その物語の英雄は片頭痛でした(前編)
早朝、リン村の中にある、バッファー国立薬草園の温室でグランとイヴは、仲良くハーブの苗の水やりをしていた。その様子を微笑ましく見守る、白髪の男が温室の外にたたずむ。
「ライト様、城でエース様がお待ちですよ」
「わかっている。後5分だけ」
「しかし、そう言ってさっきから30分も見ているではありませんか!帰ったら、またお会いできるのですから、お早く」
動く様子がないライトに焦る侍従の後ろから、女性の声がした。
「”ライト”様、侍従の方が困ってますわよ」
この女性の声が聞こえるなり、ライトは微笑みの表情から一転、忌々しげな顔になり、女性を睨む。その女性のお腹は、大きく膨らんでいた。
「気色悪い女言葉をつかうな!このチャラ男が!後、儂はライトだ!その発音で名前を呼ぶな!」
「気色悪いって言っても、今の私は女ですし?どちらもライトなんですから、便利じゃありませんか、お義兄さん」
「お義兄さん言うな!無茶苦茶腹立つ!ええい、何で、お前、女なんだ!ムカツク!大体この間まで、ベッドから出られなかったんだろうが!今が気分がいいからと調子に乗るな!体を冷やすな!そんな腹でうろつくな!転けたらどうするんだ!ベッドで大人しく寝ていろ!!」
プリプリ怒りながら、侍従に引きずられ、城に出張に行くライトに手を振りながら、アンジュはため息を一つ吐いた。
(ああ、ホントに昔から、あの人は……すごく……すごく俺が気に入らないんだなぁ。前世の俺はチャラかったし、ヘタレな男だったから、気持ちはわからないでもないけどさ……。ああ、でも、ここに彼がいて、ホントに良かった……)
温室の愛しい人達をライトの代わりに見守りながら、アンジュは、あの時のことを思い出していた。
前世の記憶を持って生まれてきたアンジュリーナは、頭痛で苦しむイヴの寝言を聞き、イヴが前世の自分の娘のアイだと知り、グランの眉間の皺を指で伸ばす癖で、前世の自分の妻のユイだと気付いた。そして……シーノン公爵家に養子に来る少年の名前がミグシリアスだと知ったとき、彼が出てくる、その乙女ゲームを思い出した。
ゲームの悪役に転生しているアイは、ほとんどのルートで死ぬ未来が待っていた。そしてゲーム開始時にはユイは故人となっていた。前世も今世も、自分の最愛である二人を救うため、アンジュリーナは、まずゲームに出てきた人物達のことを調べ始めた。
ヒロインと悪役令嬢は今年5才。攻略対象者達は、ミグシリアス以外は7才のはず。貴族名簿には、攻略対象者達4人の名前がゲームのオリジナルの名前で載っていた。ヒロインだけは家名も名前も、ゲームオリジナルのモノではなかったが、誕生日と出身地を調べ、ヒロインの可能性を持つ令嬢を見つけた。イヴリンは、まだ5才の誕生日を迎えていないので名簿には名前はなく、ミグシリアスもまだ養子縁組をされていないので、名簿に名前は載ってはいなかった。
次にアンジュリーナは、ゲームと今自分がいる現実の世界との相違点を探した。前世の記憶を持った自分がいる。前世の記憶を持たないが、自分と同じようにこの世界に転生した二人がいる。なら、他にもイレギュラーはあるかもしれないとアンジュリーナは考え、調べてみた所、4人いるはずの攻略対象者が3人も、国内にはいないことが判明した。
(あれ?エイルノン王子とトリプソンとベルベッサーが国外にいる?どうして?それに、彼らがいる国って?)
国同士の国交はないが、その大国の存在は、常に貴族達の間では密かに注目の的だった。
(何故、密かに注目しなきゃならなかったんだったっけ?)
アンジュリーナは、社交界の紅薔薇と称えられる貴婦人のスキルを使って、情報を集めて、一つの可能性を見つけ出した。その一つの可能性を確かめるために、アンジュリーナは大きな賭けに出た。……つまり、単身で国を渡る決心をしたのだ。
アンジュリーナはドレスを脱ぎ捨て、武人姿に変わって、男のように馬に跨がって、旅立った。女の一人旅だが、怖い物は何もなかった。何たってアンジュリーには前世で男だった記憶があったし、それ以外にもアンジュリーナは前世今世共に、体力と丈夫さだけは、人一倍だったし、前世、彼女と交際を認めてもらうために、彼女の兄の格闘道場で格闘技を習い、師範代にまで上り詰めた格闘術が、しっかり魂に染みついていたからだ。
(待っていてくれよ!絶対二人の味方を作ってくる!)
アンジュリーナは馬を駆り、ひたすらその大国を目指した。何故ならアンジュリーナが見つけた、この世界とゲームの最大の相違点が、その大国だったからだ。アンジュリーナの記憶では、そのような大国はゲームでは存在していなかったはずだった。だから、その大国を作った人はアンジュリーナと同じように、この世界のイレギュラーな存在のはずだと考えたのだ。
(彼は絶対、転生者のはず!もしくは彼の傍に転生者がいるはず!もしも転生者で無くとも……かまうものか!絶対、何が何でも、味方に付ける!)
