イヴの入学式④
片頭痛の持病を持つ人間が片頭痛を回避するには、以下の項目を守る必要がある。
①自分の頭痛日記を付け、頭痛の起きる条件を知ること。
②規則正しい生活を送ること。
③頭痛を誘引する食べ物、飲み物をなるべく摂らないこと。
④自分にとって不快な匂い、刺激臭を避けること。
⑤大勢の人混みを避けること。
⑥天気や気温の変化に頭痛を起こす者は、その変化が来る前に安静にする。
⑦その人間にとっての過度な心身負担の要因になるものを排除すること。
⑧頭痛がないときに、予防体操や柔軟体操、簡単な運動を行うこと。頭痛時はそれらは避けること。
⑨強い光、日差しは頭痛を悪化させるので避けること。
……と昔、アイに教えられて以来、イヴは片頭痛を少しでも起こさないために……、または片頭痛になってしまったら少しでも早く痛みを治めるために、イヴは日常的に上記の条件を常に念頭に置いて生活し、行動しているが、これらの中でイヴの努力だけでは、どうしようもないものもいくつかあった。
それは人混みと天気だったり、人混みがもたらす刺激臭や飲食物による心身負担だったり、天気がもたらす、生活の乱れや刺激臭の心身負担や季節の日差しだったりした。人混みはどれだけイヴが避けたくても、向こうから寄ってこられたら避けられないし、季節や天気は自然事象なので、それこそ避けようがない。
イヴは早朝から片頭痛の攻撃を受け、鎮痛剤で防御し、何とか敗戦を免れたものの、一触即発のギリギリな状態をハチマキで誤魔化し、片頭痛を引き起こす伏兵の出現を警戒し、動かないことで戦の鎮静化を謀り、コック達や寮監の夫婦に心配されながらもミーナの助力を得て、大事な入学式に出るためにここまでやってきた。だが……、そんなイヴの奮闘を嘲り笑うかのように、全てを無にする人混みと天気が、入学式が始まる前の集合場所でイヴに襲いかかってきた。
集合場所には平民だけではなく、上下貴族の学院生達も入り交じっていた。春の日差しが、今日の式典を祝しているように暖かく照らし、眩しい朝の光が辺りを包んでいた。風は春一番とまではいかないが、いたずらっ子のようなつむじ風が時折吹き、彼らの髪や彼女らのスカートの裾をいたずらに撫でていった。
男女問わず皆が、それぞれに身嗜みを整え、自分を良く見せようと念入りにお洒落を施していた。制服は規定の物だから、それ以外で他と差をつけようとしたのか……見えない香りのお洒落に全力を注いだようで、一つ一つはお洒落な香りなのだが、それらが混ざったことにより、辺りはきつい匂いの悪臭に包まれていった。
男性だったら、髪の乱れを防ぐ整髪料。自身の体臭を気にする者は芳香剤を制服に振りかける。香りのお洒落を気取る者はオーデコロンを重ねる。女性だったら、髪のつや出しの香油。自身の体臭を気にしなくても芳香剤は制服に必須とし。自分の短所を隠し、長所を引き立たせる様々な香りつきの化粧品を手に取り、丹念に塗り、香りのお洒落を気取る者は香水を身に纏う。
一つの香りならともかく、それらが入り交じった風をまともに受けてしまったイヴは、固まったように動けなくなってしまった。集合場所は日差しを避ける場所もなく点呼もまだなので、イヴはきつい匂いから逃げることも出来なかった。
(点呼を終えたら、理由を話して、少し休ませてもらえるように頼んでみよう……)
「……次、イヴ・スクイレルさん!」
「は、はい!」
治験中の鎮痛剤だけでは抑えられない、片頭痛を誘因する刺激臭の攻撃に耐えるイヴは、やっと名前を呼ばれ、慌てて返事をしたのだが、その事で人混みの攻撃が一斉に襲いかかることになった。
「そこにいたのね!やっと、見つけた!もう逃さない!一体今までどこに!?どれだけあなたを探したことか!もう観念しなさい!」
「え!?」
イヴは女性の声と共に、後ろから肩をガッと掴まれた。振り返ったイヴの目の前に、背の高い女子学院生らしき人物が立っていたが……彼女らしき人物は、頭の先から胸元まで顔が見えないように黒い紗を重ねた目隠しで覆っていたため、その人物が誰なのかがわからなかった。
イヴより15センチは高い身長の人物は、女子の制服を着用し、声も少しだけ低いが、若い女性の声だった。イヴの補正前の体型よりも、さらにメリハリがハッキリとした体型の持ち主で、足下を見たら紺色のストッキングに5センチ位の高さのある紺色のパンプスを履いていた。イヴが体ごと後ろを向くと女性はイヴの両肩をガシッ!と掴み直して、こう言った。
