その時が来る前に……(中編)
その日、イヴはイヴの家庭教師をしているセデスから課題を出され、早速いつものように自室の机で、その課題に取りかかった。今日の課題は”遠くにいる友人に出すつもりで手紙を書く”だったので、イヴは会えなくなったアイに手紙を出すつもりになって、手紙を書いてみた。
『拝啓アイ様。お元気ですか?私は相変わらず片頭痛ですが元気にしています。私の家族の皆も元気にしています。アイとさようならをした後、私は家族と一緒にバッファーという国に行って、そこのリン村というところで住んでいます。
あのね、アイ。父様は公爵を辞めて、この国で薬草医の勉強をして、薬草医になったんですよ!それでね、お家の近くにあるバッファー国立薬草研究所という所で今は”鎮痛剤”という名前の痛みを鎮める薬の研究をしているんですよ!……鎮痛剤と言えば、ずうっと前にアイが教えてくれた、片頭痛を抑える薬でしたよね!薬の開発は難しくて、完成するのがいつになるかわからないけれど、絶対に作って見せると父様は言っていたので、私はすごく楽しみにしています。
母様はリン村の狩猟隊の隊長で、村の周りにいる害獣駆除のお仕事をしています。アイは父様と母様の仲を心配していましたよね?でも大丈夫だったんですよ!父様と母様は愛し合っていました!二人はとても仲良しで、私は二人が笑い合っているのを見ると、とても嬉しい気持ちでいっぱいになります。
今、私にはアイに会わせたい人がいます。それは私の可愛い弟達とミーナです!私の5つ下の双子の弟達は、私の自慢の弟達なんですよ。双子の兄であるロキはとてもやんちゃな男の子で、この間は木登りして降りられなくなって、ノーイエさんに下ろしてもらっていました。ソニーはとてものんびり屋さんで、散歩途中によく花畑で眠っていて、マーサさんに抱っこで連れ帰ってもらっています。
二人とも、とても良い子なのですが、甘えん坊で「おおきくなったら、ねぇちゃまとけっこんする!」と、声を揃えて、よく言ってくれます。好かれているから嬉しいけど、それで取っ組み合いの喧嘩になって、もみくちゃになり、マーサさんに、「お二人とも、埃だらけじゃないですか!今すぐお風呂ですよ!」と叱られていました。二人は、お風呂が苦手なのです。
ミーナは私の護衛をしてくれる人です。セデスさん達がスクイレル商会という名前で薬の商売を始めたので、よく片頭痛で寝込んでしまう私を心配した皆がライトおじ様に頼んで、バッファー国の王都にある騎士団で一番、剣技が上手な騎士だったミーナを私の護衛に雇ったそうです。
ミーナはとても美人で優しくて強くて、素敵な人です。ミーナは真面目すぎるところがあって、私を守るためなら手段を選ばないと豪語して、時々セデス先生にお説教されてしまうほど、私を守ることに最善を尽くそうといつも頑張ってくれる人なんですよ。いつもは並んで歩いてくれないのだけど、今日初めてミーナと少しだけ並んで歩くことが出来たので私はとても嬉しかったです。
アイは、前のお家でメイドをしていたマーサさんとアイビーさんとサリーさんの3人のことを覚えていますか?リングルさんとアダムさんが美味しいお料理を作ってくれていたことや、タイノーさんとイレールさん、セドリーさん、ノーイエさんやエチータンさん、セデスさんのことをアイは覚えていますか?私が今、一緒に暮らしているのは、マーサさんとノーイエさんとリングルさんとセデスさんだけなんです。他の皆は、私の家の隣に大きな家を建てて、そこから私の家に通ってきます。ここでは皆が抱っこや肩車をして遊んでくれるので、私はとても嬉しいです。でも皆、私の家族になったのに、未だに様付けだけは止めてくれません。どうしてか尋ねたら、セデスさんが内緒で教えてくれました。
あのね、アイ。驚かないでね。実はね、私の父様は”お館様”で、セデスさんはお館様に仕える、”銀の妖精の守り手”という忍者だったんですよ!セデスさんは”上忍”をまとめる”長”で、マーサさん達は”上忍”……上級忍者らしいんです。母様は父様の妻だから”奥方様”で、私は父様の子どもだから”姫君”で、ロキとソニーは”若君”なんだそうです。
でもね、この事は誰にも言っちゃいけないんですって!秘密にしないといけないのは”忍び”の掟だとアイが教えてくれた通りでしたね!他の人に知られたら危険だって、アイも教えてくれていたから、私も他の人には言いません!アイだけは特別ですよ!
