リアージュのゲームと現実の世界(後編)
15才になっても婚約者が出来なかったリアージュ宛てに、学院の入学案内が届けられたと執事から手紙を受け取ったヒィー男爵は9年ぶりに本宅を訪れて、娘と対面したのは学院の入学式の8日前のことだった。
政略結婚で夫婦となったリアージュの両親は夫婦仲が悪く、夫人は用事がないときは、入り婿であるヒィー男爵の本宅の出入りを拒み、また夫人が亡くなった後は、ヒィー男爵家の直系であるリアージュが母親と同じように、用事があるとき以外の父の本宅の出入りを拒んだため、夫人が生きていたころも亡くなってからも、ヒィー男爵は本宅には居を構えてはおらず、夫人亡き後の9年間は、本宅には一度も足を踏み入れてはいなかった。
ヒィー男爵としては、母を亡くした娘のことを父として気遣う気持ちがなかったわけではなかったが、元々へディック国の貴族の子育ては使用人や家庭教師が行うものであったし、リアージュが5才のころに国全体で流行った病や天候不良などによる不作や領地の温泉の枯渇、民の激減……と不幸が相次ぎ、豊かな収益を得られるはずのヒィー男爵領も貧困に陥っていたので、その金策のために9年間ずっとヒィー男爵は奔走していたから、リアージュの怠惰による貴族子女の義務の放棄や、リアージュの婚約者捜し等の問題は後回しにせざるを得なかったのだ。
ヒィー男爵は9年ぶりに会ったリアージュが、昔と少しも変わらず……いや昔よりも、もっともっと傲慢で冷酷で怠惰な性格に育っていることに対しては、さほど驚かなかった。本宅のことは先代の頃から仕えているという執事と必要に応じて手紙を交わしていたため、ここ9年間のリアージュのことも、ある程度は把握していたからだ。
とは言え手紙で文章を読むのと、実際に自分の目で見るのは、やはり違いがあり、ヒィー男爵は自分の考えていた以上に怠惰で性格の悪さが際立つリアージュが、貴族事情に疎い令嬢に育っていることを痛感し、ヒィーの家を存続させねばならないリアージュが、貴族子女としての役割をこなせない、使えない人間となっていることに危機感を覚え、今までの遅れを取り戻させてやる必要があると考えた。
そのためには出来るだけ早くから社交を始めなければならなかったし、出来るだけ多くの茶会や夜会へ参加しなければならなかったのだが、生憎リアージュはその後に高熱を出し病気となり、学院に入るギリギリ前まで寝込んでいたので、実際にヒィー男爵が自らの考えを実行に移したのは、リアージュが学院に入学した次の日の授業終わりからだった。
そのヒィー男爵の行動は、9年間も家で怠惰を貪っていたリアージュにとっては非常に過酷で、慣れるまで大変苦痛を強いられるものだった。貴族事情に疎く、他の貴族達の顔や名前等をすっかり忘れてしまっている娘のために、ヒィー男爵はリアージュに全ての貴族達と会わせて、実地で覚えさせようと考えたので、リアージュは毎日授業が終わった後、父親にさらわれるようにして馬車に放り込まれ、王都の屋敷で着替え後は父親同伴で各貴族家で行われる茶会に向かい、しかも、その茶会を2、3つ掛け持ちしなければならなかった。
夜は一つの夜会に出席するだけだったが、それでも夜の19時から早朝の5時まで夜通し行われる夜会に毎日出席し、最後まで居座って、夜会に出席している全ての貴族への顔見せに回らねばならなかった。そんな日々を送るようになって初めてリアージュは、どうしてヒィー男爵が寮に侍女やメイドを置かなかったのかが、わかった。何故ならリアージュにとって寮は、寝るだけの場所でしかなかったからだ。
「とにかく何が何でも、早く婚約者を見つけることの方が先だ!」
ヒィー男爵はそう言って連日連夜、リアージュを社交に連れ回したので、リアージュは毎日午後からの時間を見合いの茶会や夜会に費やし、毎朝寝ぼけ眼で学院の授業に出なければいけなくなった。この学院は前世の日本の学校と同じで、土曜と日曜は学院は休みだったのだが、貴族の社交に土日は関係なかった。リアージュは休むことを許されず、土曜の朝から茶会、乗馬、茶会、昼食会、茶会、茶会をこなし、一旦屋敷に戻って着替え後、夜会という過酷な日程を二日間ぶっ通しで、こなさなければならなかった。
(何よ、これ!こんな面倒臭いこと、ゲームではなかったわよ!だから現実って、嫌よ!)