「あなたは私の幸運の女神なの!あなたこそ、私に幸せを運ぶ”銀色の子リス”!だからね、お願い!これからもずっと私の傍にいてほしいの!」
イヴは入寮初日のミーナの下調べの報告を聞いていたので、目の前の怪しい出で立ちの人物が誰なのかがわかっていたので、その名前を言い、手を外してもらおうとした。
「あのピュア・ホワイティ公爵令嬢ですよね?お話中すみませんが、手を放していただけませんか?その後、お話を……」
「あら、よく私の正体がわかりましたわね!さすがスクイレルってことかしら?私の事はピュアでいいわよ!あなたとは部屋もお隣なんだし!でも、この手は、あなたがウンと頷くまで放さないんだから!ねぇ、お願いよ!ずっと私のそばにいて!お~ね~が~い~!!」
ピュアはそう言うと、イヴの体を強く何度も揺さぶり始めた。
「痛ッ!?止め……頭が……!あの、手を放し……」
イヴの体が前後に、強く何度も揺さぶられる。今のイヴは鎮痛剤が効いているとはいえ、ハチマキ無しでは、普通に歩けないくらい衝撃に弱かった。たちまちイヴの片頭痛は、またイヴの頭に激しい痛みを与え始めたため、イヴは立っているのが辛くなってきた。
そして、そこにさらなる追い打ちがイヴに襲いかかる。まずトリプソンがイヴを揺らす令嬢の腕を剥がそうと、イヴを揺さぶる、その腕に手を添えて言った。
「イヴ?!大丈夫か?すみません、公爵令嬢、その子は俺の妹分みたいな子なんです。だからイヴから手を放していただけませんか?」
トリプソンがそう言うと、横からベルベッサーが、イヴを助けるのは自分だと、トリプソンとは反対側の令嬢の腕を持ったベルベッサーが、令嬢とトリプソンを牽制しだした。
「その人は私の姉弟子だ!だから彼女をを助けるのは、この私だ!公爵令嬢もトリプソンも、私の姉弟子から手を放してくれ!」
ピュアはイヴを揺さぶるのを止めず、トリプソンとベルベッサーを黒い紗の覆いの中から睨み、三者は一向に引かなかったため、自然と揺さぶりの力が増し、加速していった。
「お願ッ!……痛ッ!痛いです、揺らさないで……」
イヴは懸命に声を上げたが、三人はイヴの言葉が聞こえていないかのように揺らすのを止めてくれず……さらには、イヴの二つに分けた三つ編みに額の白いハチマキを見て、エイルノンがイヴに気付き、エルゴールは月光のような輝きを放つイヴの銀髪や青い眼、そして美しく整ったイヴの顔に、幼き日のお嬢様を思い出したことにより、二人がさらにイヴを揺さぶることに加わってしまったのだ。
「え……?そこにいるのはひょっとして……イヴ?本当にイヴ?やっぱり、イヴだよね!?」
「え、嘘……こんなこと?もしや、お、お嬢様!?お嬢様が生きて……る?」
「や、止めて!本当に痛いから、止め……」
彼らの睨み合いは続き、揺さぶりは強く、激しくなる。誰もイヴの声に耳を貸してくれない。グワン・グワン!ブン!ブン!……と強く揺さぶられ続け、きつい匂いで、すでに満身創痍だったイヴは、その衝撃に耐えられず、しかも……。
「あ!」
きつく縛っていたはずの白いハチマキがスルリとはずれ、風に乗って飛ばされてしまった。その白いハチマキはリン村を出ていくイヴのためにミグシスが贈ってくれた布を、スクイレル家の皆が一針ずつ、イヴの無事を願って刺してくれたハチマキで、イヴにとって大切な家族の想いがこめられた宝物の白いハチマキだった。
「待って!皆が刺してくれた私の宝物なの!持って行っちゃイヤです!」
イヴは走るのは速くないが、セデスに護身術を習っていたので、最後の力を振り絞り、ピュアの手から抜け出し、皆を置いて走り始めた。イヴは一生懸命、風に乗って飛ばされていく白いハチマキを追いかけた。
「待って、お願い!行かないで!とても大事なの!」
今までいたイヴが忽然と姿を消したので、5人は一瞬ポカンとしたが、しばらくして後ろの方から、イヴの可愛い声が聞こえてきたので、慌ててイヴを追いかけだした。イヴは走るのは速くないが、風がそよ風よりもやや強いくらいの風力だったので、何とかそれを見逃すことなく追いかけ続け……、イヴはいつのまにか、校舎の正門まで来ていた。




