二人だけの物語〜悪人の悪役志願⑦
もしも、その悩みを言ったのが自分の親だったのなら、”お姫様”はそんなことはけして言わなかっただろう。親は自分の世話をするのが当然なのだから、その世話が出来なくなる状態に自ら陥るなんて無責任にも程があると言って泣き喚いて責め罵り、一生口にするなと怒鳴っただろう。
もしも、その悩みを言ったのが千尋や他のイケメン達や彼らの周りにいる女達や自分を悪く言う町の者達だったのなら、”お姫様”はそんなことはけして言わなかっただろう。大好物が食べられない体なんてご愁傷さまと言ってせせら笑い、彼らの前でこれみよがしにチョコレートを貪り食って、ザマァ見ろ!と見せつけてやっただろう。
もしも、その悩みを言ったのが自分とは何の関係もない見知らぬ者だったのなら、”お姫様”はそんなことはけして言わなかっただろう。興味もなく聞き流すか、ふ〜んと適当な相槌を打つか、少しの同情を覚えたとしても、可哀想ですね、もしくはお気の毒ですねと言うだけで終わっただろう。
でも、その悩みを言ったのが唯だったから……他の誰でもない唯だったからこそ、”お姫様”はそう言ったのだ。何故なら唯は、”お姫様”とは利害関係が全くない人間であり、”お姫様”を悪く言わない人間であり、今後も”お姫様”の好む男性を奪われる心配のない人間……なんたって唯の初恋の相手は若いイケメンではなく外国人のおじいさんなのだ……であったし、何よりも唯は、”お姫様”の最初のお友達だったからこそ、”お姫様”はそう言ったのだ。
「初めて会った時に唯は教えてくれたよね。唯が”頭痛持ち”だって。唯の頭は天気が悪いと痛くなる。暑すぎても寒すぎても痛くなる。人混みに入ったら痛くなる。きつい刺激臭を嗅いだら痛くなる。髪を結んでも痛くなる。寝不足でも寝すぎていても痛くなる。空腹になると痛くなる。心が辛くなると痛くなる。特に理由がない日だって痛くなることもある。そして……チョコレートを食べるとすごく痛くなるのよね。
さっきも言った通り、唯が頭が痛くなるのは神様のせいなんだから、唯は悪くない。何をしても何もしなくても頭が痛むように唯の体を作った神様が悪いのに、唯が罪悪感を持つ必要なんてない。それどころか意地悪な神様を恨むこと無く、今まで何とか頭痛にならずにいようと頑張ってきた唯は、誰よりも立派だわ。そんな頑張り屋な唯がお友達で私はすごく嬉しい。唯は誰にでも胸を張って誇れる、私の自慢のお友達よ。
……でもね、唯。私は唯が大好きな物を一生我慢しなきゃいけないなんてことはないんじゃないかと思うのよ。そりゃね、それを食べたら即死んでしまうものだったのなら、私も食べないでと唯を説得するだろうし、唯自身も死んでしまうなら仕方ないと諦められるだろうけれど、唯はそれを食べても死ぬわけじゃないんでしょう?
言葉は悪く聞こえるだろうけれど、”頭痛持ち”の頭痛は、ただ頭が痛くなるだけで、死ぬような病気ではないし、”頭痛持ち”の頭痛自体は他人に伝染るものでもない。それがわかっているから、唯はまた食べたいと思って涙してしまうのよね?……それなら唯は我慢せずにチョコレートを食べるべきよ」
「でも、ひーちゃん。チョコレートを食べて頭痛になったら、また私は皆に迷惑をかけてしまうのよ。そんなのは嫌なの……」
「唯が心配しているのは、チョコレートを食べて頭痛になることじゃなくて、自分が自ら招いた頭痛で誰かに迷惑をかけるのが嫌なだけなんでしょう?それなら迷惑がかからないようにすればいいだけじゃない?小さな頃ならともかく、今の唯は高校一年生で、小さな子どもじゃないんだから、自分で蒔いた種は自分で刈り取ればいいだけだと思うのだけど。学校行事を休むのが嫌なら、大きな休みのある時、例えば夏休みや冬休みとかに食べれば、学校の人達には迷惑はかからないわよね。
それに今の唯は施設を出て、お兄さんと二人暮らしで、お兄さんと家事を分担しているのでしょう?で、そのお兄さんは格闘技の試合やら修行やらで、何日か家を留守にすることもよくあると言っていたじゃないの。なら、その留守の間に食べれば、家事の分担のことで、お兄さんにだって迷惑はかからないはずよ。後は唯が、自分一人で何日続くかわからない頭の痛みを一人でやり過ごす覚悟と準備をすればいいだけのことよ」
