イヴのオープニングイベントとハプニングイベント(前編)
”僕のイベリスをもう一度”のヒロインであるはずのリアージュは、転生者だった。
ゲーム通りなら、明るく優しい性格の少女になるはずだったのだが、前世の魂の性質が、今世の魂にも強く影響してしまったのか、リアージュは多くの使用人を顎で使う、高慢で卑屈で嫉妬深く、思いやりもない、我が儘で怠惰な性格の少女に成長してしまった。
そして乙女ゲームが始まる一週間前に高熱を出して、前世の記憶が蘇ったのだが、前世のリアージュは、自分の気に入った幼なじみを手に入れるためには、犯罪めいたことまで平気で出来る人物だったため、前世と今世の性格は良く馴染み、凶悪な性格の男爵令嬢となってしまった。さらには現実の世界に生きているにも係わらず、ここはゲームの世界だと考え、全てが自分に都合の良い……自分をヒロインにするためだけの世界だと信じきっていた。
”僕のイベリスをもう一度”の悪役令嬢であるはずのイヴも、転生者だった。
ゲーム通りなら、高慢で嫉妬深い性格の少女になるはずだったのだが、前世の魂の体質が今世の魂の体質にも引き継がれたために、イヴは”片頭痛”になってしまい、前世の魂の記憶が揺り起こされてしまった。前世のイヴは”アイ”という名前の片頭痛持ちの普通の日本人女性で、アイは片頭痛の知識と人の愛情をイヴに教えたため、イヴは明るく優しく思いやりのある少女に成長し、多くの者達から愛された。アイはイヴが片頭痛を怖がらなくなるのと、周りの人の愛情や優しさに気づける人間になったのを見届けてから、永い眠りに戻っていったが、イヴはアイのくれたものをけして忘れなかった。
だからイヴに取って自分の人生は、けしてゲームではなく、一瞬一瞬が全て大事な……自分の人生だった。片頭痛と闘いながら、前世のアイが望んだように、周りの人を愛し、信頼し、大切に思って、自分の大好きな人達と生きてきた。イヴは誰かを楽しませる物語の登場人物ではなく、現実を生きる生身の人間として、自分の人生を生きてきたのだ。
片頭痛の痛みを抑える”鎮痛剤”の治験を受けようと決めたのはイヴ自身の意志だった。治験のために、自分の環境を変えなければならなかったイヴは、周囲の大人達の勧めで、学院に入ることを決めたが、公爵令嬢ではない平民のイヴは、前世の日本人の子ども達と同じように、学院の入試を受けなければならなかった。
乙女ゲームの学院に入学できる年齢は、イヴの前世の日本で言うところの中学3年生に該当する。だからイヴは高校生として、入学式に出るためには、大きなイベントを一つクリアしなければならなかった。
そう、入学式というスタートに立つために前世の日本の子ども達の大半が、保護者の手を借りずに、自分の力だけで立ち向かわねばならない、人生で最初の大きなイベントは……高校の”入学式”ではなく、高校に入るために子ども達が必死に受験勉強をして挑む、”入学試験”……ではないだろうか?
