二人だけの物語〜悪人の悪役志願①
※この回では”お姫様”の末路と、”お姫様”と唯の最初の出会いの話、そして8月の盆終わりの日に起こったことや、その後の”お姫様”の人生などを”お姫様”(リアージュ)視点で書いていこうと思っています。
地獄に放り投げられたリアージュは、真っ逆さまに下へ落ちていき……文字通り奈落の底にたどり着いた。奈落の底は生前のリアージュが想像していたような地獄とはまるで違っていた。グツグツと煮えたぎる釜もなく、鋭利な針山もなく、血で溢れかえる池もなく、棍棒で殴りかかってくるような恐ろしい鬼達もいない代わりに、そこにあったのは、何千何万何億……数え切れないほどの人々が首から上だけが出た状態で真っ黒い大地に埋められている光景であった。
何と不気味な光景だろうか?首から上だけが出された生首状態の人々は皆、血の涙を流し、鼻水を垂れ流し、口から血が出るほど、ギリギリと歯噛みしたかと思えば、次の瞬間には嗚咽を上げ、中には首を振り乱し、絶叫を上げ続ける者や悲鳴を上げ続ける者ばかりで、誰一人として心穏やかにしている者はいなかった。まさに阿鼻叫喚とは、この姿のことだろうと思わずにはいられないくらいに皆一様に惨たらしい有様だったので、いつも誰かに会うと悪態をついてしまうリアージュの口も、このときばかりは驚きのあまりに絶句してしまった。
「何よ、ここ?……ギャ!体が沈んでいく!気持ち悪い!」
地面に尻もちをついた状態で着地したリアージュの体は大地にゆっくりと飲み込まれていく。身動ぎしても逃げられず、もがいて手を上に伸ばした状態で、リアージュは全身ごとズブズブと大地に沈んでしまった。その後直ぐに他の者と同じように首から上だけが再び大地の外に飛び出したが、その顔はリアージュの顔ではなく、元の”お姫様”の顔に変わっていたのだが、それを指摘する者も鏡も地獄にはなかったので、リアージュが……”お姫様”がそれに気づくことはなかった。
「首を動かすことは出来るけれど、体は少しも動かすことは出来ないみたいね……。かと言って埋まっている体には何の痛みもないし……。これの何がそんなに苦痛なのかしら?ねぇ、ちょっとあんた!何でそんなに苦しそうに泣いて……え?何?景色が変わった?これ、私の昔の家?……痛っ!!痛い、痛い、痛い!何よ、これ!?なんで幼稚園児の私が千尋を蹴り飛ばす度に私の体が痛くなるのよ?……ギャー!痛い!」
”お姫様”の体は真っ黒の大地に埋もれたままであるにも拘らず、”お姫様”は他の者達と同じように絶叫を上げ始めた。それもそのはず、地獄は落ちてきた罪人達に生前の自分が犯した罪を自覚させ、自分が苦しめた者達の痛みや苦しみや怒りを思い知ることで反省を促し、罪人達が心の底から自らの罪を悔い改め、その罪を償い、魂の穢れを全て削ぎ落とし、清らかな魂で神様のお庭に旅立てるようにするための場所であったからだ。
罪人達は罪を犯した自分自身の人生を体が動かない状態で視させられる。罪を犯した自覚のある罪人も多いが、中には生前の自分が一体どこで誰をどのように傷つけたかという自覚がない者も多い。そこで自分の人生を自分で視ることで自分自身の罪に気づき、被害者に対して心から悔い詫びる気持ちを持つまで、それを延々と繰り返し何度も視させられるのだ。
勿論ここは地獄であり、落ちてきた罪人は皆、悪人であったので、それに見合った罰は与えられないといけない。そこで生前の自分が自分の生きる人生の中で罪を犯す度に罪人達は、真っ黒い大地に埋められた自分の体に、その時の被害者の体と心に受けた傷の108倍の痛みを感じることとなっていた。
大抵の罪人は自分自身の犯した罪を一度自分の人生を視させられるだけで悔い改めるのだが、奈落の底にまで落ちる罪人は犯した罪が大きすぎたり、自分は何も悪くないと思っている者ばかりなので、一度自分の人生を視るだけでは罰には足らない者や自分自身を悔い改めようと思わない者もいるので、そういう者は何度も何度も自分の人生を繰り返し繰り返し視させられ、その間中、被害者の痛みを我が身に受け続けるので、阿鼻叫喚が収まることは一向になかった。
ここに落ちた者達は自分自身の人生を視させられながら、これならグツグツと煮えたぎる釜に入ったり、鋭利な針山を裸足で登ったり、血で溢れかえる池に沈められたり、恐ろしい鬼に殴られる方が遥かにマシなのではないだろうかと思ってしまう程の苦痛を、眠ることも休むことも許されない状態で味わい続けていたのだった。
そんな奈落の底に落とされた”お姫様”もまた、他の罪人達同様に、自分の人生を視させられることとなった。幼き頃に出会った千尋を蹴り飛ばした時の千尋が受けた痛みの108倍の痛みが、”お姫様”に返ってきたのを皮切りに、”お姫様”は毎日毎日色々な場面で痛みに襲われた。自分の両親に暴言を吐く度に、幼稚園や学校の同級生に悪口を言う度に、千尋や自分が気に入った男達にまとわりつく度に、自分が気に入った男達に愛されている女達に陰湿な虐めをする度に、ネットで誰かに誹謗中傷の書き込みをする度に……。
その度に”お姫様”は悲鳴を上げ、苦痛にもがき苦しんだが、けして自分自身の行いを悪いとは一つも思わなかったので自分の人生を最期まで視終わって、また最初から繰り返し視続けることになった。それを幾度か繰り返す内に、”お姫様”は自分の今いる地獄の言わんとしている所……生前の自分が傷つけた人の痛み苦しみを我が身で受けることで自分自身の罪に気づき、被害者に対して心から悔い詫びる気持ちを持つこと……に気がついた。
そこで”お姫様”は痛みから逃れるために、口先だけで謝罪の言葉を叫んでみたりもしたのだが、本心では自分は何も悪くないと思っているのが地獄の神には筒抜けであったので、結局”お姫様”は自分の人生を延々と繰り返し何度も視させられる羽目になり、ずっとずっと痛みを味わい苦しみ続けた。それを10回、20回……50回繰り返した位だろうか?……”お姫様”は、それに気づいた。
(あれ?何故、あの女の痛みだけ……そんなに痛くないのだろう?)