”お姫様”の言葉を聞いている唯の目は大きく見開かれたままだ。それはそうだろう。今の今までチョコレートを食べないことが最善の策だと信じてきたのに、もっと魅力的な策があるなんて唯は思いもしなかったのだから……。”お姫様”は唯の驚愕の表情を見て、クスッと笑った。
(唯は進学校に入学できるほど賢くて、その中でも新入生代表を務めるほど優秀なのに、肝心なところで間が抜けているのよね。多分、月の半分以上が頭痛で苦しんでいるから、勉強以外のことにはあんまり頭が回らないと言っていたからかも知れないけれど、あまりにも生きることに真面目すぎる感じがする……)
まだ4回しか唯とは会っていないけれど、”お姫様”は唯のことなら大抵のことは答えられるほどに、唯のことには詳しいつもりだ。だって正体を隠し、嘘で塗り固めた”お姫様”と違って、唯は何でも正直に自分のことを”お姫様”に話してくれたから……。だから”お姫様”は、唯が新しい町を知ろうと頭痛なのにハチマキを巻いて探検したり、新しい高校生活に馴染もうと頭痛の痛みを我慢して眉間に皺を寄せながら行事を頑張り、格闘家として世界に出た兄を支えたいと頭痛なのに家事を頑張ったりと……唯の日常は頭痛によって色々と不都合が出ているのに、頭痛で皆に迷惑はかけられないからと普通の生活を普通に送れるようにと必死に頑張り続ける真面目な人間だと知っているのだ。
(普通を生きるのが大変でしんどいはずなのに、唯は誰かを恨んだり、妬んだり、僻んだり、呪うことをしない。誰かを悪く思わない代わりに唯は自分が悪いと思いこむ。辛いことや嫌なことは全て誰かのせいにしてしまえば楽に生きられるのに、そういう生き方を選ばない唯は愚直過ぎるわ)
唯の口からは、今の今まで誰かへの不平不満は……ひーちゃんの不実な婚約者に対する不満以外は……聞いたことが一度もない”お姫様”は、自分とは対極にいる唯との巡り合わせをつくづく不思議に思いながら、まだチョコレートを食べることに戸惑いの表情を浮かべている唯を見て、こんなことを言った。
「唯。私と白雪姫ごっこをしましょう」
”お姫様”の唐突な言葉に唯はキョトンとした表情になった。
「え?白雪姫?」
「唯が白雪姫で、私は悪い母親。物語の白雪姫がおばあさんに扮した母親に騙されて毒りんごを食べてしまったみたいに、唯も今から悪い私に騙されてチョコレートを口にするのよ。ねぇ、唯。唯の高校は昨日の土曜日は父親参観だったでしょう?そして月曜日は参観の振替休日で、火曜日は高校の創立記念日で、連休の休みとなっている。おまけに都合の良いことに唯のお兄さんは、今日から海外で行われる大会に出かけていて来週の日曜日まで帰ってこない。私の言っていた策を試すには絶好のチャンスだと思わない?
ねぇ、唯……。唯がチョコレートを食べるのに罪悪感があるのなら、私が悪役になってあげる。私は神様でも魔法使いでもないから、唯の頭痛を治してあげられない。唯が頭痛にならないように天気や気温だって変えてあげられない。だけど唯の罪悪感を軽くしてあげることは出来るわ。私を悪者にすればいい。物語の白雪姫がおばあさんに扮した母親に騙されて毒りんごを食べてしまったみたいに、唯も悪い私に騙されて口にしたと思えば、唯の罪悪感はなくなるはずよ」
”お姫様”がそう言うと、唯はクシャと顔を歪めて、また泣き始めた。
「そんなことは出来ないよ、ひーちゃん。ひーちゃんは何も悪くないのに、ひーちゃんを悪者になんてしたくない」
涙をこぼして、首を横に振って拒む唯に”お姫様”は苦笑した。
「もう、唯ったら泣き虫なんだから。これは単なるごっこ遊びで、本当に悪者になるわけじゃないんだから泣き止みなさい。」
「ごっこ遊びでも、優しいひーちゃんを悪者になんてしたくないよ。それなら私が悪者になるから、ひーちゃんが白雪姫をやって」
「まぁ、唯。それじゃチョコレートを唯は食べられないじゃない。あのね、唯。物語に悪役がいるのは主人公を幸せにするためなのよ。白雪姫だって母親が命を狙ったから、外の世界に飛び出して自分の味方となる七人の小人に出会えたし、母親が扮したおばあさんが白雪姫に毒りんごを食べさせたから運命の人である王子様と出会えたし、母親が毒りんごを白雪姫に食べさせたと七人の小人が王子様に言ったことで、王子様は白雪姫を守り続けようと心に強く思うようになり、愛がさらに深まったのよ。
