今日から私たち、リスになります!
リン村で生活を始めて3日後に体調が戻り、起き上がることを許されたアンジュはイヴに尋ねた。
「ねぇ、イヴ?クマとアリとリスの内、どれが一番好き?」
「どれが好き?う~ん、サリーさんが作ってくれたクマさんのぬいぐるみも可愛いし、この間イレールさんと一緒に見たアリさんの行列もすごく頑張っていました。……でも、母様と今日、散歩をした帰りに見た林の中で、リスさんを見つけましたよね?あの時の尻尾がフリフリしていたのが可愛かったので、リスさんが一番好きです!」
「わかりました、リスですね!」
頷いて微笑むアンジュは、その日の晩にグランとセデスにある提案をした。グラン達がバッファー国に来てからというもの、日に何度も顔を見に来るライトもその時に同席していた。次の日の早朝、屋敷の皆の前で、グランは宣言した。
「今日から家名はスクイレルにしようと思う」
21才の時に公爵を継いだグランは、公爵家の一切のことをセデスと、後にシーノン公爵家の顧問弁護士になったナィールに任せていた。セデスは城の事務次官と王の執政の肩代わりをさせられているグランのために、屋敷の一切を取りまとめた。
その直後グランは城の仕事が大変だろうからと言われ、親戚縁者達によって、強引に領地経営を奪われた。傲慢で強欲、だが自分自身汗水流して働くことを嫌う怠惰な彼等は、領地経営を自分達に都合のよい解釈で捉え、それらをおべっかを言うことしか取り柄のない領民に丸投げした。それしか取り柄がない領民は、領主代行を任されたと威張るだけで、領地経営について何の才もなかった。
瞬く間に領地は不作となり、領民を心配したグランは、親戚縁者達の領地経営の問題点を見つけ、その改善案を提示したが、親戚縁者達はそれを撥ね付けた。セデスはグランが考えた改善案を使って、こっそり裏から領民達を手助けした結果、それが効を奏して、莫大な利益が出て、領民達から感謝の気持ちと共に、その分け前が渡されて……、グランには巨額の隠し資産が出来てしまった。
資産活用に詳しいナィールの勧めもあって、それをこのバッファー国にある、銀行に貯蓄する傍ら、セデス達は、その一部を使って、銀色の妖精商会という名で起業し、他国から良品と噂のある医薬品を次々仕入れていた。
商会の名前を決めたのは、銀行を開設するに当たって、この国に来ていたナィールとエチータンだった。二人は観光がてらに訪れた教会の壁画で、グランそっくりの銀色の妖精が描かれていたのを見て、たいそう驚いた。
訪れた銀行で雑談として、あれは何なのかと尋ねたところ、銀色の妖精は神の使いだと銀行の者に教えられた二人は、その場で商会の名前としてそれを使おうと即決した。外国の薬でグランの身体の不調を治す薬が見つけられないかと、ずっと探していた彼等には、他国の神にでも、すがりたい気持ちがあったからだ。
商会として薬を取り扱うことを決めて、売り買いしつつ、検証して、グランの身体には効果がないものの、それなりに身体に良い薬は適正価格で販売していたので、へディック国だけではなく、トゥセェック国やバッファー国でも、銀色の妖精商会は、良心的な商会として名が通っていた。しかも外国製品ばかり取り扱い、商会の小売人も自他国問わず、能力のみ重視して身分や性別、年齢関係なく、多くの民を雇用していたため銀色の妖精商会は、国籍不明の商会として受け止められていた。
へディック国を出るとき、グラン達は茶髪の鬘を被り、出国理由として銀色の妖精商会の商売のための薬の買い付けに行くと、へディック国の国境の兵士に告げた。この兵士は、ナィールが闇の伝手で知り合いで、王の代行業に対する未払いの報酬を回収する仕事をボランティアで引き受けてくれた、義賊的悪党のリーダー格の男だった。
男は銀色の妖精商会の薬で、母が救われたことをとても感謝していたため、グラン達に恩義を感じていた。彼はすでにグラン達が北方の国から入国してきたと書かれた手形を用意していて、他の兵士や出入国する旅人の前で大きな声で言った。
「これはまた随分遠い北の国から南下されてきましたね。この国は、どうでしたか?自国のこと故、あまり大きな声では言えませんが、ろくな薬はなかったでしょう?……そうですねぇ、優良な医薬品と言えば、おい!トゥセェックのが良かったよな?え?バッファーの方がいいってか?……だそうですよ、外国から来られた御仁。買い付けならバッファー国がいいって、あいつらが言っているし、気が向いたら行かれたらどうですか?」
などと言いながら、誰にも馬車の中を覗かせること無く、自分で用意した本物の通行手形にポンポン!と出国印を押して、さっさと、グラン達を出国させてくれた。
トゥセェック国の国境に着く前、グランとイヴは、頭痛を訴えだした。髢が二人には合わなかったようで、それを外すと、やがて二人の痛みは引いた。髢は合わない、髪の染料の匂いも二人の頭痛を起こすため、仕方なく彼らは、皆、髢を脱ぎ捨てた。グランの正体がばれたら、国に戻されるだろうかとの懸念も心配はいらないはずだと、グランは言った。
何故ならトゥセェック国との交流はまだ、民の行き来しか、なされておらず、国同士の王や貴族等の交流は、まだ行われていないから、グランの素性は誰も知らないはずだし、知ったところで、グランの肩書きは単なる事務次官だったので、そこまで重要な人物とは思われていないはずだとグランは考え、セデスもそれに同意した。
グランの予想は見事当たり、トゥセェック国の国境は拍子抜けするほど、すんなりと入れた。国境を守る兵士は、銀髪のグランの容姿を見ても、シーノン公爵かと言うことも無く、ただ……すっごく男前ですねと、顔を赤らめただけだった。彼等は手形の名前や職業欄を見て、ホゥと大きく声をあげた。
「ああ、だから、銀色の妖精商会なんですね!納得です!本当に妖精のごとき、美形ですものね!ご家族皆が美しい!!小売りの人とは、何度も会ったことがありますが、商会主の方にお会いするのは初めてです!
