シーノン公爵家の忍者と馬車と毒薬と(後編)
ミグシリアスは丘に向かうカロンを尾行していた。カロンからイヴリンとイミルグランを守るために、ミグシリアスはカロンを説得しようと思っていたのだ。……もしも説得に失敗しても、力尽くで止めようと密かに決意し、恩人であるカロンに刃を向けるのは、本当はしたくないけれど、やむを得ないときは、彼と差し違える覚悟を持って、丘を昇っていった。
自分がもし失敗しても、自室の机の引き出しにカロンの計画のあらましを書き残してきたので、シーノン公爵親子の命は守られるはずだとミグシリアスは母の形見の短剣を握りしめ、カロンに近づいていった。ミグシリアスに戦い方を教えてくれたのはカロンだから、どれだけ気配を消していても、ここにミグシリアスが来ていることをカロンはわかっているはずだ。でもミグシリアスは愛しい者のために、目の前にいる悪魔に立ち向かうつもりで来た。……だが、
「ミグシリアス様。お手紙拝見しました。後の事は私にお任せを」
ミグシリアスが振り返ると、そこにセデスが立っていた。セデスは足音も気配も、カロン以上に完全に消して、二人の前に現れたのだ。ミグシリアスがカロンの方を見ると、カロンは顔を青くさせて引きつっていた。
「ミグシリアス様。この先に馬車を待たせていますから、タイノーと共にミグシリアス様に、いくつかのお使いをお願いしてもよろしいでしょうか?申し訳ありませんがお願いします。……ミグシリアス様、もう大丈夫ですよ。こんなものを持たされて、とても怖かったでしょう?恐ろしい思いをされて、苦しかったでしょうに、ミグシリアス様は、よく頑張られました!
後で少し、お話はしてもらいますが、ミグシリアス様を悪いようにはしませんから安心して下さい。ミグシリアス様に怖い思いをさせた男には、後で謝罪をさせますので、今はこのまま何も聞かずにあちらへ……。この男のことは、私にお任せを」
穏やかな表情だが、有無を言わせない迫力を感じ、ミグシリアスは大人しくタイノーの待つ馬車へと向かった。
「こんなモノを子どもに持たせるなんて……。子どもの教育に良くないと思いませんでしたか、ナィール?愚かしいにもほどがありますね。何がしたかったのですか?おや?師の問いに答えられませんか?……ならば、私の憶測を言いましょうか?……そうですね、
『ミグシリアス様を公爵家の養子にして、仇の息子の側近にしてから、何か適当な騒動を起こして、その混乱に乗じて、仇を毒殺か刺殺かを彼に命じて実行させて、彼に母親の仇を取らせてやり、そして自分は仇の命を彼に譲って、自分は仇の仲間達を全て消し、害悪がいなくなった、この国の王に彼を据えようと考えた……』
……と、こんな感じでしょうか?あなたがそれをするのにイミルグラン様は邪魔なんてしないのに、暗殺しようとするなんて……。さてはナィール……、あなたはイミルグラン様に甘えたくなったんですね?」
「っ!な!!っお、俺は、甘えるなんて!!」
言葉につまったナィールを冷静に睨めつけて、セデスが言った。
「悪魔になる自分を親友に見られたくなかった。嫌われたくないから未遂になるのがわかっていて、殺そうとした……。そうでしょう、ナィール?それを甘えているというんですよ、ナィール。イミルグラン様には、我々一族がついているのだから、毒殺なんて無理なのを初めからわかっていたはずでしょう?
我々の手はいらない!……と最初に突っ張って、激しい復讐の念のまま、一介の弁護士でしかなかったあなたが、弁護士の仕事と子育てと証拠集めを全てやっていたのは褒めてあげますが、一人で抱え込みすぎて、正気を失ってしまっていると、気づかないんですか?冷静になりなさい。直接手を下すのなんて、三流のやることですよ、ナィール。単に殺すだけなんて、つまらないと思いませんでしたか?
