そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.3 < chapter.6 >
分裂した女ゾンビには、身体のどこかに必ず一つ、真っ黒な呪陣が浮かび上がっていた。
その呪陣は食い殺された人間たちの恨みによって生まれたものである。『本体』がやられたため、呪詛が暴走状態に陥ったようだ。それぞれが個別に実体化し、自分勝手で不条理な負の感情を喚き散らしている。
そして彼女らは、時間経過によって《幻覚魔法》が解けたターコイズとラピスラズリを見つけてしまった。
負の感情に支配された人間に常識的な思考力はない。自分が辛く苦しい気持ちになっていることを、自業自得、因果応報として悔い改めることはできないのだ。目についた他人、それも自分より少しでも幸せそう、健康そうな人間はすべてが敵で、自分を陥れた諸悪の根源に見えてしまう。それは『呪い』と呼ぶほかにない、この世で最も恐ろしい精神状態であった。
一斉に襲い掛かってくる数千体のゾンビ。一体一体は通常の人間サイズで動きも緩慢だが、なにしろ数が多い。今のままでは分の悪い勝負であることは明白だった。
「ターコイズ!」
「ああ! やるぞ、ラピスラズリ!!」
二人は一度すべての魔法を解除し、それからこう叫んだ。
「戦時特装! 《グレイプニル》!」
「戦時特装! 《イビルピート》!」
二人の身体が光に包まれ、それぞれ己の種族の始祖、フェンリル狼とサーベルタイガーの武具を身に纏っていく。
いずれも黒革に鉄鋲が打ち付けられたボンデージ風衣装なのだが、武器に関しては大きな違いがあった。
魔導式ガトリング銃を装備したままのターコイズと、手持ち武器が消えたラピスラズリ。遠近両用の火焔攻撃を主とするフェンリルと物理攻撃を得意とするサーベルタイガーでは、戦時特装によって補強される能力に違いがあるのだ。
迫り来る女ゾンビの群れ。ターコイズはガトリング銃の水平掃射を、ラピスラズリは《火炎弾》をお見舞いする。だがアンデッドだけあって、腹や頭に数発食らった程度では止まってくれなかった。
ターコイズは戦時特装発動時の限定技を発動させた。
「泥炭の水底に天明を渇望せよ! 《タールピット》!!」
あたり一帯に突如出現する湿地帯。生い茂る草とぬかるみに足を取られ、女ゾンビたちは次々に転倒していく。
サーベルタイガーは足が遅い。しかし、前脚の力は他のどのネコ科種族にも負けない。ぬかるんだ湿地帯でも、サーベルタイガーの大きくたくましい脚ならば、力任せに前進することが可能なのだ。
機動力不足を補う湿地の召喚。
それもただの湿地ではなく、これは泥炭湿地である。
粘り気のある黒い水に足を取られ、女ゾンビたちは進攻を阻まれる。倒れた仲間を足場にしてなおも迫り来るものの、二人の体に掴みかかることはできない。
このころにはラピスラズリの戦時特装限定技も、すべての発動準備を終えていた。
「救い難き咎人よ! 天の火に打たれ、その罪の深さを知るがいい! 《スヴィティ》発動!!」
天より降り注ぐ灼熱の石礫。それは火山の噴石の如く、熱風とともに容赦なく襲い来る。焼けた石に打たれて地に倒れれば、そこは泥炭湿地。タールの泉が湧いている。
能力相性の良すぎる二人は、ピタリと息を合わせて攻撃を続ける。
「片っ端から全部焼き尽くしてやろうぜ! 《業火》!!」
「そんなショボい火力でイケるかよ! 《急襲旋風》!!」
あたり一帯に可燃物であるタールを出現させてからの火焔攻撃。さらには塵旋風による空気の攪拌と酸素の供給。いかにアンデッドであっても、この攻撃の前には太刀打ちできなかった。
焼き祓われていくゾンビと呪陣。
最後の一体が炭化して崩れ落ちたところで、二人は魔法を解除した。
「っしゃあ!! ラスボス撃破!!」
「早くナイルたちと合流しよう……っと。いや、待て? このカタカタって振動、まだ続いてるぞ……?」
