エイルノン達の林間学校と懐かしい再会⑩
エルゴールは店を出て、スクイレル商会の支店に向かって走ろうとして……今日が祭の日であることを思い出した。大通りは人で溢れかえり、この人混みの中を走り通ることは多くの者の迷惑になる行為であったから、エルゴールは直ぐに走るのを止め、やや早足で歩き出した。
(ああ、早くしないとレルパックスさんが旅立ってしまう!そうしたら、もう話を聞くことは出来ない!)
「あれ?エルゴールさん、そんなに急いでどうされたのですか?」
「っえ?!」
エルゴールはレルパックスにどうしても聞きたいことがあったので、焦る気持ちが抑えられないでいたが、思わぬ所からレルパックスの声がしたので、急いで歩みを止めて、その方向を見て驚いた。
「え?……レルパックスさん?それ……?あの、ひょっとしてレルパックスさんは……辛いのが苦手だったのですか?」
レルパックスはバーケック国発祥の飲み物であるヨーグルトラッシーの店先でヨーグルトラッシーを買い求めている最中だった。エルゴールに指摘されたレルパックスはカァ~と赤面しながら言った。
「父にイヴさんは辛いのが苦手だとお聞きしていたから、イヴさんの考案したという特製シーフードカレーなら食べても大丈夫だと思ったのですが、思ったよりも特製シーフードカレーが私には辛すぎましたので……。私は母に似て、辛みがあまり得意ではないのです。どうも父の情報は間違っていたようで……」
「いえ、イヴさんが辛いのが得意ではないのは本当ですよ。学食のカレーを食べるときは生卵を入れられていたとイヴさんの学友達から聞きましたから。あの特製シーフードカレーも元々はイヴさんの双子の弟達の苦手な茄子とカボチャとオクラを美味しく食べてもらうためにイヴさんが考え出した物だとセドリーさんが教えてくれましたし」
「生卵!そうか!生卵を入れたら辛みが和らぐのですね!私も今度からそうします!」
仕切りにウンウンと頷きながら感心したふうな様子のレルパックスに、エルゴールは毒気が抜かれたような顔つきとなった。レルパックスはエルゴールにもヨーグルトラッシーの入ったコップを差し出すと、浜辺を指差し、あちらで飲みましょうと言った。エルゴールとレルパックスが浜辺に向かうと、朝方曇っていたのが嘘であったかのように晴天となり、青い空に白いモコモコとした雲がいくつか浮かび、海も青く穏やかな白い波を立てていた。レルパックスは海を見渡し、ヨーグルトラッシーを一口飲んでから、こう言った。
「朝の天気が嘘だったみたいに、良い天気になりましたね。まるでこの国から災厄が去ったことを神が祝福してくれているみたいだ!」
エルゴールはレルパックスの後ろ姿を見つめ、尋ねた。
「災厄……。あの、レルパックスさんは、いつから”銀色の妖精の守り手”だったのですか?」
「……何の事でしょう?」
エルゴールは質問に質問で返したレルパックスの前に回り込み、自分の額を右人差し指でトントンと軽く叩きながら言った。
「白い布地に銀糸で刺繍された妖精は神の見たい物語から我々を守るために結成された部隊が任務に当たる際に衣服のどこかにつける紋章ですが、桃色の布地に同じ色の糸で刺繍されたリスのしっぽのような形の紋章がついたものを身に付けている数人の者に私は昨日の夕方、会ったのです。
彼等は一見すると、ただの床屋とか劇の化粧係とか、貸し衣装屋にしか見えない者達でしたが、皆、体のどこかに……髪を結ぶ飾り紐や腕や腰などに桃色の布地を身に付けていたし、その布地には、どれもリスのしっぽのような絵が刺繍されていました。そう言えば先ほどのカレー屋のコックも首にリボンタイのようにして身に付けていましたね。
彼等はロキ君を励まそうとしているスクイレルの皆さんの命令を受けた”銀色の妖精の守り手”達だったのです。セドリーさんに布の由来を聞きましたら、何でも幼少の頃のイヴさんが、『正義の忍者は、その色の忍者服を着ている』と言って、その色の忍者服を着たがったそうで、それ以来セドリーさん達はイヴさんやイヴさんのご家族のために”銀色の妖精の守り手”として動く際には、その色の布地を体のどこかに身に付けるようにしたと伺ったのです。
……そして今日再会したあなたも額に、その紋章入りの桃色のハチマキを身につけている。あなたはいつどうやって”銀色の妖精の守り手”になったのですか?そして一体、スクイレルの誰の命を受けて、こちらに出向いたのですか?」
エルゴールにそう言われたレルパックスは、目を丸くさせた後、ヨーグルトラッシーを持っていない方の手で自分の額のハチマキに触れ、苦笑した。
