シーノン公爵の娘の秘密(後編)
ある日の夜のこと。シーノン公爵が執務室で家に来ていた各種様々な手紙を執事と共に処理をしていた。そこへ眠っていたはずのイヴリンがやってきた。
「父様の働いているところを見たいんです!父親参観です!……え?普通は逆なの、アイ?でも私、父様の傍にいたいの……邪魔をしないから、お部屋にいてはいけませんか、父様?」
標準装備となっている不機嫌顔を少しだけ緩めたシーノン公爵は、黙ってイヴリンを抱き上げてソファに座らせるとイヴリンの頭を一撫でした。
「そこで大人しく、アイと父親参観とやらをしていなさい」
父親の許しが出た小さなイヴリンは、持参してきた本……4才の子どもが読むには難しいと思われる内容の本を開いて、ソファに座って大人しく読書し出した。
「今月は茶会の招待状が28通、パーティーの招待状は30通あります。この中で旦那様様自身が行く必要が本当にあるものは、茶会が2件とパーティーは……今月は0件です。他のモノは奥様が行かれるとおっしゃっておりました」
眉間の皺を伸ばしながら、不機嫌顔のシーノン公爵は頷く。
「そうか、ありがとう、セデス。君は優秀な執事だから、いつも助かるよ。アンジュリーナにも、お礼の花束を用意して、彼女に届けておいてくれ」
主の労いの言葉に、軽く頭を下げた執事のセデスは取り分けておいた私用の手紙を彼の前に出した。
「今日は冠婚葬祭などの招待状はありませんでしたが、奥様の実家を継がれた一番上のお兄さまのご息女が修道院に行かれると知らせがありました。こちらで少し調べさせて見たところ、どうやら腹部が痛くなる気のせいで、まともに侯爵令嬢の務めが出来ず、随分お父上に厳しいお叱りを受け続けていたようです。しかも長患いの末に婚期を逃したので、侯爵家の役に立つ婚姻が出来ないからと厄介払いすると突き放され、修道院に放り込まれるという顛末でした。
ですので、修道院への寄付金と彼女が新生活で困らないように毛布やシーツ、保存食の瓶詰め等の様々な日用品を餞別に持たせたいと奥様はおっしゃっておいでで、今日はご実家に行かれています」
「あちらのご息女は確かアンジュリーナと同じ20才だったはずです……。腹部が痛くなる気のせいがよく起こると長く苦しんでおられたが……お労しいことだな。セデス、アンジュリーナの望む、全ての品々を用意し、必ず姪御殿に渡してあげなさい」
「はい、わかりました」
二人の会話が途切れると、イヴリンが自分の父親を見て、質問をした。
「修道院っていうのは病気の人が行くところですか、父様?そこに行けば、お腹は治りますの?……あの他の病気も……他の体の痛くなる気のせいも……修道院に行けば治りますか?」
シーノン公爵は、どう言おうか、少しだけ考えて、イヴリンの問いに答えた。
「……いや、修道院は病気を治すところではないのだよ、イヴリン。本来、修道院は女性が俗世を離れ、神の教えを学び、神のそばで生活する修道女となる、つまり、神の花嫁となる人が暮らす場所のことを言うのだが……。貴族社会では……何というか心身共になんらかの不都合があって、貴族でいることが出来ない貴族の女性が貴族籍を捨てて、余生を過ごす場所に使われることが多いんだ」
「貴族でいることが出来ない……?貴族でいること……出来ない……女性?」
呆然とした表情で、その言葉を繰り返すイヴリンを怪訝に思いながらもシーノン公爵は、セデスに机の隅に寄せられた別口の封筒の束の内容を尋ねた。
「こちらは王と貴族院からで……。いつものように名誉顧問の就任の通知と宰相就任願、財務大臣の就任願、海運大臣と国の防衛大臣等々です。……ハァ、まったく!いつもいつも!!旦那様はお一人だというのに、!こんなに沢山大臣を兼務することなど不可能だと何度断ったら、わかって下さるのでしょうかね!何でもかんでも旦那様お一人に押しつけようとしてくるなんて!!」