ほう、あんな遠い国の方だったんですねぇ。ああ、だから、小売りの人達はあんなに多種多様な方達だったんですね!……へぇ、新しい商品を求める買い付けの旅ですか?それは大変ですねぇ。あなた達の扱う薬は皆良品なのは、こうやって主人自らが商品を見定めていたからなんですね。有り難いことです、あなた達のそんな地道な努力が、俺の子ども達を救ってくれたんですから、本当に感謝しかありませんよ!」
と言って、その兵士は何度も頷きながら握手を求めてきた。貴族でも金持ちでもない民にも、安価で小売りしてくれた、その薬で自分達の子どもは救われたのだと感謝していたらしい。
「そうでしょ!こんな美丈夫、歩く宣伝にピッタリだと我ら商会の者一丸になって、嫌がる旦那様を説得したかいがあるでしょ?今度手作りの妖精の羽根でも、つけてもらいましょうかね?」
番頭に扮したセデスが調子の良い言葉で、場を笑いに包ませた。憂いがなくなったグランは眉間の皺もないことから、親しみがあり、部下に理解のある、寛大な心を持つ商人に見せることが出来た。先回りしていた一族達は、用意していた商品を乗せた馬車を後ろに付け、トゥセェック国を商売しながら、国中を移動し、誰にも疑われることなく、グラン達をバッファー国に連れて行くことに成功した。出国するときも、そこにいた兵士達から、「バッファーは良い薬を作る国ですから、いいのが仕入れられたらいいですね!お気をつけて!」と、盛大に手を振って、見送られたのだ。だが、ここバッファー国では、その銀色の妖精商会の名前は使えなくなってしまった。
あまりにもグランとイヴの容姿が、この国の英雄伝説をなぞって描かれた、教会の壁画の銀色の妖精に似すぎていたからだ。宣伝効果がありすぎて下手したら、この国の貴族からイヴに対して養子縁組の打診などがあっては困るとグランは考え、商会の名前を変えることにした。
へディック国の元王子で、バッファー国の前王ライトからは、商会の名前を変えるついでに、家名を持つようにと助言された。彼はアンジュから事情を聞いて、グラン達の正体を知っていて、全面協力を申し出てくれた。
「元々銀色の妖精商会は、この国の医薬品を多く扱って他国に売ってくれたことで、この国を豊かにする一端を担ってくれていた。王室御用達の商会に指名するのに、反対意見も出ないだろう。王室御用達の商会となれば、イヴちゃんを無理矢理取り上げられる心配はなくなる。まぁ、そんなことを言い出した時点で、儂が目に物見せてくれようがな!ハハハハ」
と、親切に言ってくれたのだ。この国の英雄伝説に敬意を称し、王室御用達になるにあたり、銀色の妖精の名を使うのは、畏れ多いので、家名を商会名に使うと言うことにすれば、違和感なく受け入れられるはずだとも言ってくれた。
この国に来てから、彼は本当に親切に色んな事に心を砕いてくれたので、グランは恐縮しきりだった。でもライトは、そんなグランに暖かい笑顔をくれた。
「あの国の始祖王の末妹はシーノン公爵家に嫁いでいる。儂もあの国の元王子故、我々は遠い親戚関係にあるといえる。だから遠慮は、いらないんだ。それに君もイヴちゃんも片頭痛を患っているんだろう?実は儂も生まれつきの片頭痛があるんだよ。同じ片頭痛を患う君達に対して、儂は家族……家族みたいに君達に強い親近感を感じるんだ。それにイヴちゃんとも、頭痛友達になったことだしな。
儂はあの国に縁がなかったから、まるで君が儂の兄妹……いや、失礼、言い間違えた、兄弟のように思えてならない。だから、老い先短い男の夢を叶えると思って、儂の我が儘につきあってくれ。儂を兄のつもりで頼ってくれ!」
目を潤ませて、そうライトは言ってくれたのだ。有り難い彼の申し出を受けることにしたグランは、家名を考えねばと思案していると、アンジュが言ったのだ。
「私たちはこれから、リスになるべきよ」
そこにいたグランもセデスもライトもキョトンと目をしばかせた。
(((何故にリスを家名に?)))
