そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.3 < chapter.5 >
そのころ、マルコはキッチンにいた。女ゾンビに捕まって『製菓材料』として料理用の秤に乗せられたのだが、なぜか調理はされず、そのまま放置されてしまったのだ。
重さを量りやすいようにと、マルコは首から下を食品用ラップで包まれている。全力でジタバタともがいているのだが、これがなかなか破けない。いくつかの魔法を組み合わせて使い、どうにかこうにか脱出に成功した。
「は……はぁ……はぁ~……。やっと出られた……」
秤の上でぐったりと横たわるマルコ。ラップで蒸れて、まるでサウナにでも入っていたような有様だ。
マルコの傍らには、オフィスにいるはずの玄武の姿があった。陸棲の亀とも水棲の亀とも言い切れない中途半端な形状の亀は、「んんん~っ!」といきむような声を上げる。するとどうだろう。玄武の足元からクサイチゴが芽吹き、あっという間に秤の上を野いちごだらけにしてしまった。
「マルコ、食べて。少しは元気になるよ」
「ありがとうございます、ゲンちゃん。でも、この魔法は……?」
「魔法じゃないよ。ボクのお仕事」
「お仕事?」
「ボクは創世神だもん。何でも創れるよ。でも、今はほかのカミサマの『世界』の中だから、うまく自分の力を使えないんだけど……とにかく食べて。元気にならなきゃ、こんな世界では戦えない」
「はい……あの、この空間について、創世神の意見をお聞かせいただけますか?」
「うん、いいよ」
玄武はクサイチゴの上をノシノシ歩きながら、この世界について、現時点で分かっていることを話した。
世界には『神』と呼ばれる存在がいる。そしてその上に、神々を生み出した創造主がいる。
創造主は必要に応じて様々な神を創り出し、役割を与える。神々は創造主から与えられた『特別な力』を使い、その役割を果たしている。
しかし、地上の生命は不変でない。常に成長し、変貌を遂げ、幾代にもわたって連なっていくものである。他の種と食う・食われるという関わりを持って存在を維持している。だからこそ彼らを支え見守る『神』が必要とされ、同時に不要ともされる。
守護する対象を失った神は、神としての仕事を果たせなくなる。世界の土台を作り終えたあと『異界送り』にされた玄武がいい例で、失業した神は異世界に移され、そこで穏やかな余生を過ごすことになる。
だが、普通の神とは違う理由で失業し、異界に送られない神もいる。それがこの世界の神、『接ぎ合せの地母神』である。
かつてはごく小人数の部族や集落で、それぞれの『恵みの神』が信仰されていた。けれども時代が進むにつれ、人間のコミュニティはどんどん大きくなっていった。その過程で家の神や集落の神、村の神、町の神といった『小さな神々』は次々と習合され、たった一柱の『国家の神』へと神格を上げられていった。
地母神の場合、信者の数と信仰心の強さが神の力の源となる。あの女ゾンビの大きさを見れば、かつて神だった時代、彼女が絶大な信仰を得ていたことが分かろうというものだ。
ではなぜ、彼女は神ではなくなったのか。
玄武は、「その理由は正確には分からない」と前置きしてから話を続けた。
彼女が堕ちたのは、他国との併合で別の豊穣神と二重信仰になったことが原因と推測される。飢餓や疫病で人間が大量死したのなら、彼女はあんなに巨大なままではいられない。寄せられる信仰の数と強さに応じて、小さな体に変化しているはずだ。
守護対象はいる。信仰心も寄せられている。だから異界送りにはされない。
しかし『豊穣神の仕事』は他の、もっと近代的な農耕神に奪われてしまったのだろう。
力はあっても仕事が無いのでは、神としての務めは果たせない。ゆえに彼女は、『堕ちた神』としてこの亜空間に隔離されている。
そして彼女の眷属だった精霊や使い魔たちも、今は彼女と同じく、正常な神的存在ではなくなっている。それが『もったいないオバケ』と呼ばれていた者たちである。