”お姫様”は生前、千尋の心を奪ったあの女に悪質な嫌がらせを沢山仕掛けていたし、暴言だって沢山浴びせ続けてやった。二人が結婚すると知った時は、あの女の頭痛を引き起こす大きなチョコレートケーキだって嫌がらせでわざわざ送り付けてやったのだ。過去が変わって、そんな事実はないことにはなってしまったが、一度目の人生ではあの女が死にかけているときにだって千尋にくっついていって病室まで乗り込んで死の間際まで嫌がらせをしてやったほど酷いことをし続けた。なのに何故、あの女の……唯の受けた痛みや苦しみだけが、あまり痛く感じないのか?
(どうしてよ?自分で言うのもなんだけど、私は相当酷いことをし続けてやったわよ!なのに何で、あの女からの痛みや苦しみだけがあんまり痛くないのよ?)
自分の人生を繰り返し視せられているだけだから、”お姫様”は目の前に見える唯に直接問いただすことが出来ない。問いかけても、それはまるでテレビに話しかけているように当然唯から返事は返ってこないこともわかっていた。それでも……。いつの間にか”お姫様”はもがき苦しみながらも、何度となく繰り返し視せられる自分の人生で唯が出てくる度に、罵詈雑言を唯の姿めがけて吐き続けた。
”お姫様”の人生が60回、70回、80回……と繰り返され、その間に”お姫様”も他の罪人のように、目から血の涙を流し、鼻水を垂れ流し、口から血が出るほどゴリゴリと歯のない歯茎をすり合わせたかと思えば、次の瞬間には嗚咽を上げ、首を振り乱し、絶叫や悲鳴を上げるほど苦しんだが、やはり”お姫様”は反省せず、ただひたすらに唯に向かって悪言雑言を並べ立てる行為をし続けた。
それを延々と気が遠くなるまで繰り返し……100回を超えた辺りだろうか?その頃には喉から血が出るほど悪態を付き続けた”お姫様”は何も言葉を発せられなくなり、多くの者達の痛み苦しみを受けた疲労が溜まりに溜まっていて、ぐったりとした状態で自分の人生に登場してきた唯を視ていて、ようやく唯から伝わる、一つの感情があることに気がついた。
それは静かな……とても静かな悲しみの感情だった。悪口を言われたことが悲しい。虐められたことが悲しい。嫌がらせをされたことが悲しい。唯から伝わってきたのは、そんな悲しみの感情だけで……。勿論悪口を言われるのは嫌だ。虐められたくなんかない。嫌がらせなんて止めてほしい。そういう感情があるにはあるが、唯は”お姫様”が唯を苛める度に真っ先に悲しんでしまって、痛みや苦しみも悲しみの感情に囚われすぎるために、あまり感じていなかったから、”お姫様”に強い痛みは返ってこなかったのだ。
(馬鹿な女。何で悲しんでばかりなのよ。私はあんたに酷いことばかりしたんだから、私を嫌って憎めばいいのに……。そういやあんたの最期の時もそうだった。あんたの娘は千尋と一緒にやってきた私に激怒して、あんたの兄貴は千尋にアッパーを喰らわせて私をつまみ出そうとした。なのにあんただけが私を怒らず、仕方のない人って、私を笑って、そのまま……眠るように目を閉じた。
……ねぇ、教えなさいよ!何で怒らなかったのよ?いつもいつも……悲しそうな目で私を見るのに、どうして最期だけ私に……初対面で会った時みたいな笑顔を見せたのよ?ねぇ……どうしてあんたは、あの時、私に……『友だちになろう』って言ってくれたのよ?)
”お姫様”は虚ろな目で、もう何回目かもわからない、二人の最初の出会いを視る。”お姫様”が唯と出会ったのは、唯の高校入学……の前日。”お姫様”は千尋が唯に出会って一目惚れをする前に、唯と出会っていたのだ。




