二人だけの物語〜悪人の悪役志願㉒
「痛くて動けないようでしたら、救急車を呼びましょうか?」
リアージュは驚きすぎて、直ぐに返事が出来なかった。
(これがあの女……。”お姫様”が心底憎んでいた女。ううん、本当は違う。本当は”お姫様”のたった一人の……友達。そしてこの世界に来て初めて私を純粋に気にかけて声をかけてくれた人間)
リアージュのことを心配げな表情で見つめている女性は、”お姫様”の記憶にある高校生の唯よりも、うんと年を取っていたけれど、紛れもなく目の前の女性は唯だと、心の中で”お姫様”が叫んでいた。
(唯?唯!?ああっ、生きてる?!生きてる生きてる、唯が生きている!でも、どうして?どうして唯が生きているの?あの時、病室で亡くなるのを確かに見たのに!?もしかして、あれは夢だった?……そうね、唯が死ぬわけないわよね!ああっ、良かった〜!あれが夢で本当に良かった。唯が死んでなくて、本当に嬉しい!嬉しい嬉しい!
唯、久しぶりに会うわね!あの修了式の日以来だね!……あの時はごめんね。唯をずっと騙していてごめんね。あなたの勘違いを利用して本当のことを黙っていて本当にごめんなさい。信じてくれないかもしれないけれど、私、あなたに友達になってほしいと言われたことがすごく嬉しかったんだよ。私は他の人間にとっては悪くて嫌な人間だったけど、あなたの傍にいるときだけは普通の女の子でいられたの。私にとって、あの一年間が人生の中で一番、幸せな時間だった。
あの時以来、唯に嫌われたと思って、あなたと二人で会うのをずっと避けていた。あなたはあの後もずっと公園の掲示板が撤去される日まで毎週掲示板に『待ってます』と書いてくれていたのを知っていたのに、怖くて会いに行けなかった!あなたの余命が短いと知った時は、あなたに嘘をついていたことを詫びるべきだったと激しく後悔したわ!後三ヶ月、せめて半年前に頭の中の腫瘍が見つかっていれば助かった命だったと知った時は、何度も神様に半年前に時間を巻き戻して下さいと願ったわ!
ああっ、ここにいるのは本当に唯なのよね?……あっ、唯の目尻の横に皺が出来てる。これは笑い皺?ああっ、笑い皺だわ!良かったね、唯!眉間の皺よりも目尻の皺の方が多くて深い!きっと頭痛で苦しむ回数よりも笑っていることが多い人生を送れていたんだね!幸せに生きていたんだよね!)
”お姫様”の記憶と気持ちが噴き出して、一気にリアージュに流れ込んでくる。リアージュは大量に押し寄せてくる”お姫様”の情報に翻弄されながらも、”お姫様”として久しぶりに再会した唯に、自分は何と声をかけるのが正解だろうかと考えながら唯を見上げると、唯は転倒した人間が”お姫様”だとは気がついていない様子だった。
「もしか……して……私だと……わから……な……い……の?」
今、言葉を発したのはリアージュではない。リアージュの中の”お姫様”が、唯に気づいてもらえないことを悲しんだ言葉が独りでに零れ落ちたものだ。リアージュは少し離れた場所にある店のガラスに映っている”お姫様”の姿を見て、唯が気が付かないのも無理はないと思った。
(確か”お姫様”は唯よりも一つだけ年上のはずよね?それなのに、この見た目の違いだものね……。見た目だけなら、まるで親子にも見えてしまうほど”お姫様”だけが年を取っているし、これじゃ名乗っても、直ぐには信じてもらえないでしょうね。もしかして”お姫様”の40才過ぎの体に、50年生きた私が入り込んだことで、私の50年が”お姫様”の体に加算されたんじゃ……)
リアージュは唯の顔を凝視しながら、そんな仮説を立てる。元の”お姫様”の容姿がどんな姿だったのかは、リアージュにはわからない。だが少なくとも今の容姿は髪色と瞳の色以外は、前世のリアージュの姿そっくりなのだけはわかる。いつまでも起き上がらないリアージュを見て、唯が心配げにこう言ってきた。
