※夏休みの個別イベント~シーノン公爵令嬢の家出(後編)
「君に会いに行ったら、君が消えたと大騒ぎになっていてね。王家に仕える影の者達の調べで君が辻馬車に乗って学院に向かったことがわかったから、僕も学院に行ったら丁度、門の所で息せき切って走ってくる男爵令嬢と彼女を追って走ってきた大司教子息にバッタリ会ってね……、君が泣きながら学院を飛び出して行ったと教えてくれたから僕は慌てて探したんだよ。ああ、間に合って本当に良かった」
あの後、見知らぬ男性を追い払った王子様は、迎えの馬車が来るまで教会で待っていましょうと提案した大司教子息の案に乗り、大司教子息が男爵令嬢の手を繋ぐようにして、私の手も握られて、そのまま4人で教会まで移動した。12才の時に初めてお目にかかってから、社交では常に王子様の横にいたし、ダンスも沢山踊ったことはあったけれども、こんな風に手を……まるで平民の恋人達のように手を繋いだことは一度もなかったから、私の胸は激しく鼓動し、顔が熱いように感じて戸惑った。熱い……?この私が?教会の聖堂に入ると男爵令嬢は大司教子息に伴われ、教会の中にある壁画を見に行き、私は王子様に手を繋がれたまま、聖堂の椅子に二人して並んで座った。
「僕達は3年前に初めて顔合わせをしたものの、会うのはいつだって社交の時だけで、個人的に二人で会ったことは一度もなかったし、こうして話をしたこともなかった。僕は君よりも3才も年上の婚約者だと言うのに、君に対する歩み寄りや思いやりが足りなかったと反省している。申し訳なかった」
「い、いえっ!そんな謝らな「いや!謝らせてくれ!そして僕の話を聞いて欲しい!」」
そう言って王子様は沢山の話をしてくれた。何と……王子様は7才まで男爵令嬢の実家のある領地で平民の子として育てられていたらしい。では男爵令嬢と王子様は昔なじみというものだったのだろうか?
「それがね、直接会ったことは一度もないんだよ。信じて欲しい。僕はね、彼女が黒髪黒目の少年が自殺しようとしているのを必死になって止めていたり、子ども達に虐められている太った男の子を助けたり、怖い顔だと怯えられて傷ついている男の子を慰めている現場を偶然見かけてね……、彼女に憧れを抱いたんだ」
「憧れ……。それってもしかして初恋をしたってことでしょうか?それは……そうでしょうね。男爵令嬢は明るくて優しくて……可愛らしくて完璧な女性ですもの。誰だって好きにならずにはいられませんわ」
「ああ!そんなにしょげた顔をしないで、最後まで聞いてったら、もう!君がそんな顔をするなんて思わなかったよ。人前でなかったら、うっかり抱きしめてしまうところだった!……あのね、よく聞いてね。確かに僕も小さな頃は初恋だと思っていたんだけどね……、あれは初恋ではなかったよ。どちらかというと物語の勇者に抱くような憧れの気持ちだったと思う。だって、そうだろう?皆が忌み嫌う”魔性の者”に手を差し伸べたり、いじめっ子達の中に飛び込んで男の子を助けたり、中身はともかく本当に怖い顔をしている男の子に親しげに話しかけるなんて、普通の子どもにはちょっと出来ないと思わないかい?」
「ええ、私もそう思いますわ。私だったら怖くて出来なかったと思います」
「だろう?情けないけど、当時の僕も出来なかったんだ。だから10年ちょっとぶりに会った時は、まるで物語の勇者に再会したように興奮したし、学院生活が始まって、彼女が昔通りに誰にでも優しくて、姑息な虐めにも真っ向から立ち向かう所も昔の勇敢だった彼女そのままだったから嬉しくて、つい言葉を交わしてみたくなっただけなんだよ。君は僕が彼女に白いリボンを贈ったと思い込んでいるのは間違いだよ。あれは入学式の時に風で飛ばされた彼女の母親の形見のリボンを偶々拾って上げただけだったんだ」
そう言った後に王子様は握っている私の右手を離し、両の手で持ち直すと、私の右手にあるペンだこをそっと撫でた。