豊穣神の恵みを無碍に扱った者は『もったいないオバケ』に捕まり、この世界に連れ込まれる。そして罪の大きさに応じた姿に変えられ、あの『接ぎ合せの地母神』の信者として、半永久的に生かされることになるのだ。
ただし彼女は堕ちた神。精神が壊れているので、誰もかれも、罪に対する神罰とは思えない姿に変えられているのだが――。
玄武の話を聞いていたマルコは、秤の上から巨大なキッチンを見回した。
ガラス瓶に詰められたキャンディーやゼリービーンズ、デコレーション用の粉砂糖やココアパウダー、ドレンチェリーやアンジェリカ。とびきり甘くてこれ以上ないほど可愛らしいピンク色のキッチンなのに、それらの食材はすべて、もったいないオバケに捕まった人間を加工してできているという。
いやいや、そんな馬鹿な。
顔いっぱいにその言葉を貼り付けたマルコに、玄武はノコノコと歩み寄る。
「ボクの……『神の眼』には何が見えているのか、マルコにもちょっとだけ教えてあげるね……」
短い脚をゆっくりと持ち上げる玄武。
そっと手を差し出し、握手するように玄武の脚を掴むマルコ。
その瞬間に流れ込んできた映像に、マルコは座ったまま跳び上がるという非常に難易度の高い反応を見せた。
瞳の色ごとに分けられた瓶一杯の目玉。
何かの液体に漬け込まれた大量の心臓。
右腕だけの瓶、左腕だけの瓶。
そのほか、直視したくない瓶詰の数々。
一瞬で蒼白になりながら、マルコは改めて礼を言った。
「あの……ありがとうございます……。この野いちごだけが、この世界で安全に食べられる物なのですね……?」
「うん。その辺にあるものは絶対に食べちゃダメ。水も飲んじゃダメ。家に見えている物も、地面に敷き詰められている物も、みんなあの瓶の中身で作られているんだ。ホント、間に合ってよかったよ。あと何秒か遅れてたら、マルコもみんなと一緒にお菓子を食べてたでしょ?」
「はい……間違いなく、クッキーの欠片を口にしていたと思います……」
オフィスにいたはずの玄武は何の前触れもなくマルコの頭上に出現し、そのまま落下。マルコは頭を打った衝撃で転倒し、路地のさらに奥の、家と家とのわずかな隙間に転がり込んでしまった。しかし、他の隊員は路地裏に積み上げられたお菓子の山に夢中で、マルコが転倒したことには気付いていなかった。
ゴヤが振り返ってマルコを探していたのは、ちょうどこのタイミングである。いくら探しても見つかるわけがない。
トニーを追って仲間が路地を出て行ったとき、マルコは狭い隙間にハマって動けなくなっていた。必死に足掻いてなんとか抜け出してみたら、いきなり捕まってしまった、という流れだ。
「ゲンちゃん、私はこれから、どうしたらいいでしょうか?」
「出口に行こう。そこで、逃げてきた人たちを一人残らず眠らせて」
「え? 外に誘導するのでは?」
「ダメだよ。誰一人、この世界から出しちゃダメなんだ」
「なぜです? 囚われている皆さんを助けるべきでは?」
「助けちゃいけないんだよ。だって、この世界に連れてこられた人間は……」
玄武の言葉は大きな物音にかき消された。
何事かと振り向くマルコ。
キッチンの入り口に、火だるまになった女ゾンビの姿があった。
「オオカミ! どこ!? 早く殺して! 私と一緒にこいつらもぉぉぉーっ!!」
火のついた手でガラス瓶を掴み、床に叩きつける。
床に散らばったものは、マルコの目には可愛い花の形の砂糖菓子に見えている。しかし、『神の眼』には何が映っているのだろうか。視線を向けられた玄武は静かに首を横に振る。
「早く行こう。みんなマルコを探してる。マルコが行かなきゃ、みんなこの世界から脱出できないよ」
「……はい……」
マルコはポケットからペガサス型ゴーレムの呪符を取り出し、息を吹きかけて起動させた。
ペガサスに跨り、ひらりと宙へと舞い上がる。暴れ狂う『接ぎ合わせの地母神』を避けるように飛び、お菓子の町が置かれた部屋のほうへ。
だが、その前に気になっていたことを確認せねばと思った。
「マルコ!? どこいくの!?」
「キッチンに連れていかれる際、廊下の先に他の扉が見えました! そちらの部屋の確認です!」
