エイルノンの四つ葉のクローバー(後編)
朝露に濡れた草原。そこはエイルが保養所にいる子ども達と鬼ごっこやかけっこをして毎日のように遊ぶ場所。そしてイヴはここに来て一度も、そこには足を踏み入れたことがない場所。
早朝5時ピッタリにやってきたエイルの前には、すでに銀色の髪を2つの短い三つ編みに結い、額に白いハチマキを巻いたイヴがミグシスと一緒に待っていた。イヴの着ている物はいつものワンピースではなく、エイルと同じようなシャツにズボンだった。イヴの出で立ちを見たエイルは、イヴは真剣に自分と決闘をする気でいるのだと思い、喉がゴクリと鳴った。
「おはよう、エイル。あなたが待ち望んでいた決闘をやっと出来ますわ!でも、あなたは私よりも2才お兄さんだし、私は今朝も絶好調の頭痛に襲われている状態だから、かけっこや木登りと言った、あなたがいつも提案してくれる決闘は出来ないの。なので勝負方法を私に決めさせて欲しいんです!いいですか、エイル?」
「いいに決まってるよな……エイル」
エイルはミグシスのあからさまな視線による牽制を受けて、冷や汗を流しながら無言で頷いた。イヴに近づいてよく見ると、顔色が悪く、呼吸が少し荒いように思えた。思い返せばイヴの顔色は初対面の時から、いつも青白かったなとエイルは思った。
(イヴは本当に体調がよくなかったんだ。それなのに僕は……。自分よりも小さい子のことを気遣ってあげられなかった上に、病気の子に気を使わせて、こんなことをさせてしまうなんて……)
決闘を止めようと言おうとしたが、それより先に、エイルの了承を聞いた後のイヴの表情の変化を見て、エイルは何も言えなくなってしまった。
(っ!何て可愛い笑顔なんだろう!……どうして、そんなにも嬉しそうな顔をするの、イヴ?僕は君に酷いことばかり言っているのに?)
イヴが頬を染めてニンマリと笑う顔はものすごく嬉しそうで、エイルはイヴの笑顔を見た途端、ギュッと胸を締め付けられたような感覚がした。その様子を見ていたミグシスがイヴをエイルから遠ざけようとするのにも構わず、イヴは自分の考えた決闘の方法を口にした。
「勝負は30分一本勝負。どちらが制限時間内に、より多くの四つ葉のクローバーを見つけられるかを競いましょう!」
イヴの言葉に、エイルは首をかしげた。
「四つ葉?クローバーは三つ葉だよ?」
エイルの言葉にミグシスも確かにクローバーは三つ葉だと頷いたが、イヴは否と言った。
「ふふ、そうですね。クローバーは三つ葉が当たり前ですよね。でもね、あるんですって!四つ葉のクローバーが!幸運を呼ぶと言われているんですって!見つけると幸せになるんですよ!前に私の友達が教えてくれたんです!
あのね、エイル。ミグシスは物ではないですし、決闘でミグシスを賭けるなんて、ミグシスに対して失礼だと私は思うんです。エイルが欲しがる通り、ミグシスは文武両道に優れているだけではなく、人を思いやる心があり、そのために勇気を出してくれる、すごく優しい人で、私もエイルと同じようにミグシスが大好きで離れたくないと思っているけど、賭けるなんてしたくないです」
イヴがそう言うとそこにいた男達は同時にこう言った。
「っうげっ!?僕はミグシスを好きだなんて、これっぽっちも思っていないぞ!」
「っ!イヴ、何て嬉しいことを!俺も君が大好きだ!一生傍にいるからね!」
エイルはイヴにとんでもない勘違いをされていることに心底、嫌そうな表情を浮かべ、ミグシスはイヴに大好きと言われて、有頂天となった。イヴは二人の様子に構うことなく、言葉を続けた。
「だからエイル、こうしませんか?これはミグシスに自分の想いを告白する順番を決める闘いだと……。順番にミグシスに私達二人の想いをきちんと聞いてもらいましょう?」
それを聞いたミグシスは、顔を昨日の夜よりも真っ赤にさせ、エイルは何だか面白くないと思った。
「今の言葉だけでも嬉しいのに、さらに告白をしてくれるの、イヴ?俺、すっごく幸せ!」
「うっ!……僕は、僕は……負けないぞ!」
エイルは絶対に負けられない、絶対に負けたくない!……と強く思って、勝負開始の合図と同時に草原を駆けだした。何故面白くないと思ったのか、誰に絶対に負けたくないと思ったのか、深く考えないまま……。
毎日来ている草原で四つ葉のクローバーなんて一度も見た覚えのないエイルは普段足を踏み入れない場所に向かい、草が生い茂っているところを分け入って探し始めた。少しして、イヴが気になったエイルは、振り返ってイヴの姿を目で探すと、イヴの告白を聞いて、顔を真っ赤にさせたミグシスが喜びの気持ちのまま、イヴを抱き上げようとするのを躱し、『これは漢と漢の真剣勝負です!だから抱っこは後でお願いします!』とイヴはミグシスを叱っていた。そう言った後イヴは、普段エイルと保養所の子ども達がよく遊んでいる場所に向かい、踏み荒らされた草原にしゃがみこみ、探し始めた。
他の女の子だったら、服が草の汁で汚れるのを嫌って、そんなことは決してしない。がむしゃらなイヴの姿や、その真剣な表情にエイルは、とても嬉しくなってしまった。
(ふふ、イヴったら!すっごく面白い!よし!初めてのイヴとの決闘だ!絶対に勝つぞ!)
