彼女達のファイナルイベント⑥
グラウンドの中央に向かって行進する愛の姿を校庭の茂みに隠れながら見守っていたセデス達の前に、突然紅の神が現れた。セデス達は一瞬だけ驚いたが、紅の神が現れる理由には察しがついていたので、直ぐに冷静さを取り戻し、こう尋ねた。
「お久しぶりです、紅の神。あなたが現れたということは、今日が”隠された物語をもう一度”の物語の終わりの日なのですね?」
紅の神は頷いた後、セデス達に微笑んだ。
「はい、”隠された物語をもう一度”は今日の運動会でエンディングを迎えます。ほら、あそこでミグシス君……真君の迫力にタジタジになっているエイルノン君達……英雄さん達の横にいる会社の外注の人達にまぎれて、金の神と彼の兄弟達がイヴちゃんを……愛ちゃんを愛しげに見ているでしょう?彼等が勢揃いして、ここに来ているのは”隠された物語をもう一度”のハッピーエンドのエンディングを自分の目でしっかと見るためなのです」
紅の神がそう断言すると、そこにいた者達は歓声を上げ、明るい表情となり、皆涙ぐんだ。目の前のグラウンドでは借り物競争が始まり、愛は純子と共に緊張した様子で自分の走る順番が来るのを待っていたが、ちらりと保護者席を見て、唯が手を振っているのが見えたのだろう……愛は唯の元気そうな姿に安堵し、頬を染めて嬉しそうにはにかみ、頑張って走るから見ててね……と口元が動いているのが見えた。
「ああ、本当に良かったですわね、イヴ様……愛様。これでもう、今年のクリスマスにイミルグラン様……唯様が神様のお庭に旅立つフラグは完全に消滅しましたよ……」
出来ることなら抱きしめて、その喜びを分かち合いたいと思いつつ、現世では愛とは全くの他人であることを人気声優の遥に扮していたマーサはとても寂しく感じていたし、そう思っているのはマーサだけではなかった。マーサと同じように人気声優の上条に扮していたノーイエも、家事代行サービスの従業員の出口に扮していたイレールも、同じく従業員の瀬戸里に扮していたセドリーも、タクシー運転手の太野に扮していたタイノーも、絵師の紗莉に扮していたサリーも救急隊員に扮していたリングルとアイビーとエチータンも……そしてスクイレル社の会長をしているセデスや、とある事情で今はこの場にはいないアダムも皆、出来ることならば前世の時のように唯や愛の傍で生きていきたいと思っていたが、今世では唯も愛も、普通の一般女性だったので、そうすることは出来ないだろうことも重々承知していたから、いつも遠くから見守ることに留めていた。
「今日で私達、神がイヴちゃんの本当の”英雄のご褒美”を叶えるための物語はエンディングを迎えます。あなた達やまだ役目が残っている一部例外の者以外の転生者は神の最後の物語を手助けするボランティア……戦争もなく飢えることもなく、自由に職業や結婚が自分で選べる世界に転生することを報酬とした者達は、”隠された物語をもう一度”の端役として出演するために一時的に前世の記憶が蘇っていますが、物語の終了と共に、やがて前世のことを忘れて、今の世の自分自身の人生を生きていくことでしょう。
今、席を外しているアダムには後で尋ねますが、セデス、マーサ、ノーイエ、イレール、アイビー、サリー、セドリー、タイノー、リングル、エチータン。前世で金の神によって、僕イベのゲームに出てくる”影の一族”として生を受けたあなた達。あなた達だけはイヴちゃんの願いを叶えるためにイヴちゃんの前世の母親であったイミルグラン……唯を死の運命から救うために前世の記憶を持って生まれて、長年、物語がハッピーエンドで迎えられるように活動をしてきましたね。でも、今日ついに物語は終わり、イヴちゃんの本当の願いが叶えられ、唯は死の運命を無事に回避することが出来ました。
……ですから、あなた達が望むのであれば、ボランティアの者達と同じように前世の記憶を忘れられるように取り計らうことも出来ますよ。今後は自分自身のために生き……っ!?「「「「「「「「「愛様、危ないっ!」」」」」」」」」」
それは思いもよらぬ出来事だった。愛の前列にいた生徒達の出番となり、生徒達は一斉に走り出したのだが、その中に悪知恵を働かせた生徒がいたのだ。その生徒は借り物の名前が書かれた紙が入った箱に手を乱暴につっこみ、紙をひっ掴むと紙を開いて、生徒席にいる自分の仲間に向かって「こっちにバレーボールを投げてくれ!」と怒鳴ったのだ。
その生徒は自分でボールを取りに行く労を厭い、楽をして一番でゴールをしたかったのだろう。仲間がバレーボールを体育館倉庫から持ってくる間に自分は出来るだけゴール近くまで走り、そこで仲間がバレーボールを投げてよこすのを待った。だがここで予想もしなかったことが起きた。体育館倉庫までバレーボールを取りに行った者が走るのに疲れたのか……それとも相当腕力に自信があったのかはわからないが、バレーボールを取りに行った者は、グラウンドから随分離れた場所からバレーボールをグラウンド内で待っている生徒目掛けて、大きく振りかぶって投げたのだ。
「「「「「信濃さん(愛ちゃん)、危ないっ!逃げて!」」」」」
