アンジュリーナと仮面の騎士(後編)
未遂ですが、女性に対しての性的暴行表現がありますので、ご注意下さい。
アンジュリーナ達が貴族教育を一通り学び終えた12才ごろから貴族の令息令嬢は、夜会の参加を始める。アンジュリーナとルナーベルも侯爵令嬢としての役割があるため、母達と一緒に出席をしていた。夜会では、母達は侯爵家夫人の仕事をするため、着いた直後からアンジュリーナ達と離れて、既婚の貴婦人や年配の紳士のいるグループの輪に向かって行く。
社交界の紅薔薇と呼ばれるアンジュリーナは老若男女問わずに人気があったので、どの夜会でも大勢の貴族達を引き寄せ、彼らと話をすることで貴族間同士の情報交換や連携などの、侯爵家のための貴族令嬢の役割を彼女達は果たすことが出来た。
未婚の貴族達は大抵婚約者と来ていることが多いが、たまに相手が決まっていない男女もいるので、こういう夜会で気になる相手をダンスに誘ったりしている。ルナーベルも婚約者はいなかったが、男性が苦手に思う彼女は自分から誰かを誘うことはしなかったし、また彼女をダンスに誘う男性もいなかった。婚約者が多忙すぎて15才になっても彼に会えずじまいのアンジュリーナは、婚約者がいる身なのを知ってても、大勢の男性にダンスを申し込まれたが『ファーストダンスはシーノン公爵様のモノですから』と言ってキッパリと断っていた。
その日、アンジュリーナの両親は領地への慰問にルナーベルの母親を連れて出向き、アンジュリーナには茶会も夜会の予定も入ってはいなかった。こんなことはめったにないと浮かれるアンジュリーナは怒られる心配の無い二度寝を楽しんだため、寝坊をした。そして久しぶりの休日を思いっきり楽しもうとルナーベルを散歩に誘いに行ったアンジュリーナは、彼女がいないことに気が付いた。
ルナーベルは普段からお腹の音を気にして外出を好まないのにと不思議に思っていたら、ルナーベル付きのメイドに泣きつかれて、ルナーベルがルヤーズに騙されるようにして、半ば無理矢理に仮面舞踏会に連れて行かれたことを知った。
「何考えてんだ!あの馬鹿兄貴!?自分の娘が可愛くないのかよ!あんな乱交パーティーに未成年の娘を放り込むなんて!」
「?お嬢様?」
「え?あら、私としたことが!おほほ……って、言ってる場合か!いいからルーベン兄様の洋服取ってきて!私、助けに行くわ!」
アンジュリーナは、自分と身長が一番近い3番目の兄の服を借り、髪も後ろの高い位置で一つに結ぶと、馬車ではなく、直接馬に飛び乗ってメイドから聞いた、ある貴族の家に向かった。
この国の貴族の仮面舞踏会というのは、仮面をつけることで身分や既婚の有無に囚われずに、一夜の恋を楽しむためのみだらな催しのことを意味していた。未成年者や、まともな倫理観を持つ貴族ならば足を運ばない催しだ。小さい頃にお腹の音を少年達に笑われてから、男性が苦手な未成年のルナーベルが、そんな催しに進んで行くはずがない。
ちなみに仮装パーティーというものもあるが、こちらは健全なモノで、出席者は主催者の作ったクジを引いたモノに仮装するだけの、普通の夜会と変わらないものだった。仮装パーティーでは婚約者や夫婦は、お互いの髪や瞳の色の仮面をつけるのが決まりだった。
馬を思いっきり駆けさせたアンジュリーナは目当ての屋敷を見つけると、少しだけ離れた所に馬を止め、急いでいるので正面突破しようと、焦る気持ちのままに走って、その貴族の家の門をくぐろうとすると、どこからか現れた、仮面の騎士に扮した茶髪の男にその腕を掴まれそうになり、アンジュリーナはとっさに前世の記憶にある護身術を用い、その身を華麗に躱した。仮面の騎士は、仮面の奥の碧眼を丸くした。
「おや、社交界の紅薔薇が武芸を嗜んでいたとは知らなかったぞ?お嬢様、ここがどこか知っていて来たのかい?ここは未成年の少女が来るところでは、けしてないよ?その男装……、ここを仮装パーティー会場と間違えたのか?それとも、愚かな人間の酒池肉林の爛れた宴があるとわかってて、あいつを……婚約者を裏切るつもりで来たのか?」
「とんでもない!例え一度もお会いしていなくても、あんなに誠実なお手紙を下さる方を悲しませること何てしないわよ!それよりあなたは、そうやって私をここに入れないように止めてくれるんだから、きっと良い大人よね!お願い!ルナーベルを、私の姪を助けて!」
初対面で図々しいお願いをしてくる少女に面食らったような仮面の騎士に構わず、アンジュリーナは仮面の騎士に自分と同じ年の姪が彼女の父親によって、ここに放り込まれたことを大急ぎで説明した。
「さっき、ここの特別室に金髪碧眼の仮面の男が、嫌がる紅い髪の少女を連れ込んでいたが、あれか!ついてこい!……っちくしょう!またあいつか!また不幸な女性を作る気か!!」
仮面の騎士はアンジュリーナを引き連れて、階段を駆け上った。途中、仮面の騎士の連れが、彼を追いかけてくると、仮面の騎士は至急仮面舞踏会の変装小物が置いてある部屋から、銀髪の髢を用意してくれと命じて、その連れを走らせた。特別室の前に立つと、中からドタンバタンと物音が聞こえ、少女の悲鳴が聞こえてきた。
「嫌!!離して下さい!お許し下さい、王様!」
「大人しくしろ!お前は私の側妃候補だろうが!お前の父親が社交界の紅薔薇の兄だというから、お試しして、具合が良ければ妃にしてやると言ったが、社交界の紅薔薇の姪御というから期待していたのに、とんだ期待外れだ!