エイルは絶対に負けたくなかった。だから這いつくばって、必死になって四つ葉を探した。探して探して、走り回った。なのに30分後……。
「ずるいずるい!絶対イヴずるい!僕は一本も見つけられなかったのに、二本も見つけるなんてずるい!絶対イヴは、四つ葉の場所を知ってたんだろう!」
5才のイヴに7才のエイルが、「ずるいずるい」と連呼する結果となってしまった。ミグシスはイヴが勝ったので、とても嬉しそうな顔のまま、エイルを窘めた。
「ずるいも何も、イヴはこの場所に足を入れたのは今日が初めてだぞ?言いがかりもいい加減にしろ!ここで暮らしているエイルの方が毎日ここで遊んでいたのだから、イヴよりも有利だったはずだろうが!」
プクッと頬を膨らませるエイルと、それに呆れるミグシスにイヴは二本見つけた四つ葉のクローバーを一本づつ差し出した。目を丸くする二人に、満足げに微笑みかけるイヴは、嬉しそうに言った。
「勝負に勝ったから、私から告白するわね、エイル。……ミグシス。いつも傍にいてくれてありがとうございます。辛いときも楽しいときも、いつでも傍にいてくれて私はずっと幸せだなぁと思って、毎日を過ごしています。私、ミグシスが大好きです。だから私もミグシスに、私が傍にいて、少しでも幸せを感じてくれたら嬉しいし、そうなるように頑張りたいなぁと思っています。だからこれからもずっと、私の傍にいてほしいです。あっ、でもでも、ミグシスに無理矢理そうさせたくはないから、嫌になったら、いつでも言ってください!……その時は嫌にならないように、頑張りますから」
ミグシスは、このイヴの告白に感極まり、これ以上は赤くならないのではないかと思えるほど赤くなりながら、イヴをクローバーごと抱きしめた。
「ああ!俺の愛しいイヴ。俺の永遠の愛を何度、君に誓っただろう!俺が君を嫌に何て思うはずがない!毎日が夢のように幸せで、毎日君を好きになっている!この俺の心をどう君に伝えたらわかってもらえるだろう!?俺の愛しい小さな銀色の光!こんな告白嬉しすぎて、俺は君を抱きしめる、この一瞬を永遠に願ってしまうよ!」
ヒシッ!と抱きしめるミグシスの黒髪を一撫でしてから、イヴはエイルの方を向いた。イヴの片手にはエイルに差し出された、もう一つの四つ葉のクローバーがあった。
「エイル。いつも遊びに来てくれてありがとう。ここに初めて来たときにエイルだけが私を妖精ではなく、エイルと同じ人間の子どもとして対等にケンカを売ってくれたでしょう?それがね、私、すごく嬉しかったです。私は頭痛で遊べないことが多いのに、毎日様子を見に来てくれて、私ね、とても嬉しかったの!私、本当はもっと元気になりたいし、エイルとも他の子達とも、普通のお友達になりたいと思ってた。私、元気になって皆と、この草原で遊んでみたいと毎日思ってた。……この四つ葉のクローバーを初めて出来た私のケンカ友達に贈りたいのだけど、エイル、受け取ってくれる?」
ミグシスがイヴを離そうとしないから、イヴは苦笑しつつ、片手をエイルの方にさらに伸ばした。エイルは小さな手から、四つ葉のクローバーを受け取った。それを見て、イヴは満足そうに笑った。その笑顔が、あんまりにも可愛いかったからエイルは確かに、ミグシスの言う通りだと思った。
(ああ、この一瞬が永遠ならいいのに……)
「さぁ、私の告白が終わったから、今度はエイルの番です!どうぞ、ミグシスに告白してください」
朝日が草原を輝かせ始める。朝露に濡れた草原は沢山の光を反射している。決闘に夢中だったイヴの銀色の髪は結われていたリボンが外れ、三つ編みが解けた髪がフンワリと波打ち、それが朝日に染まって、それはもう、エイルの金髪なんて霞んでしまうほど、強い煌めきがあり、イヴを……のように輝やかせていた。
「僕、僕、ミグシスに負けないくらい強くなる!だからイヴ!僕の僕だけの……!!」
「……それで?あなたは何て言ったのですか?」
「先生。それだけは、ご勘弁を」
「……まぁ、いいでしょう。誰にも言いたくない自分だけの思い出は、誰にでもあるものだから。それで、あなた達は、その後はちゃんと友達になれたのですか?」
「それが先生、その日がイヴと会った……最後の日だったんです」
エイルノンは当時の思い出話を続けた。