「あ? ラスボス撃破で終わりじゃねえのかよ……って、おい、マジかよ。なんだあれ……」
一斉に点灯する廊下の照明。
その灯りに照らされて、これまで見えていなかった長い廊下が視認できた。
廊下は何十メートルも、何百メートルも続いているようだ。そしてその両側の扉が次々と開かれていき、何かが現れる。
それは本当に、『何か』と表現するよりほかになかった。
数千人の人間をこねて丸めて一つにしたような、異形のモンスターである。お菓子に変えられていた人々が同時に同じ場所で人間に戻ったため、一人一人にかけられた魔法式が混ざり合い、融合してしまったようだ。
「タスケテ……タスケテ……」
「……シテ……コロ……シテ……コロシテ……」
「モウコンナトコロ、イヤ……カエリタイ……オウチニ、カエリタイ……」
「ナンデ、ボクガ……ナンデ、ナンデ、ナンデ……」
異形のモンスターたちは廊下に這い出し、それぞれ互いの姿を見て恐怖の悲鳴を上げる。
それから近くの何体かは、『ごく普通の人間』の姿をしたラピスラズリとターコイズに気付いた。
「タスケテ!!」
「カエリタイ!!」
「ワタシヲタスケテ!!」
一斉に群がってくる異形のモンスター。そのモンスターを追うように、あちこちの部屋から真っ黒な影のようなものが飛び出してきた。
「にににがガさなアアアアアァァァァーイィィィーッ!」
「モッタイナイ! モッタイナイ!」
「ユゥールゥーサァーナアアアァァァーイィィィーッ!!」
「なんだ!? あれが『もったいないオバケ』ってやつか!?」
「マジかよやめろ!! このパターンって、絶対アレだよな!?」
「ああ! 間違いなくアレだ!」
「もっとヤバくなるヤーツっ!!」
異形のモンスターにもったいないオバケが取り憑き、更なる名状不明モンスターと化してゆく。
慌てて逃げ出す二人が目指したのは、元居たあの部屋の扉である。
ドアノブを攻撃して扉をぶち破り、仲間たちと一緒に元の世界へ――。
そう思った矢先、扉は内側から爆破された。そして爆風を追うように、ペガサスに乗ったトニーとゴヤ、ナイルが飛び出してくる。
「ラピさん助けて! 町の人がいきなり……って、ギャアアアアアァァァーッ!?」
「嘘だろ!? 外にもいたのか!!」
「あーもう最悪ーッ!! 外のほうが酷いなんて聞いてなあああぁぁぁーいっ!!」
三人に続いて飛び出してきたのは、廊下のモンスターと全く同じものだった。あのテーブルの上にいたお菓子の町の住人も、同じく融合モンスターと化してしまったらしい。
「ラピ! ター子さん! 使って!!」
ナイルが投げてよこしたペガサスの呪符をキャッチし、二人もすぐさま宙へと逃れる。
融合モンスターたちは五人の足元でモゾモゾとうごめきながら、救いを求めるように、必死に手を伸ばしていた。
「うっわぁ~……なんだよ、こいつら。気色悪……」
そう言うラピスラズリに、トニーから何かが投げ渡された。反射的にキャッチしてみると、それはマルコが抱えていた亀、玄武だった。
「こんにちは! ボク玄武! ゲンちゃんって呼んでね!」
「ああどうもコンニチハ……じゃなくて、神って投げていいのか?」
「安心して! 緊急事態だから神罰は下さないよ!」
「へー、そうかよ。で、何だ?」
「この世界の持ち主を倒してくれたでしょ? それで出口が消えちゃったんだよ。マルコたちは先に帰ったから間に合ったけど、ボクたちはもう脱出できないんだ」
「……は?」
「だからね、この世界そのものを破壊して、力ずくで元の世界に戻るしかないの。手伝ってくれる?」
「え、いや、そりゃあもちろんやるけど……力ずくってどうすんだよ?」
「キミ、フェンリル狼だよね? ケルベロスとガッちゃんと一緒に、あのモンスターを焼き祓って! で、そっちの彼はサーベルタイガーだよね? さっきの泥炭湿地、もう一回召喚できる?」
