シーノン公爵家の使用人の秘密(中編)
ナィールはイミルグランの乳兄弟で親友で、セデスのもう一人の教え子だった。セデスは一族の者の力を借りて、犯人を捕らえようとしたが、ナィールに聞いた人相の男は川から水死体で見つかった。
カロン王子を狙った暗殺者が、ナィールをカロン王子と間違えて襲ったことで暗殺者の仲間の誰かに命を奪われたのだと思ったイミルグランは、暗殺者の顔を見ているナィールが今後も暗殺者の仲間に命を狙われるのではないかと危惧し、あれをナィールに教えてやってくれとセデスに頭を下げて頼んできた。セデスはイミルグランには自分の推察したことは言わずに、イミルグランの頼みを黙って引き受けて、あれを教えに行った田舎で、好きな女性のために弁護士になりたいと前向きに笑う、仮面をつけたナィールに会った。
イミルグランの傍に一生いたかったが仕方ないよな……と寂しげに笑ったナィールは、自分の出生の秘密を知ったのだろうとセデスは彼の表情で悟った。イミルグランは相変わらず、体は不調なのか?まだ原因はわからないのか?……と自分の乳兄弟で親友のイミルグランを気遣う言葉しか言わないナィールをセデスは微笑ましく思い、互いを思いやる親友同士が離れなければならなくなった元凶を苦々しく思ったが、その気持ちをひた隠し、何気ない表情でナィールの近況を問うた。
ナィールは一生を共に過ごしたい女性が出来たから、彼女のために弁護士の職に就こうと考えていると近況を語った。実は恥を忍んで、イミルグランに弁護士の試験費用を借りようかと思っていたと話すので、セデスはこういうこともあろうからとイミルグランに言われて、予め預かっていた大金を渡すと、ナィールは大層驚いた。
『将来公爵になる私を支えると言ってくれた優しいナィールは、今まで懸命に勉学も武芸も努力をして頑張ってくれていた。私にはもったいないくらい、いい親友で、私も彼に傍仕えになってほしいと願っていた。あんなことが起きて私は悔しいと思ったが、当事者のナィールこそが、どれだけ怖くて、悔しい思いをしただろうかと考えると、私は今でも胸が締め付けられそうに苦しくなる。
でも、私の乳兄弟で親友のナィールはとても優秀なんだ。いつまでもくすぶって、田舎で牛乳配達員をしているだけで終わる男ではないと私は信じている。だからナィールが次の一歩を踏み出す足しに、これを役立ててもらいたいんだ』
イミルグランが言っていた言葉を伝えると、ナィールは仮面の奥の碧眼を潤ませた。腕で仮面をつけたままの目元を乱暴に擦り、お金は試験に受かったら、必ず返すと伝えてくれと言い、あれは必要ないとナィールは言った。
「俺の素顔と声が好きだって、彼女が言うんだ。だから、この声を変えようなんて思わないからさ。気持ちだけは受け取っておくよ。セデス先生、イミルグランにありがとうって伝えておいて。……それと、さ。試験に受かって、俺が成人したら、彼女と結婚するんだ。その時に挨拶に行くって、イミルグランに伝えてよ。俺の親友だって、彼女に紹介したいんだ!」
……その数年後、弁護士になって金を返しに来た仮面のナィールは、以前の明るさは消え失せ、貼り付いたような胡散臭い笑顔をするようになっていた。
「……あの時に拒んだ俺が馬鹿だったんだ。せっかくの申し出を袖にして申し訳ない。恥を忍んで俺からお願いする。あれと、もう一つのアレを教えてくれ!」
と、イミルグランとセデスに深々と頭を下げた。この屋敷にいる間だけは仮面をはずしてくれと、眉間の皺を濃くするイミルグランに、ナィールは了承と共に、自分は改名したので、これからはカロンと呼んでくれと言った。
カロン、それはこの国の王子の名前だ。イミルグランとセデスは息を呑んだが、何も言わず、イミルグランは彼を顧問弁護士として雇うことを決めた。そしてセデスはイミルグランの了承を得て、カロンに変声術というあれと、変装術というアレの二つを教えた。
21才で当主になったイミルグランは、相変わらずの不機嫌顔の美丈夫に成長していた。彼はセデスに、これからは世話係ではなく、執事をしてくれと頼んだ。
「私は18才で学院を卒業して城で勤めだして、まだ3年目の新人だ。仕事で覚えなきゃならないことが山ほどあるのに、王の執政の尻ぬぐいもしなきゃいけない。領地経営は親戚等が引き受けると奪っていったが、あれでは早急に手を貸してやらないと、民が困ってしまうし、それに屋敷の仕事もある……私はそこまで手は回らない。私はセデスを信頼してるから、お前に家の事を任せたい」
「……イミルグラン様。一度お聞きしたいことがあったのですが、今少しお時間いただけるでしょうか?」
