それぞれの入学式前夜(後編)
○入学式前夜のリアージュ
入学式の前日、ヒィー男爵と使用人達がいなくなってから、しばしリアージュは呆然としていたが、尿意を感じて、自分の部屋にあるトイレに向かった。排泄を終え安堵したリアージュだったが、一人っきりになったことで、今まで当然だと何の意識もしていなかった日常生活の様々なことが、一々現実味があるなと思い、そのことで苛立ち、自分自身に突っ込みを入れ始めた。
「漫画やゲームに現実なんていらないんだよ!!……何、ヒロインがトイレになんて行ってるのよ!自分でトイレのノズルを回したことに、ドヤ顔なんてするんじゃないわよ!洗面所の蛇口の水と湯を間違えて火傷寸前って、他人がしてたなら腹抱えて嘲笑ってやるのに、自分じゃ何も面白くない!それに、洗面所の鏡でよく見れば、ヒロインなのに、顔にソバカスやシミがあるなんて信じられない!
ねぇ、コントローラーはどこよ?ここは乙女ゲームの世界なんでしょ?こんな日常生活をダラダラと味わわせるんじゃ無くって、スキップ機能でサクッと入学式に一気に進めないの?面倒なことはフンワリと濁して、オイシイところだけを、味わわせるのが、二次元の良いところでしょうが!誰が漫画やゲームに、現実感や生活臭を求めるって言うのよ!?
ヒロインが顔にシミがあったり、ケーキ食べて胸焼けしているところなんて誰が尊ぶって言うのよ!?そんなの誰も望んでいないって!誰もそんなの観たくなんてないわよ!」
一頻り愚痴りまくったリアージュは、(せめて魔法の使える乙女ゲームの世界だったのなら、良かったのに……)と思わずにはいられなかった。でもリアージュのいる世界には魔法なんて言うものは存在していない。フゥっとため息をつきながら、明日の入学式の前に部屋にある生活用品を確認しなくてはと考え、リアージュは部屋の点検を始めることにした。
勉強机の引き出しを開け、クローゼットの中を確かめ、浴室の扉を開け……、とリアージュは色々部屋を物色していたら、気づいたら夜になっていた。リアージュは空腹を覚え、備え付けの台所に行ってみた。食べられる物は何も置かれておらず、よく探してみてもヤカンと茶器、3つの茶筒と砂糖しか見当たらなかった。
どうすればいいのかわからないリアージュを助けたのは、リアージュの前世の記憶だった。今世のリアージュは箱入りのお姫様でも前世の自分は、彼女よりかは漫画やアニメ、ゲームを好んでいた分、学生寮が舞台の作品をいくつか知っていた。
(こういう学生寮には、寮監や食堂があるはずだ)
前世の記憶により、それに気づいたリアージュは一階に下り、そこで寮監室を見つけたので、呼び鈴を鳴らしてみた。受付口に出てきた中年の女に、リアージュはいつものように、上から目線で言ってやった。
「ちょっと、あんた!寮監が今日入寮してきた私に説明に来ないなんて、職務怠慢じゃなくって?学院の理事長に訴えて、あんたなんてクビにも出来るのよ!庶民は庶民らしく、さっさと男爵令嬢の私に、寮の案内と夕食の手配をなさい!」
「……」
それを聞いた女はピシャン!!と受付口を音を立てて閉め、中からカーテンを引く音も立てて、出てこない姿勢を見せてきた。リアージュが、その後もしつこく呼び鈴を鳴らせると、カーテンの向こう側から苛ついたような中年の男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「あんた、ヒィ-男爵家の令嬢だろ!施設案内なら、今朝ウチのヤツはあんたの部屋まで行って説明してきたはずだぞ!あんたは父親の横で阿呆面で呆けて、何を言っても上の空だったって、ぼやいていたぞ!子どもじゃ無いんだから、設備説明は二度もいらないだろ!第一、入寮規則のしおりがテーブルに置いてあっただろうが!?それを読め!……それとな、ついでに言っておくが、俺達はあんたと同じ男爵家の血筋の者だ!あんたこそ、これからの言動には充分気をつけるんだな!素行が悪ければ、俺達が理事長に訴えて、あんたを退学させてやるからな!」
思わぬ言葉の反撃を受けたリアージュは、ムッとして言い返した。
「まぁ!お腹をすかせた、いたいけな少女に、何てむごい言い方をする男なの!大体……」
