イミルグラン一家の乗る馬車の中で(後編)
馬車の中でイミルグランとアンジュリーナが並んで座り、その対面の席にはイヴリンとミグシリアスが座っていた。自分の申し出を喜んでくれたイヴリンを見て、イミルグランは、胸に秘めた気持ちを伝えることの大切さを、小さなイヴリンに教えられたような気持ちになった。
(ああ、イヴリンの……アイの言う通りだった。感謝の気持ちや愛情を感じたら、直ぐにその相手に伝えることは、とても大事な事だったんだ。今までイヴリンが惜しみなく私に愛情を示し続けてくれたから、私は自身の気持ちを伝える恐怖を感じること無く、イヴリンに言えることが出来たんだ。
……幼い頃、他者にある事で嘘つき扱いされて以来、自分自身を信じられず、ただ貴族の役割を真摯にこなせば、そう思われないだろうと必死に頑張ってきたけれど……。大丈夫。……きっと、大丈夫。私の愛する家族は、私を嘘つき扱いはしない。イヴリンが私を信じて、言いづらいことを言ったように、私だって家族達に言えなかったことを言えるはずだ!)
そう思ったイミルグランは、それまで頑なに、体の不調と言い張っていた、自身のある症状を家族の前で告白した。
「私も実は子どもの頃からイヴリンと同じように、熱もないのに、よく頭痛を感じていたんだよ。でもね、子どもの頃にそれを医師に仮病だと言われてね。……それが悲しかったんだ。……悲しくてね、それにそう言われるのが嫌だったし、とても悔しかったんだよ。
だからね、ずっと頭痛を隠していたんだ。自分は仮病ではない、嘘つきじゃないと言い聞かせて、頭が痛いのは気のせいだと思い込もうとしていた。ズキズキする痛みから、自分自身を欺くために病気では無いが、体が不調なんだと自身に言い聞かせていた。そうやって物心ついた頃から無理をしていたので、ずっと機嫌良く過ごせたことはあまりなかったんだ。
でもイヴリンが頭痛は、片頭痛という病気だって言ったろう?あれで目が覚めたんだ。自分の痛みから、目をそらしてはいけないってね。親子揃って同じ病気だとしたら、これはイヴリンだけの問題ではないからね。私が治さなかったから、イヴリンにその体質が、引き継がれてしまったのかもしれない。辛い思いをさせてすまなかった、イヴリン。私が目を背けていたから、イヴリンが思い悩むことになってしまったんだね。
熱も無いのに頭が痛いのは病気だと告白することはとても勇気がいることだし、とても怖かっただろう?父様は……怖かったんだ。父様は親友のナィールや家族のようなセデス達にまで、嘘つきだと思われるのが、とても怖かったんだ......。
臆病な父様に比べイヴリンは、とても勇気があるね。父様はイヴリンの父様になれたことを誇りに思うよ。これからは頭痛なのは、一人じゃないよ。辛いのは一人だけじゃない。同じ苦しみに立ち向かう同志に、父様とイヴリンはなれるよ。それに、もし私に頭痛がなかったとしても、私はイヴリンの父親だ。娘が助けを求める時に助けられないのは、もうごめんだ!一緒に片頭痛とやらと闘おう、イヴリン!ミグシスもセデス達も闘ってくれる!他の国に出て、片頭痛を治す方法を一緒に探そう?」
イミルグランはイヴリンが初めて頭痛を訴えたときに、仕事で家にいなかったことをずっと後悔していた。
「父様……」
それまで黙って二人の会話を聞いていたアンジュリーナは涙をこらえることが、ついに出来なくなり、涙を流しつつ、謝罪を始めた。
「私のこれまでの不誠実な振る舞いを許して、とは言いません。旦那様にも娘のあなたにも、私はひどい妻で母でしたから。……でも、これだけは信じて欲しいの!私は、ずっとずうっと前から、あなた達だけを愛しているの。
私、あなた達の体の不調に気づいて、何とかしてあげたかった。……でも、公爵夫人のままでは自由が効かないから、旦那様と離縁をしたの……。けして旦那様に非があってとか、私に想い人が出来たわけではなかったのよ!ただ、どうしても……直ぐに何とかしたかった。
私、治療法を求めて、バッファー国に行ってたの!……片頭痛の治療法はなかったけど、あなた達を助けたいという人を見つけたわ!その人はあなた達と同じ頭痛持ちでね、同志のあなた達を受け入れて、一緒に頭痛と闘いたいと言って下さっているの!!だからお願いだから、あの国に一緒に来て下さい!
