していた。だから、トリプルアクセルからのコンビネーションジャンプも、呼吸をするより簡単にできるようになっていた。
自分がどういう演技をしたかも、全く興味がなかった。ショートはあらゆる選手を追い越して一位だったが、何も感想が出てこなかった。
その子が話しかけてきたのは、ショートも、その後の記者会見も終わってすぐだった。
「ユーリ・ヴォドレゾフ?」
東洋人の男の子だった。黒髪で、確かに肌に色が付いている。ジュニアの年齢制限は19歳までなので、13歳の私は相当に浮いていた。14歳と言った彼も私の次に若い。……確か、予選はB組1位通過。ショートプログラムは、私に次いで2位だった。
拙い英語で語りかけてくる。興味深々、というように。
「本当に俺より一個下? ならあんまり変わらんもんね。一緒に頑張ろう」
私は耳を疑った。
この東洋人は、今なんと言ったのだろう。頑張ろう? そんなことを言ってくれたのは誰が最後だっただろう。アルチョムだろうか? 彼とは辛い別れをしてしまった。私は、他人が恐れるような何かを持っているから。それは人を狂わせ、傷つける巨大なものだ。彼は私の演技を見たのだろうか。見た上で言ったのだろうか。
私が怖くないのだろうか。
それを尋ねることすら怖かった。
私は彼と目を合わせずに、そのまますれ違うように立ち去った。……彼が、何か言いたそうにしていたのも、きっと気のせいだ。
ショート1位通過の私は、フリーは最終組5番滑走。最終滑走が、話をかけてきた東洋人の男の子だった。六分練習では自分のことに集中していたので、その子がどういう衣装を着て、どういう練習をしていたかは全く意識していなかった。
フリーはリストを滑ることにした。「愛の夢」。選んだのは振付の先生だ。早熟なリストは、私の歳の時には演奏活動を行なっていた。ロシア人は意外にリストが好きだ。この曲を選んだ私の先生もそうだった。技術と芸術の融合を高次元で行った作曲家。
5.7、5.7、5.8……ずらずらと高得点が並ぶ。隣に座るワジム先生が私の肩をだく。完璧だった。今まで見た中で、一番のいい出来だったと。この点を抜くのは難しいだろう。
彼はフェンス越しに、コーチと思しき女性と向かい合っている。
彼の名前がコールされる。オンジアイス、リプレゼンディングジャパン。……勝手に中国人だと思っていた。日本人の彼の名前はーー
私が彼の名前を認識する前に、曲が始まった。
吹奏楽器のユニゾンに、ドラムとベースが華を添える。ビックバンドジャズが奏でるムーディな楽曲。ムーンライト・セレナーデって曲だよ、と、隣に座るワジム先生が教えてくれた。
前半はスローで、飛ぶジャンプも難易度は高くない。三回転ループ、三回転サルコウ+三回転トウループのコンビネーション。ゆったりとしたスケーティングに比重が置かれているようだった。シットスピンは回転回数が数えられるぐらいはっきり回っている。全ての動きがゆっくりなのに、拙い感じは全くない。
そう、ジャンプもスピンも、難しい事はしていない。なのに何故か目が離せない。
ドラムソロはスピン。曲と曲の間を取り持つように回る。徐々に回転速度を上げてーー
曲が変わる。
軽快なトランペットの音から、トップスピードに入る。
この曲はわかる。アメリカの選手がショートで滑っていた「SingSingSing」だ。
目まぐるしい音。目まぐるしく繰り広げられる技。音の盛り上がりと共にトリプルアクセルを飛び、音と音の隙間を縫うようにしてカウンターからルッツジャンプを飛ぶ。
巨大な鳥が羽ばたくようなトリプルアクセルに目を奪われる。高い。なだらかな放物線を描いて、ジャンプから降りてくる。
前半は夜の海のような音の波。後半は弾ける花火のように、高速でひかりを撒き散らす。後半の方が難易度が高い技が繰り広げられている。
私の演技は、ワジム先生の言う通り完璧だったかもしれない。だけど私は、私自身がどんな演技をしたか全く覚えていなかった。
彼の滑りには、十の音がある。テナーサックスの音。ドラムとシンバルの音。トロンボーン。クラリネット。……滑りながら、あらゆる音の感情が溢れだす。最大の見せ場は、裏白をしっかり取ったストレートラインステップだ。
……キス&クライに座りながら、私は知らず知らずのうちに足で拍を取っていた。彼は何者だろう。どうしてここまで滑れるのだろう。他人に自分の演技を披露するのが楽しくて仕方がないというように眩い。もっと見ろと演技が語っている。私は彼の動きから目が離せない。もっと、もっと。
楽しい。
もっと彼を見たい。
他の人の滑りって、こんなに楽しく感じるんだ。
氷の上で滑るのって、こんなに楽しい事なんだ。
名残惜しく演技が終わり、彼が四方から喝采を浴びる。私はリンクサイドに彼が戻ってくる前に、キス&クライを空けた。
その時、私は拳を固く握っていたのに気がついた。
……彼の得点がコールされる。5.6、5.6、5.7……。並ぶ点数に、モニターの彼が納得の顔で頷いている。結果はーー
表彰式も医者会見も終わり、ワジム先生とホテルに戻ろうとした頃。
「ユーリ・ヴォドレゾフ!」
昨日のように彼が声をかけてきた。彼の首には銀色のメダルがかかっている。隣に立つのは、コーチと思しき女性。ワジム先生がスケートの先生の基準になっているからか、彼の先生はだいぶ若く見えた。
私の首には金色のメダルがかかっている。
「すげえよお前。次は負けねーからな」
星が瞬くようなきれいな瞳。まっすぐな賛辞だった。彼の賛辞にふさわしい演技を、私はしたのだろうか。いや、それよりも。
「私が……」
喉に痰が絡まったようだった。怖くないのか、と訪ねた自分の声は、蚊が鳴くほど小さい声だった。
「怖い? 何が?」
「いや、だって……」
彼は心の底から意味がわからないという顔をした。
「怖いってなんだよ。お前は、俺と同じスケーターだろ」
怖がる必要なんてない、というような彼の笑顔が眩しかった。眩しすぎて、見ていられない。私はすぐに背中を向けて走り出した。走りながら……凍っていたものが溶け出した。
私はそのときに彼の名前を心に刻んだ。一つ年上の日本人。
マサチカ・ツツミ。
1997年3月の出来事だった。