あの後、四つ葉のクローバーのお礼に何かイヴに贈り物をしようと思って、自室に戻ったエイルは部屋をひっくり返して、宝箱を取り出すと、それを抱えてイヴの部屋に向かった。でも途中で、宝箱の重みで手を滑らせて、エイルは箱を床に落としてしまった。ちょうどそこを通りかかったイヴの使用人であるセデスが通りかかり、宝物を拾うのを手伝ってくれた。
「これは握り具合も、しなり具合も長さも丁度良い木の枝なんだぞ。こっちは僕が磨いて作ったピカピカに光る泥団子。こっちのは薄く平べったくて、丸くて石投げに最適の石なんだ!で、そっちのは綺麗に脱皮した蛇の抜け殻。で、これが僕のとっておきの短剣……」
セデスは、エイルの宝物自慢を柔やかに聞いていたが、短剣の説明の時に首をかしげ、エイルに質問をした。
「エイル様。何故同じデザインの短剣が七本もあるのですか?」
「ああ、これか!これはへディック国にいるという、僕のお父様から毎年お金と一緒に誕生日に贈られてくる贈り物なんだ。宝石がついていて綺麗だろう?お父様は短剣集めが趣味らしいんだ。お母様は僕が男の子だからって、毎年同じ短剣を贈るなんて、心がこもっていないって言って怒ってた。
でもさ、同じのをミグシスも持ってたから、きっとこれ、すごく良い短剣なんだと僕は思うんだ!だからイヴが欲しいなら、これを一本あげてもいいって僕は思ってるんだ!」
「……もしかしてエイル様は、エイルノン様というお名前ですか?」
「そうだよ!よくわかったね」
「いえ……、では私はこれで。ただいまイヴ様は頭痛により、お休みされています。明日に出直されては?」
「そうだね!僕イヴに悪いことを言っちゃったから、これをあげて謝りたいんだ。そして今度はケンカ友達じゃなくて、ちゃんとした友達になるんだ!」
セデスは目を細めてエイルを見た。
「エイル様は、良い子でいらっしゃいますね。悪いことをしたと自分自身がお認めになられるのは、大人でも中々難しいことです。きちんと謝ろうと考えるエイル様は、とてもご立派です。そんなエイル様に悪気が無かったことを、イヴ様はとっくにご存じですよ。……願わくば、そのままのエイル様でこれからもいてくださいね」
「?ん?」
「いえ、では、私はこれにて……」
エイルは次の日を楽しみに引き返した。だが、その日の昼には、エイルとエイルの母親は素性がばれて、強制国外追放されてしまった。理由がわからないエイルは、イヴに会いたくて駄々をこねて、そして帰国の馬車の中で自分の素性と、この国にいられない理由を聞かされた。自国に戻ったエイル達は、思った以上に王達に帰国を喜ばれた。というのも、一つの古い公爵家が無くなってしまったのを皮切りに、へディック国には次々と不幸が襲ったのだ。
王の後宮にいた上級貴族の妃達と子ども達が、その一族もろとも次々と流行病で亡くなり、なんと残っている妃の中で、伯爵家のエイルの母親が一番身分の高い妃となってしまったのだ。そして沢山いた上級貴族を母に持つ子どもも亡くなったことで、エイルが第一王子になってしまったのだった。そこからエイルの貴族としての……王族としての勉強が始まった。
「ああ、だからあなたは良い意味で、貴族慣れしておられなかったんですね。これは好都合」
「?ん?何か言ったか?」
「いえ、何も。今日は楽しいお話を聞くことが出来て、とても嬉しかったです」
「ねぇ、先生の初恋は、どうだったの?」
茶髪の仮面の先生は、仮面の下でにっこりと笑い、胸に手を当てた。
「私の恋は、この胸にずっと。今は会えないけれど、今でも、とても愛しています。……私の唯一です。私の話はさておき、ちゃんとしたお友達になれなくなって、残念でしたね」
「それが……そうでもないんですよ」
「?」
エイルノンは帰国後の荷ほどきの最中、宝箱に見覚えのない手紙を見つけたというのだ。そこには5才の子どもが書いたとは思えないくらい綺麗な字でこう書かれていた。
『親愛なる私の永遠のケンカ友達のエイルへ。
セデスさんから、エイルはお家に帰ると聞いたので、友達の印にクローバーの秘密を教えたいと思って、これを書きます。四つ葉のクローバーは、三つ葉のクローバーが小さいときに、いっぱい踏まれたり、何かで傷ついてしまうことで四つ葉になるのだと、私の友達が教えてくれました。だから私はエイル達がいつも遊んでいるのをよく部屋から見ていたので、そこをよく探せば、ぜったいあると信じていました。へへへ、ずるいでしょ?
