名前なき彼女達のイベリスをもう一度⑥
私が”土下座”をしていると、誰かがコンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「お取り込み中の所、申し訳ないんだけど、こっちのアポイントメントの時間だから、そろそろ終わってくれないかしら」
それは加呂さんに、成美さんと呼ばれていた国際弁護士の女性だった。成美さんは私が開けっ放しにしていた扉をノックしながら部屋にいる者達に話しかけた。成美さんは、”土下座”をしている私を見て、目を丸めると、ツカツカとやってきて、私を立たせた。
「あなた達が大きな声で話しているものだから外に会話が筒抜けで、つい話を聞いてしまったけれど……どうやら今回の騒動の発端は、菜有さんが娘さんにきちんと確かめないで、物事を進めようとしてしまったのが原因だったようですね。私にも小学生の息子が一人いますから、親としての気持ちは理解出来ます。小中高と不登校だったのなら、さぞかしご心配だったでしょう。不登校だった子が何かをやりたいと初めて言ったのなら、それを応援してやりたい、それを叶えてやりたいと思うのは、当然の親心だと思います。
ですが娘さんの言う通り、菜有さんの行動は親としても、社会人としても間違っています。菜有さんは自分の娘に、この世界で自分のやりたいことやしたいことを叶えるために必要なのは自身の努力ではなくて、ゴリ押しが出来るお金や権力だと、露骨に示している今のご自分をどう思われますか?子というのは自身を生んで育ててくれた者をよく見ているものです。今日のあなたの姿は親として、娘さんに誇れる姿なのですか?」
成美さんに問われたお父様は、ハッとした表情になって私を見た後、ガックリと頭を項垂れた。
「……すまない、仁姫。私が間違っていた。私は娘に少しも誇ることが出来ないことをしてしまった。英雄君達にも本当に申し訳ないことをした。すみませんでした……」
「皆さん、本当にすみませんでした」
お父様は4人の男性達に深々と頭を下げて謝った。私もお父様の横に並び、お父様と同じように頭を下げて謝った。頭を下げ続ける私達親子を見て、4人の男性達は戸惑っている様子だったが、成美さんに時間がないとまたせっつかれると、お父様に英雄君と呼ばれていた男性が、こう言った。
「菜有さんが思い留まってくれて良かったです。しかし事情がどうあれ、今回のことは我々には、とても衝撃的な出来事でした。菜有さんには今まで本当に長い間、我々の会社に資金援助をしていただいて助けられてきましたし、感謝もしておりましたが、正直言って、今後も菜有さんと仕事の付き合いを続けることに疑問を持ってしまいました。なので菜有さんとの仕事は、今やっている復讐ゲームで終わりとさせていただこうと思います。今まで本当にありがとうございました。我々も、もうすぐ会社を去りますから、もう会うこともないでしょうが、どうかお元気で」
英雄さんがそう言って頭を下げると、他の3人の男性達も揃って頭を下げた。今の私は王妃をやっていた、わたしとワタシの記憶があったので、会社を守るための当然の選択をした彼等4人の行動は当然のことだと受け止めたが、お父様は狼狽えて、彼等にすがった。
「ま、待ってくれ!私が悪かった!だけど君達は本当に辞めてしまうのか?考え直してくれないだろうか?娘は、本当に君達4人が手掛ける乙女ゲームが大好きなんだ!」
「お父様、この人達を引き止めるのは止めて。そりゃ、私はここの会社の乙女ゲームがとても好きだったのは事実よ。だって私は恋をしたことがなかったのだもの。この人達の作った乙女ゲームをすると、私の知らない恋を疑似体験出来るような気がしたから、私は乙女ゲームが好きだった。でも本物の恋は、あんなものではなかったわ、お父様。恋とは、あんな生易しい感情ではなかった。お父様、恋とは恐ろしいほどに心乱されるものだったのね。
本物の恋に比べたら、この人達の作った今までの乙女ゲームは子供だましのごっこ遊びに過ぎなかった。きっと、この人達も、そのことに気づいて、自分の限界を悟ったから、潔く身を引こうと考えられたのよ。出来ないことに挑戦することは勇敢なことだけど、出来ない自分に見切りをつけて諦める選択をすることもまた勇気がいることなんだから、その邪魔をしてはいけないわ。さぁ、お父様、一緒に帰りましょう」