イミルグランはセデスの顔を真っ直ぐに見た。
「何だ?」
セデスはイミルグランの強い眼差しに長年の疑問をぶつけた。
「イミルグラン様は、私どものことをご存じですよね?我々11名が普通の使用人ではないと、お気づきなのに我々の正体について、言及されないのは何故ですか?我々が貴方様を陥れるための、他家の間者だと思わないのですか?何故正体不明な我々を気味悪く思わずに、ここに置いてくださるのですか?」
「ん?何故って……お前が私を狙うスパイだとは思ったことがなかったからだ」
「え?」
イミルグランは不機嫌顔の眉間の皺を指で揉みながら言った。
「お前が来た初日の夜、お前は気配を消して、屋敷中を歩いていただろう?各部屋の逃げ道を調べてたんじゃないのか?私の部屋にも調べに来たから、お前がスパイだとわかったんだ。
あの時もそれからも、ずっとお前は私を殺す機会なんて、数え切れないほど、あったにもかかわらずに何もしなかった。ずっと私に陰日向なく忠実に仕えてくれているのに主君の私が、家臣のお前を信用しないなんて、ありえない。家臣の忠義を感じ取れないなんて、主君失格ではないか」
「イミルグラン様……」
雇われた初日に普通の世話係では無いとバレていたとは気づかなかったセデスは、内心引きつり、影の一族の長としての自信を失いそうな気持ちになった。イミルグランは、それには気づかずに何故、自分の傍にいて欲しいのかの説明をした。
「お前が屋敷に来る前は小さな私が体の不調故、部屋を暗くすることや私の額を布で縛るように頼んでも、誰も彼もが私の体の不調は気のせい、仮病だと言って、誰も取り合ってくれなかったし、私の頼みを聞いてくれなかった。両親でさえ、おかしなことを言うなと叱るだけだった。お前だけが私の言葉を聞き、私の望んだ通りにしてくれたんだ。私の主張を否定せず、私の頼みを叶えてくれた。だから私は、お前が何者だろうと良かったんだ。
小さな私のそのままの願いを聞いてくれるお前達の存在が、ずっと私の慰めになっていたんだ。だからお前達が誇れる主人になったら、お前達は離れないだろうと考えて、今まで頑張ってきたんだ。今までありがとう、セデス。そして……」
一旦言葉を切ってから、再び正面からセデスを見つめ直し、イミルグランは言った。
「私は両親を失い、乳兄弟で親友のナィールも心を閉ざしカロンになってしまった。今の私にはお前達しかいない。セデス、これからも私を支えてく……いや、違う。これからも支えて下さい、お願いします、セデス先生!」
王家の血に連なる、由緒あるシーノン公爵家の若き当主は、姓も戸籍もない、影の一族の長に、その美しい銀髪の頭を深々と下げた。セデスは片膝をつきイミルグランの右手を取り、自身の額に押し当てた。
「4才のあなたに微笑まれたときから、私はすでにあなた様のものです、イミルグラン様。あなたは私が見つけた、私が守りたいと思い、幸せになってほしいと願う、私の……私達の唯一の王なのです。ですので、これからも一生お傍で仕えることをお許しください。愛しい我が君」
そう言ってセデスは、イミルグランの手の甲にキスをし、永遠の忠誠を誓った。
セデスは小休憩のために馬車を止めた。馬車の扉から、笑顔のミグシリアスが真っ先に降りてきて、直ぐに笑顔いっぱいのイヴリンを嬉しそうに抱き下ろす。続いて降りてきた、常時不機嫌顔が基本となっているイミルグランの顔のしかめっ面は跡形もなく、そこには喜びを噛みしめる美しい美丈夫がいた。
イミルグランは自分の後ろに続くアンジュリーナに柔らかい微笑みを向け、彼女に手を差し出す。アンジュリーナは顔を真っ赤にさせて、おずおずと愛しい人の手を取った。イヴリンがニコニコしながら両親の様子を眺めて、そっとセデスに内緒話をするように囁いた。
「あのね、セデスさん、……これは内緒よ!父様と母様ね……キスしてたの!見ちゃダメってミグシリアスお義兄……、ミグシスが言ってたけど、私、見ちゃったんですの!」
両親が傍で笑い合っているのを初めて見たイヴリンは、嬉しくて仕方が無かったのだろうと思わず、涙が込み上がりそうになるのを、セデスはグッと我慢した。
良かったですね、イヴリン様……。良かったですね、イミルグラン様……。
自分が決めた、一生を捧げ仕える王であり、我が子のように育てたイミルグランの幸せが、セデスは何よりも嬉しかった。小休憩が終わり、にこやかな一家が馬車に乗り込む。セデスは、先ほどと変わらずに馬車を走らせながら、もう1人の王になっていたかもしれない青年に思いを馳せた。