と、他に相違点を見つけられなかったアンジュリーナは、藁にもすがるような気持ちで、無謀とも思える賭けに出たのだ。……しかし、その無謀としか思えない賭に、アンジュリーナは勝ち、最強の味方を手に入れることに成功した。それが、ライトである。
ライトはバッファー国を大国にした立役者で、バッファー国の前国王でへディック国前王ナロンの弟で……アンジュリーナが思った通りの転生者だった。
しかもライトは、ただの転生者ではなかった。ライトは自分の妹であるユイと自分の姪であるアイをとても溺愛していたユイの兄の”ライト”だったのだ!!
ライトは苛ついた表情のまま、馬車に乗っていた。
「ああ、ホントにあいつムカツク!体が冷えたら赤子によくないというのに!!妹の子を宿しているという、自覚が足らないのではないか!ええい、もう!!ナロン兄上が差し向けた暗殺者に殺されそうになったときでさえ、ここまでむかつきはしなかったというのに!」
グチグチとぼやき続けるライトに、昔からライトの傍にいる侍従はクスリと笑った。
「本当にライト様はアンジュ様と犬猿の仲ですね。彼女は美人だし、性格もさっぱりとしていて、好感が持てる女性だと思うのですが……ここまでライト様が誰かを嫌うなんて、初めてではありませんか?」
「仕方ないだろう!悪い奴ではないとわかっていても、あの女を見ていると、無性に苛つくんだ!」
(前世の大事な大事な妹のユイと、可愛い可愛い姪っ子のアイに再会出来たのは、あいつのおかげだが、むかつくものはむかつくのだ!)
と、心の中だけでぼやいたライトは城に着くまで、腕組みをして仮眠を取るフリをした。
ライトがまだ、へディック国第二王子のライトだったころ、第一王子ナロンの実母の侯爵家の奸計により、ライトの父親のアロン王は暗殺された。実母も実母の公爵家も処刑され、ライトは王位継承権の永久破棄と国外追放を、王になったナロンに言い渡された。さらには隣国に行ったライトに、ナロンは暗殺者集団を放って、その命を亡き者にしようとした。
……が、ライトはナロンが嫌いではなかったし、殺されそうになっても憎いとも思わなかった。これは仕方ないことだと受け止めていたのだ。何故ならライトの実母の公爵家も、奸計を巡らせ、ライトの父親を暗殺しようとしていたし、ナロンの実家の一族の皆殺しも、ナロンの命も狙っていると知っていたからだ。
それをライトは、お互い様ってヤツだな……と諦観していたし、ライト自身は、それどころではなかった。ライトは幼いことから、頭痛に苦しめられていた。物心ついた頃からずっと、熱の出ない頭痛に苦しめられていたため、政治も後継者争いも正直……どうでもいいとライトは思っていたのだ。
ガィンガィンと四六時中、頭の中が鈍器で叩かれているように痛むので、何もかもが煩わしくてしょうがなかった。こんなに毎日痛むのに、気のせいだと言われるのも腹立たしいし、毎日襲われる痛みに、すっかり心身共に疲弊し、生きることに生きがいを見いだせなくなっていた。
死ぬのは怖いけど、このまま頭の痛みに耐え続ける地獄の毎日と、死ぬときの一瞬の恐怖や苦痛では、どちらがマシだろうか……?と、危ない天秤について意識が囚われ、段々死の誘惑に重心が傾いていく危うい思春期を迎えた頃に、ライトは国外追放を言い渡された。
その時ライトは、わざと部屋に籠もって王命に背こうとした。年がら年中頭痛に苦しめられるのに、辟易していたものの、自分で自分の命を絶つのは怖かったから、他者がそれをしてくれるのなら、それが良いと思ってしまったのだ。
それなのに、ライトは、お節介な侍従に、物理的に引きずられて隣国に出てしまった。そこで出会った少女を人質に取られて、あわや……(やっと……)絶体絶命だという時、突然、銀色の光が辺りを包んだと思ったら、ライトは真白の空間にいた。
そこには銀色に光る美しい人がいた。その背中には透明の蝶の羽根が揺れ、銀色の鱗粉が舞っていた。おとぎ話では、こんな羽根の付いた生き物は、妖精と呼ぶのだったかなとライトは思った。銀色の妖精はライトに、
{私があなたを、この物語の英雄に選んだのだから、ここで死なれては困る}
と言った。銀色の妖精はどうしても物語のハッピーエンドを現実で見たいのだと言うので、ライトはどんな物語か尋ねると銀色の妖精は、ある小国で王位継承で命を狙われて、身分を隠して他国に逃げていた姫を助けて、悪い大臣から姫と国を救う英雄の物語だと語った。
せっかく異世界で、とても強い格闘家だった、あなたの魂を見つけて転生させたのだから、それを生かしてくれと言い、派手な格闘の場面が大好きだから、それを見せろと銀色の妖精はライトに強請った。
ライトは、そんなことを言われても、前世など憶えていないし、年がら年中自分は頭が痛かったから、剣術も体術も、からきしだと訴えると、すぐに思い出せ!……とばかりに、ガシッと頭を掴まれ、強く揺さぶられて、力技で無理矢理覚醒させられた。
『頭痛を起こしている者に、何て惨いことを!あのチャラ男でさえ、そんな卑怯なことはしなかったぞ!こんな非道なヤツには、儂の必殺技を喰らわせてやる! 』
ライトは気づいたら、そう怒鳴っていた。ライトの前世は、日本という国で生きた男性で、格闘家として他者と闘いながら……自分自身の頭の痛みとも、常時闘っている人だった。
そう、前世のライトの可愛い姪が教えてくれた、その痛みの名前は……”片頭痛”と言った。