私の友達の話の受け売りですが、幸運の四つ葉のクローバーは、普通の三つ葉が沢山辛い事や苦しい事を経験することで、幸運を呼ぶ四つ葉になるそうです。
だから私も頭痛でとても苦しかったり、痛かったりするけど、三つ葉のクローバーみたいに踏ん張って生きて、いつか幸せを運ぶ四つ葉みたいになれたらいいなぁと思って頑張ろうと決めました。私には父様と母様とミグシスと11人の皆がいるから、一人じゃないから頑張れます!
エイルも、やっとお父様に会えるんですよね?良かったね、エイル!エイルもお家でも頑張ってください。拳を交えた漢と漢の友情は永遠さ!って、母様が教えてくれたから、私とエイルの友情も永遠です。
だってね、私はエイルと拳を交えた友達になりたかったから、サリーさんに頼んで男の子の格好をしていったのだもの!私は漢になって決闘をしたから、あの時エイルが言ってくれたように、これからもずっとそう思っているからね!ではいつまでも元気でいてね。
あなたの永遠のケンカ友達のイヴより』
何度も読み返し、一言一句憶えてしまったと言いながらエイルノンは、苦笑して残りのお茶を飲み干した。
「……本当にイヴは面白い女の子でしょ?お人形のように可愛い顔して、漢って言っちゃうんですよ。ああ、僕……本当にイヴが大好きでした……」
「もしかして、今もですか?」
「……」
「すみません、愚問でしたね。あの子を知って嫌いになるなんて、ありえないというのに……」
「?先生?」
「いや、何も。あなたには、まだ婚約者がいないのですよね?……良い出会いがあるといいですね」
「……そうですね」
エイルノンと仮面の先生の二人の茶会はなごやかに終わり、エイルノンの脳裏にはあの時の言葉が響いた。
「僕、僕、ミグシスに負けないくらい強くなる!だからイヴ!僕の僕だけの……!!」
あの時、エイルノンは『僕だけの愛しい銀の女神でいて……』と言いたかった。でも妖精と称えられて、ちやほやされるより、同じ人間としてケンカを売られたことが嬉しかったと喜ぶイヴに女神と言うのは違うと思い、代わりに言ったのは、
「僕、僕、ミグシスに負けないくらい強くなる!だからイヴ!僕の僕だけのめが……いや!えっと……だからイヴ!君のケンカ友達は未来永劫、このエイルだけだって、ここで約束しろ!」
7才のときとはいえ、もっと他に言うことがあっただろうと、あの時のことを思い返す度、頭を抱えてしまいそうになるエイルノンだが、この告白を聞いたときのイヴの満面の笑顔を思い出すと、あれで良かったとも思えた。
『うん!約束する!エイルはずっと、私のケンカ友達よ!』
言葉にして伝えられなかったけど、エイルにとって唯一のケンカ友達のイヴは、未だにエイルの心の中では”僕だけの愛しい女神”だった。エイルノンの左胸のポケットに、いつも忍ばせている栞には、あの日の四つ葉のクローバーが入っている。その栞を手に取り、エイルノンは呟いた。
「君以上に心惹かれる女性に会えるといいんだけど……」
……一週間後、エイルノンは運命の女性に出会うのだが、そのことをまだエイルノンは知らない。




