二人だけの物語〜悪人の悪役志願⑳
8月になった初日、目を覚ましたリアージュはトイレに行った帰りに、何気なく視線をやった廊下の壁にかけてあったカレンダーの文字や数字が読めるようになっていることに気がついた。慌てて部屋に戻れば、昨日まで何かの模様としか認識できなかったものが、全て文字として見えることで、部屋の中の印象もガラリと変わってしまった。
変わってしまったのはそれだけではなかった。今まで何かの機械としかわからなかったものが、はっきりと名称や、その用途や、使い方までわかるようになっていた。リアージュは嬉しくなり、まずは動く絵を見ようと床に散らばったゴミの中に埋もれていたテレビのリモコンを探してテレビをつけたり、ホコリを被っていた掃除機を動かしてみたり、また昨日までは画集としてしか認識できなかった本を取り出して、中をパラパラとめくり、それが小説だったり、漫画だったりするのだと、改めて認識出来ている自分に喜んだ。
初めてテレビというものを見たリアージュは大いに驚いた。小さな箱の中で何人もの人間がいたからだ。びっくりしてテレビ画面の側まで行き、中の人間に話しかけたが返事はなかった。不思議に思って、テレビ画面をペタペタと触ってみたり、どうやって人が入ってるのだろうかとテレビの裏側を覗き込んだりしてみたりした。それでも諦めきれず、しばらくは必死に話しかけ続けたが、テレビの中の人間はリアージュに気づいてはくれなかった。
どうやったらテレビの中に入れるのだろうかと悩んで、リモコンのボタンを色々押してみると、今度は人間ではないものが動いていたので、リアージュは驚きすぎて腰を抜かしそうになった。”お姫様”の本棚に並べられたゲームソフトの表絵や漫画の絵が、まるで生きているように動いて喋っている様子にリアージュは呆然とした。
(これはもしや……これが”あにめ”というやつなの?凄い。絵なのに生きているみたい。どうしてこんなことが出来るんだろうか?もしかしてここは魔法が使える世界なのかしら?)
初日に来た時は筆の跡がない絵は、どれもこれも同じに見えて、全く違いがわからなかったリアージュだが、アニメとして絵が生きた人間のように動き、その登場人物の声が皆、違うことで見分けることが出来た。その日は一日中テレビの前にいて、何度も話しかけ続けたが、テレビの中のアニメに出てくる登場人物もテレビの中にいる人間も、やはり誰もリアージュに返事はしてくれなかったことで、リアージュはテレビは本棚に並んでいる小説や漫画と同じものなのだと思った。
テレビは小説や漫画と同じ。違うのは読むつもりもないのに、勝手に登場人物が喋り、絵が動くことで、勝手に話が進む物語を一方的に見せつけてくる機械。それがリアージュのテレビに感じる印象だった。もしもリアージュが孤独感に苛まれていなければ、自分でページを捲り、自分で読みすすめる手間もいらないテレビは、面倒くさがり屋のリアージュにピッタリの娯楽の一つになり得ただろう。
だが16才の時に味わった孤独の恐怖に再び脅かされていたリアージュにとって、テレビは自分が孤独であることを一層思い知らしめる機械でしかなかったから、リアージュは次の日にはテレビをつけるのを止めてしまった。テレビに関心を無くしたリアージュが次に目を向けたのはパソコンだった。パソコンはテレビのようにリモコンはついておらず、机の足元に置いてある長方形で重そうな白い機械の下の方についている丸いボタンを押すと電源が入るようになっていた。
リアージュの中にある”お姫様”の記憶では、”お姫様”は外に出かけない日は殆ど、パソコン前で座っていたという記憶があったから、さぞかしパソコンは面白いものなのだろうとリアージュは思っていたのだが、パソコンが立ち上がり、モニター画面に映し出されたものは、僕イベのファン情報サイトのトップ画面だった。リアージュは鬼門と言ってもいい、僕イベという言葉を見て顔をしかめたが、ある箇所に興味が引かれたので、その画面を消すこと無く、その箇所をマウスを使って押してみた。
(へぇ〜、僕イベについて、ファン達が自由に語り合うことが出来るのね。何々……『エイルノンのキラキラ王子様ってる姿、大好きです!白馬に乗ってるの見て鼻血出た!』、『トリプソンの兄貴感、素敵すぎます!兄貴、一生ついていきます!』、『ベルベッサーの声、神ってる!声を聞くだけで孕みそう!』、『エルゴールルートのラストスチル、まじ最高!神子姫エレンたん、爆萌キュンキュン!ヒロインよりも超絶綺麗で可愛らしい!ヒロインってます!』……ハァ?バッカじゃないの!あんな奴らのどこがいいのよ!それに私よりもあの生ゴミだらけになった神子姫の方が美しいですってぇ〜!こいつら全員、頭おかしいんじゃないの!?)