「可能だが、いくら可燃物をぶちまけても、たかだか三人分の火力で焼けるか? 廊下の奥からも集まって来ているが……」
「大丈夫、全部相手にする必要は無いから。あれを見て。持ち主がいなくなって消えたのは出口だけじゃないんだ。この世界そのものが消えかけているよ。遠くにいるモンスターは空間と一緒に消えちゃうはずだよ」
「消える……?」
廊下の奥のほうから、順番に照明が落ちていく。
ターコイズはそう認識しかけたが、すぐに思い直した。
消えているのは照明ではない。空間そのものだ。
「ここにいて大丈夫なのか!?」
「ダメ! キッチンに行こう! あの場所がこの世界の中心だから、少しは時間が稼げるよ!!」
「了か……うわあっ!?」
融合モンスターの一体が体を上下に揺さぶり、勢いをつけて跳び上がった。それを見た他のモンスターも、次々に真似して跳び始める。
空中ならば安全と考えていたが、このモンスターはかなりの機動力を有しているようだ。
バインバインと妙な弾力を持って縦横無尽に飛び跳ねる融合モンスター。キッチンに向かいたいのに、予測不能な動きに行く手を阻まれてしまう。あまりに数が多く、間をすり抜けて飛ぶのは不可能だった。
「仕方がない! 降りて戦うぞ! ナイル! 全員に戦闘用ゴーレムをつけられるか!?」
「誰に聞いてんのさ! 任せとけっての!!」
「時間がないよ! みんな急いでね!」
「亀よりは急いでいるつもりなんだがな! 《タールピット》!!」
「トニー、ガル坊、俺に合わせろ! 命の名簿の名を食らい、汝ら咎人を炎の池へと投げ込まん! 《火焔獄の炎狼》!!」
フェンリルの遠吠えに呼応し、いたるところに火柱が上がる。それらは十三頭の炎の狼に変じ、手当たり次第に攻撃を始めた。
「トニー! 俺たちも!」
「ああ!」
「蓋し徒なる名誉の愚。滅せ、消せよ蒼炎の陣! 《鬼陣・一式》《二式》《惨式》発動!」
立ち上る青い火柱。十二本の火柱は炎の鬼に、六本の火柱は大鬼に、そして三本の火柱は『修羅』への亜空間ゲートを出現させる。
「追加発動! 《鬼陣・死式》!!」
ゴヤは自ら亜空間ゲートに飛び込んだ。
ゲートは一瞬で消滅。
代わりにそこには、蒼炎の武具を纏い、光の大剣を手にしたゴヤの姿があった。
「ウオオオォォォォォーッ!!」
大剣を掲げ、鬼たちとともに突っ込んで行くゴヤ。
ゴヤと同時に、トニーも問題のあの技を使っていた。
「《冥陣・一式》《二式》《惨式》発動! 追加発動、《冥陣・死式》!!」
三頭の黒犬に変じ、それぞれに魔法陣を展開。開かれた亜空間ゲートに身を躍らせると、トニーはさらに分身した。
亜空間ゲートからポコポコと飛び出してくる犬、犬、犬。十秒もすると、あたりは犬だらけになっていた。
ただし、どれもこれも生後一、二週間程度の手のひらサイズなのだが――。
「わん!」
「あおん!」
「きゃんっ!」
可愛らしい鳴き声を上げて尻尾をピコピコさせながら、それぞれの個体が当然のように《冥王の祝砲》をぶっ放す。仔犬の数は優に百以上。あまりにも馬鹿げた破壊力に、仲間たちのツッコミも追いつかない。
「トニーッ!! 俺ここ! ここにいるからね!? ちゃんと狙って撃ってる!? ちょっとトニー、話聞いて……ギャアアアァァァーッ!?」
「今そこ、ポメラニアンいなかった!? いたよね!? てゆーかあれ、どう見てもトイプーじゃん! あ! チワワ! あっちはミニチュアシュナウザー!? ケルベロスって基本的に何犬なの!? なんか増え方間違ってない!? なんで犬種まで変わっちゃってんの!? 意味わかんないんだけど!?」
「クソ! 抱き上げてモフモフしてえ!! あの柴犬一匹欲しい!! うちの子にしたい!!」
「やめとけラピ! あれは飼えない! 飼っちゃいけない動物もいるんだ!!」
「でもわんこ欲しい! 柴わんこ! もふもふ柴わんこーっ!!」
「落ちつけーっ!」
