名前なき彼女達のイベリスをもう一度⑤
ナウセア公爵がワタシにつけてくれた従者は、トゥセェック国の王都に入るまで沈黙を貫いていたのだが、トゥセェック麺の店に入り、念願のトゥセェック麺を食べ始めた時に、急に滂沱の涙をこぼし始め、ヒックヒックと泣きじゃくりはじめた。
『あら、どうしたの?』
『す、すみません!あ、あまりに辛かったものですから、涙が勝手に出てしまったんです』
『それは嘘ね。だって、あなたはワタシよりも辛党じゃないの!本当にどうしたの?急に泣き出すなんて……。さては何かワタシに隠していることがあるのね!』
『ッ!?そ、そ、そんなことありませんよ!こ、この私が姫様に隠し事など!け、けしてそのようなことは、一切ございません!』
『もうっ!嘘つくのが下手なんだから観念しなさい!一体、何を隠しているの!』
『じっ、実は……』
私に隠し事をしているのがバレてしまった従者は、涙を手布で拭きながら、事の次第を話し始めた。私はてっきり、従者は本場のトゥセェック麺には私の嫌いな野菜のピーマンが入っていることを隠していたのではないかと思っていたのだが、彼の隠し事は、そんな些末なものではなかった。
『そんな……。ナウセア公爵がワタシの本当のお父様で、お父様だと思っていた王が、お母様をナウセア公爵から奪い取った悪者だったなんて……』
従者は、まずワタシの出生の秘密について話しだした。ワタシは思いも寄らない話に驚いたが、ふと、ああ、だからナウセア公爵は、あんなにも陰日向なくワタシによくしてくれたのかと、彼の昔からの行動に合点がいったので、その驚きは直ぐに収まったのだが、従者の隠していたことは、それだけには留まらなかった。
『それだけではありません。王はあなたの誕生日に国民達に、あなたは本当の娘ではないと告白し、自分の後妻に据えると発表するつもりなのです』
何とおぞましい男だろうか。今まで実の娘だと思っていた者を後妻にしようなどと考えるなんて……。ワタシは恐怖で震えだした我が身を自分の両の手で押さえつけた。従者はワタシの恐怖は最もだと言った。
『元はと言えば結婚寸前だったお二人を無理やりに引き裂いたのは王だと言うのに、王は姫様がナウセア公爵のお子であることに激怒し、亡きお母様と瓜二つの容姿を持つ姫様を後妻に迎えることでナウセア公爵に逆恨みの復讐をしようと思われたのです。ナウセア公爵は思いとどまるように何度も説得を試みましたが叶わず、最後の手段として、姫様を守るために悪い大臣になることを決意されたのです』
『悪い大臣?』
従者はしゃっくり上げて泣きながら、全てを話してくれた。もし今ここでワタシが王の子でないとわかったら、王には他に子がいないので、王家の血筋の親戚縁者達による次代の王となる後継者争いが勃発し、内乱へと発展する危険性が生じる。今の自国は2つの国に狙われている状態なので、内乱など起こして両国に攻め入る好機を与えてはならない。そこでナウセア公爵はワタシと自国の両方を守るために、”悪人”になることを決意した。
従者は、今頃ナウセア公爵は……ワタシの本当のお父様は、ワタシを王から守るために、自国を狙う2つの国の誘いに乗るふりをして、王を暗殺しているだろうと言った。
『そんな……』
『もしも姫様にバレた時には、自分の言葉を伝えるようにと、ナウセア公爵から姫様宛に内密の伝言を預かっております。……コプ国とトマック国の両国が我が国を狙っているので、その両国を制圧するまでは、姫は国に戻ってきてはいけません。両国を制圧し、自国が落ち着きましたら、迎えを寄越しますので、それまではトゥセェック国の王都で旅行者のふりをして、迎えが来るのを待つようにとのことでした。そして自国に戻られましたら、早急に姫の夫となるに相応しい相手を見つけますので、その際には公爵のことを悪者として捕縛し、王殺しの罪で極刑に処すようにと……。このことは他言無用ですので、けして誰にも言ってはならないとのナウセア公爵からの最後のお言葉です』
従者の話を最後まで聞き終えたワタシは涙を流さずにはいられなかった。何故ナウセア公爵が……ワタシの本当のお父様が”悪人”にならねばならないのだろうか?王によって愛しき人を奪われたお父様こそが被害者で、王こそが悪人だと言うのに、何故、その事実を伏せ、ワタシと自国を守ってくれるというお父様を実の娘であるワタシが捕縛し、極刑に処せねばならないのだろうか?そんなのはあまりにも不条理すぎる!そんなのはあまりにも……お父様が可哀想過ぎる!
