リン村、初日にて
城から沢山の騎士に守られて、リン村に着いたグラン達は、出来たての要塞のように、村中を真新しい丸太の塀で囲んだ村の様子に戸惑いを感じずにはいられなかった。バッファー国の城よりも頑丈な守りを施されているように見受けられるのは、気のせいだろうか?と、グランは皆と視線を交わした。皆を代表してセデスがライトに尋ねた。
「あの、ライト様?ここは敵に狙われているのですか?」
重厚な塀に囲まれた村を見てセデスは素早く、グラン一家を守る陣形を指示した。
「ああ、違う違う!!これは、そこの者が二人の身が危ないと言っていたから、儂は心配でいてもたってもいられ……いや、違う……えっと、……そう!!ここの薬の秘密が他国に漏れないように、元々あった柵が老朽化していたので、ちょっとばかり手直ししたばかりの簡易の柵なんだ!まったくお恥ずかしい!もうちょっと時間があれば、岩を削りだして石垣を作り、もっとしっかりした……」
「簡易?これで?ライト様、こんな物作ったら、ここに大事な物隠してるって丸わかりですわよ?!」
「黙れ、チャラ男!!……と、お前今は女だったか。儂も薄々気づいてたが、お前に指摘されると、すっごくムカツク!」
喧々囂々と言い合いを始めたアンジュとライトに構わず、ライトの古参の侍従が、さっさと門を開け、グラン一家をリン村に招き入れた。中は普通の村のようだったので、一堂は安堵した。
草木が生い茂り、自然豊かな田舎の風景が広がり、鳥の声が聞こえる度に、イヴが歓声を上げるのを皆は微笑ましく見守った。村の中心に向かうにつれ、建物が多く見られるようになると、それらは村人の住居や、日用品を買う店や、薬草園や、村の集会所や薬草研究所だと、ゆっくり馬車を走らせながら、その都度、ライト自ら、グラン達に教えてくれた。
やがてここが村の中心だと言って、ライトは馬車を止めた。グラン達の住む屋敷は……皆の予想通り、村の中心にある、ライトの屋敷の隣だった。グラン達大人は新しい屋敷に荷物を運び入れたり、薬草園や研究所の者達との挨拶等があるので、イヴはミグシスと外を散策しておいでとグランに言われた。ライトにも、この村にはイヴ達を襲う者はいないから、大丈夫だと言われ、二人は仲よく外を散策することにした。
二人は、のんびりと薬草園を見たり、屋敷の外の小道を歩き、蝶を追いかけたりして、散策を楽しんでいた。その小道を……イヴの足の速度で、30分ほど歩いたところで二人は、地面に蹲っている、親子と思われる女性と少年に出くわした。
ミグシスが慌てて二人にどうしたのかと声をかけると、母親は自分の子が、腹痛で苦しみだしたので、この先の薬草研究をしている夫に見せるために、子を背負ってきたのだが、子の重みでここで躓き、転び、足を捻ってしまったのだと話した。しかも自分まで腹痛が差し込んでしまって、動けないから、助けを呼んで来てもらえないだろうかと、ミグシスに頼んだ。
ミグシスは女性の左足首が、赤く腫れ上がっているのを確かめ、横でお腹を抱え脂汗を流し、泣きながらのたうち回っている少年が大分ふくよかな体格をしていることもあり、女性の言葉に嘘がないと瞬時に判断し、イヴに一言断り、セデス達を呼んでくるから、ここで待っていてくれと言って、屋敷に向かって駆け出した。
……10分後、ミグシスとマーサや他の者達が駆けつけるまでイヴは、女性と少年の間に座り、腹痛で苦しむ二人のお腹を「痛いの痛いの、飛んでけー!」と言いながら、ずっと撫でさすっていた。
「……で、結局、その方の夫が腹痛の薬を処方して服用し、薬が効いてくるまで、イヴが二人のお腹をずっと撫でることになってしまったんです」
ミグシスは新居のベッドにイヴを、そっと寝かせながら、グランとアンジュに、その話をしていた。あの後、大人達の手で、二人は村の診療所まで運ばれることになったのだが、イヴが手を離すと途端に二人が止めないでと、悲鳴に近い声で嘆願し出したのだ。
どうやらイヴがお腹を撫でている間、何故か痛みがマシになり、少しだけ楽になるのだと二人が言い、それを聞いたイヴが二人に診療所に着いたら、また撫でてあげるからそれまで我慢してねと声をかけ、二人に付き合い、診療所にまで同行した。マーサとミグシスはイヴに帰りを促したが、イヴはさっき撫でてあげると言ったからと、二人の診察が終わるのを待つと言った。
診療所にいた医師はセロトーニという名前の医師で、彼の診断によると女性と少年の腹痛の原因は、食あたりとのことだった。女性の夫が駆けつけ、セロトーニの指示した処方で薬を調合を始めた。急患の診察が終わって、人心地ついたセロトーニは、そこで初めて、ようやくイヴの存在に気づいた。
