トリプソンの魔法の貝殻(後編)
暫し小さな女の子に見とれていたが、ふと我に返り、自分は初対面の人達にみっともない姿を見せてしまったのだと気づいたトリプソンは、顔に熱を感じるほどの羞恥を覚え、狼狽えた。すると母親らしき女性が小さな女の子に向かって、こんなことを言い出した。
「ほら、この男の子が、この海で叫んでいたでしょう?母様の言ったことが本当だから、この男の子はここで叫んでいたのよ。ここの海はね、どれだけ弱音を吐いても、愚痴を言っても、全て受け止めてくれて、心を軽くしてくれる”魔法の海”なのよ!だからイヴちゃんも、ここでは心に思っていることを全部吐き出してもいいの。ここには母様とあなたと男の子しかいないでしょう?
この場所のことは、余所では他言してはいけない決まりなの。他言すると魔法が効力を失うのよ。だからあなたがここで言ったことは、父様やミグシスやセデス達に知られることはないの。もちろん、他の人のことも誰かに話してはいけないから、さっき聞こえてきた、この男の子の言ったこともイヴちゃんと私は誰にも話してはいけないのよ。……もしも母様にも聞かれたくないのなら、私は後ろを向いて耳を塞いでおくから、この男の子が叫び終わったら、イヴちゃんも叫んでごらんなさいね」
そう言って女性は少し離れた場所へ行き、後ろを向いて、その両手で耳を塞いだ。小さな女の子は母親のことを気にしながらも、おずおずとトリプソンに近寄ってきて、大事な魔法の途中なのに止めてしまってごめんなさい……と謝りだした。謝る女の子の可愛い声や謙虚な言葉を聞いたトリプソンは、羞恥の気持ちから立ち直り、初対面の彼女達への警戒心を解いてしまった。
母親似の顔つきが一見すると気の強そうな印象を持たせるのに、小さな女の子の物腰はどこまでも穏やかで、その印象はとても優しそうに見えた。自分の顔も気が強いどころか熊や子鬼に例えられるほど、他の子どもに怖い印象を与えると自他共に認めるトリプソンのことを少しも怖がらないで話しかけてくれる女の子に対し、ドキドキと胸を高鳴らせながらトリプソンは疑問を口にした。
「魔法って何?」
「母様が言うには、秘密の時間に”魔法の海”で自分が普段は言えない心の悩みや弱音を叫ぶと、海の浄化作用という魔法が働いて心がスッキリ軽くなって、やがて悩みも解消するらしいんです!」
小さな女の子の話によると、どうやら二人は女性達だけで旅行にここへ来たらしい。トリプソンが自分は修行のために何年も色んな国を回っていると言うと、女の子はトリプソンが旅の者だと知って、お互い旅行者同士、お友達になれると喜んだ。
トリプソンは女の子が己の顔を怖がらないどころか、お友達になれると喜んでくれたことがすごく嬉しかった。なので、先に言っていいよと女の子に譲ってあげることにした。女の子は、ありがとうと小さな声でお礼を言って、波がギリギリ足下まで来るか来ないかのところまで歩いて行くと、可愛い声で叫び始めた。
『頭痛なんて、大っ嫌いだー!!いつもいつも頭痛ばっかりー!!なんで治らないの-!!皆とても優しいのにー!皆よくしてくれるのにー!私、皆にガッカリされたくないのー!!色んな方法探してきてくれるのに、どれもダメで、皆ごめんねって謝るけど、皆は悪くないのー!!
私がダメなのー!私の体が一番悪いのー!!良い子って皆褒めてくれるけど、本当は私は悪い子なのー!だって、ちっとも治んないんだもんー!!頑張っても頑張っても、どうにもならなくって、一日中ベッドに入ってなくっちゃいけないのに、時々、涙が出るのー!