トゥセェック麺を前にして大粒の涙をこぼすワタシは、麺の辛さで泣いているように思われたのだろう。一人の黒髪の少年がワタシと従者のいるテーブルの所まで来て、ワタシに豆乳を差し出しながら、こう言った。
『辛いのが苦手なら、この豆乳を入れると辛味がまろやかになりますから、どうぞ』
『え?ありがと……』
豆乳を差し出す手の持ち主を見上げながら礼を言おうとしたワタシは、少年の顔を見て、息を飲んだ。
(なんて綺麗な少年だろう!)
細くて色白な少年の美しさに見入り、ワタシの胸はトクンッ!と高鳴った。少年は自分の額のこめかみを揉みながら言った。
『礼はいりません。僕は頭が痛くなる”気のせい”に四六時中、悩まされていて、大きな音や人の泣き声が聞こえると余計に頭が痛くなるので、それが嫌なだけなんです。あなたは僕の義姉上にどことなく似ています。僕は義姉上の泣き声が特に苦手でした。だからあなたにも、これ以上泣かれたくなかっただけなんです。では失礼します……』
そう言って少年が去ろうとした時だった。急に店内に刺客だと名乗る者達が現れてワタシと、何故か少年が狙われて、丸腰の少年がワタシの前に立ちふさがり、ワタシの代わりに斬られようとした瞬間、真白の光が辺りを包みこみ……、光が消えた後、丸腰だった少年は細身だったにも係わらず、自分の体の倍もある大きさの体格の刺客達を次々と投げ捨てていく”英雄”へと変わっていたのだ。
『ああっ、もう忌々しい!こら、お前達!儂の命が欲しいのなら、儂だけを狙え!店の者や客達に手を出すな!』
ワタシは恋する乙女である前に、一国を背負う姫だった。初恋によるときめきよりも、”女王になるためにありとあらゆる教養”を学んだワタシは姫としての立場から、神の使いの銀色の妖精により、物静かそうな少年から手練の武道家となった”英雄”を自国に連れていけば、国もお父様も助けられると強く思ってしまったのだ。
そこで頭が痛いから戦いたくないと訴える”英雄”を無理やり巻き込む形で彼と共に自国に戻ったが、自国に戻ったワタシを待っていたのは、ワタシを守るために王を殺し、”悪い大臣”として国内外の者達に周知されてしまっていた父様……ワタシのために”悪役”となったナウセア公爵だった。
何も知らない”英雄”はナウセア公爵を捕縛し、数年掛けて2つの国を制圧してくれた。ワタシは何とか父達の命だけはと思い、父とワタシの本当の兄を内密に国外へと逃したのだけど……。何のツテも当てもなく、他国で生きることになった父と兄は、数々の苦境や災難に苛まれて、遠い異国で本物の”悪人”になってしまったことを生前のワタシは知らなかった。
目を丸くさせているお父様の視線から逃れたくなる自分自身を叱咤し、ワタシはお父様を真正面から見つめる。来世のお父様の運命は変わらない。来世のお父様は娘であるワタシを守るために”悪役”になり、やがて本物の”悪人”になる。ワタシは本当のお父様であるナウセア公爵に言えなかった言葉を現世のお父様に言うことにした。
「お父様、今まで沢山愛してくれてありがとうございました。ワタシは愛し合うお母様とお父様の娘に生まれることが出来て、本当に良かったと思っています。お父様が……ワタシのお父様でワタシは幸せでした。……でもね、お父様。お父様の愛情の示し方は間違っていました。ワタシを思う気持ちは嬉しいけれど、そのために愛情深い父親が悪人になるのを喜ぶ娘が、どこの世界にいると思いますか?少なくともワタシは、お父様がワタシのせいで悪人になるのは嫌でした。ワタシに相談してほしかったし、どんな結果になろうとも、ワタシはお父様と一緒に最後まで戦いたかった……」
「仁姫……?」
首をかしげるお父様は、ワタシが何を言っているのかはわからないだろう。お父様にとっては来世のことであり、ワタシにとっては前世のことであるのだから……。お父様に言いたかった言葉を言うことが出来たワタシは、今度は現世の私の正直な気持ちをお父様に話すことにした。
「お父様、本当は私、アイドル声優なんてなりたくないの。あれは、つい言ってしまっただけで、他意はなかったの。やりたいことが見つかってよかったと喜ぶお父様を見て、まだやりたいことが見つかっていないとは、言い出せなくなっちゃっただけなの。今までの私はお父様に甘えるだけで、自分自身の人生のことを真剣に考えたことがなかったの。お父様、本当にごめんなさい」
私はライト様に教えてもらった、この世界での最大級の謝罪を表すという”土下座”をした。