「すごい観察眼ですね、エルゴールさん。ご明察の通り、私は”銀色の妖精の守り手”です。この忌々しい色の布地を見たくがないために額に結んでいたのが目立って仇となってしまいましたね。……ああ、そうですね。忌々しい女の髪の色だと思わずに桃の色だと思えば、この色を嫌う気持ちは無くなりますね。これからは桃の色だと思うことにしましょう」
そう言った後、レルパックスは自分の話をし出した。
「私の亡くなった母は、母が10才の時に母の両親が離婚するまで、シーノン公爵領に住んでいて、そこで忍者としての教育を受けていたのです。母の両親が離婚して、母は祖母に引き取られて、祖母の実家がある子爵領へと移り住み、母は12才で父の実家の子爵家に侍女として住み込むで働くことになり、2才年上の父のマクサルトと出会い、身分違いの恋に陥ったのです。
父には上に男兄弟が二人いたため、父は平民になることが決まっていたから、二人は父が成人したら、揃って隣国に移り住み、そこで商売をしながら暮らそうと話し合っていたそうです。でも成人直前で父は運悪く、ヒィー男爵に目をつけられてしまい、意に添わぬ結婚を強いられて、私の母を内縁の妻とし……黒髪黒目の私が生まれました。二人はその時に泣いたそうです。隣国で暮らしていれば、黒髪黒目でも”魔性の者”として忌み嫌われることはなかったのにと……。
父の本妻であるヒィー男爵夫人の子達は体が弱く、どの子も神様の子ども時代を乗り越えられずに直ぐに亡くなったために、父は何度も本宅に連れて行かれたので、私や兄弟達は母によって育てられました。へディック国では身分差が厳しく、黒髪黒目の者は”魔性の者”として忌み嫌われていたので、母は私の将来を懸念して、父には内緒で私を忍者として育てたのです。もしも父母の身に何か不幸が起き、ここを追い出されたときには、黒髪黒目を忌避しないシーノン公爵の領地で生きろと母は私に言い含めていました」
そこまで言ってから、喉の渇きを潤すためにレルパックスは一口、ヨーグルトラッシーを飲み、また語り始めた。
「今から11年か12年前位だったでしょうか。ヒィー男爵領の歓楽街に住んでいた黒髪黒目の少年が、あの女に鞭を打たれそうになったときに少年の身代わりに鞭打たれた仮面の男の存在を父から聞かされて母が仮面の弁護士のことを知ったのは……。父が菓子折を持って謝罪に行くというのに、こっそり後をついていって、仮面の男がシーノン公爵の顧問弁護士をやっていると知った母は、後日に私を連れて仮面の弁護士に会いに行ったんです。
本妻との間には男の子が生まれず、7番目にやっと生まれたのも女の子だったから父は、その女の子も育つ前に神様のお庭に旅立つことがあれば、内縁の妻である母との子である私以外の兄弟達の誰かを本家に養子縁組しなければならないだろうと母に話していましたので、母は平民の母を持つ子でも貴族家へ養子に入る事が出来るのかどうかを知りたかったのだそうです。それに黒髪黒目の少年を育てている彼なら、私の就職先にもアテがあるのではないかと期待したそうです。
仮面の弁護士は胡散臭い見た目に反し、とても親切で気の良い方でした。いきなり尋ねてきた母や私を邪険にすることもなく、貴族家への養子縁組は父親が貴族であれば、母親は平民でも構わないのだと教えてくれて、私の就職先についても、シーノン公爵領でなら黒髪黒目の者への差別はないから、そこでならどんな仕事でも働くことが出来るだろうと教えてくれたのです。
その時に母や私の身のこなしを見た彼は、私達が忍者の訓練を受けた者であることを見抜き、それはどこで体得したのかと尋ねてきたので、母は自分の事情や私に訓練を施したことを包み隠さずに話し……そうしたら彼は私に、君には素質があるから、君さえ良ければ”銀色の妖精の守り手”にならないかと誘ってくれ、私は”銀色の妖精の守り手”になることにしたのです。
……勿論、父には本当の事は言えませんから私は”銀色の妖精商会”の商人として、働くことが決まったと言いました。そうしたら父は本当に喜んでくれて、私の就職祝いをしようと言って、城の大司教のシュリマン様に頼んで神子姫の神楽舞を我が家で舞ってもらうと言い出したんです」
「……え?」
レルパックスの口から、自分の父の名前が出て、驚いたエルゴールの顔を見て、レルパックスはクスッと小さく笑った。
「私とあなたはバーケック国の学院で会う、ずっと前に一度会っているのですが、その様子だと覚えておられないようですね。無理もない。あなたはあの時、まだ7才でしたし、あの女に生ゴミをぶつけられて、酷く傷ついておられましたから……」