「さっきの不埒な男は君の手が綺麗だって言ったけれど、君の手で一番美しいのは、このペンだこのある指だよね。……今まで本当にごめんね。僕は7才の時に王子だと知らされて、後宮で貴族教育や帝王教育を勉強することになったときに、いつも家庭教師に君と比較されていたんだよ。『イヴリン・シーノン公爵令嬢様は5才の時から、弱音を吐かずにずっと勉強していたのですよ。それなのに年上のあなたが勉強を嫌がって、どうするんですか!』……って、いつも叱られていた。初対面の時は君に会う前に色んな貴族達と話をして、君が傲慢で冷酷で卑屈で我が儘な公爵令嬢だっていう噂を聞いたのもあったし、子どもの時から君と比べられていたこともあって、君が可愛らしく挨拶をしてくれたのに顔が強張って上手く話せなかったんだ。だけど、この三年間ずっと一緒にいて、それが誤解だってわかったんだ。君は真面目で努力家で思いやりのある可愛い女の子だった」
「3年間、目を合わせてくれなかった王子様が私を真っ直ぐに見つめてくれている。それに可愛いと王子様が言ってくれるなんて……。こんなことは初めて。これは……夢?夢なのかもしれない……。夢でもいい、私、凄く嬉しい……アッ!失礼しました!つい言葉が……」
心で思った言葉が自然と口をついて出て、ハッとなって口元を押さえようと王子様の両手から右手を抜き取ろうとしたが、王子様は強く握り直して離してくれなかった。
「夢なんかじゃないよ。今まで可愛いとは思っても素直に言えなかっただけなんだ!それにさ、これはね、父から聞いた話なんだけど、シーノン公爵家は始祖王の末妹が初代のシーノン公爵に嫁いだことにより、王の遠縁にあたる由緒正しき貴族となり、王の次に位が高い上級貴族になっただろう?だから昔から代々のシーノン公爵の資産を奪おうとする者が多くて困っていたんだって。誘拐や暗殺の危険も度々あったこともあり、その難を回避するために僕の祖父の代から、身分制度を厳しくして、自分よりも身分の高い者に話しかけることを禁じることで、シーノン公爵家の者に降りかかる危険を少なくさせたんだって。
そしてシーノン公爵家自身も自衛のために、自分も自分の子達も傲慢で冷酷で卑屈で我が儘な上級貴族であると貴族社会に知らしめることで、変な下心を持って近づく貴族達から自分と家族を守っていたんだ。実際、君と3年間色んな社交に出たけれど、その3年間で君が傲慢で冷酷で卑屈で我が儘だったことは一度も無かったからおかしいなとは思っていたんだけど、そんな事情があるなら先に教えてくれていたら良かったのにと、父を恨めしく思ったよ」
「そんな……。いえ、私は本当に傲慢で冷酷な女なんです!だって小さな頃に私は神子姫をしていた大司教子息に生ゴミを投げつけて追い出した酷い女なんです!だから私は本当は王子様の妃には相応しくなく……あの、王子様の婚約者を辞退させていただくことは出来「だとしても、そんなこと絶対にさせないよ!」え?」
「当時の君のことを影の者達に調べさせた。物心ついた時から両親は不仲で独りぽっちだった君に、愛し愛されることが、神が人間に与えた祝福だという話を大司教がしたらしいね。周囲の人間の愛を得られず、寂しい思いをしていた君には酷すぎる話だし、怒って当然だと僕は思う。当時の君のことを説明したら大司教も大司教子息も自分達が軽率だったと認め、改めて君に謝罪したいが謝罪することで、また君を傷つけるのではないかと相談されたよ。それに君の義兄とも話をした。
亡きシーノン公爵は生前に、自分の命が少ないことを知り、後に残される君の行く末を案じて、僕の父に相談したんだ。何故なら僕の父とシーノン公爵は学院時代の親友だったからね。父は祖父の時代に出来た身分制度の弊害…黒髪黒目の者や顔に傷がある者への差別を撤廃しようと考えていたから、君を僕の妃にする代わりに、次代のシーノン公爵は平民出身の黒髪黒目の者にして、ここで一気に差別を撤廃させようと持ちかけ、二人はそれを推し進めたんだ。
だけど、その二年後にシーノン公爵が亡くなり、国中に流行病が蔓延し、僕の父もその対応に囚われて、その計画は途中で中断され、君の義兄は中途半端なまま捨て置かれて不安になり、苛立っていた。そこへ当時父を亡くし、使用人の顔色を伺って暮らしていた君が、使用人達の言葉をそのまま彼にぶつけてしまったことで、彼は君に酷い事を言ってしまった。10も年下の子どもに酷い事を言ってしまったと後悔を口にしていたよ。これからは社交以外でも沢山会って話をしよう、シーノンこ……イヴリン。だって僕らは三月に僕が卒業したら結婚するんだからさ」