前世の記憶を思い出した私は、恋を……わたしの初恋を思い出しながら、お父様にそう言った。わたしは自分の婚約者の弟であるライト様に許されない片思いをしてしまった。ライト様は一度もわたしの名前を呼んでくれなかったし、挨拶くらいしか言葉を交わさなかったけれど、ライト様はいつも……いつもさりげない優しさでナロン殿下に虐められているわたしを助けてくれたのだ。
その時、ライト様はわたしの泣き声が頭に響くのが嫌だから助けるのだと言っていたけれど、わたしは将来の王妃として、己の弱みを他の貴族に悟られないようにするためにと、顔の表情に自身の感情が素直に出ないよう王妃教育を受けていた身だったので、心の中はともかく、一度も声を上げて泣いたことなどなかった。そう……顔は笑顔だったけれど、心ではいつも泣いていたわたしに気づいてくれたのは、両親でもなく婚約者のナロン殿下でもない、ライト様一人だけだったのだ。
(いつも助けてくれてありがとう。泣いているわたしに気づいてくれてありがとう。……会いたい。ナロン殿下ではなく、ライト様にわたしは会いに城に行きたい。ライト様の声だけを聞きたい。出来たら笑ったライト様の顔を見てみたい。髪型を変えてみたことを気づいてくれるだろうか?……気に入ってもらえるだろうか?挨拶以外でも言葉を交わしてみたい。ライト様は何の食べ物が好きなんだろうか?何色が好きなんだろうか?好ましいと思う女性はいるのだろうか?……わたしのことをどう思っているのだろうか?自分の義兄の婚約者ではない、わたし個人を見てくれないだろうか?……あなたが好きです、ライト様。どれだけ、そう言いたかったか!あなたが大好きでした、ライト様。そしてライト様にもわたしを……好きになってほしかった)
わたしの初恋の記憶を思い出してしまった私は、その狂おしいまでに相手を想うわたしの気持ちに、心の中で翻弄されていたので、4人の男性達が私の言葉を聞いて、静かに怒っていることに気づかなかった。私が本物の恋と口にしたことで、お父様が狼狽え、「え?仁姫?恋をしたの?いつ、どこで、誰に恋したの?怒らないからお父様に教えて?ね?お願い、仁姫……」と泣きべそ顔になって、鬱陶しいぐらいに質問攻めにしてきた。
(あっ!つい本物の恋って言っちゃったけれど、私自身はまだ初恋を知らなかったんだった。お父様にどう言って誤魔化そ……ああっ!どうしよう、私、紅の先生という神様に言われていたことを忘れていた!あの一言を、あの4人に言うために生き返ったと言うのに!……どうやって言おうかしら?ああ、そうだわ。紅の先生に渡された、あのゲームソフトを……)
応接室の扉に向かう足を一旦止めて、私は黒いショルダーバッグからゲームソフトを取り出して、お父様に……4人の男性達に見えるように顔の横の高さまで持ち上げて、それをヒラヒラと動かしながら、お父様に……4人の男性達に見せびらかすように言った。
「これよ、これ!この乙女ゲームで知ったのよ!やっぱり、このゲーム会社のゲームが一番だわ!」
「何だ〜、ゲームだったのか〜!そんなに気に入っているのなら、今度はそのゲーム会社に出資しようかな」
「もうっ、お父様ったら!そんなことはしなくていいってば!」
私とお父様は笑いながら応接室を出て、ゲーム会社を後にした。その後、アイドル声優にならなかった私は、前世のわたしのスキル……侯爵令嬢だったわたしは、貴族の茶会や晩餐会等のイベントの差配をする能力に長けていた……を生かせる仕事をしようと思い立ち、お父様とは縁もゆかりもない、海外に本社があるという、とあるイベント制作会社に就職した。
一度目の人生で乙女ゲームへと変更された復讐ゲームは、変更されることなく無事に完成して売り出された。驚きだったのは、その2年後に”僕のイベリスをもう一度”という乙女ゲームが一度目の人生の時と同じように売り出されたことだった。私は仕事の合間を縫って、ゲームをプレイしてみたが、一度目の人生の時との違いは、ゲームのヒロインに声優が存在しないことと、逆ハーレムエンドが存在しないこと、そして悪役令嬢の末路が死を暗示させるものではなく、修道院に行くことに変わっていることだった。”隠された物語”が存在するかどうかも確かめたくなったが、あれを初めて見る者は決まっていると神達に事前に忠告されていたので、確かめることはしなかった。
前世を思い出してから、もうすぐ4年になろうかという年の夏。私はゲームショウの会場内で、スタッフとして忙しく走り回っている時に、ふと僕イベのコスプレをして歩いている来場者に目を止めた。
(そういえば……確か一つのゲームを作るのには3、4年かかると聞いたことがあったのだけど、どうやって、あんなに早く乙女ゲームをリリース出来たのだろう?)