「あの、ここで少し待っていてもらえますか?今から私、どこかのお店に走って行って、救急車を呼んでもらえるように頼んできますから」
「ま、待って!き、救急車はいらない!……えっと、えーっと……そうだ!あ、あそこに見える椅子の所まで連れて行って」
リアージュはその場を離れようとした唯を引き止める。唯はなおも気遣ったが、リアージュは大丈夫だからと何度も言って唯を宥め、唯に起き上がるのを手伝ってもらうことにした。唯はリアージュの頼みを快く引き受け、起き上がるのに手を貸してくれた。
(昔はパーカーとデニムのパンツばかりだったけど、今はスカートも履くようになったんだね、唯。もしも今日、唯と会えるとわかっていたら、私もきちんとお風呂に入って、歯もしっかり磨いて、清潔な服を着てきたのになぁ……。こんなヨレヨレな格好で恥ずかしいわ)
背中に手を添えながら、ベンチまで誘導してくれる唯に、”お姫様”は羞恥の気持ちを抱くのを感じたリアージュは、バツが悪い気持ちになった。
(悪かったわね!だってクーラーのかかった部屋にいたら汗はかかないから、お風呂に入らなくてもいいと思ってたのよ!それにあまり外に出歩かないから服だって着替えなくていいと思ったのよ!歯磨きは面倒だからしたくなかったのよ!)
そんな言い訳を心の中でしているリアージュの内心を知らない唯は、リアージュをベンチにゆっくりと座らせると、座ったリアージュと視線が合うようにしゃがみ、こう言ってきた。
「本当に大丈夫なのですか?もし救急車がお嫌でしたら、ご家族にでも連絡を入れて迎えに来てもらえるようにしましょうか?」
「……だ、大丈夫よ。お、音は派手だったけど、そ、そんなには痛くないし!」
視線が合うようにしゃがんでいる唯の表情は真剣そのもので、本当に心配してくれているのだと容易にわかるものだった。リアージュはそれが嬉しいと思いつつも、今更ながらに手入れを怠った自分の姿を至近距離で唯に見られたことに”お姫様”が感じるように恥じてしまい、そっぽを向いたまま返事をしてしまった。一先ずリアージュが大丈夫だと知った唯は、もう手助けすることもないだろうしと、立ち去ろうとしたので、慌ててリアージュは自分が座るベンチの横を指して、こう言った。
「ち、ちょっと、ここで私と話をしていかない?わ、私……誰かと普通に話すの、すごく久しぶりなの」
リアージュの頼みを断らず、素直にベンチに座ってくれた唯にリアージュは、遠い昔に自分によくしてくれたルナーベルを思い出し、そのお人好しさと無防備さを懐かしみながら、さて、何を話せばいいのだろうかと考えた。
(こういう時って何を話せばいいんだろう?肝心の”お姫様”はあれ程、唯と話したがっていたのに、いざ、こうして話せる場を設けてみたら臆病風に吹かれて、何も話そうとはしないし……。唯が自分だとは気がついていないことに落胆しつつ安堵しているみたいね。私も久しぶりにまともに人と話すことが出来て嬉しいのに、初対面の人間と普通に話すのは慣れていないから、何を話せばいいのか、よくわからないし……。よし、ここは無難に天気の話から始めてみることにしよう)
そう覚悟を決めて話しかけようと思ったものの、リアージュは10分経っても、未だ唯とは一言も言葉を交わすことが出来ずにいた。というのもリアージュが唯に話しかけようとする度に他所から邪魔が入るからだった。
「あの……大丈夫ですか?気分が優れないなら、救護室までお連れしますよ」
今もまた、折角リアージュが話しかけようとしたところに、どこからともなく男性が割り込んできて、時計を見て、ため息をついた唯に声をかけてきた。度重なる邪魔者の登場にむくれてしまったリアージュを気にしながらも、唯は声をかけてきた男性に笑顔を向けて言った。
「いえ、どこも気分を悪くはしていないので、大丈夫です。お気遣いありがとうございました」