顔だけは確かに似ているが、何だこの身体は!子どもみたいに胸も尻も真っ平らじゃないか!アンジュリーナなら最高なのに!イミルグランの婚約者でさえなければ、あちらを寝取っていたものを!!あのボン!キュッ、ボン!の美少女の方がいい!
……ああ、だめだ!そんなことしたら、イミルグランに嫌われてしまう!あいつに嫌われるのだけは嫌だ!あいつだけには嫌われたくない!!嫌われて、領地に引き込まれてしまったら誰が私の代わりに、政治をしてくれるというんだ!ええい!女なんて、皆同じだ!大人しくしろ!」
アンジュリーナは直ぐに踏み込もうとしたが、仮面の騎士は自分の連れが来るまで待てと言った。……その時だった。グルグルグルグル~……、プッ!とルナーベルのお腹が鳴り、おならが出てしまったのだ。
「「……」」
部屋の中が静かになったと思ったら、カロン王の引きつった大声が聞こえてきた。
「うわ~!!何だ、こいつ!!男の前で、おならなんてありえないだろ!?それにその腹の音、噂通りの社交界の鳴き腹だな!どれだけ意地汚い腹なんだ、それに何食ったら、そんなに臭くなるんだよ!?」
もう我慢が出来なくなったアンジュリーナはドン!と扉を蹴り上げた。中からカロン王の怒声がした。
「誰だ!人払いを命じているはずだ!俺を誰だと思っている!」
アンジュリーナは同じように怒鳴り返そうとして、仮面の騎士に遮られた。彼は自身が身にまとっていたマントをアンジュリーナに掛けて、連れから受け取った青い仮面を付けるように促した後、自分は目元の黒い仮面をオレンジの仮面に変え、銀髪の髢を被り、目元を隠すように髢を調整しながら小声で素早く言った。
「姿や声は似せられても瞳の色だけは変えられない。よく見れば、ばれてしまうから、あいつに気づかれる前に助け出すぞ!君の婚約者だと思わせるために、俺の斜め後ろに下がって、出来るだけ傍近くにいて、寄り添って見えるようにしてくれ。だが、お互いの心にいる愛しい者に、いらぬ懸念など持たれぬように、けして触らないでいてくれ」
その後すぐに仮面の騎士は扉に向かって、声を張り上げた。
『あなたこそ、私の大事な婚約者の姪御殿に何をされているのか?あなたが、どこの誰かは私は知りませんが、彼女は、まだ未成年で手違いでここに来たのです。彼女は私と私の婚約者と3人で仮装パーティーに行こうとして、場所を間違えただけ。すみやかに彼女を解放して下さい。
でなければ私は傷心の姪御殿を慰める愛しい婚約者のために、城の仕事を長期間休んで、傍に寄り添わねばならなくなります。城勤めの私が休むと業務が滞り、皆が困ることになります。きっと、そのことを知ったらカロン王は、大変心を痛めるでしょう。あなたは王のお怒りに触れたいのですか?』
仮面の男は、まるで別人のような声音と口調で話した。すると部屋の中から「この声!イミルグランか!?」とか、「あいつがパーティー?嘘だろ?」とか、「イミルグランがここに入ってきて、俺だとバレたら嫌われてしまう」とか、「あいつが休んだら、俺が働かなきゃいけない?それはまずい!」とか、「いいか、けしてあいつらには、俺だと言うな!言ったら家ごと潰すぞ、!」などと、焦る声が聞こえだし、バタバタと音がしたと思ったら、扉がそっと開き、ボロボロに着崩れたルナーベルだけが、ポイッと放り出されて、また扉が閉まって、鍵が中から掛けられた。そして鼻をつまんで喋っているような声が言った。
「だ、誰がば、知らないが、ごれば事故だ!俺ば、がろんじゃない!ぞれにむずめば、まだじょじょだから、いいだろ!が、がえっでぐで!!」
仮面の騎士は、扉を憎々しげに睨んだが、声だけは穏やか声で、一言だけ言った。