そう考えてみたら、もしかしたら白雪姫の母親はわざと悪役になったのかもしれない。いつまでも城に引き篭もっている白雪姫を外の世界に出して、白雪姫が幸せを掴むために即死することのない毒を用いて、自分の命を失うことがわかっているのに白雪姫がこれからも幸せに生きるために敢えて証拠や証人を残しておいたのだから……」
「物語の悪役が悪いことをするのは主人公が幸せになるためだとしても、そんなのは悲しすぎるわ。白雪姫だけではなく白雪姫のお母さんも一緒に幸せになる方法も何かあったはずよ」
「お人好し過ぎるわよ、唯。白雪姫の話は所詮物語。読む人を楽しませるために悪役は必要なの。第一、白雪姫の母親が悪いことをしなかったら、いつまで経っても話は盛り上がらずに母と娘のつまらない日常の話になるだけよ」
「物語としてはつまらないだろうけれど、娘の幸せを願ってくれるお母さんとずっといられる方が白雪姫は幸せだったかもしれないじゃない……」
「そうかもしれないわね。でも何も事件が起きない、日常の物語なんて誰も読まないのだから仕方ないわよ。……さぁ、白雪姫の話は置いといて、私はね、唯。唯に幸せになってほしいの。私のお友達の唯が大好きなチョコレートを食べるのを悪いことをしていると思いながら食べてほしくない。……たとえ、後になって唯が頭痛で苦しむとわかっていても、私は大好きな物を食べられて幸せだと唯に思ってほしいの。だからこその悪役なのよ。唯が苦しんでも唯が幸せになると知っているから、チョコレートという毒を唯に食べさせる悪役に私はなるわ」
「私だってひーちゃんに幸せになってほしいから私も悪役になる!……あっ、そうだ!二人で悪役になろう!二人で悪役になって、お互いを幸せにするの!」
「えっ?二人で悪役?悪役が二人出てくる物語なんてあったかしら?」
”お姫様”は泣き止んだ唯とベンチに座って、色々な物語の名前を言い合い……二人の悪者が出てくる物語を思い出せなかった二人は、テレビの時代劇を真似ることにしたのだ。
『越後屋。お前に褒美を与えようぞ。これはな、ご禁制の舶来品のちょこれいとという菓子でな。なんでも昔は後宮を持つ王が多くの妃に寵愛を注ぐための薬として重宝していた物なのだぞ』
『これはこれはお代官様。褒美とは誠に有難き幸せでございます。それにしても天子様に献上するための舶来品を掠め取って二人で食するなんて、あまりの罪深さに恐れおののきますな』
『フッ、何を小者のような戯言を言うておるのか。ほれ、お前の顔を鏡で見てみぃ。極上の味わいを口にして、天国に上る心地だと顔に書いておるわい』
『おや、バレてしまいましたか。さすがはお代官様。このような上物を口にしたのは初めてで、あっしは今、生きていて良かったなぁとしみじみ感じ入っているところなのです。たとえこの後に地獄に落ちようとも何の悔いもございません』
6月の日曜日の公園でうら若き10代の少女達が、悪代官と悪徳商人ごっこをしながら、薔薇の形のお洒落なチョコレートを食べる姿は、ちょっぴりシュールなものであったが、二人はとても楽しくチョコレートを食べることが出来た。その週の水曜日の公園の掲示板に、『地獄に落ちかけましたが、無事生還出来ましたよ!ありがとう、お代官様!』と唯が書き込みしているのを見つけた”お姫様”は思わず吹き出してしまった。
その後、唯は夏休み前に巣ごもりの準備をしてからチョコレートを買い求めようとしたのだが、何故か唯が入る店は皆、チョコレートが売り切れていて買えないので、唯は”お姫様”に頼んで、代わりに買ってきてもらうことにしたのだ。
『お代官様、今日も私を地獄に落としてくれてありがとうございます』
『なんのなんの、越後屋。お前のためなら私は何度だってお前を地獄に落としてやるからな』
”お姫様”が友人とごっこ遊びを初めてしたように、唯もお友達との初めてのごっこ遊びだったらしく、それ以来、唯はチョコレートを食べる時は時代劇の悪人口調をするようになり、”お姫様”も付き合ってやるようになったのだ。