ターコイズの右ストレートを食らい、興奮状態のラピスラズリはハッと正気を取り戻した。
各員に三体ずつナイルのゴーレムがつき、死角からの攻撃をガードしている。しかし、トニーは分裂しすぎて数も居場所も把握できない。ナイルはゴーレムを引き上げさせ、自分の護衛として使うことにした。
「えぇ~、なにこれ……もう、みんな急に増えすぎ。今なにがどうなってんの……」
ラピスラズリと十三頭の炎の狼、ゴヤと十八体の炎の鬼、カウント不能な無数の仔犬によって泥炭湿地は見る間に炎上。跳ね回っていた融合モンスターたちは次々に焼け死に、泥炭の水底へと沈められていく。
まだ数体跳ね回っているが、移動の邪魔になるような数ではない。それに、廊下はもうすぐそこまで消えてしまっている。
「ター子さん! ラピ! ガッちゃんトニーッ! これ以上はヤバい! 攻撃中止!!」
ナイルの声に一同は攻撃をやめ、再びペガサスの呪符を起動させた。
だが、廊下の消失は想像以上に早かった。
「うわあっ!?」
最後尾のターコイズが悲鳴を上げた。ペガサスの脚が消失に巻き込まれ、ゴーレム巫術が強制解除されてしまったのだ。
ラピスラズリは風を操り、空中に投げ出されたターコイズをお姫様抱っこでキャッチする。
「大丈夫か!?」
「ダメだ! ケツがスースーする!」
「ズボンとパンツどこ行った!?」
「消失に巻き込まれた! 畜生! あのクソビッチおパンツめ! 世界と駆け落ちしやがって!」
「マジかよ! 穿いてるパンツ寝取られたオトコなんてはじめて見たぜ!」
「どこ見て言ってんの!? 前見て飛びなさいよ! バカ!」
「ツンデレヒロインかよ! 戦時特装解除すれば元の服に戻るだろ!?」
「あ! それな!」
ターコイズの服装が社会通念上の問題をクリアしたところで、ラピスラズリはペガサスにさらに魔力を注入し、速度を上げてキッチンに滑り込む。
直後、キッチンの外の景色が丸ごと消えた。
「玄武! 次は何をすればいい!?」
「あれに乗って!」
「アレってどれだ!?」
「秤! 作業台の上にあるキッチンスケール! 見た目は変わっちゃってるけど、あれは創造主が『正義の女神』に与えた天秤だよ! 農民たちが他の女神とごちゃ混ぜに信仰したから混ざっちゃったけど、『正義の女神』だけは仕事を失っていなかったんだ! だから彼女は『罪の重さ』が無いマルコを殺さなかったんだよ!!」
「じゃあ、あそこが安全圏なんだな!?」
「たぶん!!」
「たぶんかよ!?」
玄武とターコイズを抱えたラピスラズリを先頭に、五人は秤の上皿に降り立つ。
すると、上皿の真ん中にあの女ゾンビが現れた。
咄嗟に攻撃しようとするラピスラズリとトニー。
あわててそれを制するターコイズとゴヤ。
とりあえず自分の分だけ《物理防壁》を張っているナイル。
それぞれの能力特性ゆえの反応に、玄武は呆れたように首を振る。
「よく見てよ。彼女はゾンビじゃないよ。融合していた他の女神が切り離されて、正義の女神さまだけになってるでしょ?」
と、言われてよく見れば、確かに体中にあった縫合痕がない。皮膚の色も生きた人間の健康な肌色だし、瞳も澄んだ胡桃色。服装も調理用白衣から純白のドレス姿に変わっていて、ゾンビだった時と変わらないのは琥珀色の髪だけだった。
徐々に崩壊していくキッチンの中で彼女は儚げに微笑み、スッとしゃがむと、玄武の甲羅を優しく撫でた。
「私の存在に気付いてくれて、どうもありがとう。あなたも神なのね?」
「はじめまして、ボク玄武。マルコがこの秤に乗せられたとき、ほんの少しだけど、キミの記憶が見えたよ。ねえ、キミも一緒に行こうよ。キミがいた地球とは違う場所だけど、ネーディルランドってところ、とってもいい人ばっかりなんだよ。新しい世界で、ボクたちと一緒に暮らそう?」