投げられたバレーボールは悪知恵を働かせた生徒の方へは飛んでいかず、何故か正反対の方向へ……次の走者として準備をしていた愛の方へと飛んでいった。バレーボールの軌道を目で追っていた者達はバレーボールが落ちてくる場所にいる愛に危険を知らせようとした。
「えっ!?……わっ!」
「愛ちゃん、危ないっ!」
運動神経が鈍……おっとりしている愛は落ちてくるバレーボールから逃げられず、額で真正面からバレーボールを受け止めてしまい、その衝撃により後ろに倒れかけたが、大急ぎで走り寄ってきた純子によって抱きとめられた。本部席にいた英語を教える特別講師が真っ先に走ってきて、純子に身を預けたまま、額に手をやっている愛に声をかけた。
「愛様!……いや、信濃さん大丈夫ですか?」
臨時講師として愛が中学校に入学した年に、中学校にやってきた外国人の英語講師は日本人よりも流暢な日本語を話し、そしてとても過保護であることで評判の先生であった。
「はい……アダム先生。ボールが当たった所は少し痛いですが、大丈夫です。私、このまま競技に出られます」
愛がそう言うと、アダムは少し失礼します……と言って、愛の額を見て、顔をしかめた。
「赤くなっているではありませんか!競技に出たい気持ちはわかりますが、まずは処置することが先決です。さぁ、とりあえずは救護所で手当てを受けましょう。競技に出られるかは、その後に話しましょう」
「……はい」
競技は一時中断し、愛は走り寄ってきた英語講師に扮するアダムによって横抱きにされて、運動会本部席の隣に設けられた救護所に連れて行かれた。
「「「「愛っ!」」」」
保護者席にいた唯と千尋と雷斗は慌てて立ち上がり、真は急いでビデオカメラを自分の父である月鐘に託してから救護所に走っていくのを固唾を飲んで見守るセデス達は、直ぐに駆け寄って愛の安否を確かめられない自分達の立場に歯噛みしながら、少しでも状況を知りたくて、校庭の端から飛び出していったセデス達に、その周囲にいた人々はギョッとした表情になって大いに驚いていたが、それに構う余裕は今のセデス達にはなかった。
飛んできたバレーボールを、まるでサッカーボールをヘディングするように額で受け止めたことが幸いしたのか、愛は大した怪我もなく、借り物競走に出るために列の最後尾に並ぶことになったと、合流したアダムから報告を受けたセデス達は、愛に大きな怪我がないことに深く安堵した。アダムの報告によると不正を行った生徒は失格となり、彼に加担した仲間達と共に、不正を行い、罪もない女子生徒に怪我を負わせたことに激怒している生活指導の教師と彼らの保護者達によって、運動会が終了次第、生活指導室へと連行されるとのことだった。
セデスは先程の紅の神の話をアダムに伝え、彼ら11人は少しの時間だけ話し合ったが、皆の意見は同じだったので、いつものように皆の長であるセデスが、皆の総意を紅の神に伝えた。
「神の最後の物語は今日でようやく全てが終わりますが、ここは私共の前世と同様、現実の世界です。魔法もなければ超能力もない世界で、ましてやゲームのようにやり直しが出来る世界ではありません。現実の世界は一瞬一瞬が選択の連続で、毎日がハプニングイベントの連続だと言っても過言ではなく、それをどう乗り越えるかによって進むルートは変わっていき、それぞれのエンディングは未知数あり、未来がどうなるかなんて誰にもわからない。
もしもここが、私共の生きていた前世の世界であったのなら、”神様のご褒美”と呼ばれる薬草により、”片頭痛”は治る病気となりましたが、この世界では未だ”片頭痛”の治療薬はまだ見つかっていませんし、見た目では病気かどうか判断することが出来ない病である”片頭痛”は他の病気と比べ、病気とは認められない風潮にあり、この世界もまた、”片頭痛”持ちの者にとっては生き辛い世界であることは歴然としています。
我々は前世同様、イミルグラン様……唯様を4才の頃からお育てし、ずっと唯様を影から見守ってきました。前世ではイミルグラン様は私達の”王”であり、イヴ様は”姫”でしたが、今世の唯様は私達にとって、かけがえのない”娘”であり、愛様は目に入れても痛くないくらいに可愛い”孫娘”なのです。そんな大切な家族を忘れてしまうなんて、私達には耐えられません。
紅の神のご厚意は大変ありがたいことではありますが、私達はこれからも愛様や唯様を見守っていこうと決めておりますので、どうぞ私共の前世の記憶はそのまま残しておいてください。これからも私達は、この世界に生きている唯様と愛様ご家族の幸福を見守り、唯様愛様達を苦しめる一番の悪役である”片頭痛”から唯様愛様達をお救いするために今後も力を尽くす所存です」
セデスがそう言うと、紅の神は11人の顔をゆっくりと見回した。
「……それで良いのですか?」
「「「「「「「「「「「はいっ!」」」」」」」」」」」
11人の迷いのない即答に、紅の神は目を細めて微笑んだ。
※紅の神のセリフにある一部例外の転生者とは、加呂成美、加呂月鐘、菜有仁姫(ライトの兄嫁・ライトの妻)、澪月、”マクサルト”と、そして”お姫様”(リアージュ)のことを指します。




