※悪役志願~ヒィー男爵家の老執事と2人のメイド
ヒィー男爵家はへディック国の始祖王の代から続く、由緒正しい男爵家だった。位は下級貴族で、領土もそれほど広くはなかったが、ヒィー男爵家は始祖王の長兄が初代ヒィー男爵家に婿入りしたことから、とても豊かな収益が得られる土地を始祖王から賜っていた。トゥセェック国との国交が再開されるまでは、ヒィー男爵の領地は温泉が湧き、崖や岩場が多いことから、保養や剣術修行の地として、へディック国の貴族達が多く訪れる土地として、伯爵家並の富を得ていた。
前王からカロン王に代わり、国交が再開されたことで、一部の大金持ちの上級貴族達は、より水質が優れた温泉があり、より修行に最適な地があるバッファー国へと向かって行ったが、それでも小金持ちの貴族や民はまだ、このヒィー男爵領を利用してくれたので、ヒィー男爵家は他の下級貴族よりは裕福だった。……だが、豊かな財産を持ち、王家の遠縁とも言える由緒正しい家柄だが爵位は低い。何とも奇妙な立ち位置であり、どう接すれば良いのかと対応に悩む貴族達から、ヒィー男爵家は敬遠されていた。
今代のヒィー男爵は子爵家からの婿入りで、ヒィー男爵家の直系である夫人とは6人の子を設けたが、どの子も5才になるまでに神様の庭へと旅立ってしまっていた。婿には内縁の妻がいて、その妻との間には無事に育った8人もの子どもがいたが、本妻であり、ヒィー男爵家の直系のヒィー男爵夫人が内縁の妻との子の養子縁組を拒み、あくまで実子の跡継ぎを望み……そうして7人目の待望の子どもとして生まれたのが、リアージュだった。
リアージュは可愛らしく、そしてとても健康な赤ん坊だった。母親譲りのピンクの髪に、透き通った水色の瞳のフクフクとした可愛らしい赤ん坊で、乳母によると乳もよく飲み、丈夫だというのでリアージュの母親はすごく喜んで、乳母と老執事にリアージュの望むモノは何時いかなる時でも何だって与えてやってくれと命じた。
食べ物もドレスも宝石も何でも好きなときに好きなだけ与えられて育ったリアージュは、傲慢で冷酷で我が儘で怠惰な貴族らしい貴族の子どもに成長していった。いつでも欲しい物を言うと直ぐに貰えることに最初は喜んでいたリアージュだったが、それに飽きてしまい、やがて回りの使用人が持っているモノに目をつけ始めた。誰かが大事にしているモノが欲しいと口にし、彼らから、それを取り上げると笑顔になり、涙を流す彼らの前で、それを壊したり破いたりして、彼らが絶望の表情に変わると声を立てて笑って楽しむようになってしまったのだ。
小さい頃から自分の命じたことは何でも叶うことをよく理解していたリアージュは、周囲の人間の失敗や不幸が大好きで、勉強嫌いの割には彼らが失敗するように悪知恵を働かせるのが得意な少女に育った。しかも自分よりも可愛かったり、美しい者には敵愾心むき出しでいたため、ヒィー男爵がせっかく高い寄進を支払い、祝福を与えるという神子姫を男爵邸に招いたというのに駄々をこね、悪態をつき、メイドに用意させていた生ゴミを投げつけて、追い返してしまった。
その後の父親の叱責をリアージュは、自分はメイドに騙されて、それをしただけだと嘘泣きして逃れ、無実なのに罪を背負わされたメイドを鞭打ち百回の罰を喰らわせながら、鼻で笑ってニヤニヤ笑顔で眺めて、一言の詫びもなく、そのメイドをクビにした。
「あんたが私より神子姫の方が可愛いって言ってたの、知ってたんだからね!可愛いのは私よ!本物がわからないメイドなんていらないのよ!」
この醜悪な娘の様子に危機感を持ったヒィー男爵夫人は乳母や使用人に娘の普段の様子を尋ね……悲鳴を上げて、寝込んでしまった。貴族らしい貴族の言葉では済ませられない、歪みがひどすぎる性格の我が子にヒィー男爵夫人は恐怖した。何とか神様の子どもの間に矯正出来ないかと考えて、母親自ら教育係になって、リアージュに読み書きと食事のマナー等をつきっきりで教え込んだ。リアージュは生まれて初めて、思い通りにならないことに苛ついて暴れたが、このヒィー男爵家の中では夫人が一番権力が上だったので、リアージュの嘘も悪知恵も通用せず、渋々それらを身に付けさせられた。