「お誘いは嬉しいけれど、ごめんなさい。もう姿を保っているだけで限界みたいなの。私は天に還って、あなたたちを元の場所に戻してもらえるようお願いしてくるわ。だからここで、ほんの少しだけ待っていて?」
玄武はびっくりしたように目を見開き、慌てて彼女の足に擦り寄る。
「ダメだよ。消えちゃダメ。あなたはまだ堕ちていない。神として、人を守護することもできるはずだよ」
「いいえ。もうこの世界に、『私』を信仰する民はいないもの。守るべき民のいない神なんて、存在する意味がないでしょう?」
「そんなことねえッス!」
「え?」
突如会話に割って入ったゴヤは、女神の前に跪き、きっぱりと言い切った。
「あなたを信じる人間なら、ここにいるッス!」
「……本当に?」
「もちろんッスよ! だってマルちゃんのこと、助けてくれたんスよね? それだけで十分ッス! 俺は、あなたを信じます! それに、その……」
「……?」
「女の子がそんな悲しそうな顔してたら、ダメっすよ。せ、せせ……せっかくの、可愛い顔が、台無しッス!」
なるほど、お前はこういうタイプが好みだったのか。
赤面しながらも必死に言葉を紡いだゴヤに、仲間たちは胸のうちで拍手を送った。
「……ヒトの子よ。私は正義の女神、アストライアです。あなたの名前は?」
「ガルボナード・ゴヤです! えっと、あの! アストライアさん! 俺、騎士団で悪い奴倒す仕事してるんス! だから、正義の女神様とは相性サイコーだと思うんスよ! 新しい世界での信者第一号に、立候補してもいいッスか!?」
「っ!!」
この瞬間、秤の上皿がガクンと下がった。
突然のことに尻餅をつく一同。一体何事かと辺りを見渡すと、女神はゴヤの頬を両手で包み込み、唇にキスをしていた。
「は?」
「え?」
「ちょ……」
「なんで?」
永遠の非モテキャラが、なぜいきなり女子に唇を奪われているのか。
それも美女だ。文句のつけどころのない、正真正銘のすっぴん美人である。
その上さらに、この美しいひとは『女神様』なのだ。そんじょそこらの『ちょっと可愛い女の子』とはグレードが違う。
お前は一体何をした。
そんな疑問を顔いっぱいに浮かべた仲間たちの前で、正義の女神は厳かに罪状を言い渡す。
「穢れなき者よ。正義の天秤は、あなたを『有罪』と認定しました。罪状は『強盗罪』です」
「へっ!?」
「女神の心を奪った罰として、あなたは死後、天の国で私と結ばれることになります。それまで、一切の浮気は許されません」
「……えっ!? ちょ、ま……待って!? 死後!? ってことは俺、生きてる間は……」
「生涯、心身ともに清らかであり続けるのですよ♡」
「え……それ、って、あの、えっと……ウェエエエェェェーイッ!?」
一生涯、童貞確定。
目の前で繰り広げられる恐ろしい光景に、仲間たちは体中の全汗腺から冷や汗を垂れ流していた。
ただ、無邪気な亀だけはゴヤに言い渡された残酷な判決の意味が理解できていないようで、前脚をバタバタさせて大喜びしている。
「わーい♪ ボク、一度でいいから婚姻の立ち合いやってみたかったんだよね! 創世神・玄武がここに証言する! 神と人との間で、今、確かに心が通ったよ! 婚約成立!」
立会人・玄武の宣言により、この『事実』は確定してしまったらしい。天上から純白の光の欠片が降り注ぎ、結婚式のライスシャワーのように二人を祝していた。
「なに!? なんなんスか!? これ、どこから降ってるんスか!?」
「ゴヤッチ! あそこ! 光の欠片が降ってくる場所が、この世界から出られる『時空間の裂け目』だよ! 主さまが脱出方法を教えてくれてるんだ!!」
「あー、えーと……あ、あそこ!? てか、なんか、ものすごく中途半端な空中ッスね……」
「早く撃って!」
「あ、そっか! 改造されたの、俺の銃だけなんだっけ!」
魔導式短銃を取り出し、ゴヤは空間の裂け目に銃口を向ける。
「魔弾装填! 《境界面共鳴弾》!!」
と、魔弾のチャージを開始するのだが――。