利益度外視でゲーム会社に出資していたお父様というスポンサーを失い、ゲーム会社を立ち上げた、あの4人もゲーム会社を去ったはずなのにと不思議に思い、あのゲーム会社のブースを見ると、あの4人の男性達はゲーム会社の社員証のネームプレートを首に掛けて、来場してくるお客さん達に展示物の説明をしていた。
(辞めていなかったんだ……。ん?あれ?今回のイベントはゲームショウのはずなのに、何故あのブースにスクイレルのロゴが大きく?いや、スクイレルが今回のゲームショウのスポンサーだから、あそこにロゴがあってもいいのか。……ん?何々、何か大きく書いてある……医療とゲームのコラボレーション?ゲーム技術で命を救う……って、どういうこと?)
詳しく知ろうとゲームブースに向きかけたが、会場内連絡用の携帯電話が鳴ったので、私は立ち止まり、電話に出た。
「菜有さん、今どこ?ちょっとAの2まで来てほしいんだけど」
「はい、今すぐに向かいます」
気にはなるけれど、今は仕事中だと私は気持ちを切り替えて、会場内を早足で移動する。この仕事は色々と大変だけど、やりがいがあって、とても毎日が充実していて、私は生きていて良かったと日々実感している。早足で歩いている途中で、エルゴール役の女性声優とすれ違った。
一度目の人生の私は、今日のこの日にインターネットの番組で、僕イベには逆ハーレムエンドが存在すると言い、どこかの中学生の女の子も、今日のこの日にインターネットの僕イベのファン情報サイトに彼女の悪口を書き込んだことで、インターネットの世界で騒ぎとなり、彼女は苦しんで病になってしまっていたが、私はアイドル声優にならなかったので、そのフラグはへし折ったはずだ。
(もし今日、彼女に対する誹謗中傷の書き込みがあったら、直ぐに知らせてくれるようにと、お父様にも頼んであるから、きっと大丈夫よね)
私がアイドル声優にならなかったことが功を奏したのか、あれから4年近く経っても、お父様は事業に失敗することもなく、仕事は順調で、家もあのままだったし、神が気にされていた7月23日も女性声優に対する悪口の書き込みはなかった。その書き込みさえなければ、ライト様の大事にされている方達は不幸な目に遭わないと聞かされていたので私は安堵した。
(この世界のどこかに生きておられるライト様……ワタシは生前、あなた様の大事なご家族をおもてなしすることなく、病で死んでしまったことが心残りでした。これで少しは、嫌がるあなたを無理やり王にしてしまった詫びが出来たでしょうか?)
8月の盆の最終日。一日だけ休みが取れた私は、朝早くに母の墓参りを済ませ、午後からは買い物をしようと町の中を歩いていたが、買い物をすることは出来なかった。何故なら私は、通りかかったアイスクリーム店の前で突然倒れゆく女性を見かけ、助けて救急車に付き添ったからだ。
そして、そこで私は……終わらない初恋にもう一度、出会う。