「セデス、そう腹を立てるな。いつものことだから、いつものように辞退届けを出しておけ」
「辞退届け?……ねぇ、アイ。父様のおっしゃった、辞退って何ですか?」
シーノン公爵とセデスは、アイに尋ねるイヴリンに苦笑した。アイが何とイヴリンに説明するか、興味も引かれたが、もう子どもはとっくに眠らなければならない時間だ。シーノン公爵はアイの……イヴリンの答えを待たずにソファに近づき、イヴリンを抱き上げると不器用な笑顔を向けて言った。
「私はすでに城で事務次官という名の役職に就いているが、実際の仕事は、その仕事と王の政治の失敗の尻ぬぐいの両方をやっているんだよ。……ん?そんな大事なことを家で言ってもいいのかとイヴリンは心配しているのかい?イヴリンは本当にお利口さんな、神様の子どもだねぇ。うーん、本当はいけないことなんだろうけど、哀しいかな、このことは城にいる者なら誰でも知っていることなんだよ。こういうのを公然の秘密というのかなぁ?最近では、本来の仕事よりもそっちの仕事のほうが割合が多すぎて、口さがない連中には、どちらが王なのかわからないとまで言われているんだよ。
王は昔から政治というものに関心が薄くてね。何度改めるように言っても聞き入れないし、学院生時代からのよしみだろうと言って気安く王が、それらを大量に押しつけてくるんだよ。本当は出来ないと言って突き放すべきなんだろうけど、それをしてしまうと国が回らないと言われて、城の執務官達に泣きつかれてしまってね……。
だから私は仕方なく、それらの仕事を毎日大量にこなすのに必死で、毎日毎日遅くまで城に拘束されているんだ。ほら、いつもイヴリンと、ゆっくり家で過ごせていないだろう?イヴリンとゆっくり過ごせないのに家で茶会やパーティーなんて、もっての外だよ。
王の執政の尻ぬぐいをさせられている私は、これ以上彼らの要請や要求を飲んでいたら倒れてしまうだろう。だから……これ以上の仕事は引き受けられないとキッパリ断りたいんだ。でもね、大人の世界で、それをハッキリ相手に言ってしまうと何かと角が立つから、辞退と言う、へりくだった言い方で断るんだよ。さぁ、イヴリンは眠る時間が来たから、父様がベッドに運んであげようね」
と、すでに今日中に処理しなければならない書類を裁いたシーノン公爵は自分の腕の中で眠そうに目を擦っているイヴリンに優しく言って、部屋の扉に向かって歩き始めた。イヴリンは目を擦りながら自分を抱き上げているシーノン公爵や、先回りして音を立てずに扉を開けているセデスを見て、ペコリと小さく頭を下げて言った。
「教えてくれてありがとうございます、父様。セデスさんもありがとう……。私も頑張っても、頑張っても、出来そうもないことが起きたら……その辞退届けというのを書くことにしま……」
イヴリンはシーノン公爵の執務室から出たときには、すでに眠っていた。シーノン公爵はセデスに後片付けを頼んだ後、イヴリンの部屋に向かって行った。セデスは執務室の片付けを行いながら、イヴリンの先ほどの言葉を思い出し、イヴリンが残した本を図書室に戻すために手にした。
”家庭の医学”。
4才の子どもが読むのには内容が難しすぎる医学書が、最近のイヴリンの愛読書だった。イヴリンは、ある気のせいで苦しみ悩んでいて、アイと一緒に、その気のせいの原因や治す方法を知りたいからと言って、図書室から本を引っ張り出すのをセデスは手伝っていた。
(……イヴリン様もイミルグラン様の小さな頃と同じ事をされていらっしゃる……)
大昔、同じ事をシーノン公爵がしていた事をセデスは思い出し、本当に努力することを厭わない生真面目な公爵にそっくりの、生真面目で努力家のお嬢様だと目を細め、彼ら親子にお仕えすることが出来て本当に良かったと、いつもセデスはそう思うのであった。