7人もの子どもを産み、体がボロボロだった夫人は、それでもリアージュの将来を憂える母親の心から体に鞭打ち、神様の子どもからヒィー男爵令嬢として、茶会や夜会に出るときのリアージュの男爵令嬢の立ち位置や貴族令嬢の役割や下級貴族としてのマナー等を必死に教えた後、無理がたたって、リアージュが7才の時に息を引き取ったが、リアージュは母親が死んだというのに涙一つ流さなかった。
「あ~、やっとうるさいのが居なくなって、清々した。これで、もう煩わしいお勉強やら、マナーレッスンから解放されるのよね!良かった~!!あ、これから私は社交はしないから、よろしくね」
この言葉に驚いた老執事から連絡を受けた、別宅に住んでいたリアージュの父親により、リアージュは叱責を受けたが、父はヒィーの血筋ではないからと彼の言葉をヒィーの直系の血筋であるリアージュはまともに聞き入れず、父がリアージュを心配し、本宅で暮らそうかとの言葉も撥ね除け、これまで同様、父は別宅で内縁の妻と暮らしながら、これまで同様ヒィー家の領地経営と社交をこなし、そしてこれまた同様リアージュを今までと同じように養ってくれとリアージュは平然と言い……そんなことを言う7才の子どもに恐怖を覚えたリアージュの父親は、それからはさらに本宅に近寄らなくなってしまった。
「あ~、本当にうっとうしいったら。あんたは黙って金だけ稼いできたらいいんだよ!」
と、父親が去り際にリアージュが呟くのを老執事は聞いてしまった。生まれた時は本当に可愛らしく、天使のように思えたのに今では、ヒィー男爵家の使用人の誰もが、リアージュを可愛いとは思わなくなってしまった。
(何とおぞましい少女だろう……)
リアージュが成長するに付け、使用人は次々辞めていき、入れ替わりが激しくなった。老執事も辞めたかったが、先代と亡くなった夫人から、男爵家の事を頼むと頭を下げられたので、仕方ないとグッと堪えた。貴族の令息令嬢は、貴族教育を一通り学び終えた12才から、夜会の参加をし始めるのが普通なのだが、リアージュは12才になっても社交には出なかった。
本来、貴族同士の結婚は家の繋がりを第一に考える政略結婚がほとんどであり、年齢差も10や20離れている者同士の政略結婚も多く、中には生まれる前から相手が決まっているということもよくある話だった。でも一部には政略結婚の必要がない者もいて、成長してから婚約者を自分で探すという貴族の令息令嬢もいた。こういう者は、茶会や夜会や乗馬で、相手を探し、恋愛で結ばれる者の中には身分差のある者も多かった。
リアージュの父親は、ヒィー男爵夫人の父親……先代のヒィー男爵との約束で、何とかヒィー男爵家の後継となる者、つまりリアージュの婚約者となってくれる者を探そうとしたのだがリアージュは、5才のころの茶会での態度や、言動が悪かったし、7才から社交もしなくなって、12才になっても夜会にも出ようとしない、貴族失格の男爵令嬢だったので、15才になってもリアージュには婚約者が出来なかった。
リアージュの学院の入学式の8日前、ヒィー男爵はリアージュに、学院にいる間に何としても婚約者を作れと念押しをした。今までの態度を改め、慎ましい淑女となって、爵位の上の子息を捕まえてこいと、かなり激しい叱咤激励をした。
それに腹を立てたリアージュは、ヒィー男爵がいなくなってから、罵詈雑言を罵り、傍に居た老執事とメイド二人に、掃除に使った汚水の入ったバケツをぶちまけた。次の日、水を被った老執事とメイド二人が高熱を出した。そして何故か、一滴の水も被っていない、リアージュも高熱を出し……、老執事とメイド二人は、リアージュに病気を移したと叱責され、着の身着のまま、ヒィー男爵家をクビになってしまった。
男爵家に長く仕えていた老執事は、病気にかかった途端、着の身着のままで男爵家を解雇され、呆然となった。老執事の横では二人の老メイドも同じようにうち捨てられて、頽れていた。
