悪役辞退~ヒール②
「大変です、アキュート護衛隊長様!」
城にいた護衛団の男がノックもせずに老人の部屋に飛び込むようにやってきた。
「ええい!その名前で呼ぶな!儂はヒールだ!」
「は、はい、ヒール様!実はカロン王が行方不明なんです!」
「何だと!?どう言うことだ?」
老人はベッドから起き上がり、話を聞くことにした。
「はい、それが……カロン王は城の地下室に、もう一週間も閉じこもったままだったとかで、手の者達がカロン王の部屋の鍵のナイフを一本ずつ確かめていて二刻ほど前にやっと鍵のナイフが見つかり、城の地下室に入りましたらば、その奥には隠し扉があり、扉がひらいていたそうです。手の者達が中を確認したところ、そこには地下を流れる川だけがありました……。カロン王が脱ぎちらかしただろう服も、その場に見つかっております」
老人はカロンの醜悪な姿を思い浮かべながら言った。
「すでにもぬけの空だったってことか。フン!国が滅亡している責任を取りたくなくて、逃げおったとは、愚かな悪王らしい浅知恵だが、命知らずにも程があるわい!」
そう言いながら城に向かうために着替えようとベッドから立ち上がった老人の元に、さっきとは違う、別の使者が、慌てふためいた様子で走りやってきた。
「大変です、元ヒィー男爵令嬢が……!」
肩で息をしながら使者は、追っていた元ヒィー男爵令嬢が目の前で井戸に飛び込んだと老人に報告した。
「何?彼女がいきなり井戸に身投げをしただと!?」
老人は使いの者の言葉に目をむいて驚いた。老人は手紙により、自分達の先祖同様に気高き心を持っていた彼女が、この5月に自ら悪役となって国を救っていたと知り、慌てて暗殺することを止め、彼女を助けるために行方を捜していたのだが、その彼女が身投げをしたと聞いて、信じられない気持ちとなった。
(どういうことだ?彼女は古き血の盟約を果たし、悪者達の命を大きく削り、誓いのリボンを最後のヒールである儂に託す役目を終えたから、姿を消したのではなかったのか?何故、儂達の追っ手から見事に逃げおおせていた彼女が急に姿を現し、目の前で身投げをしてみせたんだ?まだ何かをするというのだろうか?
……いやいや何かの物語の主人公でもあるまいし、普通に生きている人間が井戸に飛び込んで無傷でいられるわけがないのだから、彼女は世を儚んで身投げをしたと考えるべきで、彼女が何かをするために井戸に飛び込んだと考えるなんて愚かしいにも程があり、そんな馬鹿げたことを聡明な彼女がするわけがな……。ああ、彼女はそういう戦法を得意とする者だったな。何年も掛けて、愚か者の仮面をかぶって狂気を演じ続けて、敵を欺くことに成功し、多くの敵を退けた彼女のことだ……。きっと今回のことも聡明な彼女ならではの剛胆で突飛な策なのだろうが、凡人の儂では彼女の意図がまるでわからない……)
王都にあるヒィー男爵家の屋敷の傍には川も流れている。行水したいならば、川に入ればいいだけだし、何十メートルも深く掘られた井戸に飛び込むなど、身投げしか考えられない行為であった。……でも。……でも、普通に考えれば身投げ以外には考えられない行為なのだが、それをしたのが、非凡な戦略を得意とするヒィー男爵令嬢だったので、老人は自分は何をすればいいのだろうかと頭を悩ませた。
……すると、どこからともなく美しい男女の歌声が外から聞こえ、老人は驚き慌てて、ベランダへと躍り出た。夕刻だったのが、いつの間にか星々がきらめく夜空となっていて、その星空から男女の歌声にあわせるようにヒラリ、ヒラリと星のような輝きを放つ、金色の紙吹雪のようなものが、雲一つ無い夜空から舞うように降ってきた。それを手にしようとすれば、それは触れた瞬間に、スウッと音も無く消えていく。天上から聞こえてくる男女の歌声はとても美しい声だったが、老人はその歌の歌詞を正しく聞き取れなかった。彼はその言葉が、今まで一度も耳にしたことがない言語だったので、それは古語だろうと思いこんだ。
(なんということだ!これは儂のご先祖のヒール様とヒール様を救ったへディック国の始祖王の声に違いない!)