「やめたほうがいいよ! そっちはもっとひどいから!!」
「自分の目で見なければ納得できません!」
ペガサスは元居た部屋の隣のドアへ。
床板や壁紙の柄、ドアノブなどの大きさと比較して考えると、今のマルコの身長は五センチもないだろう。ドアに空いた古めかしい構造の鍵穴から中に入れるかもしれない。そう思ってマルコは鍵穴を覗いたのだが――。
「……え?」
隣の部屋にも、同じようなテーブルとお菓子の町があった。
ただ、自分たちがいた町とは大きく異なることがある。
人が人を喰っている。
クッキーやビスケットに変えられている分、見た目のグロテスクさはない。だが、可愛いデコレーションクッキー同士の共食いは、あまりに異様な光景だった。
「……これは……」
「マルコ、もう行こう。分かったでしょ? ここは地獄なんだよ。他にどんな言いようもない、ただの地獄。もったいないオバケは救いようのない悪人だけをここに連れて来るんだ。だからオオカミも、もったいないオバケと彼女の存在は『修正する必要がないもの』として放置している。あれは神罰を下されて当然の悪人たちなんだよ」
「ゲンちゃんがそうまで言い切るのであれば、よほどの罪状ですね?」
「うん。ものすごく重い罪だよ。さっきマルコが載せられた秤はね、無駄にした食べ物の量が罪の重さとして計量される秤なんだ。マルコは罪の重さがゼロだったから、彼女に料理されずに済んだんだよ」
「あの、ゼロということは無いと思います。私も、食べきれずに残してしまったことはあります」
「そう、それ。あの秤は、ちゃんと自覚して反省してる分はカウントされないよ」
「ええと……では、自覚できないくらい幼いころの分でしょうか?」
「ううん。それも『仕方がないこと』として許されてる。許されないのは、意図的に食べ物を無駄にして遊んだり、見た目を豪華にするためだけに誰も食べないご馳走を並べたり、誰かに嫌がらせするために宅配ピザを送り付けたりする人」
「それはたしかにいけませんね。食材を生産してくださった方、調理してくださった方への感謝があれば、そんなもったいないことはできないはずです」
「でしょ? だから、この世界にいる人は誰一人助けちゃいけないの。彼らは居るべくしてここにいる。こんな世界に連れて来られてもまだ反省していないから、ああして他の人を殺して食べているんだよ。お菓子の身体では空腹も感じないはずなのに、暇つぶしの娯楽としていろんなお菓子をつまみ食いしてるんだ……」
「ですが、私たちが迷い込んだ町ではそのようなことは無かったように思いますが?」
「あったよ。思い出してよ。あの町の何もかもは、彼女がキッチンで作ったものなんだよ? 完成品のお菓子としてディスプレイされているはずなのに、あの帽子やチョコスプレーはどこから手に入れたの? カスタムパーツなんてあるはずないじゃない」
「……まさか……?」
「他のお菓子人間から剥ぎ取ったモノだよ。帽子やリボンを剥ぎ取られて素っ裸のお菓子人間はいた? お菓子の町の路地裏に、ゴミなんか積み上げられていると思う? 細かく叩き割られたフィンガーチョコレートや金平糖は何だったと思う?」
「……皆さんにお知らせしなければ……」
「行こう、マルコ。もうここにはいちゃいけない」
「はい……すみませんでした。私は、ゲンちゃんの言うことも聞かずに……」
「気にしないで。こんな訳の分からない世界で、他の扉が気にならないはずないもん。でも、気をつけてね。今ここにオオカミはいないから、堕ちた神を正しい姿に戻すことは……」
と、言いかけた言葉はまたもや爆音にかき消された。
「《豪焔穿孔》!!」
「《急襲旋風》!!」
真後ろに出現する炎のドリルと塵旋風。
振り向いた先にいたのは、こちらに伸ばした手を魔法で弾き飛ばされ、よろけた女ゾンビだった。
「ペガサスにしがみつけ! 《疾風》!!」
ターコイズの魔法に押し上げられ、ペガサスは一気に上昇した。
天井付近にはナイルのゴーレムが待機していた。