復縁しろ……だなんて、厚かましいことは言いません。あなた達が安全だと確証を得たら、あなた達の前に二度と姿も見せません!ひどい妻、ひどい母親と嫌われているのも承知の上で、イヴリンとイミルグラン様にお願いします!!一生に一度のお願いです!どうか私にあなた達を助けるチャンスを下さい!どうか……どうかお願いします!……私、あなた達が助かるなら、何だってしますから!!」
「?母様?どうして私が母様を嫌うなんて思うの?私は母様が大好きですわ!毎日、いくつもの社交をこなす母様は、すごいと尊敬していましたわ!……私、母様がいなくなったとき、本当はすごく辛く寂しかったです。あのね、母様。私ね、母様がいないときに、お客様をおもてなしする機会があったのですが、……失敗をしてしまったんです。その時にね、私は……こんな私だから、母様は私を嫌って、出て行ってしまわれたのかもと思ったんです。だから悲しい気持ちでいました」
「私っ!!あなたを嫌ってなんかおりません!!あなたが大好きですわ、イヴリン!とっても大好きです!世界一可愛い私の娘です!私の天使ですわ!!あなたにまた会えた喜びを知った私の心を見せてあげたいくらいですわ!!」
涙ぐみながらも必死に言い募るアンジュリーナにイミルグランは狼狽えながら、手布を差し出した。
「アンジュリーナ……、これを」
差し出された手布とイミルグランの顔を交互に見たアンジュリーナは次の瞬間、唇を振るわせてイミルグランの胸に飛びこみ、大きな声で泣き始めたので、イミルグランは大いに焦りだした。そんな二人を微笑ましそうに見てから、ミグシリアスは自分の隣に座るイヴリンの両手に、自身の両手を重ねた。
「イヴリン、俺の銀の光。俺の愛しい小さな銀の姫君。俺は”シーノン公爵”になるために、試験を受けたけれど、俺が本当になりたいものは……君の伴侶で、君の家族だ。君が貴族の妻になれないなら、俺は貴族になんてならない。それに君が妻の仕事が出来ないなら、その分を俺がやる。だから俺を君の傍にいさせて?どんな病気だって、一人で闘うのは辛いだろう?君の抱える辛さを本当にはわかってあげられないかもしれないけれど、君の傍で君の額を冷やすことくらいは出来るから」
「ミグシリアスお義兄様……」
「これからはお義兄様と呼ぶのは禁止だよ」
ミグシリアスは、そっとイヴリンの両目を隠すように手を添えた。自分達の目の前にいるイミルグランとアンジュリーナが二人だけで何やら話をしているなと思っていたら、急に熱い抱擁と共に大人のキスをしだしたからだ。
イヴリンは優しいミグシリアスの指の間から、両親のキスをそっと覗いて見ていた。ミグシリアスは目の前の大人に苦笑しつつも、イヴリンに言葉を続けた。
「小さな君が大人の女性になるまでに、もっと俺は頑張って、魅力的な男になる。その時にもう一度、君に求婚するから待っててね」
両目をふさがれたままのイヴリンは、コクンと頷いた。馬車の外は爽やかな早朝に相応しい、キラキラとした朝日によって、全ての景色が洗われたように綺麗だった。そして馬車の中はそれ以上にキラキラとした希望に満ちあふれていた。




