※リアージュのファイナルリトライ②
※この回、病気の者や生まれつき体の不調を持つ者に対する差別発言や暴力表現があるので、ご注意ください。
リアージュは、ブウウン……という、不思議な音が鳴っていることに夢の中で気が付いた。
(あれ?何の音?……って、言うか、私、いつの間に眠っちゃってたんだろう?ああ、起きたくないなぁ。毎日毎日、地を耕したり、木を植えたり、トンネル掘ったり、川さらいしたり、来る日も来る日も朝早くから夜遅くまで働き通しなのに、なんで自分達の衣食住のことまで自分達でしないといけないのよ!本当にうんざりだわ!洗濯機も掃除機も電子レンジもないから、全部全部、自分でしないといけないなんて、マジ最悪!それに強制収容所は刑務所だから娯楽はないし、酒やお菓子もくれないし!ホンットにムカつく!)
リアージュは、毎日リアージュの前世の自分の生活とリアージュの今の囚人生活を比べては、今の自分の生活を恨めしく思い、全てのものを忌々しく思って日々を過ごしていたので、夢うつつの中にいても、悪態をつくことが止められなかった。
(ああ、寒い……。3月中旬になったとはいえ、まだ春先だもん、寒いに決まってるわよね。ああ、前世の世界だったらなぁ。エアコンをガンガンにかけて、電気毛布も引っ被って眠れるのに……。なんで犯罪者だからって、うっすい毛布一枚とゴザで寝ないといけないのよ!マジ最低なんですけど!
それに比べ、本当に前世の世界って最高だったわよねぇ。一日中、家でゴロゴロしていてもゲームをしていても、誰にも叱られないし、好きなものを好きなだけ食べられて、お酒だって飲み放題!働かなくなって、欲しいものは親が何でも買ってくれて、家事もしなくていいし、あれこそ、まさに”お姫様”生活だったわよね!)
リアージュは寝返りを打つ際に、無意識に毛布を求めて伸ばした手がタオルケットを掴んだことに気づかないまま、タオルケットを頭の上からスッポリとかぶせて、横を向いた。
(それにしても、何で私の体って、こんなにも頑丈で健康なんだろう?忌々しいったらありゃしない!熱の一つでも出たのなら、その間は療養で強制労働を休めるというのに、この体ときたら、シワシワでシミだらけで、目は充血し、歯も全部抜け落ちて、腰まで曲がっているというのに、くしゃみの一つすら出りゃしないんだから、ムカつくにも程があるわ!
あ〜あ、私も病弱な体に生まれたかったなぁ。そしたら収容所で働かなくても良かったのになぁ……。マジで病弱な奴らってムカつく!あいつ等だけ熱が出て、立っているのも辛そうなほど顔色が悪いからって、熱が引くまで安静に休むようにと刑務官や他の囚人達に気遣われて労られるなんて、ずるいわよ!私だって、ダラダラだらけて怠けたいのに!)
34年間も劣悪な環境の中、過酷な労働を課せられて、粗末な身なりで最低限度の食料しか与えられていなかったというのに、リアージュはとても健康な体を持っていたから、どれだけ嫌でも大嫌いな労働から逃げることが出来なかった。なので次第に囚人の中で病気になった者や、生まれつき体のどこかが不調な者を見ると、不快な気持ちになるようになり、そういう者達を逆恨みして憎むようになっていった。自分はさぼれないのに彼等だけ病気や生まれついた不調を考慮された休養だったり、軽度の労働を与えられるなんて、ずるいと思うようになり、そういう者を見かけると無条件で苛立つようになり、誰彼構わず暴力を振るうようになっていった。
(ああ、ムカつくムカつく!働きたくないから病気のふりしても、熱が無いから直ぐに嘘だとバレて、余計に働かないといけなくなるし!休みたくても休めないから苛立って、病気の囚人を罵りながら蹴っ飛ばしてたら、激怒した刑務官達から、「お前には人の心がないのか!」と叱られて懲罰を食らうし!それに変に仲間意識の強い囚人達からは袋叩きに遭った後、誰も口を聞いてくれなくなるし!
近くに寄ったら、「来るな、悪魔!俺達が罪を犯したのは事実だが、俺達はお前のように人の心までは失くしてはいないぞ!俺達はお前のようになりたくないから、心を入れ替えて、きちんと働いて罪を償う!邪魔するな、悪魔!」と罵られるようになるし、ホンットにマジあいつ等最低よ!私はね、50才のか弱いお年寄りなのよ!それなのに何にもしていない老人を皆で寄ってたかって虐めるなんて、皆、たちが悪いったらありゃしないわよ!老人虐待で訴えてやるわ!)
リアージュは起きたら直ぐに働かないといけないから、いつも刑務官に叩き起こされるまで寝床にしがみつくようにして眠っているのだが、今日はいつまで経っても刑務官が起こしに来ないので、様子がおかしいと思い始めた。
(あれ?いつもなら、この辺りで起こしに来るのに、今日は誰も起こしに来ない。変ね……。収容所では日曜祭日なんてものは存在しないと、年がら年中365日休み無しで34年間働かされてきたっていうのに、なんで今日は起こしに来ないのかしら?……別に私は働きたくないから、いいけどさ。ああ、でも働かないと朝ごはんの材料をもらえないのよね。
硬い黒パンに卵と僅かな野菜クズしかもらえないけど、乾燥大豆や腐った野菜よりはマシだもの。仕方ない、起きるか……。ああ、かったるいなぁ。それにしても……さっきからブウウンって、何なの、この音?煩くって、寝てられないんだけど!こんな変な音、今まで聞いたことがないわ!)