小さなイヴが、親子のお腹を撫でるために、マーサとミグシスに頼んで二人のベッドをくっつけてもらい、その間にちょこんと座って、二人のお腹を撫で始めたので、セロトーニは目を丸くし、首を傾げた。セロトーニは何をしているのかと尋ね、それをイヴの代わりに、ミグシスとマーサが答えた。
二人の要望で小さなイヴがお腹を撫でているのだと聞いたセロトーニはさらに目を見開いて驚き、診療所の看護師に、イヴの代わりにお腹を撫でるようにと指示し、看護師はその指示に従い、イヴと代わって、二人のお腹を摩り始めたのだが、途端に二人は顔をしかめ、さっきの女の子に撫でてもらいたいと言い出した。
「お願いします、あの子の手がいいんです」
「痛い痛い!!ねぇ、さっきみたいに撫でて!早く!」
セロトーニは、この言葉に驚いた。
「小さなお嬢さん、お願いできますか?」
「はい、いいですよ!……お兄ちゃんの痛いの、あっちに飛んでけ-!!お兄ちゃんの母様の痛いのも、あっちに飛んでいけー!」
イヴはそう言いながら、約二時間近くも二人のお腹を撫でさすり続けた。というのも、途中何回も他の者が代わろうとしたのだが二人は薬が効いて、腹痛が治まるまで、頑としてイヴ以外を拒んだのだ。
マーサは、あの後もミグシスと一緒にイヴのそばに付いていた。ミグシスがグランとアンジュに今日の出来事を話している横で、にこやかにお茶を入れていたマーサは、フフフと微笑んで、その後の話を引き継いだ。
「セロトーニ先生は、とても驚かれていました。5才のイヴ様の我慢強さにも驚かれていましたが、それよりもイヴ様の撫で方を驚かれていたんです」
小さな子どもというのは、本来一つのことに集中する時間は短いはずなのに、イヴは大人しく二時間もそれをしていたことにセロトーニは、まず驚いたのだという。そして二時間経ち、その二人がようやく落ち着いて、礼を言おうとイヴの姿を見て、その外見が銀色の妖精だったことに驚愕し、母親は気絶してしまった。
セロトーニは、命に関わらない気絶だからと後を看護師に任せ、イヴとミグシスとマーサを隣家へと案内した。そこは診療所の横にあるセロトーニの家で、中には沢山の本やら逆さ吊りした薬草の束や、色とりどりの試薬が入ったフラスコ等が、所狭しと溢れていて、三人はそれらの獣道をかき分けた先にある応接室に通された。
セロトーニは三人をそこで待たせた後、お茶とドライフルーツを持って来て、人助けのお礼だと言って、イヴ達にお茶をごちそうしてくれた。お茶は緑色をしていて、ライトが発明した緑茶というお茶で、砂糖やミルクは入れないで飲むものだからと教えてくれた。緑茶は少し渋いので、一緒に出された干し柿というドライフルーツと食べると丁度良いと教えられた。お茶は一口飲むと確かに少し渋味を感じたが、清涼感があり、ドライフルーツはとっても濃厚な甘さがあった。三人はニコニコ笑顔で、初めてのおやつに舌鼓を打った。
そうして引っ越しの挨拶やら、この村の主要な建物や店の情報などの話の後、セロトーニは、もしイヴの手が痛くないなら、少しでいいから、僕の右肩を撫でてくれないかと頼んできた。僕も右肩が熱もないのに痛むんだと言うとイヴはこれにも快諾し、「痛いの痛いの、飛んでけー!」と言って、セロトーニの両肩を撫でた。五分後にセロトーニは礼を言い、すっかり赤くなっているイヴの両手の平を黙って見続けた。そして一言、「なるほど」と言ってから、イヴとミグシスとマーサにお代わりのお茶を出そうとしたが、窓から聞こえる鳥の声にイヴが興味を示し、診療所の庭のアヒルを見るために、イヴとミグシスが出て行くとセロトーニは笑顔でマーサに、話し出したのだ。
「僕はイヴちゃんやあなた達と会うのは今日が初めてですが、イヴちゃんがとても思いやりがあって優しい子で、しかもイヴちゃんは……痛みを知っている子だと、わかりました。
あの撫で方は……、あんなに手が赤くなるまで、少しでも痛みがなくなるようにと願いながら撫でる、あんな撫で方は……、僕は見たことがないし、聞いたことも無く、今まで誰にもされたことがなかった。少しの時間でしたが、僕はあの短い時間、とても幸せだった。僕は右肩と言ったのに、痛む右肩を無意識にかばっていた左肩も労るように、イヴちゃんは両肩を撫でてくれた。
きっとイヴちゃんは、どこかに痛みを抱えているんですね?痛みを抱える人間は、その痛みをかばうために痛みの無いところで補おうとすることを小さなイヴちゃんは知っていた。そしてかばっているところも疲弊するとわかっているから、そこも労ろうとしてくれた。イヴちゃんはとても優しい子ですね。