リアージュは若かりし日の色々なことを思い出し、つい怒りに我を忘れ、思わず『私は攻略対象者の男達が大嫌いだ!』とパソコンに打ち込んでしまった。あれ程関わるまいと思っていた僕イベに関するものに書き込んだことに、しまった!……と我に返り、慌てて削除しようとした所、『どうしてそんな事を言うのですか?』と誰かがリアージュに尋ねてきたことにより、削除するという考えは頭から吹き飛んでいってしまった。
顔も年齢も性別も何もかもわからない誰かが、リアージュの言葉に目を止め、リアージュに語りかけてきたという事実が、リアージュを大いに喜ばせた。そこからのリアージュは無我夢中だった。寝食を忘れるほど書き込み続けた。それを10日ほど続けた頃だろうか……?また”お姫様”の記憶が新たに追加され、やっとリアージュは書き込みをする手を止めた。
『インターネットの世界では匿名性なんて有って無いようなものである。パソコン、情報端末機としての機能を兼ね備えた携帯電話にはIPアドレスというものがあり、いくら匿名で投稿しようが持ち主を特定することは可能である』
その記憶とともに思い出したのは、”お姫様”が電車に乗って、大きな町に出て、どこかの建物に入ってパソコンをしている姿だった。
「この記憶は……?そうか!”お姫様”は嫌がらせや誹謗中傷の書き込みをする時は自分の家のパソコンを使っていなかったんだ!なんてズル悪賢い!……あっ、しまった!」
リアージュは慌ててパソコンの電源を落とした。
「どうしよう!私ったら、いっぱい悪口を書いちゃった!これって、どうやって無かったことにするんだっけ?……ああっ、もう!何でこんな肝心なことを後から思い出すのよ!」
リアージュは自分のコメントを削除しなければならないと思うものの、パソコンの電源を再び入れれば、そこから、この家がバレてしまって名誉毀損やら業務妨害やらで捕まってしまうのではないかと思い込み、パソコンの電源を入れられなくなってしまった。パソコンが使えなくなったリアージュは途端に退屈になり、また孤独感を感じ出した。
外に出ても皆、リアージュに関心がない。それに異世界の地理に明るくないから迷う恐れもある。もしそうなってさまよい歩くのは、16才の孤独を思い出すから、なるべくそうならないように避けたい。かと言って散らかり放題の部屋には誰もいないし、訪れても来ない。唯一、生きた人間との交流が出来たパソコンはリアージュが取り返しのつかない失敗をしてしまったことで使えなくなってしまった。
「ハァ〜、つまんない。仕方ないからコンビニでも行って酒でも……ん?そうだ、ゲーム!ゲームがまだあるじゃないの!折角、異世界に来たんだし、ゲームをやってみよう!」
床に転がるゴミを掻き分け、ゲーム機を取り出したリアージュは”お姫様”の記憶を使い、本棚に並んでいる沢山のゲームを一通りやってみることにした。その結果、恋愛には興味がないリアージュは恋愛シミュレーションゲームには全く面白さを感じることが出来なかった。リアージュが面白いと思ったのは、シューティングゲームとか格闘ゲームであったが、どうやら”お姫様”は、それらのゲームは苦手なのか、あまりゲームソフトを持っていなかった。
数日はそれで我慢したリアージュだったが、どうしても別のシューティングゲームやら格闘ゲームをしてみたくて堪らなくなってしまった。そこで8月の盆終わりの日にリアージュは新しく追加された”お姫様”の記憶にある大きな町まで行って、ゲームソフトを買いに行くことにしたのだが、そこでリアージュは思いも寄らない人物と会ってしまったのだ。