だからリアージュと違って、イヴの本当のオープニングイベントは、4月ではなく……1月から始まっていたのだ。
……1月の一番寒い日。イヴの”入学試験”は行われた。
それは真冬の寒い日だった。試験会場は、学院の一階の教室の一室で、机は15席用意されていた。試験時間は、9時ちょうどから始まる。イヴは試験会場に2時間前に到着していた。試験官に、受験票と鞄の中を確認されてから会場内に入る。イヴは一番乗りだった。
教室に入ると、室内は薪ストーブで暖められていて、イヴは受験番号の貼られた机を探し、そこに座ってから、筆記用具の確認を始めた。しばらくして、一人、二人とやってきて、彼らは自分が一番乗りだと思っていたのに、もっと早いヤツがいたと声を上げた。イヴは自分は田舎から来たので、土地勘がないから心配で、早めに来てしまったと答えた。すると彼らも自分達も田舎からだから、同じだなと笑った。
彼らも筆記用具を確認し、3人はしばし、今日の天気の話やここに来るまで、道が凍っていて大変だった等と言って、世間話をした。名前は入試では名乗ってはいけない決まりになっていたので、3人はお互いの受験番号を仮名として呼び合った。その後も続々と受験生はやってきた。
教室には15席しか用意されていないのに、入ってきた受験生は17人もいたので、手違いかと係員が慌てて、もう2席用意した。17人の受験生の内、16人も銀髪の者がいて、一人だけが金髪だった。イヴは受験生達が、銀髪の者ばかりなので驚いた。
イヴが驚いたのを見て、他の受験生達が笑った。都会じゃ銀髪なんて掃いて捨てるほどいるんだぞ、そんなことも知らないなんて、自分達よりも田舎者なんだなと言った。イヴは確かに自分は村にずっといたから、あなた達よりも田舎者かもしれないと答えた。
すると彼らは、もし、この3人が合格できたら、俺達が知っている都会のことは何でも教えてやるから安心しろよ。田舎者同士は助け合わなきゃなと言ってくれ、イヴはお礼を言った。3人はそろそろ試験の時間が近いから、話すことを止め、お互い頑張ろうと声を掛け合い、それぞれの席に戻った。
皆、一堂に緊張した顔つきで、教室内は静かだった。パラパラと手書きのノートを捲る音、カリカリと鉛筆で何かを書き綴る音。……パチッ、パチッと薪が燃える音が聞こえた。誰も何も喋らない。
イヴは額のハチマキを触り、これくらいなら大丈夫そうだと小声で独り言を呟いた。次に腹部に手を当て、持参した温石の温もりに、今朝方早起きをして、これを用意してくれたミーナを思い出し、ホッと息をついた。寒い朝にいつもの片頭痛が起きてしまい、どうなるかと不安だったが、ミーナのおかげで試験を乗り切れそうだとイヴは安堵し、帰ったらもう一度、ミーナにお礼を言おうと思った。
……後、20分ほどで試験が始まると言うときだった。突然、二人の受験生が腹痛を訴えだした。
「イタタタタッ……痛い!」
「うう~!!い、いてぇ!!」
2人の受験生が苦しみ出し、他の受験生達はざわついた。男女の受験生が2人揃って腹痛なんてと、気遣う気持ちが表情に表れる者、試験前に体調を崩すなんて、ついてないなと同情する者、大事な試験前に集中力を削がせるようなことをするなと迷惑そうに顔をしかめる者。
二人はどうしても受験したいが痛みは引かず、このままでは試験が受けられないと泣きそうな顔になった。その二人にイヴが、声を掛けた。
「私、いくつかの薬を持ち合わせているんです。良かったら服用しますか?」
イヴは、よく片頭痛になる。だから常に、色々な身体の不調を懸念し、たいていのことに対処が出来るように、色々準備しておく癖がついていた。イヴは二人にいくつかの質問をした後、鞄から二つの薬袋を取り出した。
その様子を見た、他の受験生達も興味深く見守っている。イヴは少女に薬を飲ませた後、自分の持っていた温石……熱した石を布に撒いたものを渡し、少年に薬を飲ませた後、彼の利き手と少女の利き手をそれぞれ手に取って言った。
「大丈夫ですよ。ほら、見て下さい。あなたの手も彼女の手も……他の人の手だって同じです。皆……皆んな、ペンだこがあるでしょう?それに皆のノートだって、何度も捲って書き込んでいたりでボロボロですよね?それはですね、皆が今日のために頑張ってきた同志で仲間だからなんです。敵ではないんです。だから怖がらなくても、大丈夫なんですよ」
イヴは、少年が緊張で腹痛を起こしていたと先ほどの質問でわかったので、それを和らげられたらと思い、そう言った。すると教室の中の別の受験生がこう言った。
「何を言ってるんだ!?俺達は皆、敵だよ!だって平民枠は14人だけなんだぞ!この中にいる3人は、必ず落とされるんだから、皆、敵に決まってる!」
教室の中は、シンと静まりかえった。
※この世界の人間達は身体や精神的な成長や自立(貴族は12才で夜会に出るようになり、平民だと12才で働き出す)がリアージュやイヴ達の前世の世界よりも、数年早く成熟します。なので、作中の学院は、日本でいうところの大学的意味合いが強く、本当は高校受験よりも大学受験と言いたいところでしたが年齢は15才なので、作中では高校受験だと書きました。