もっと健康な体が欲しいー!!元気に遊びたいー!!お昼間にお友達と遊んだりしてみたいー!!皆が一生懸命看病してくれるときに、そんなこと時々思っちゃって、皆ごめんなさーい!!』
トリプソンは自分よりも小さな女の子の泣きながら叫ぶ姿に、胸が締め付けられるような気持ちになった。ふと後ろを振り向くと、女の子の母親が切なそうに娘を見つめているのに気づいた。母親の方もトリプソンの視線に気づいたようで、そっと唇に人差し指を当てて、唇だけで(秘密にしてて)と頼んできたので、トリプソンは(いいよ)と呟き、コクンと頷いた。
夕日を浴びて黄金色に光る海に向かって、トリプソンと女の子は交互に心に溜めていた思いを叫び合った。トリプソンは「家族に会いたい」と何度も叫んだ。祖父も剣の修行も嫌いではないけど、とてもさびしくてたまらないと、女の子と同じように泣きながら叫んだ。
女の子は己の病気への不安や不満な気持ちを叫んでいた。どうやら彼女は普段から、とても我慢強く病気に向かい合っているらしいが、一向に良くならない自分に自信をなくし、くじけそうになる心が自分自身で許せないらしく、弱音や泣き言を思う自分が情けないと自分自身に腹を立てているようだった。
黄金色の時間が過ぎ去ろうとしている頃、息を切らして、もう一言も叫べなくなった二人の目は泣きすぎて、真っ赤になっていた。
「まぁ、二人ともウサギさんみたいだわ!」
女の子の母親は、そう言って二人の顔を手布で優しく拭い、それぞれに薄いピンク色の貝殻を一つづつ握らせた。
「魔法の仕上げをしましょうね。これに今一番、叶えたい願いを願ってから海に投げてね。そうするとね、いつか願いが叶うのよ」
トリプソンは、女の子よりもお兄ちゃんだった。魔法が本当にあるなんてトリプソンは信じてはいない。だけどトリプソンの横で母親の言葉を聞き、魔法を信じ切って瞳をキラキラさせている小さな女の子に魔法なんて嘘だとは言えないと思い、少し考えてから口を開いた。
「俺の一番の願いは両親に会うことだけど、お爺さまがその気にならないと無理だから叶いそうもないんだ。だから俺は君がいつか、君を苦しめる病気に勝てるようにと願うことにする!だって君は俺の初めてのお友達だから!」
魔法が本当にあったとしても、あの厳格で頑固な祖父には自分の父親だって逆らえないのだ。家に帰るのも何年先になるのか、見当もつかない。だからここで弱音を吐き出せただけで、自分は充分だと言って自分の分の願いと君自身の願いがあれば、魔法は早く強く、君に効いて、君の体を丈夫にしてくれるに違いないとトリプソンは言った。
トリプソンは魔法を信じてはいないけど、この女の子が健康になればいいと願う気持ちは本当だった。トリプソンの言葉を聞いた後、こぼれそうな程大きく目を開けた女の子は、へニャッと泣き笑いの表情になった。
「あ、ありがとう!嬉しい!とっても嬉しい!こんなに優しいお友達が出来たなんて、私は何て幸せなのでしょう!今日はなんて良い日なのでしょう!私ね、あなたのお爺さまがその気になって、国にあなたを帰らせてくれるようにお願いする!あのね、私の母様はすごいのよ!今まで母様の言ったことで間違っていたことなんて、一つもないの!
だから絶対に私達のお願いは叶います!あなたが私のお願いを願ってくれるから、私の体はいつか絶対によくなるわ!そしてね、私もあなたのお願いを願うから、あなたはお家に帰ることが出来て、あなたの父様や母様に抱っこしてもらえます!」
トリプソンは女の子と微笑み合って二人で、一、二の三で、同時に小さな貝殻を海に放り投げた。小さな貝殻は、微かな、チャプッという水音を立てて、黄金色に染まる海の中に沈んでいった。穏やかな波の音だけが聞こえ、二人はしばらく黄金色から紫色に変わり藍色になろうとする海を眺めていた。
明日もこの時間に会おうと約束して、トリプソンは家に帰った次の日……、トリプソンは本当に魔法というものが、存在するのかもしれないと思った。何故なら次の日の朝、何故か全身傷だらけになった祖父がトリプソンに謝罪し、帰国することが決まったのだ。その事に驚いて、同じ時間、海で待っていた母娘に、その報告をすると、まるでその事を知っていたかのように、少女は餞別にとウサギのぬいぐるみをトリプソンにくれた。