と頭に疑問がいっぱいの男達に、アンジュはオレンジの瞳を輝かせて、説明を始めた。アンジュの話によるとリスは、こことはかけ離れた遠い異国の言葉で『スクイレル』と呼ぶと言う。だから異国の読み方のスクイレルを家名にしては、どうだろうかと提案し、その理由を語り始めた。
「リスは木の実を冬に備えて、誰にも見つからない場所に隠して、貯め込むでしょう?私達は貴族ではなくなったのだから、自分達のことは出来るだけ、自分達で守れるように危機になる前に、あらゆることを想定して備えておけば、少しは安心でしょう?それに旦那様が生きていることをカロン王に知られたら、力尽くで連れ戻されてしまうかも知れない。隠して備えるリスという意味のスクイレル……、まさに私達にピッタリの名前だわ!」
しかもスクイレルという家名など、へディック国にもトゥセェック国にもバッファー国でも聞いたことがない家名だから、ずっと遠方の出身だと他の者に思わせることも出来るはずよと、彼女は興奮気味に言った。グランもセデスもなるほどと頷き、ライトは良い名前だと思うが、お前が考えたと思うと腹が立つと言い出したので、アンジュが、
「イヴが、リスが好きだって言っていましたの」
と、一言言い添えた途端、ライトは相好を崩し、
「ほうほう、イヴちゃんが!イヴちゃんはリスが好きなんだな!なら、今度はリスのぬいぐるみをお土産にしよう!」
等と言いながら、あっさりと賛成の意を示した。
そんなやり取りのあった次の日、グランは皆に宣言した。
「この家名は、この屋敷の者、皆の家名である」
影の一族改め、銀の妖精の守り手となった10名とミグシスは驚きで目を見開いた。
「血のつながりなど関係なく、私は皆が大事だと思っている。イヴのいう通り、一つの家族のように大切な存在だ。だから嫌でなければ、同じ家名を名乗ってもらいたい。私達の家族になってもらいたい」
グランの言葉に皆、涙を滲ませ、これを了承していく。イヴは皆が一つの大きな家族になると聞いて、頬を真っ赤に染めて喜んだ。
「私、この喜びを、リスさんダンスで舞わなければ!」
そう言って、お尻をフリフリしながら、クルリクルリと回り、踊り出して、……やっぱり目を回したイヴにミグシスとマーサは笑顔で抱き起こしに行く。皆は、それを笑って見守っている。皆の了承を得て、密かに安堵するグランの横に、そっとアンジュが寄り添い、その腕に自身の腕を絡ませた。
「ふふ……、旦那様はご存じないかもしれませんが、皆、旦那様が思う以上にあなたをお慕いしているんですよ?この先、どんなことがあろうと彼等はけしてあなたから離れることはないでしょう。私も、子ども達も、です!」
そう言ってアンジュは自身のお腹を撫でた。ここには前世のような医療機関やら、それを確かめる判定薬などは存在しない。セロトーニもまだ確定とは言えないと3日前に言っていたが多分、この吐き気や目眩は、アレのせいだろうと思っているアンジュは、今は誰にも言えないソレが本当なら、どんなにいいだろうかと思っている。
「ああ、そうだね……、私達はこれからリスだ。リスの大家族だね、アンジュ」
「ええ、グラン様」
愛しい夫の胸の中で、愛しい娘のダンスを見守るアンジュの心は、幸せでいっぱいになった。
(これからの俺達は、リス!娘と彼女と、腹にいるかもしんない、この子も、絶対に俺が守ってみせる!!)
目を回しているイヴに水をやろうと、ライトがコップを持ち、アンジュと一瞬、視線を交わす。もしも、自分がそうなら、自分は当分動けない。数日前に感じた、あの違和感について自分で調べることは出来ないから、ライトに頼まないとならない。ライトとは普段は犬猿の仲だが、二人の思いはある一点だけは同じである。
『グランとイヴを守る』
そのためなら、二人はいくらだって協力出来る。だからアンジュの懸念について、彼は必ず動いてくれるだろう。
……3日後、やはり、それは正しく妊娠しているのだとわかって、スクイレル一家はさらに大きな喜びに包まれた。十月十日経って生まれたのが、双子の男の子達だったことで、彼等は賑やかな幸せな日々を送ることになった。