老人はその場で膝をつき、一心に祈りを捧げ、夜空に向かって叫んだ。
『ご先祖様方!儂に何をしろとおっしゃっているのですか?』
古語で歌われる歌が聞こえなくなっても、老人はそこに跪いたまま、心の中で必死になって考え続けた。
(城の地下を流れる川に飛び込んだカロン王。そして井戸に飛び込んだヒィーの末裔。川と……井戸。共通点は水か?いや、まてよ。確か城のそばを流れる川の川下の方に、元ヒィー男爵家の屋敷があったような……)
「!?もしかして!おい、至急、シーノン公爵が作った、治水計画の資料と地図を持ってこい!」
老人はさっきまで寝込んでいたとは思えない勢いで指示を飛ばし、資料と地図を持ってこさせ、両者を照らし合わせ、食い入るように見つめた。
(やっぱり!ヒィー男爵家の井戸と城の地下水の流れる川が繋がっている!彼女はカロン王が逃亡したのを察知し、追跡のために井戸に飛び込んだんだ!何という剛の者だろうか……。何という自己犠牲精神だろうか……!古き盟約のためならば、自分の命も惜しくないなんて……。いや……彼女は元々、そういう人間だったな)
老人は気高き志に生きる彼女の心を思い知り、今まで思い悩むだけで何も行動をしなかった自分を恥じた。
(彼女は悪に堕ちた王家から国を守るために、わざと自分は貴族失格の最低最悪な悪女だと幼少の頃から演じ続けた胆力の持ち主だった……。彼女こそ、最も貴族らしい貴族だろう!彼女こそ、国の事を一番に考える貴族の鏡だろう!……儂だって、……儂だって、そんな彼女と同じ五兄弟の血を引く者だ。悪しきクローニックの奸計によって悪に堕ちたが、儂は……儂は……ヒールなんだ!儂は最後の……王位を持たぬ王なんだ!誓いのリボンの約束を、今度は儂が必ず!)
「……今、生き残っている仲間達を全員連れてこい!全員でカロン王を追いかけるぞ!」
老人の言葉に配下の者達は狼狽え、慌てて言った。
「え?こんな夜からですか!急にそんなことをご命令されても、今直ぐには無理ですよ!そ、それに、ぜ、全員!?そんな……病で伏せっている者や若者達まで連れて行くのですか?そんなことをしたら、王都を守る者がいなくなってしまいますよ!」
配下の者達の制止の声に老人は、こう考えた。
(病で伏せっているのは、北の国を乗っ取ろうとした悪者と、はるか遠くの国の姫を奪い、その国を乗っ取ろうとした悪者達と周辺諸国の小悪党達だ。これらは無理にでも連れて行かねば、儂のいない間に王都を乗っ取るかもしれん……)
「わかった。では王都に残るのは、孫世代の若者達だけにしよう。学院生達ならば、若者らしい純粋な気持ちで王都を守ってくれるに違いない!寝込んでる者もたたき起こせ!他の者は皆、儂に続くのだ!」
7月の21日にカロン王の失踪に気付いた老人だったが、皆を引き連れ、王都を出るが可能になったのは7月の23日の正午過ぎとなった。
「では、後の事、頼みましたぞ、王子。他の皆も頼んだぞ!」
「「「はい、お任せを!」」」
「はい、お祖父様、父上をしっかと捕まえてきて下さいね」
老人は若い仲間達の声を聞き、安堵した。
(親や祖父世代の悪行を、ここにいる孫世代の若者達は知らぬはずだ。学院に通い、立派な貴族となるように勉学に励んでいる彼等がいれば、新たな良き国を作る手助けをしてくれるに違いない……)
老人は知らなかった。カロン王を追いかける若者達の身内である老人や、若者達の親世代の仲間達は、彼等の子、孫世代の若い仲間達が、自分の親兄弟の悪行については知らなくても、回りの親達の悪行についてだけは、自分の親から悪口として聞かされて育っていたことを……。そして老人と若者達の親世代の仲間達は気付かなかった。若い彼等の失われた初恋を親世代の者達が馬鹿にし、蔑ろにしたことで、その彼等に憎悪の感情を抱かれていたことを……。




