※その乙女ゲームが始まる前のへディック国の10年間
へディック国の始祖王は立派な賢王だったらしいが、カロン王の父の代から悪政が続き、国は段々と衰退の一途をたどっていた。カロンが王位について、しばらくは国の衰退は止まり、徐々に回復の傾向に向かっていた。どう見ても遊んでいるようにしか見えない王が次々打ち出す改善案は、どれも秀逸で国民達は始祖王の再来かと喜んだ。
だがカロン王が31才を迎えた年に、カロン王が学院生時代を共に過ごした、カロン王の親友ともいえる貴族が事故で亡くなってからは、王は気力がなくなったのか、それからは執政室には足を向けず、国は坂道を転がるように、また衰退していった。
カロン王がその後10年間でしたことは、二つだけだった。一つはそれまで男子校だったへディック国立学院を男女共学にしたことだった。それは大勢の貴族が流行病で亡くなったり、カロン王により処刑されたりしたことで、貴族社会の勢力図が大きく変わったと同時に貴族の力が衰退し、病や処罰により、婚約者を失った令息令嬢が多数出たため、集団見合いの機会を多く得られる集団生活の場を提供しようという理由によるものだった。
そして二つ目は、爵位返還や貴族位剥奪は必ず王の許可を王印つきで得ること、もしくは王の命令でなければなされないという、法改定だけだった。これにより、貴族院法に則った本人の意志による貴族位辞退は出来なくなってしまった。
カロン王の乱心は日々加速していった。忠告を進言する家臣を無実の罪で処刑した。毎日のパーティー費用を捻出しようと、日々の食料にも困っている民に、さらに過酷な税を背負わせた。そのパーティーで、薬を使って色々な遊びに耽りたいからと人々を堕落させる悪魔の薬と呼ばれる危険な薬を合法化した。毎年の軍事費の予算を多くして、武器を大量に買い占めて武器商人から賄賂を受け取った。それらはカロン王の承認を意味する”王印”入りの書類で実行されたことだった。
カロン王の親友だった貴族が亡くなってから、悪い事が続いた。流行病により、身分に関係なく大勢の人間が亡くなったのだ。それは後宮にも及び、公爵や侯爵などの上級貴族の側室やその子どもも、病で次々亡くなった。生き残った一番年上の子は、他国で静養していた伯爵位の側室の子どもと、まだ貴族籍に入っていない、神様の子どもである何人かの子ども達だけであった。
国民は貧困に苦しみ、国外へ逃亡する者達が後を絶たなかったが、王はそれらに対する策は何もしなかったため、城勤めの者達が眉をひそめた。カロン王が民の流失にやっと気づき、国境を封鎖したのは、……その乙女ゲームが始まる5年前だった。
王子と騎士団長子息と大司教子息と宮廷医師子息が、仮面の先生と呼ばれる男と出会ったのは15才の春のことだった。自国の学院に入学した直後、剣術指南の教師として、その男は王子達の前に現れたのだ。その仮面の教師は、皆に仮面の先生と呼ばれていた。というのも畏れ多くも今の王と同じ名を持っているらしく、それが気安く呼ばれるのは不敬ではないかと学院長が言ったかららしい。
本業は別にあり、授業があるときだけ顔を出す仮面の先生は普段はしゃがれた声で話し、猫背でやぼったい出で立ちで、胡散臭い笑い方をするから新入生達は皆、最初は誰もが彼を苦手としたが、学院生活を過ごす内に誰もが仮面の先生は学院の中で保健室の先生と同じ位に、信用のおける優しい先生だと口々に言うくらい好意を持つようになった。
というのも仮面の先生は平民ながらも剣の腕は誰もが認める程の超一流の腕前であったし、個々に合わせた鍛錬法を授け、誰もが落ちこぼれることがないようにと親身になってくれる良い先生だったからだ。それに授業以外での彼は、鬼のように強い武人とは思えない位の気さくさで学院生と接する、穏やかな性格の中年男性だった。彼は学院生達の兄や父親よりも優しい情を彼等に対して示してくれる人だったので、家族からの愛情というものをあまり受けたことがない貴族子息達は胡散臭い笑顔に隠れた彼の優しさを心地よいと思うようになるのに時間は掛からなかった。
それは王子達も例外ではなく、特に王子は今まで後宮にいて、後宮の外の世界のことを何も聞かされていなかったために、学院に入学し、社交をするようになって、初めて耳にした、自分の父であるカロン王の悪い噂に驚き、そのことについて人知れず苦悩していたのを仮面の先生に気付かれたことがきっかけとなって、自然と仮面の先生と父のことで話す機会が増えるようになった。
王子の父親であるカロン王は子に関心が無く、今まで王子はカロン王と会って話したことはなく、王子はカロン王との付き合いがこれまでなかったのだと仮面の先生に話し、カロン王にまつわる悪い噂の真偽を知りたいとこぼした。王子としては、穏やかで優しい仮面の先生に、その噂は本当ではないと言ってもらいたかったのだが、あろうことか仮面の先生は、その噂は真実だと王子に告げた。
王子は初めての社交を通して見る、自分の父について「父は王の器ではないのではないだろうか……」と感じ始めていたが、それでも自分の父親を信じたい気持ちから、仮面の先生の言葉に激怒し、「平民のあなたが何を持って、真実だと言うのか?」と全力で詰ってしまった。すると仮面の先生は穏やかな表情のまま、両手では抱えきれないほどの証拠書類を王子に見せた。その書類の王印を見た王子は、噂は真実だったのかと愕然とし、父親を糾弾しようと剣を抜いて激高したが仮面の教師は我が身を張って、それを押し留めた。
『あなたは、まだ15才になったばかりの未熟な学生だ!未熟な子どもの話など、醜悪な貴族の傀儡と化した王が聞くわけがないでしょう!おまけに王にはあなた以外に沢山子どもがいる!あなた以外に自分達のいい駒になる王子達をあなたの代わりにすることなど、彼らには簡単なことなんだ!だからチャンスを待つのです!私があなたに真実をお教えしたのは、あなたが正義の心をお持ちだと思ったからです!
私が顔を隠しているのは、王の不正の証拠を掴むため。心正しき王子が成長し、御正道を歩まれるときのお役に立つために、証拠を集めたくて姿を隠していたのです。王子に切られたとわかったら王の手の者に、この事が露見する恐れがあります。王は血のつながりなど気にしない血筋の方故、王子の命も危ぶまれます。王子の命に比べたら、私の顔などいくら切られても構いません。だから今は、くれぐれも早まることのないように!国のため!民のためにも!!』
仮面の下は思ったよりも綺麗な碧眼以外は、茶髪の特に特徴のない普通の中年男性だった。どうせ仮面で隠していたのだから切り傷も隠せると、顔の左眉から右頬に切られた傷から血を流しながら笑い、王子に忠告する教師に、王子は心打たれた。それから王子は彼と信頼関係を深めながら、学院生活を過ごし始めた。王子が彼を信用していたから、王子の取り巻きとなった騎士団長子息と大司教子息と宮廷医師子息の3人の学生達も仮面の先生に強い信頼を寄せるようになっていった。
その乙女ゲームはヒロインが入学式に遅刻して、あるモノを王子に拾ってもらうところから始まる。遅刻さえしなければ、乙女ゲームは始まりようもなかったが、その乙女ゲームのことを知っていた一人の転生者が、その乙女ゲームを始めてしまった。……でも、その乙女ゲームは、すでに乙女ゲームではなく、何人かの者達による復讐ゲームとなっていることを、その転生者は気付いてはいなかった。