殺すだけであなたの復讐心は満たされるんですか?どうせなら、相手に自分が感じた倍以上の苦痛やら哀しみやらを充分感じさせてから、事を為してやろうと思いませんでしたか?こんな三流の復讐しか考えられないなんて、がっかりです。
私は二人を一流に育てたはずですよ、ナィール。……もしこれがイミルグラン様だったのなら、とっくの昔に最高の効果のある復讐を考えていますよ。私が二人に施した教育は何だったのかを考えて見なさい。最愛の女性の子どもに、三下みたいなことをさせようなんて、愚かしいにも程がありますし、親友の命を奪おうなんて、愚の骨頂です」
「イミルグランと俺が学んだ……教育?」
セデスの言葉に思考の淵に沈みかけたナィールの肩をセデスは、ガシッと掴んだ。
「未遂とは言え、イミルグラン様の命を狙ったあなたに、私がご丁寧に教えると思いますか?後でご自分で考えなさい。私は今日は15年振りにあなたの師に戻って、弟子のあなたに今からお説教をしないといけませんからね。
ああ、屋敷のことなら、ご心配なく。イミルグラン様は書類の整理をされておられるし、イヴリン様はお昼寝の時間です。屋敷のことは他の者がしてくれますし、タイノーに明日の用意のために、ミグシリアス様といくつかの店に行ってもらいました。後2時間は私は時間がありますからね。
嬉しいでしょう、ナィール?私に今から叱られるあなたを誰にも見せないように配慮してあげたんです。本来ならミグシリアス様を自身の息子にしたかったのでしょう?その最愛の息子に情けない姿は、父として見られたくはないでしょう?……私は、あなたの師ですからね、よくわきまえています。
ではナィール。昔のあなたが5分持たなかったあれを、説教代わりの最後の授業として、2時間みっちりと、鍛錬してあげましょうね」
「うげっ!?ち、ちょっと待て!待って下さい、セデス先せ……ぎゃ~!!」
馬車に乗りながら、ミグシリアスはあの日を思い出していた。あの後ミグシリアスは、タイノーと共に帰ってきた屋敷の庭で、燃え尽きてボロ雑巾状態のカロンに出迎えられ、深々と謝罪されたのだ。その横ではセデスがスッキリ爽やかな笑顔で立っていた。セデスはいつものように穏やかな老爺の声で言った。
「あなた様は私の孫弟子ですよ、ミグシリアス様。ナィールから詳しい話は聞きましたが、あなた様からも詳しく聞きたいので応接室に行きましょう。……ナィール、また夜に屋敷に来なさい」
ミグシリアスは以前、初めてシーノン公爵家に来たとき、イミルグランを鬼と見間違えた。……だけど。
「「……はい」」
項垂れながらも素直に了承の言葉を吐くカロンを見て、ミグシリアスは本物はここにいると思った。自分の横でグッタリとしているカロンは、頭を掻きながら、ヨイショと言って立ち上がると、ミグシリアスの黒髪を撫でた。
「彼等がいれば、お前の愛する者達は魔の手から守られる。俺のように悪魔に奪われることもないだろう」
「カロン?」
「ん……何でもない。また夜に来るから」
ミグシリアスは片手を上げ、去って行くカロンを見ていた。結局カロンが何故イミルグランとイヴリンを殺そうとしたのかの理由について、ミグシリアスがカロンから直接話を聞くことは出来なかった。応接室でセデスから、あれは単なる遅すぎる反抗期ってヤツで、乳兄弟で親友のイミルグランにナィールが構って欲しいだけだったのだと言われて、ミグシリアスは大層驚き、その時はそれを半信半疑でいたが、先ほどの二人の別れの様子を見て、セデスの言葉が真実だったのだろうと一人納得することとなった。
彼と会うことも二度とないだろうとミグシリアスは思い、隣に座るイヴリンを見る。初めて乗る馬車に、はしゃいでいる様子が実に可愛らしい。確かに、ここにはセデス達がいる。イミルグランもアンジュリーナも、相当の手練れであるとの説明を、あの時応接室でセデスに聞いている。イヴリンを守る人達は大勢いる。……しかし。
「どうしましたか、ミグシリアスおにい……、いえ、ミグシス?私のお顔に何かついてますか?」
首をかしげつつ問うイヴリンの頭を撫で、ミグシリアスは微笑んだ。馬車の馭者席から、もうすぐ国境です!というセデスの声を聞きながら、ミグシリアスはアンジュリーナに渡された茶髪の髢をイヴリンに被せた。
「ううん、ただ……俺。もっと強くなりたいなって。一番強くなってイヴを一番守れる男になろうって、思っただけ!これからはイヴリンはただのイヴで、俺もただのミグシスになるけど、これだけは忘れないでね、イヴ」
ミグシリアスは、少しだけ格好つけてイヴリンに告げた。
「俺は君のためなら、どんな悪魔にだって勝ってみせる位、強くなって君を守って……君を一生、離さないから!」
「離さないってことは、傍にいてくれるってことですよね?嬉しいです!ミグ……シスのこと、大好きだから、私すごく嬉しいです!!ミグシス、ずっと一緒にいてくださいね!」
格好つけて言ったのに、素のイヴリンの言葉に首まで真っ赤になって照れるミグシリアスを、二人の目の前に座るイミルグランとアンジュリーナは苦笑しながらも微笑ましげに見守っていた。
※怒らせるとすっごく怖い、スーパー執事のセデスでした。優しい少年に毒薬を持たせたことをものすごく怒っています。基本子どもの味方なのです。イミルグランの命を狙ったことも怒っていますが、二人の友情を見守ってきたセデスは、それがナィールの甘えだと見抜きました。
ちなみにセデスが語っていたカロンの計画は、ゲームのミグシリアスを攻略した場合の二つある、エンディングの内の一つです。ゲームでミグシリアスは丘の上で自分の出自をカロンから聞かされ、母を捨てた父親への復讐を決意して、上記の計画を実行したというのが、そのエンディングへのルートへと進む分岐点でした。丘に現れて阻止したのはセデスでしたが、イヴリンが間接的にミグシリアスのそのルートを阻んだことになります。