「王子! ナビゲーションします! このゴーレムにぴったりくっついて飛んでください! 急降下や急旋回にも、絶対に『そのとおり』に飛んでくださいよ!!」
「わかりました!!」
マルコは手綱を握り、ペガサスの横腹を蹴る。
ナイルのゴーレムはペガサスが出せる限界速度ギリギリで廊下を飛ぶ。それは目当ての部屋と真逆の方向だが、理由は説明されずとも分かる。
魔導式ガトリング銃の発砲音、風の魔法によって発生する轟音、女ゾンビの悲鳴。
そして女ゾンビは、なぜか火だるまになりながらもマルコに向かって掴みかかってくる。
後ろを振り向く余裕はない。ナビゲーションに従って急上昇した直後、ペガサスの尾を掠めるように女ゾンビの手が宙を切る。急旋回すれば視界一杯に炎が見えて、0.5秒前まで自分がいた場所の空気を焼く。
なぜ自分が狙われているのか。ラピスラズリとターコイズは《幻覚魔法》で姿を消しているが、視覚的な問題だけではないような気がした。
「もしかして、狙われているのはゲンちゃんですか!?」
「だと思う! ほら、ボクこれでも神だし!」
「オオカミ、そこにいるの!? 助けて! 早く! 私を助けて!! 早く殺してよおおおぉぉぉーっ!!」
「うわっ!?」
ナビゲーション通りに旋回すると、進行方向に女ゾンビの顔があった。
一瞬迷ったマルコだが、ナイルのナビゲーションが間違っているとは思えない。マルコはゴーレムを追って直進した。
このままではぶつかる。
そう思った時、マルコはこの行動の意味を知る。
「「《空中竜巻》!」」
ぴったり重なった二人分の声。
マルコは竜巻の渦の真ん中に入り、巨大女ゾンビをなぎ倒して正面突破するというありえない体験をした。
真正面から暴風を食らい、仰け反るように転倒する女ゾンビ。と、そこにはナイルが用意したゴーレムたちがいた。
長さ十メートル越えのロングスピアを装備した大型ゴーレムが三十体。それらは女ゾンビの背後に待機し、まっすぐ上に向けてロングスピアを構えていた。
深々と突き刺さるロングスピア。
同時に連射されるラピスラズリの《火炎弾》と、ターコイズの魔弾《スターシェル》。
この魔弾は天の川の星々とも、波打ち際に輝く純白の貝殻とも形容される。基本的にはキラキラとした光の尾を引いて飛び、星型の閃光を放つ照明弾である。一応は呪詛の浄化効果も認められていて、呪詛の使用された現場で応急処置的に用いられることも多い。
ナイルのゴーレムが穿った穴から、体内に直接叩き込まれる炎と光。
マルコは瞬時に自分の役割を理解する。
「《緊縛》発動!」
魔力の鎖で女ゾンビの右手首と右足首、左手首と左足首を結び付け、自由を奪う。
「いいぜいいぜ! 分ってるじゃねえか! 超正統派M字開脚な!」
「王子じゃなかったら、エロ本音読同好会にスカウトしているところだな!」
仰向けに倒れたまま一方的に攻撃される女ゾンビ。
表皮への攻撃と異なり、今は体内の呪詛を直に焼き祓っている。先ほどまでとは比較にならない大打撃を与えている。確かにその手ごたえはあるのだが――。
「オオカミ! 助けて! 私だけじゃダメなの! 全員殺して!! 私の力が弱まれば、あの子たちが……っ!!」
女ゾンビの声に呼応するように、空間そのものがカタカタと震え始めた。
「なんだ? 地震……な、ワケねえよな……?」
攻撃の手を止め、様子を窺うラピスラズリ。ターコイズは攻撃を継続し、背面の守りをラピスラズリに任せる。
「王子、ここはターコイズとラピスラズリがなんとかします。王子はこちらに合流を」
ナイルにそう言われ、マルコは懐に抱えた玄武を見る。
「大丈夫だよ、あの人たちは強いから。行こう」
「分かりました。ナイルさん、誘導をお願いします」
「了解です」
マルコは元居た部屋のほうへと飛び、開け放たれたままのドアから中へと入った。
異変が起こったのは、それからわずか数秒後のことだ。
バンッと音を立てて閉じられるドア。
女ゾンビから噴き上がる大量の黒い霧。
廊下の照明が激しく明滅し、いたるところから正体不明の炸裂音が響く。
そしていつの間にか、女ゾンビは数千体に分裂していた。