リアージュは負けじと思いつく限りの悪口を言ってやったが、しばらく待っても寮監室からは何の反応も返ってこなかった。自分の貴族の身分が通用しないと知り、リアージュは歯軋りして悔しがったが、空腹感が強まり、次第にここに留まるのも無意味だとようやく気づき、渋々部屋に引き返して入寮規則のしおりを開いたリアージュは、それを読んで顔を歪めた。何故なら寮監室前で悪態をついていたせいで、寮の食堂も、1階にある購買室も営業時間を過ぎてしまっていたことをしおりにより知ったからだった。リアージュはついに怒りを爆発させ、また部屋で大声で叫んでしまった。
『だからゲームに現実感なんて、持たせてるんじゃないわよ!!』
怒りを爆発させても叫んでも、誰も何もしてくれない。悪態をつきまくって喉が渇いたリアージュは仕方無しに、紅茶を飲もうと思い、茶筒を探すと3つの茶筒が棚に置かれているのに気がついた。リアージュが蓋を開けて匂いを嗅ぐと、3つの内の2つの茶筒の中身はハーブティーの茶葉だった。リアージュは草の味しかしない感じるハーブティーが嫌いだったので、残りの茶筒の紅茶を飲むことにした。
リアージュは慣れない手つきでヤカンを手に取り、前世の記憶を頼りに湯を沸かし、茶葉を入れ、カップに注いでみた。出来た紅茶は色も味も薄く、香りもない、ただの色のついたお湯のようで、明らかに失敗した紅茶だった。誰かが入れた紅茶ならば、間違いなく入れ直させるが、ここにはリアージュしかいない。自分で紅茶を入れ直すのは面倒臭いと思ったリアージュは、ずぼらをしようと茶器に追加の茶葉をドカドカと大量に入れ、スプーンで色が出るように上からギュッ、ギュッ!と押しつけ、カップに注いでいた先ほどの色のついたお湯を戻し入れることにした。
5才の頃に行った茶会で耳にした記憶の中で、確か蒸らすことが必要だったと思い出したリアージュは、沢山待つ方が良いだろうと思い、15分蒸らすのを待つことにしたのだが、出来たお茶はものすごく渋く、えぐみがあり、色は真っ黒で大量の茶葉を入れたのに、香りは全くなかった。
「フン!どうせ砂糖を入れるから、ちょっと渋くても平気よ!」
茶こしを使わず注いだため、カップに茶葉が入ったのをスプーンで掬いよけた後、リアージュは砂糖を大量に投下した後に、その紅茶を飲んだ。何とも筆舌尽くしがたい味に、眉間を皺寄せながらも空腹には抗うことが出来ず、リアージュは、その方法で入れたお茶を6杯飲み干し、茶器も片付けずにベッドに入ることにした。
リアージュは前世の記憶を持っていたが、その世界でも、この世界でも、紅茶には眠気を抑える”カフェイン”という成分が含まれているということや、カフェインが利尿作用も促すことは知らなかったので、空腹を紛らわすためにベッドに入ったのに、リアージュは何故か、中々寝付けず、やっと寝付いた頃には、尿意を感じ、夜中に何回もトイレに行かねばならなくなり、大量摂取したカフェインが抜けた明け方ごろ、ようやく深い眠りに落ちることが出来た。
○入学式前夜の、その令嬢
「お嬢様、国からの報告が……。あの方はお嬢様の予想通りの人物に相違ないとのことです」
「……そうなのね。やはり、アレはあの方が……」
「お嬢様、ここ数日はあの方は、毎朝5時半すぎに中庭に出ておいでのようです」
「ありがとう。明日は早起きして、朝一番に告白してくるわ!」
「お嬢様、初対面でいきなりそれは、早急すぎでは……?」
「そうね、あなたの言う通りだと私も思うわ。……でもね、一年間も待っていられない!2年前のあの時みたいな悔しい思いは二度としたくないの!他の誰かに奪われる前に私のモノにしなきゃ!」
「……そうですね、あんなこと二度とあってはなりません。お嬢様の思う通りになさいませ!私も全力でお嬢様を応援します!……では、お嬢様、あの方は相当早起きですので、明日に備え今日はもう、お休み下さいませ」
「わかりましたわ!あの方を掴めるかどうかで私の人生が決まるのです!では、お休みなさい!」
「お休みなさいませ、お嬢様」
侍女が下がると、令嬢はベッドに入る前に、アレが入っていた空き瓶を手に取った。
(私はあなたの正体を見破ったのよ。……この事実を知った以上、私はあなたを逃したりしないのですから観念して、私の傍にいて下さいませね!)
令嬢は瓶を元の場所に戻すとベッドに入って、明日が来るのを楽しみに眠りについた。
次回からようやく、乙女ゲーム(?)が始まります。




