エルゴールの思い出のお嬢様(前編)
※過去の回想場面でカロン王による、子どもへの暴力描写があります。ご注意ください。
昔”神子姫エレン”だったエルゴールの日課となっている早朝の祈りは、10年前から毎日続いている。それはエルゴールの初恋の少女の鎮魂を願うもので、この学院に入学して寮生活を送ることになっても、エルゴールの日課は一向に変わりなく、学院の中の聖堂での早朝の祈りを邪魔する者は今まで誰もいなかった。
エルゴールは7才になる半年前まで、バッファー国に住んでいた。ここら周辺国の中では一番歴史が古いのはへディック国であったが、今現在、一番国力があり、様々な分野で繁栄しているのはバッファー国だったため、自分の父親が宗教留学のために若い頃にバッファー国に訪れ、母親と出会い結婚して、自分が産まれたので父は国には帰らなかった。しかし半年前に、父親の故郷のへディック国で大司教をしていた祖父が病で亡くなったので、家族で父の故郷へ戻ってきたのだ。
エルゴールは物心がつく前から、神子姫の修行をしていた。神子姫とは、大国の教会の壁画の英雄伝説に出てくる、銀色の妖精と呼ばれる神の使いに扮して、人々を祝福する神楽を舞う役目を担う者で、未成年の男女が本来の性とは違う扮装をするのが慣例だった。
このへディック国に来てから、エルゴールは”神子姫エレン”として、大司教の跡を継いだ自分の父親と共に色々な貴族の家に招かれては、神楽舞を舞っていた。貴族達は金儲けや出世を願い、教会に舞を請い、その礼に寄進をする。教会の人間であると共に貴族の侯爵位も持つ二人に、露骨な侮蔑や横柄な態度で接する貴族はいなかったが、寄進をするという行為が彼らを傲慢にさせ、彼らの視線が物乞いの者を見るような蔑んだ上から目線で接してくるので、エルゴールは神子姫エレンをやるのが段々嫌になってきていた。
中でも特にひどかったのは、ある男爵邸に招かれた時に、そこの神様の子どもに聞くに堪えない罵倒と、生ゴミを投げつけられたことだった。身分的には上位である自分達に何と言うことをと怒る前に、その神様の子どもの父である男爵が謝意と共に慰謝料を渡してきた。神様の子どもである未熟な娘が悪いメイドに騙されてしたことなので、今回は大目に見てくださいと平謝りしてきたので、大司教は宗教家として今回の事を許したが、エルゴールは腹立たしかった。
帰路の馬車で、エルゴールは今までの貴族に対する不安をぶつけたが、父親で大司教をしているシュリマンは、寄進がなければ教会は成り立たないのだとエルゴールを諭した。エルゴールは5才を過ぎてから貴族教育も受けていたが家庭教師に習う貴族の在り方と現実の貴族の在り方があまりに違うので理想と現実の落差に幻滅し、さらにはへディック国の王に招かれた時の出来事で、へディック国の貴族が腐っているのは、この金色の悪魔のせい……見目だけは美しい、へディック国の王のせいだと確信した。
神子姫エレンに扮したエルゴールと大司教をしている父親のシュリマンと共にどす黒い薄気味悪い城に呼ばれ、カロン王と名乗る男の前に跪いていて、顔を上げたとき二人揃って、とても驚いた。
「なんだ、二人揃って、私の顔がそんなに珍しいか?……ああ!そなたたちは、蛮国に留学していたから、この国の教会の壁画の青年と私が似ているから驚いたのだな!あれは私の父が自分に似せて描かせたらしいからな。私は父と髪色も瞳も顔も似ているから、あの絵に似ていて当たり前なのだ」
「……さ、左様でございます!!あ、あまりに似ているので驚いてしまい、つい、失礼を!」
シュリマンもエルゴールも自分達の驚きの理由をカロン王に語ることは出来なかった。まさか、カロン王が大国のバッファー国の教会の壁画の金色の悪魔そっくりだとは、言えるわけがなかった。
カロン王は自分の長寿と自分の幸福のみを祈るよう神子姫エレンに命じた。何とか気を取り直し、神楽舞を始めたエルゴールを舐めるような視線で見つめていた王は、舞い終わったエルゴールに無言で近づくとエルゴールの着ている服を、己の持つ短剣で無残に切り裂いたのだ。
「なーんだ、男か、つまらない。女なら大きくなったら、後宮にいれてやろうと思ったのに。そなたの妻に似ているのか、この子どもは?……ふむ、もう、終わったんだろう、帰れ!」