セデスさんは”忍者”の他にスクイレル商会や家の仕事や私たち姉弟の、先生のお仕事をしています。大きな家にいる皆も、私の家のお仕事が無いときは、忍者の仕事や商会の仕事や村の警備の仕事をしていますが、食事の時間は、いる人は必ず集まって、全員でご飯が食べられるのが、私はとても嬉しいです。
そう言えばミグシリアスお義兄様をアイは覚えていますか?ミグシリアスお義兄様はミグシスとなって、私と一緒にバッファー国にきてくれましたが、今、ミグシスは私の傍にはいません。一年前にミグシスはライトおじ様の息子で王様のエース様のいる王都の学院に行きました。
そこで立派な大人になるために、何年もかけて、勉強や剣や商会の仕事をするための修行をするそうです。一人前になるまで会えないらしく、私はミグシスが出立するときにいっぱい泣いてしまいました。今でも時々寂しくて、こっそり一人で泣いています。でも私にはスクイレルの家族がいますし、ミーナも私の傍にいてくれます。だからミグシスがいなくて寂しいけど、次に会えたときに、いっぱい褒めてもらえるように、私も頑張ろうと思っています。
このリン村はとても良いところで、村の人は皆、親切で優しい人ばかりです。子ども集会で会う子ども達は最初は皆、私を苛めてくる子達ばかりでしたが、ミーナが来てからは普通に話をしてくれるようになりました。リン村の子ども達は3ヶ月ごとに引っ越していってしまうので、友達になれないのが少し残念ですが、私にはロキやソニーやミーナさんがいてくれるし、村長のライトおじ様も、私や父様と一緒で頭痛持ちだそうで、ライトおじ様と私と父様は、頭痛友達になったから平気です。ああ、もう二度と会えない、大切なアイ。私にいっぱい、大切なものをくれた……」
声を出しながら書いていたイヴが筆を止めたので、部屋の隅で刺繍をしながら、それを笑顔で聴いていたマーサが声をかけた。
「どうしましたか、イヴ様?」
イヴは眉をしゅんとさせて困り顔で言った。
「どうしましょう、セデス先生の宿題で原稿用紙5枚って言われていたのに、書きすぎてしまいました……。どこを削ればいいのか、わかりません」
すると窓辺に立ち、そこでイヴを見守っていたミーナが苦笑しながら言った。
「そうですね、その課題は、今度の村の子ども発表会でお読みになるものだと窺っておりますので、”忍者”の部分は書かない方が良いように思われます、お嬢様」
「そうですね。教えてくれてありがとうございます、ミーナ」
「そろそろ休憩の時間ですから、続きはお茶の時間の後にしましょうね」
刺繍道具をすばやく片付けながら、そう言ったマーサは玉露の用意を始めた。イヴも勉強道具を片付け、リングルとアダムと一緒に、ライトに作り方を教わって作ったイチゴ大福の盛りつけを始めた。
(ああ、もう二度と会えない、大切なアイ!私にいっぱい、大切なものをくれたアイ!!ねぇ、アイ、見てる?今も私は幸せよ!全部、全部、あなたのおかげ!ありがとう、アイ!これからも、見ていてね!私、皆と幸せに、これからも生きていくわ!そして、いつか片頭痛にも勝ってみせるからね!)
遠い国でイヴリンだった少女は、もういない。へディック国から遠く離れたバッファー国で、イヴは大好きな人達と、リン村で穏やかな生活を送っていた。
……その乙女ゲームが始まる年までは。