今まで怠けに怠けきっていた社交のツケがよりによって、乙女ゲームが始まったって時に!とリアージュは歯軋りしたが、父親つきっきりでは怠けることは出来ず、渋々リアージュは毎日のお見合い行脚を続けることとなった。
……10日後、頑張っているリアージュにご褒美が訪れた。リアージュ以外の下級貴族クラスのクラスメイト達全員が婚約または結婚することが決まったので、クラスメイト皆の退学することが決まり、独りぼっちとなったリアージュのために、上級貴族であるはずの生徒会の上級生達4人が、リアージュのクラスメイトとして、これから一緒に教室で過ごすことが決定したからだ。
(やった~!神様がご褒美をくれたんだ!ここが現実の世界でも、やっぱりヒロインの私のためにゲームの補正が働いているんだわ!ラッキー!これでわざわざ探し回らなくっても良くなるわ!きっと入学式での初期値好感度が良かったから、一目惚れした私のそばにいたくて、特権階級の力を王子達が使ったんだわ!失敗したと思ったけど、失敗じゃなかったんだ!あの行動で正解だったんだわ!さすが、私!前世チートが炸裂したんだわ!やった~!
これって、もうすでに逆ハーレムだよね!勝ったも同然よね!毎日がもう、ピンク色のラブラブイベントよね!キャ~!ゲームはR15だったけど、ここは現実の世界だし、私はすぐに成人を迎えるから、大人なエロい方向に行っちゃっても問題はないよね!うへへへ……、やったね、私!バッチ来い!って言ってもいいのかしら?キャー、リアルで逆ハーレムを体験できるなんて、マジ最高ー!)
彼等と毎日午前中を一緒に過ごせることに浮かれたリアージュのそれからの日々は、午前を生徒会の4人との婚活天国イベントを過ごし、午後は父親に連れられての婚活地獄イベントに赴く毎日を過ごすようになり、入学式の次の日以来、保健室に赴くこともすっかり忘れて、リアージュの毎日はゲームと現実の婚活一色となっていったが、4月を過ぎた時点でリアージュはまだ、誰からも婚約を申し込まれてはいなかった。
(まぁ、告白イベントは3月の卒業パーティの時だもんね!余裕余裕!今は皆といちゃラブを大いに楽しもう!)
前世では味わえなかった、人生の春が来る予感にウキウキと心躍らせるリアージュは、ニンマリ笑顔で彼等に猫なで声で擦り寄り、時にはしなだれかかって甘えて見せた。
(ああ!乙女ゲーム最高!逆ハーレム万歳!こんなに充実した毎日が送れるなんて!こういうの確か前世では”リア充”って言うのよね!あれ?私の名前と響きが一緒!……ウヘヘヘ、そっか!何でゲームオリジナルネームの”ピュア”じゃないんだろうって思ってたけど、こっちの名前の方が断然良いわね!まさに今の私は、リア充なんだもん!ウヘヘヘ!リア充、たまんないわ!ウヘヘヘへへへへ……!!)
しまりのない笑顔を見せ、気持ち悪い猫なで声で、クネクネとしなだれかかってくる男爵令嬢に、4人の上級貴族の男子学院生の顔は思いっきり引きつった。……が、彼らは複雑そうな表情を浮かべながらも、身分が違う下級貴族の令嬢の振舞いを何故か罰さず、彼女の機嫌を取り、彼女が学院にいる午前の間は、常に彼女の傍にいるようになった。
ここはゲームの世界に酷似しているけれど、現実にリアージュが生きている世界だ。ゲームではない現実の世界……。現実に人が生きる世界では”好き”という気持ちは数値では計れないもの。だから、この世界に初期値好感度などは存在しない。
現実を生きる学院生にとって、学院の入学式は学院生の一番初めの大事な行事である。
その一番最初の大事な入学式の日に、新入生の集合時間にも入学式にも姿を見せず、入学式が終わった会場前で、貴族にあるまじき姿……長いフランスパンを口に入れ、モゴモゴ咀嚼音を立てている姿をさらしつつ、フラリフラリとうろつき歩く……どこをどう見ても挙動不審な令嬢を見て、現実に生きている人々が、それを可愛いと感じるだろうか?
令嬢が来ないことを心配して様子を見に行った修道女に、謝罪の言葉を一切言わず、自分の落とし物を拾って渡してくれた修道女に対し、礼の言葉を述べるどころか彼女を怒鳴りつけ、いきなり胸をわし掴むような非常識な令嬢に……、一体誰が好感を持つだろうか?
リアージュの行動は、入学式に参加していた全学年の学院生達、全教科の教師達に見られていたが、誰一人としてリアージュのことを、”風によって飛ばされてしまった母親の形見のリボンを頑張って探している健気な少女”と見る者はおらず、リアージュに対して、彼等は誰も好感など持たなかった。
……ただ、リアージュが入学式後に皆の前で行った行動により、王子達生徒会がリアージュの傍にいなければならなくなったことだけは確かだが、そうなるように仕向けたのは神様ではなかったし、ゲームの補正でもなかった。
それを仕向けたのは……一人の男の仕業だった。