着ている服を切られて泣いているエルゴールをかばうようにして立ちふさがったシュリマンに、カロン王は金貨を一枚、物乞いに投げつけるように放り投げ、そのまま謁見の間から立ち去っていった。二人はしばらくの間、恐怖で立つことも出来なかった。
シュリマンは、この後すぐに自分の妻を自国に帰らせた。僅差で王の招集を免れたと喜ぶ父に、こんな怖い思いをしてまで、何故彼らのために舞わなければならないのか!母の国に戻りたい!と幼心に怒りでいっぱいになったエルゴールに、ある日シュリマンは笑顔で報告した。
「喜べ!もう貴族達にも王にも、寄進を強請りに行かなくてよくなるぞ!」
「どうしてですか、お父様?」
シュリマンの話はこうだった。ある侯爵令嬢が修道院に入ることになり、その叔母が嫁いだ先の公爵が、彼女のために修道院と教会に多額の寄進をしてくれたのだという。その寄進の額が桁外れの高額であったため、教会はこれから教会経営のための貴族へのゴマすりを一切しなくても良くなった。しかも公爵は純粋に令嬢を気遣って寄進をしていたため、教会に見返りは求めることがなかったのだ。
「本当ですか、お父様?騙されていませんか?」
カロン王に短剣を向けられ衣服を切られた恐怖の経験により、自ら剣の修行を始めたエルゴールに苦笑しながらシュリマンは、その頭をゆっくりと撫でた。
「ああ、本当だよ。私はまだシーノン公爵と面識がないけど、噂では氷の公爵様と呼ばれている、とても気難しい方だが、彼は貴族の中で一番生真面目で誠実な方だと噂される方らしい。怖い方らしいが、その誠実さ故から彼の隠れ信望者となっている貴族や教会の者は大勢いるらしいんだ。
それでね、エルゴール。シーノン公爵には神様の子どもが一人いるらしいのだけど、その神様の子どもは人一倍お体が弱いらしくてね。だから、お礼を言いに行こうと思っているんだけど、その時に一緒に来て、その子どもの健康を祈ってやってくれないかな?”神子姫エレン”として」
「……はい、お父様」
渋々頷いたエルゴールは、その日、シーノン公爵邸にシュリマンと向かった先で、父と二人、大層驚くことになった。馬車から降りたエルゴールは父の横でシーノン公爵邸を見て、口をポカンと開けた。門番の老人が苦笑するのが横目で見えるが、そんなことが気にならないくらい驚いたのだ。
「お父様、ここは本物の王様のお住まいなの?」
シュリマンの手をクイクイと引っ張り、エルゴールがそう口にすると、我に返った表情の父は首を横に振った。
「いや、ここはシーノン公爵という、立派な貴族の屋敷だよ」
「そうなの?こんなに綺麗なお屋敷、見たことないから、こっちが本物の王様のお家だと思っちゃった」
白亜の屋敷は王城に比べて小さいけれど、とても綺麗で、あの悪趣味な赤い城と全然違うとエルゴールは思った。
「今日は、わたし、このお家の子どもの健康を祈るの?」
「ああ、そうだよ。お前は、ここの神様の子どもの無事をお祈りするんだ。お前は私よりも神を感じる能力に長けているからね。これからも沢山寄進がもらえるように念入りに祈ってくれ!」
「……はい、お父様」
シュリマンに自身の手を握り直され、シーノン公爵家の門番に促されて、屋敷に入っていった二人は白亜の屋敷の玄関をくぐると、10名の老人ばかりの使用人達が一列に並び、二人に深く歓迎の意を示した後、公爵一家が待つ大広間に丁寧に案内された。屋敷の中はどこもピカピカで埃一つ見当たらない。そこかしこに朝露がついたままの花が生けられているが、きつい花の匂いは一切せず、清潔で清廉な空気だけが屋敷中を包んでいた。
二人は先日、王の招待を受け、祝福の神楽舞を行っていた。乾いた血のようにどす黒い赤い王城に、とても驚いた二人は、おどろおどろしい王城と清廉な屋敷との落差に、もしかしたら、こちらが真実の王の屋敷なのではないかと思ったほどだった。
そして大広間で待っていたのは、信仰心が厚い彼ら親子が大国にいたころ、毎日のように見ていた教会の壁画に描かれた銀色の妖精と、瓜二つの容姿を持つ父娘だった。月の光のような輝く銀色の髪に透き通る青い瞳、そしてその顔立ちが大国で見た教会の壁画の銀色の妖精に、あまりにも似ているから二人は激しい動揺に襲われた。
(お父様……妖精様がいらっしゃる……、どうしよう……、お父様……?)