『ええ、今日の所はそのようにしておきましょう。姪御殿の名誉のためにも。ただし、二度と私の婚約者と姪御殿に近づかれぬように』
部屋の中では「やっぱり、イミルグランだった!」だの、「婚約者の瞳の色の仮面、なら隣の男装の令嬢は、アンジュリーナか!せっかくの男装なのにマントが邪魔して、あの魅力的な身体のラインが見えなかった!」だの、「いやいや、ここで己の欲望のままにあの女を手に入れたら、イミルグランを失うから、それだけはしてはダメだ!」などとブチブチ愚痴る声が聞こえた。
仮面の騎士は、傍にいた連れのマントをアンジュリーナに渡して、ルナーベルの体に掛けるように促した後、二人を屋敷の外から連れ出して、いつのまにか用意した馬車に乗せてくれた。
「ありがとうございます!あの後日にきちんとお礼をしたいのですが、あなたのお名前は?」
アンジュリーナが馬車の窓から身を乗り出して礼を言うと、仮面の騎士は照れくさそうに鼻をこすった後、片手を上げて言った。
「いや、礼はいらない。あの男の毒牙にかかる前に、その子を助けられて、こっちが礼を言いたいくらいさ。地道にあの男の悪事の証拠集めをしてて、ホントに良かった。それと親友の婚約者に親友より先に名乗りは出来ないから、名乗るのは勘弁してもらいたい」
親友と聞いたアンジュリーナは目を丸くした後に、笑顔になって言った。
「あなた、ナィールさんね?イミルグラン様のお手紙に、あなたのことも沢山書かれていたから私、知ってるわ!一番の親友のナィールさんだって!結婚式で紹介してくれるって、書いてあったわ!」
アンジュリーナの言葉に仮面の騎士は……ナィールは、目をパチクリとさせてから顔を赤らめた。
「そうか……、あいつも俺のことを親友と思ってくれているんだな……。さぁ、ご令嬢方、もう帰りな。そして、今日のことは忘れるんだ!」
……その後、ルナーベルは無事だったものの、この事がきっかけで声が出なくなった。領地から帰ってきたアンジュリーナの両親とルナーベルの母親は今回の事で、ルヤーズに激怒して、ルナーベルは母親と領地の別荘で暮らすことになった。ヤーズ侯爵は、浅はかな長男に後継をまかせることに疑問を抱き、次男に後継者教育をするとルヤーズを牽制した。
結局20才になるまでルナーベルは声が戻ることもなく、社交に出かけることも誰かと結婚することもなく、本人の希望通りに修道院に行くことが決まった。
「……そうか、それは大変だったんだね」
「はい、とても」
「ナィールはセデス達と一緒で、物真似がとても上手いんだ。彼の声は私とよく似ていたかい?」
「ええ、多分。でも、どれだけ似ていても、あの声には、今の旦那様の声に感じるような暖かさはなかったように思います。……イミルグラン様には信じてはもらえないでしょうが、私は旦那様のことが相当好きなんですのよ。たとえ、この次生まれ変わって、どんな姿になっていても、あなただけをまた愛するって自信がありますの!」
セデスの呼ぶ声が聞こえ、イヴリンがミグシリアスに抱き上げられて、こちらに向かってくる。イミルグランはアンジュリーナの笑顔を目を細めて見つめ、コクンと一つ頷いた。
「わかった。なら、アンジュリーナ。これから公爵から、ただの男になるグランを、アンジュというただの女になって、傍にいて愛してくれるかい?」
「ええ、もちろん!私の愛は永遠ですもの!前世も今世も来世も、私はあなただけを愛してる!!」
二人は口付けを交わした後、馬車に乗るために皆の方へ歩いて行った。
長くすれ違っていた夫婦が、やっとお互い想い合っていると気づくことが出来ました。