リアージュは眠りながら顔をしかめる。さっきからブウウンという音が一向にやまないのだ。ただでさえ、寒いのに嫌な音までするなんてイライラする!……と思ったリアージュの耳にガチャ、ガタガタン……と、何か硬い物が落ちたような音が聞こえ、リアージュは無意識にこう言った。
「冷蔵庫で氷が作れるのは便利でいいんだけど、氷が出来て受け皿に落ちるときの音に時々驚くから、あの音、嫌いなのよね」
眠ったままの口が独りでに喋った内容に、リアージュはギョッとした。
(え?冷蔵庫?氷?嘘?!)
ガバッと跳ね起き……たかったけれど、腰がくの字に曲がっていて起きられなかったリアージュは、ヨイショと腕を体の下に差し入れ、梃子の要領で腕で体を押し上げて起き上がった。
「え?……嘘……。ここ、どこ?」
目の前にあるのは鉄格子ではなかった。リアージュは目をパチクリとさせた後、辺りをキョロキョロと見回して、ここが牢屋ではないことに気がついて、首をひねった。
「あれ?どうして私、ゴミ捨て場なんかで寝ているの……あれ、そう言えば、私……昨日の夜に牢屋に帰った後、倒れて死んだはずじゃ……」
完全に目が覚めたリアージュは自分が死んだことを思い出した。そうだった、自分は夜に倒れて、もがき苦しんだまま死んだはずだと思い、では、ここは人が死んだ後、善良な魂の全てが向かうという、”神様のお庭”なのだろうかと思ったが、神様がいるはずの庭にしては、物凄く不衛生な場所だなと顔をしかめた。
(そういや死んだ後、天上に向かっていこうとしたのに、どこからか『お前は地獄行きだ』という声が聞こえたかと思ったら、何か真っ黒なものに掴まれて、地の底に引きずりこまれたんだった。じゃ、ここは地獄?……さすが地獄。足の踏み場もないくらいにゴミが溢れかえっていて、すっごく臭うわ)
暗くて沢山のゴミで溢れかえった部屋に眠っていたので驚いたが、ここが地獄なら納得できる。リアージュは、そう思って部屋の中を見回していると、徐々に目が部屋の暗さに慣れてきたのか、部屋の中の様子がよく見えるようになってきた。見えるようになって、改めて見回してみると、部屋中に溢れているゴミも、部屋の装飾も、自分が寝ていた寝床も、自分が着ている服も、今まで一度もリアージュは見たことも手にしたこともないような物であった。それなのに何故か、どれもこれも、それが何なのか、よくわからないと言うのに、何となく懐かしいような感じがして、リアージュは不思議に思った。
(何だろう、この感覚?……まるで50年以上離れていた故郷に帰ってきたような、妙な懐かしさを感じる。そんな馬鹿な……。私は男爵家で生まれたのよ!こんなゴミの中でなんて、暮らしてないわ!)
リアージュは部屋をよく調べてみることにした。
「何、これ……。沢山の空き瓶がゴロゴロ転がっていて、食べクズがついたままの食器がアチコチに積まれていて……何か、すえたような匂いがする。寝床も牢屋にあったゴザよりも寝心地はいいけど、何だかジットリしていて汗臭いし、着ている服も……臭う。それに……あら?これは何だろう?これは……からくり箱?……黒くて横長に長くて固くて……あら?意外と軽いわね。……これは何?」
そう言った瞬間だった。その小さくて四角くて黒い物はいきなり、ジリリリリリリリリ……!と、けたたましい音を奏で始めたのだ。リアージュは、その音の大きさに思わず両耳を塞いだが、音は一向に収まらないので、リアージュは音に負けないくらいの大声で喚いた。
「ああ、もう!煩い煩い!何よ、これ?どうやって音を止めたらいいの?」
リアージュは箱を手にとって、何とかしようとしたが、どうやって音を止めたらいいのかわからない。裏をひっくり返してみれば、何か文字のようなものが書いてあったが、リアージュは読むことが出来なかった。苛立ったリアージュは四角い箱を部屋にあった背の低いテーブルの角に何度も叩きつけて壊すことで、ようやく音を止めることが出来た。
「ハァハァ……やっと止まった。一体、これは何だったんだろう?カラクリ仕立てのオルゴールかしら?……違う。私は、これを知っているわ。知っているはずよ。遠い……遠い昔に見たような……」
しばらく考え込んでいたリアージュはさっきよりも大声を出して、叫んだ。
「ああ〜!思い出した!これはデジタル時計!そうよ!これはデジタルの目覚まし時計ってやつよ!あっちにあるのはテレビ!動く絵が見えるのよ!確かボタンがいっぱい付いた黒い板をテレビに向けると、動く絵が変えられるの!こっちにあるのは扇風機!電気っていうのを入れると羽が回って風が生まれるのよ!そしてブウウンっていうのは冷房機っていうやつの音!
……そうよ、思い出したわ!これは前世の”お姫様”の部屋!そうよ、ここは私の憧れの世界なのよ!うふふ!やったー!やったわ、私!上手く、あのチョロい神様を騙くらかせたのよ、私!ついにやってやったわ!私、無事に元の世界に生き返ることが出来たのねー!」
リアージュは曲がっている腰の後ろに手をやって、ヨイショと腰を伸ばし、両腕を上に上げてバンザイをした。……そう、ここはリアージュの憧れの世界で……、リアージュの前世の魂が生きていた、”日本”という国が存在する世界だったのだ。