(そんな……、こんなことって!?何故、一つ国をまたいだ国に、彼の国の金色の悪魔と銀色の妖精に似ている者達がいるんだ?)
「どうされましたか?」
シーノン公爵の怪訝な視線に我に返った大司教は慌てて寄進の礼を述べた後、神子姫エレンの神楽舞を行うと説明した。
「この子は2年前まで神様の子どもだったので、一番神を感じやすいのです。この子の神楽舞で、皆様のご健康と、特に神様の子ども様のご健康を祈祷したいと思います」
使用人達のキラキラした視線を受け、二人はシーノン公爵は使用人達に大層慕われているのだなと感じた。貴族という者は高飛車で我が儘で使用人達を顎で使う傲慢な者が多いのだが、シーノン公爵は違うのだろう……と横笛を吹きつつ、彼を見れば、視線に気づいたシーノン公爵がニコリと絶世の美中年男性の微笑みを向けたものだからシュリマンは、腰が抜けそうになった。
(何と神々しく、優しげな微笑みだろう!怖いなんて、どこがだ?噂と全然違うではないか!!)
生まれたときから敬虔な宗教家の家に育った者が、その信仰する神の使いに瓜二つな人物に微笑まれるとどうなるか……。シュリマンはたちまち、シーノン公爵の熱狂的な信望者になってしまった。大司教シュリマンは、熱に浮かされたような高揚感に身を包まれたまま、横笛を吹いていく。エルゴールは”神子姫エレン”として、シーノン公爵や公爵の神様の子どもや門番以外の全ての使用人の前で、祈りの舞を舞っていた。
公爵夫人が、この場にいない不自然さにも気づかないほどシュリマンもエルゴールも、今までで一番緊張して神楽に取り組んでいた。こんな緊張はカロン王の前でさえ、しなかったというのに……。二人は同じ事を思っていた。
((本物の神の使いの前で、神の使いに扮して神楽をしなきゃいけないなんて、恥ずかしすぎる!))
二人は本人の前でその本人を真似ているような気持ちになり、それによる羞恥の感情をこらえつつ、歓喜もしていた。まさか銀色の妖精に瓜二つな人達に会えるなんて!……と。舞い始めたエルゴールはシーノン公爵の横にいる神様の子どもを見た。その神様の子どもは両手を胸の前で合わせ、一心不乱に家族や回りの者の健康と皆の幸せを祈っていたので、エルゴールはとても好感を持った。
(ああ、こんなにも清らかな願いを願う貴族の子どもなんて初めてだ!この子の願いが叶いますように!この女の子を丈夫にしてください、神様!)
エルゴールは今までで一番強く神に祈りを捧げながら、銀色の妖精に似ている神様の子どもの健康を願って、神楽舞を舞った。
※イミルグランが眉間の皺なく微笑んでいるのは、横にイヴリンがいるからです。