「こちらこそ早とちりをしてしまい、申し訳ありません。でも、あなたが大丈夫で良かったです。では失礼させていただきます」
男性は礼儀正しく挨拶した後、去っていった。ジトッと唯を睨めつけるリアージュの視線を感じていたのか、唯は何回目かもわからない謝罪をした。
「長くお待たせしてしまってすみません……あの、お話を「もう話なんていらないわよ!」」
リアージュはベンチから立ち上がり、唯を右手の人差指で唯を指しながら、怒りの声を上げた。
「何よ、あんた!ちょっと美人だからって調子に乗るんじゃないわよ!何で私が転んだときは誰も助けにきてくれなかったのに、あんたが額に手をやったり、眉間にシワが入ったり、ため息をついただけで入れ替わり立ち替わり、人が来て、あんたの安否を心配するのさ!何でここに座って、たった10分の間で、何十人もの人間があんたに声をかけてくるのよ!……昔とちっとも変わんない。男も女も皆あんたの心配ばっかりする。あんたばっかり昔からずるいのよ!」
この言葉は”お姫様”が唯や千尋や、他のイケメン達に対して、心の奥底で隠し持っていた嫉妬から出てきた言葉だった。美しい者は自分から動かなくても周りの人間が美しさに惹かれて、関わりを持とうと近寄ってくる。でも美しくもなく、美しい千尋を虐めていたという過去があった”お姫様”には誰も関わりを持とうとしなかった。
孤独な”お姫様”は誰かと関わりが持ちたくて、美しい男達に近づき続けた。黙っていても人が寄ってくる美しい者の大事にしている人間になれたら、自分も多くの者に関わってもらえる人間になれるのではないか?孤独ではなくなるのではないか?……嫉妬しながらも、そう望む気持ちが”お姫様”をイケメン達を追いかけ回すストーカーへと変えてしまったのだ。
「昔?もしかして昔、私はあなたとどこかでお会いしたのでしょうか?」
「あっ!な、何でもない!し、初対面よ!は、初めて会ったのよ!」
昔、どこかで会ったことがあるのだろうか?と首をかしげる唯に、リアージュは気まずくなって顔を後ろに向けた。唯はリアージュの背中越しに、こう釈明をしてきた。
「お気を悪くさせてしまって、すみませんでした。私は昔から頭痛持ちで……強い日差しを見ると余計に痛みが増すものですから、普段から日差しを避ける生活を心がけているんですが、そのせいで色白になってしまったからか、どうやら周囲の人達には、私が病弱に見えるそうなんです。家族や友人達がいると、そうでもないのですが、一人っきりになると親切なスパ……親切な方々が現れて、こうしてよく心配して声をかけてくださるんです」
リアージュは唯の言葉を聞きながら、生前の自分を思い出した。生前のリアージュは若い頃は自分よりも美しい者が嫌いだったが、ネルフ国の収容所に入ってからは、自分と同じ囚人達が病気や怪我で強制労働を休んでいたことに苛立ち、あいつ等だけズルいと思った経験から、自分よりも病弱な者の方が大嫌いになっていた。なので”お姫様”の大事な友達である唯が、自分の大嫌いなものばかりの特性を持っていると知って、先程まで感じていた好意が吹き飛び、リアージュは目の前の唯が、途端にズルい人間だと思えてきて腹が立ってきた。
「ふ〜ん……。自分は美人なだけではなく、病弱なんだと自慢したいわけ?……どこまでも嫌味な女」
リアージュは自身が持つ、ショルダーバッグを開け、財布を持つと自分のバッグをベンチに座る唯に押し付けるように渡してきた。
「ちょっと喉が乾いたから、あっちの店で買ってくる。それまで、これを持ってて」
リアージュは何事か言っている様子の唯を無視して、駆け出していった。目的地はあの店だ。この美人な上に病弱だという嫌味な女に目に物見せるのに最適な物が、あの店で売っているということがリアージュにはわかっていたからだ。




