イヴとミグシスの暫しの別れ(後編)
「俺、王都の学院に入学するために、今晩、家を出ます。前から考えていたことで、グラン様達に相談したら、学院の学期のことを考えたら、今晩がいいとライト様が日程調整してくれたから、俺、行ってきます」
大人達とミグシスの長い話し合いの後、ミグシスは皆の前で、そう言ってから頭を下げた。その中にいたイヴは、ミグシスの言葉に呆然となった。両親やセデス達の心配げな視線を感じながらも、ミグシスの言葉を自身の心で反芻したイヴは、それがミグシスの強い決意なのだと悟った。
「……気を……つけて、行ってきて……くだしゃい」
皆の視線の中、気丈にイヴは、そう言った。ミグシスは本当ならイヴが5才になってから、国立学院に入学するはずだった。文武両道な少年だったのだから、自分の将来のためにさらにそれを高めたいと考えることは当然だろうと、聡明すぎるイヴの頭脳は理解していた。だからミグシスが安心して、この家を出られるようにとイヴは笑顔で「いってらしゃい」を言わなきゃいけないと考えて、口を開いた。
「みぐししゅ……、い、いて、いってら……、グシュ。グシュグシュ……、いってらっしゃ……。ご、ごめんなしゃい!ちょっとだけ、席を外しましゅ!ごめんなしゃいでしゅ!」
頭は理解していても、心は追いつかなかったイヴは笑顔で言うどころか、涙が出てしまったので、それを隠そうと、急いで部屋を飛び出していった。
早く泣き止んで、笑顔で別れを言わなければと、イヴは泣きながら、一人に慣れる場所を探し、走っていた。ミグシスは慌てて、それを追いかけた。マーサも続こうとしたが、ノーイエに優しく止められた。
「こんないきなりのお別れなんて、あんまりですわ!イヴ様が可哀想です!」
「そうだね。だからこそ、僕達ではダメなんだ。僕達に出来ることは、ここで待つことのみだよ、マーサ」
皆、イヴの悲しみを思い、沈黙した。
「さびしいでしゅ……。だ、ダメよ、私!みぐししゅが決めた、こ、ことなんでしゅよ!応援しなきゃ!みぐししゅ、もっとがんばるんだも……ね。いってら……しゃい言わなきゃ……。ううっ、な、何年も離れないといけないなんて……、ううっ!!だ、ダメでしゅよ、泣いちゃダメでしゅよ。……あん、安心して、行ってきて……もらわな……きゃ……。うっ、でも……、グシュ……グシュ」
「……俺の愛しい銀の姫、俺の愛しい銀色の光。イヴ、お願いだから、そこから出てきて?」
「!ま!待って!みぐししゅ、待ってでしゅ!も、もうしゅこししたら……、グシュグシ……、ご、ごめんです、みぐししゅ……。わらって、いってら……しゃいしなきゃ、で、でしゅのに……。もうしゅこしだけ、泣いたら……いいましゅので、お家で待っててくだしゃい」
「でもそこにずっといたら、イヴ風邪を引いちゃうよ?俺、イヴを一人っきりで泣かせたくないんだ。ねぇ、お願いだから、俺の話を聞いて?」
自分の泣き顔をミグシスに見せたら、彼が決心したことを非難しているように、見えるのではないか?そんなつもりはないのに涙が溢れて止まらないので、イヴは自分の家の横にある馬屋の中に入り込み、扉を閉めて立てこもっていた。馬屋の中から、イヴのすすり泣きと。中にいる牝馬の心配そうないななきだけが聞こえてくる。馬屋の外では、ミグシスが眉をシュンとさせていた。
「わ、わかっているんでしゅ!みぐししゅは学院に行ってから、しぇでしゅしゃん達に商会のお勉強をおしょわるために、ここを出て行かないといけないって!!でもでも!!離れたくないんでしゅの!!私みぐししゅが大好きでしゅの!ずっと傍にいたいんでしゅの!!あ、ああーん、嫌ですー!!お別れなんてイヤー!!
ウワアァァーン!……嫌って言っちゃうなんて、私、しゅっごく悪い子でしゅ~!みぐししゅがやりたいこと、応援したいと、おもってるんでしゅのに、涙がとまりましぇんの~!!ウエエ~ン!!」
大泣きに泣き始めたイヴに、ミグシスは抱きしめたい気持ちでいっぱいになった。イヴに、こんなにも泣かれるなんて、嬉しいけれど、とても辛かった。今すぐ決めたことを取り消して、イヴを喜ばせたいとも思ったが、それは出来ないと血が滲むくらい強く、ミグシスは拳を握りしめる。
「聞いて、イヴ。俺は君が好きだよ。俺は言ったよね?もっと頑張って、君に選んでもらえる男になるって。……俺、すごく不安なんだ。君は性格がとても優しくて可愛いのに、見た目もすごく可愛いだろう?
だから大勢の男が最初は君の見た目にまずは下心で近づいてくるんじゃないかと俺は思うんだ。そしてね……、君の中身を知ったら、きっと、その男達のそれは本物の恋心となって、やがて一生を共にしたい、本物の愛する相手として、君を見るようになって、君を求めるんじゃないかって……俺は思っている。それ位、君は見た目も中身も素敵な女の子なんだ。
俺は……君より10も年上だから、一人前の男になっても、君に恋してもらえないかもしれないと……心配してる。だけど見た目も中身も素敵な君の横に立つためには、俺は今の俺のままじゃダメだから、俺は学院に行くって決めてしまったんだ。……例え、16才になった君に選んでもらえなくっても……ね」
ミグシスの切なげな声音に、イヴは直ぐさま馬屋の扉を開け、その胸に飛び込んだ。
「私、みぐししゅが大好きなんでしゅの!!離れたくないんでしゅの!……でも、大好きだから、みぐししゅの決めたこと、応援しましゅ。しゃびしいけど、行ってらっしゃいって言いましゅね。みぐししゅの頑張りたいこと、やってみたいこと、いっぱいしてきてくだしゃい!
わ、私もお勉強、が、頑張るから……お願い、みぐししゅ。……あのね、みぐししゅも待っていてくれりゅ?私がみぐししゅに似合う大人の女性に……あの、あのね、だから私が大人になるまで待っててね。ね、みぐし……キャッ!!」
涙を浮かべながら、泣いたことで舌足らずな口調となったままお願いするイヴを持ち上げ、顔を真っ赤にさせたミグシスは、イヴを抱き上げたまま、クルクルと回し始めた。
「ああ!!夢みたいだ!!君のおねだりはいつだって可愛くて、嬉しいのに、こんな!!こんな可愛いことを言ってくれるだなんて!幸せだよ、イヴ!俺は幸せだ!」
「キャ~!!クルクルダメでしゅ~!目が回っちゃう~!?」
ミグシスは、抱き上げていたイヴをそっと下に下ろすと、イヴの前に片膝をついて、誓いを行う騎士のようにイヴの白い手を優しく握った後、イヴの手の甲に小さなキスを落としてから言った。
「待っていて下さい、俺の愛しき銀の光。君に選んでもらえるような、一人前の男になれるように頑張ってきます」
イヴは、ミグシスの右の手を両手に持ち、自分の額に当てて、言った。
「気を付けて行ってきて下さい。私もミグシスに選んでもらえるような大人になるために、頑張りますから」
二人は涙ながらに微笑みあった。その晩ミグシスは、ライトの馬車に乗り、リン村を出て行った。