本当にこれは夢ではないの?先ほどから王子様が初対面の時みたいな気さくさで話しかけてくれて、笑いかけてくれて……触れられている。王子様が繋いでいる手がまるで火のように熱く感じる。……あれ?私、手汗をかいてる?ヒャッ!?汗?大変!汗でベトベトして気持ち悪いと思われないかしら?それにただでさえ私は醜い体なのに……。
「あ、あの、手!私、手に汗をかいています!王子様の手を濡らしてしまいますし、王子様に気持ち悪いと思われたら悲しくなるので離して貰えませんか?それに私は醜い体つきですから……あまり傍に寄ると不快になるかと……」
「君が醜い体だって?こんなに僕の心を捉えて放さない、魅力的な君の体つきを誰がそんなことを?……あっ、ごめん!そんな風に思われるのは女性は嫌だよね!本当にごめん!ああ、もしかして僕の手汗が酷かった?気持ち悪い?でもでも折角勇気を出して、やっと君と手を繋げたのだから、もうしばらくこうしてたいんだけど、ダメかな?」
「え?私は王子様の手汗などは気にしませんし、私も嬉しいからずっと手を繋いでいたいです。それにしても……本当に私の体は王子様の心を捉えて放さないのですか?最近の流行は華奢な体ですのに、王子様は変わった好みをされている方だったんですね。……でも私は王子様が好きですから、そう思って貰えるなら私はすごく嬉し……キャッ!」
嘘……。私、今、王子様に抱きしめられている。王子様の体が熱い。そして凍えているはずの私も王子様以上に熱い。ギュッと抱きしめてくれている王子様の声が直ぐ傍で聞こえてくる。
「そんな可愛らしいことを言って、僕を煽るなんて!どうしてくれるんだよ!今すぐに結婚したくてたまらなくなってしまったじゃないか!君は僕だけの純粋無垢な女神様だけど、時々小悪魔みたいに僕を無意識に誘惑してくるから、僕は自分を抑えるのに苦労しているんだよ!あのさ、今の貴族女性の流行は子どもみたいな凸凹のない……華奢な体型らしいけれど、大抵の男は女性らしい凸凹がある体型の方を好むんだよ。
だから男達にとって君は、もの凄く魅力的な女性なんだ!君が公爵令嬢でさえなかったら……君が僕の婚約者でさえなかったら……今頃、君は沢山の求婚者に取り囲まれたり、悪い男に攫われていたかもしれないんだぞ!でも君は僕の婚約者だ!僕だって初めて君を見かけたときにすごく綺麗な女の子だなって、君が誰かもわからないのに、一目惚れしてたんだ!そして、この3年間で君の中身も愛してしまったんだ。僕の本当の初恋の相手は君で、僕が一生愛していく女性は君一人しかいないんだ!誰にも手出しなんてさせるものか!」
抱きしめられている私を見て、男爵令嬢と大司教子息が微笑みながら手を振って、教会をそっと抜け出していく。ああ、これは夢なんかじゃないんだ。私……王子様に愛されているんだ。そして私も……王子様を愛している。ああ、熱い。全身に火がついているように熱く、全身が汗だくだわ。フフ……、初めてのキスがしょっぱいのは涙のせいなのか、二人の汗のせいなのかわからないし、物語のように素敵なキスでは全然ないけれど、これが現実の……恋人とのキスなのね。暫くしてお迎えの馬車が来たと恐る恐る声を掛けに来た男爵令嬢と大司教子息を見て、私は王子様と顔を見合わせ赤面し、共に手を繋いで彼等の方に歩み寄る。
さぁ、この後は男爵令嬢と大司教子息に謝って、心配をかけた家の者達にも謝って、大司教と義兄にも謝りにいかなきゃいけないから大変だわ!……でも大丈夫!ずっと王子様が傍にいてくれる!教会の外に出ると真昼の太陽がジリジリと私達を照らし、私は汗をかいている自分を自覚した。ああ、私はようやく生きている人間に……愛され愛することを知る普通の人間になったんだわ!もう私は凍えることが二度と無いだろうし、凍えても……きっと大丈夫!だって、これからは私が愛し、私が愛する人が傍にいるのだもの!ああっ、神様!愛を私にも与えてくれてありがとうございました!
”僕のイベリスをもう一度”の友情エンドと逆ハーレムエンドの時にだけ、悪役令嬢イヴリン・シーノン公爵令嬢は悪役ではなくなります。この夏の個別イベントを経て、ヒロインとの誤解が完全に解けた事で、ヒロインは友情エンドへとまっしぐらに進むのです。