『お互いの弱音を知っている、秘密を分かち合った友達』だと泣いて別れを惜しんでくれ、両親に会えることを、とても喜んでくれる女の子に、トリプソンはとても感激した。自分はお返しに何も渡すものを持っていないと、トリプソンがしょげると、女の子は笑顔でこう言った。
「トリプソンは私に、これからも片頭痛と闘っていく勇気をくれたわ!私の魔法の貝殻が、あなたを帰国させることを叶えたのだもの!だからね、あなたの魔法の貝殻だって、きっとその願いを叶えてくれるはずです!」
「ね!」と、自分の母親に同意を求める女の子に応えるために、母親は嬉しそうに娘を撫でた。その撫でる腕に、昨日はなかった小さなかすり傷が一つ、ついているのに気づいたトリプソンに、女の子の母親は何も言わずに、唇に人差し指を押し当てて片目を瞑って(秘密よ……)と合図を送ってきた。
トリプソンの祖父は帰国後、涙ながらの親子の再会を見た後、謝罪と共に家族への別れを口にした。自分よりも強い相手に出会った。その相手は自分よりも非力な若い女性だったのに悔しすぎる。だから、その相手に勝つために、その国で暮らし、修行したい。なので、もうこの国には帰らないと熱に浮かされたような祖父と引き留めようとする父親が言い争いを始めてしまった。祖父の言葉を聞き、薄々魔法の絡繰りに気づいたけれど、トリプソンはあの海のことは両親にも誰にも言わないと心に誓った。
あの日、トリプソンと女の子は、目をウサギのように真っ赤にして叫んだ、あの黄金色の海での事は、他言したら魔法の効力は消えてしまう。あの時の自分の一番の願いは叶えられたのだ。だから次は自分の幸せを願ってくれた、あの小さな女の子の願いが叶えられて、彼女が幸せになる番なのだとトリプソンは思った。
(ああ、出来れば、彼女の願いが叶ったその時に、一番傍にいて、元気になった彼女と一緒に、それを喜び合いたいなぁ……。怖い顔の自分にやっと出来た、初めての友達の幸せを一番傍で祝いたいなぁ……。そして……、そして……、いつか彼女が俺だけの……になってくれたらいいのに)
会場を出たトリプソンは学院の寮に戻った。寮に入ったトリプソンは自室に戻る前に一階にある、共同浴場に向かった。
(とりあえず汗を流して、次は……)
……トリプソンは明日に控える入学式のために、ある重大決心をして浴場へと入っていった。
※アンジュは前世元チャらい遊び人だったけど、妻と出会ってからは彼女一筋、娘が出来てからは彼女たちのためなら(よく空回りしていたけど)何でもする夫であり、父親でした。だから前世、頑張りすぎて、中々弱音を吐かない妻と娘を気遣い、その時々で様々な方法を考え、彼女たちに息抜きさせていた彼は、今世も我が儘を言わず、弱音も吐けない娘を心配して、夫や息子達と守り手となった11人を説得して、『女子旅』へ。二人っきりの時間を設け、娘に「泣き言を言ったって、我が儘を言ったって、誰も離れていかないし、嫌わないから、心が疲れる前に自分や父様を頼って」と言うために海に連れてきたのです。そこで出会った少年がとても良い子だったため、アンジュの父ちゃん心は大号泣しました。『あかん、これ、マジあかんヤツ!何でこの子等こんなに良い子なの!何なの!?俺を泣かせたいの!?うわー、これをつまみに日本酒飲みたい!これ酒進むヤツ!良い晩酌が飲めるヤツ!ピュアピュア天使が二人!この海は天使が集まる海なの!?何なの?この男の子、俺の娘の願いを自分の願いにしてくれるって、すっごく良い子じゃん!イヴだって、この子のお願いを自分のお願いにするなんて、マジ天使!二人とも天使過ぎて、おじさん、萌え転がせる気ですか!?いや、俺今おばさんだった……。それにしても、こんな優しい男の子が両親に会いたいって泣くなんて、可哀想すぎる!この子の両親だってさびしがっているだろうに……。俺だってイヴと引き離されたら……(この数秒で、とてつもない飛躍的な妄想の世界が頭を駆け巡った)!!あかん!俺、もうちょっとで破壊神降臨させるとこだった!危ない危ない……。取りあえず、今日の夜、爺に話をしに行くとしよう!』滞在先に戻ったアンジュは、浜辺のことをイヴに内緒で女性達に報告。トリプソンが攻略対象者だと気づきつつも、そのままには出来ないとアンジュは思い、漢らしく、拳で語り合ってくると言って、トリプソンの祖父を説得したのでした。