「みんな助けて! 全然チャージできない!!」
「えっ!?」
「故障か?」
「そうじゃなくて! この魔弾、魔力の必要量がとんでもない数値設定されてる!!」
「とんでもないって、いったいどんだけ……どんだけえええぇぇぇーっ!?」
「おったまビックリ目ン玉ボーンな数値だな、おい……意味分かんねえぜ……」
「ありえない……」
魔力のチャージ時に出現するパワーゲージのホログラフには、いつも通りのパーセンテージ表示が出ている。が、そのゲージの下に小さな字で『Max : 999,999,999』という表示があった。通常使用する《ティガーファング》と《デスロール》の必要魔力量が150であることからも、その数値が非常に馬鹿げていることがよくわかる。
「どうするター子?」
「どうもこうも、みんなでチャージするしかないだろ。ラピ、お前そっち」
「OK。トニー、こっち来い。ナイルはター子側な」
「ボクもやるよ!」
「私も協力します」
「じゃあこっちで……」
創世神と正義の女神を含めた六名でゴヤを囲み、全員で魔力をチャージする。
「うわ! すごい! みんな入ると早い!!」
「ガルボナード! 喜んでいる暇はないぞ! もう秤のすぐそばまで崩れてやがる……!」
「急げ! みんなもっとだ!! ナイルてめえヤル気ねえのか!?」
「無理言うなよラピ! 俺ずっとゴーレム飛ばしてたんだよ!? もう魔力残ってないし! それにトニーのほうが出力落ちてるけど!?」
「トニー! あとひと踏ん張りだ! ヤル気出せ!!」
「それが、仔犬化したせいで頭がフワフワしてて……うまく集中できないんでちゅ……」
「でちゅっ!?」
「あれ、マジで幼児化してたの!?」
「ケルベロスゥゥゥーッ!?」
「なんでだよオオオォォォーッ!?」
放火魔スキルの高いケルベロスは、この瞬間、一同の危機感に特大の火種を放り込んでいた。
こいつを頭数に含めたら確実に死ぬ。
玄武とアストライアまでもが、これまでに一度も感じたことのない危機感に尻を蹴り飛ばされていた。これが火事場の馬鹿力というものだろうか。全員、自分でも驚くほどの底力を発揮して魔力を放出し、あっという間に魔力のチャージを終えてしまった。
「96……97……98……99……100%! いくよ、みんな! 《境界面共鳴弾》、発射!!」
純白の光の筋が走り、空間の裂け目を貫き通す。
何もない空中に吸い込まれるように消えた魔弾。その効果は五秒後、予想外の形で現れた。
「……なにこれ?」
「この光は……?」
「なんか、ゴーレムのプログラムコードに似てない?」
「魔法陣じゃねえか?」
「俺には機械的なものに見えるが……?」
わずかに残ったキッチンの内装は光の粒に変換され、漆黒の世界に張り巡らされた金色の線上を走る。電子基板にも魔法陣にも、実行中のプログラムコードのようにも見えるそれは、ある一点に向かって収束しているようだった。
集まった光は次第に何かを形作っていく。
「……あ! あれ、扉じゃない!?」
「あれが出口か!」
「行こう!!」
駆け出す仲間たち。
だが、ゴヤだけはそうしなかった。
光の粒に分解されたのはわずかに残ったキッチンの内装部材と、そこに置いてあったもの。アストライアに唯一残された神の力、『正義の天秤』も扉の材料にされてしまった。
では、アストライアは?
漆黒の世界で、女神は優しく微笑んでいた。
そして、微笑みながら泣いてもいた。
女心に疎いゴヤでも、この笑みと涙の意味は分かった。分かりたくもないことばかり分かってしまうのはなぜだろう。しかしもう、自分の気持ちを整理するだけの時間も残されていなかった。
アストライアは消えた。
ゴヤは走った。
仲間たちの背中を追って、扉に向かって走った。
正義の女神は自分を『有罪』だと言った。それは間違いないと思った。
もうこの世を去る者に、最期の瞬間、生への未練を与えてしまったのだから。