……短い時間でしたが、あの時間、僕は痛みを感じる自分を心から心配してくれているんだと感じ、少しでもよくなるようにと、イヴちゃんに願われていると実感できた。先ほどの親子はイヴちゃんに会って幸運だったと思いますよ。体が痛むからと撫でることで痛みが軽減されるなんて、僕は長年医師をしていましたが知りませんでしたし、他の医師だって、そんなことを知っている人は誰もいないと思います」
この世界に魔法などは存在しない。実際にはセロトーニの万年の右肩の痛みは治っていなかったが、あの時間は、確かに痛みはマシになっているように感じ、えも言われぬ安心感を感じたのだと、セロトーニは語った。
「イヴちゃんの行為は、民が赤子が泣いた時にあやす仕草に似ている気がします。泣いている子どものために、そうせずにはいられないと行動する、無意識の行動は、無償の愛からなされているものです。看護師や他の者が代わりに撫でても効果がなかったのは、検証しないとはっきりとは言えませんが多分……彼等の撫でる行為に心が伴っていなかったからかもしれませんね。彼等は僕の指示で撫でただけで、イヴちゃんのように痛みで苦しんでいる人を見て心を痛め、早く治りますようにと願いながら撫でてはいませんでしたから。
ライト様が今日リン村に引っ越してくる者達はライト様にとって、世界中の何よりも大事で、何よりも尊いのだとおっしゃっておられましたが、納得です。こんなに優しいイヴちゃんやミグシス君を育て、守られている方達が尊くないわけがないのです」
セロトーニは窓から見えるイヴとミグシスを見て微笑みながら、そう言っていたとマーサは話し終えた。マーサの話を聞き、グランとアンジュはベッドで眠るイヴを褒めた。ミグシスも嬉しそうにそれを見ていたが、何か彼にとって、嫌なことを思い出したのか、眠るイヴの手を握って、こう呟いた。
「絶対、大切な君をあいつになんか渡さないぞ!」
グランとアンジュが何の事かと首をかしげると、マーサはクスクス笑いが止まらなくなった。二人はマーサに理由を尋ねた。するとマーサは笑いながら言った。
「フフフ……それが、セロトーニ先生の家から出て、帰る前に別れの挨拶をと、診療所に顔を出したときにイヴ様にお腹を撫でられていた少年が、すっかり元気になっていて、真っ赤な顔で、自分はイヴ様への恋の病にかかってしまったから帰りたくないと言い出したんです。世界一のお医者様になるから君に傍にいてほしいと。
この言葉に、ご両親もセロトーニ先生も大笑いだったんですが、ミグシス様がそれを聞くなり、イヴ様を抱き上げて、彼からすぐに走って逃げてしまったんです!その追いかけっこも、お、面白くて……フフフ」
「マーサさん、笑いすぎですよ!俺の愛しいイヴに初対面で口説いてくるなんて!いくら彼がイヴに感謝してたって、俺は彼にイヴを譲ったりなんかしませんから!!」
「まぁまぁ、大丈夫ですよ、ミグシス様。あの方達は明日には本国にお帰りになるそうですから。確か、本国のお兄様がお亡くなりになられて、家督を継がなければならなくなったそうで。お母様と彼は、そのお別れ会で出された食べ物でお腹を壊したようですが、軽度のモノだったので、明日の出立には支障ないようです。お母様の足の怪我も軽傷でしたし、移動は馬車ですからね」
真っ赤になって、むくれるミグシスと笑いながら、宥めるマーサを暖かく見守るグランは、隣で笑って
いたはずのアンジュが顔面蒼白になっているのに気づいた。
「どうしたんだい、アンジュ?具合が悪いなら、早めに横になろ……」
グランの言葉を聞き終わらぬうちに突然の吐き気に襲われ、アンジュは洗面所に駆け込んだ。
「まぁ、奥様、大変!すぐにベッドに!」
ミグシスは、セロトーニ医師を呼ぶために走り、グランに抱き上げられながら、目眩と吐き気に襲われているアンジュのために、マーサは寝室の扉を先導して開け、サリーとアイビーとセデスを呼ぶため、部屋を出て行った。
アンジュはグランによって、優しくベッドに寝かされた。身に覚えがある吐き気に苦しみながらも、アンジュの脳裏には、ある言葉が妙にひっかかっていた。
(うっ!気持ち悪い!”恋の病”……どこかで聞いたことがあるような……、”世界一のお医者様”って、誰かが言っていたような……。どこで?誰が?……ううっ、ダメだ、目がグルグル回る!何か大切なことを忘れている気がするのに集中出来ない)
グランに額の汗を拭われながら、集中出来ないままの意識も途絶え、アンジュはそのまま、気を失った。
ふくよかな少年視点のお話は、また後日・・・