(こんなことが許されて良いのだろうか?何十年にもわたり、誠心誠意仕えてきた自分達にこんな仕打ちをするなんて、あの女は本当に同じ人間なのか?やっぱり貴族という生き物は、自分達とは全く異なる生き物に違いない)
長く仕えた主人に対し、怒りを通り越した諦念を抱きながら、老執事は同じように追い出された仲間に声を掛けた。
「しっかりしなさい。ここで立ち止まっていたら、本当に死んでしまう。さぁ、行きましょう……」
老執事の言葉を聞いても二人は顔を上げずに呟く。
「行くって、どこにですか……。あの女はお給金も満足には支払ってくれなかったのに、手荷物さえ取りに行くことを許されず、追い出されてしまったんですよ?私達が病気になったのは、あの女のせいだというのに」
「そうですよ、今日の髪型が気に入らない!だの、茶会に出向いた先の令嬢とドレスの色が同じだった!とか、淑女教育の家庭教師に怠惰を窘められた!と、事ある事に私達に八つ当たりし、水を掛けたり、鞭打ちしたり……、昨日だって、ハーデスさんは私達と一緒に汚水をかけられたじゃないですか!もうすぐ4月になるとはいえ、昨日は真冬が戻ったかのように寒かったのに!!」
3人は悔しさを噛みしめて、男爵邸を睨み付けた。老体に病を抱え、金も身の回りのモノも持たされず、途方に暮れ、このままここで、のたれ死にするくらいしか、あの悪魔のような女に意趣返しが出来ないだろう……と思いながら3人は、そのままその場で気を失った。
3人が目を覚ましたとき、彼らは暖かい部屋の清潔なベッドで寝かされていた。傍には見知らぬ老人が座っていて、彼らが気づくと、老人は、自分は旅の薬売りで、偶然道ばたで倒れたあなた達を見かけたので、教会まであなた達を運んできたと言い、保護してもらえるように頼んだから、安心してくれと、3人にそう言って、休むようにと言い添えてくれた。
老人は自分の鞄から、銀色のリスが描かれた紙袋を取り出して、中の薬草を茶にして飲ませてくれた。3人はその銀色のリスの絵で、彼の正体がわかった。銀色のリスの絵を薬の袋に描くのは、スクイレル商会だけだったからだ。このへディック国の北方にある国、バーケック国生まれのスクイレル商会の名は、民の間では有名だった。高価な薬を民でも買える価格で小売り販売してくれて、良心的な商売をすると評判が良かった。
老人は3人を教会に運んで、無料で薬を分け与えてくれながら、どうしてあんな場所で倒れたのかと心配げに聞いてきた。3人は涙ながらに礼を言い、ヒィー男爵令嬢のことを話した。本来なら主人の家の事情など、絶対口外すべきではないことだ。辞めたとしても、主人だった家の内情など話すことは、使用人としての矜持に恥ずべき行為であり、それをする者は、悪人だった。でも、どうしてもやりきれない怒りが後から後から、フツフツと沸いてきて、今までの恨み辛み、男爵令嬢が自分達に行った非道について、話す口が止まらなくなってしまった。
「それはそれは、あまりにもひどすぎる、おかわいそうに。今まで大変なご苦労ばかりで報われないなんて、悲惨すぎますね。……もし、良かったら、あなた達の持ち物とお給金を、私が取り返してきてあげましょうか?」
「え!?……それは大変ありがたいことですが、こうして休めるところまで連れてきていただき、薬まで分けてもらったのに、そんなことまで頼めません。私どもは何も持っていないし、あなたにお礼すら出来ないのです。それに平民は男爵邸には入れないと思いますよ」
「大丈夫です、私にとって、そう難しいことではないですから。お礼もいりませ……、そうですね。お礼と言ってはなんですが、先ほどのお話を、もっと聞けましたら私はすごく嬉しいのですが、いかがでしょうか?もう少し詳しく、その悪魔のようなご令嬢についてお教え願えないでしょうか?」
3人の前に立っている薬売りは、3人にとても親切だった。そして3人の主人だった、あの男爵令嬢は、あまりにも自分達の存在を馬鹿にし続けていた。3人は迷わず、悪人になることを選んだ。




